浜梨(はまなす)は、野茨(のいばら)みたいに、
刺(とげ)だらけですので、
靴底で、うまく踏みつけなければ、歩けません。
浜防風(はまぼうふう)は、砂浜一面を覆いますので、
踏みつけずに歩くのは、困難です。
そうして、浜防風は絶滅危惧種になり、
浜梨の自生地は、立入禁止になりました。
三浦半島でも、葉山の御用邸の前の砂浜は、
浜防風で覆われていましたが、
今は、警察官が立ち、
警備用のボートが、伏せられています。
御用邸の警備です。
三脚を立てて、写真を撮ると、怒られるの。
砂浜に、三脚を立てるには、自治体の許可が必要とか。
そんなことを言う奴は、あほに決まっています。
御用邸があれば、
砂浜を伝い、みんなが見物に来ますから、
ハマボウフウがなくなるのは、当たり前です。
ハマナスを踏みつけて歩くと、
自然保護のボランティアが、飛んで来て、
ここは、立入禁止になっています、と言うの。
そんな看板や表示は、なかったし、
ロープも張ってないのに、なんで立入禁止なのかしら。
ハマナスは、踏みつけて歩く。
それが、相場でしたのに…
野茨と同じでした。
警察みたいな自然保護運動は、嫌(いや)。
緑化のために、みんなでニセアカシアを植えたのに、
今度は、生態系を守るために、みんなで伐採します。
みんなで一緒に、自警団みたいに、
監視し合うボランティア運動って、あほです。
昭和天皇に、
植物を分類する趣味が、あったせいかしら。
わたしと会った時に、彼は、
植物のボランティア運動を、自警団にするなんて、
言ってなかったのに…
発達障害を保護するみたいに、
GID(性同一性障害)に、性転換医療を行なう奴は、
ナチスドイツの警察官みたいに、
頭の悪い子供を、騙(だま)して、間引いて行きます。
ハマボウフウは、食べられますから、
栽培すれば良いのに。
そうすると、発達障害を食べる気かと、怒られます。
ここは、石狩浜。
わたしは、函館の生まれです。
*** ***
昔のヨーロッパの、敬虔なキリスト教徒は、
ほんとうに、神様がいると、信じていました。
心の中だけでなく、自然現象のように、
実際に、目や耳や皮膚などにより、知覚されていると、
信じて疑いませんでした。
神様が実際にいると、仮定したほうが、便利なら、
実際に存在すると、確信するために、
目や耳や皮膚などの、感覚器官がありますから、
1才頃までに、知覚の仕方を、規定してあげれば、
そのように知覚することが、出来ます。
現代の日本人が、
けっして、敬虔なキリスト教徒でないのに、
実際に、自分自身でない自然が、存在して、
目や耳や皮膚などにより、知覚されていると、
信じて疑わないのも、それと同じ仕組みです。
自分自身でないものでも、あると仮定すれば、
便利なのは、
数学やコンピュータの仕組みを見れば、一目瞭然です。
こっちとあっちや、これとあれを、
つないだり、くっつけたりすることにより、
数学やコンピュータは、成り立っていますが、
算盤(そろばん)の玉のように、
汎用的な粒々(つぶつぶ)を、
汎用的な仕方で動かせば、
具体的に記憶される知覚の対象が、
万華鏡のように現れます。
知覚の仕組みが、
数学のように無い物から、科学技術のように在る物を、
作り出します。
みんなと一緒の汎用的な仕方により、
みんなとコミュニケーションのできる具体的な存在が、
知覚されます。
論理法則と言われる文化的な教条の、
ほとんどは、定義です。
他に、空間や時間を指定する仕方が、ありますが、
いずれも、1才くらいまでに、
言葉のように、知覚の仕方を習得して、
変更不能にします。
文化的な教条の通りに、知覚を規定して、
みんなと一緒の言語のように、
コミュニケーションの手段として、
知覚を用いる能力が、人により異なります。
みんなと一緒のことが、できなければ、
あほと言われて、みんなに殺されますが、
進化論だけでなく、精神分析のような医療も、
人殺しを、目的としていました。
道徳や人格や善悪や法律などの価値が、
みんなと一緒のことの、できない奴を、
殺すための手段でしたが、
あほを識別して、殺すための仕組みが、
知覚でしたから、免疫の一種なの。
病気になったり、年を取ったりすれば、
みんなあほになり、お医者さんに殺されますから、
心配することは、ありません。
ナチスドイツの好きな医療でしたが、
現代の性転換医療も、その1つです。
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