チュウサギ 1878 精神の病気や障害か、無実の人か

そのへんの田畑を、うろついている鷺ですが、
あぜ道の向こうで、見え隠れしていました。
 
カメラを向けると、飛び立ちましたので、 
帰宅して、写真判定すると、
嘴が黒く、目先が黄色の、中鷺でした。
 
       ***          *** 
 
統合失調症の人の、
精神の病気の素質は、治らないと、
言われれば、自殺しなければいけないと、
思うらしいの。
 
そんなことはありません。
 
精神の病気と言われるのは、
みんなと一緒のことができないので、
権力の言うことを、聞けずに、
みんなに虐(いじ)められるからです。
 
殺されますから、奮い立ち、
みんなと一緒のことをしようとするのは、
当たり前ですが、それが癖になれば、
ドーパミン云々(うんぬん)になるのも、
当たり前です。
 
ドーパミンは、
虐められたから、そうなるのに、
ドーパミンのせいで、
統合失調症になると言うのは、
典型的な権力の言い草です。
薬屋さんの、お金儲けなの。
 
知らないことに、好奇心を催さずに、
忌避する気持ちが、強いだけでなく、
すでに知っていることは、
変更不能になるくらいに、すごく執着しますから、
賢いのか、あほなのか、わからないのは、
よくある発達障害の症状ですが、
みんなと違う、というだけです。
 
統合失調症の人は、動作と知覚の異常が、
連動しているかも知れません。
 
視力や聴力は、簡単に測れますが、
視覚や聴覚や動作の、異常の中でも、
知的な脳の機能によるものは、
価値観により、異なりますから、
客観的に測るのは、困難です。
 
みんなと一緒のことができないのを、
測るしかありません。
 
特定の判断や動作などが、
変更不能になるのは、
みんなと一緒であろうが、
それができないのであろうが、
似たようなものなのに、
みんなと一緒でないほうは、
みんなに虐められますから、
生まれつきの障害や病気として、
保護してあげなければなりません。
 
みんなに殺される代わりに、
みんなの代表の、権力に殺されますが、
その時は、殺されるのでなく、
保護されると、言われます。
統合失調症のお薬の処方が、その典型です。
 
大阪教育大学の宅間守君や、
オウムの麻原君などを、
後藤君や湯川君と、同じくらいに、
よくやった、と言うと、怒られますから、
言いません。
 
たくさんの無実の人を殺した奴を、
なぜ、褒めるのかと、怒られますけれど、
宅間君は、殺された小学生たちが、
けっして無実でないと、必死で訴えていました。
 
権力に育てられて、
みんなと一緒のことをする子どもたちですから、
みんなと一緒のことのできない人を、
殺そうとするのは、当たり前です。
 
宅間君や麻原君の、障害や病気や犯罪も、
当たり前なのですが、言えば怒られます。
 
平均的な小学生は、
顔や体の、形や動作に現れなければ、
精神の障害や病気を、理解できません。
 
宅間君が、小学生を殺したのは、
動作に現れたのですが、
必死に、小学生にも理解できる動作に、表わしたのは、
よくやったと、褒められるべきです。
 
小学生になって、
顔や体の、形や動作に現れない精神の病気を、
だれにも教えられずに、ひとりでに理解できなければ、
たぶん、だれに教えられても、
死ぬまで理解できません。
 
論理能力と同じなの。
生まれた後に、能力が向上することは、ありません。
 
精神の病気は、色を知覚するのと同じように、
直感的にわかります。
考える必要は、何もありません。
みんなと一緒のことができなければ、
精神の病気になりますから。
 
みんなと一緒でない奴を、識別する問題って、
知能検査にあったでしょう?
捻(ひね)くれた形が、並んでいて、
一つだけ違いますが、どれも、向きが違っています。
 
全体を見渡して、違っている奴を、見つけ出すのは、
ちっとも苦しくなく、楽しいお遊びのようですが、
みんなよりも、能力が低ければ、
みんなに虐(いじ)められますから、
すごく苦痛になります。
 
論理能力って、そういう能力なの。
平均的な小学生の論理能力は、
顔や体の、形や動作に、
大きな違いが、現れていなければ、
精神障害を識別できません。
 
みんなと一緒のことが、できない奴を、
識別できませんが、空間的な形の違いだけでなく、
動作の違いは、これこれならば、これこれって、
いわば、時間的な形のような、
くっつきかたや繋がり方の違いですから、
ちょっと複雑です。
 
どこまで、おおまかに現れれば、違いに気づくかって、
知能や、その中の、とりわけ論理能力と同じです。
 
生まれた時に、すでに向上できないように、
変更不能になっています。
 
平均的な小学生の知能が、
顔や体の、形や動作に現れなければ、
精神障害を理解できないのなら、
宅間君が、小学生にもわかるように、
ちゃんと、殺してあげようとしたのは、当たり前なの。
 
みんなと一緒になろうとした努力の、必死の成果です。
それがわからないくらいに、知能の低い人は、
無実の子供に報復したと、糾弾するでしょう。
法廷の弁明からして、
宅間君自身が、そう誤解していた可能性が、高い。
 
裁判官のあほは、言うまでもなく、
彼を死刑にした精神科医は、情けない。
 
宅間君が小学生たちを殺したのは、
性転換医療と同じように、典型的な共食いなの。
 
うちの父は、IQ70の知的障害でしたが、
人のことを、あほと言う者が、あほであると、
死ぬまで、言い続けていました。
精神障害者を差別虐待するのは、
必ず精神障害者ですから、一筋縄で行きません。
 
みんなと一緒のことが出来ないのを、
虐(いじ)めるのは、考え方の違いでなく、
知能が低く、精神障害の症状ですが、
多勢に無勢ですから、あほのほうが強いのは、
法律家や政治家を見れば、よくわかります。
 
 

 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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