ほとんど雑草みたいに、咲いていますが、
ギリシャの国花なんだそうです。
そんなのが、あるんですね、国花。
憲法に書いてあるのかしら。
コリント式の古代建築の、柱頭飾りが、
このアカンサスの葉です。
地中から叢生して、柄が長いにもかかわらず、
地際(じぎわ)が、ロゼット状に見えますので、
足首の飾りにすれば良いのに、
頭や柱のてっぺんを、
冠(かんむり)のように、飾ります。
何とでも良いようなものですが、
文様と同じで、規格(order)があり、
サイズだけでなく、地位や権威の印ですから、
いい加減に捏(でっ)ち上げると、怒られます。
棚受けや迫持(せりもち)のように、
張り出して、力を受けるのでしょうか。
植物では、
柱頭(Stigma)と言えば、雌しべの先っちょですが、
建築では、capital と言います。
アカンサスの根元を、写さなければいけないのに、
面倒臭いから、花だけです。
アンコールワットの塔みたいでしょう?
春紫苑(ハルジオン)も、けっこう咲いています。
*** ***
現実でないことを、直接に、
目や皮膚や耳などから、知覚したと、感じれば、
幻覚と言われます。
事実でないことを、変更不能のように確信すると、
妄想と言われますから、
事実って何かと、問題になります。
みんなと一緒の、プログラムを使えば、
事実と言われるのに、
自分一人だけのプログラムを使ったので、
妄想と言われて、
虐(いじ)められているだけでないかと、
疑われます。
幻聴や幻視などの、幻覚のほうは、
ハードウェアが、みんなと違う生まれつきかも
知れません。
人間の鼻は、あほなので、
幻嗅(げんきゅう)は、ほとんど問題になりませんが、
GID(性同一性障害)には、多い。
文学的に、妄想は、色々に種類分けされますが、
いずれも、事実でなければ、
実生活が、矛盾だらけになります。
論理能力が低くなければ、
だれかが、悪さをして妨害をしていると、思い、
そいつを、やっつけなければいけないと、確信して、
自分の、お金や体や命を、守るために、
実力行使に及ぶのは、必定(ひつじょう)です。
プログラムが違えば、犯罪と同じ結果になりますから、
犯罪は、全部、妄想のせいかも知れません。
自分とは別に、知覚の対象が存在するって、
想像すれば、便利なので、
事実は、知覚の対象であると、言われます。
生まれた時から、そうですので、
想像しなくても、知覚の対象が見えるように、
感じるのは、習慣のせいです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、見えませんから、
知覚の対象が見えたり、事実を想像したりするのは、
言葉と同じように、習得されて、自動機械のように、
無意識に機能するようになったからですが、
猿が、人間の言葉を習得できないように、
人間の赤ちゃんが、習得できたのは、
生まれつきの、変更不能な素質のせいです。
事実は、知覚の対象であると、言えば、便利なのは、
文化と言われるみんなのプログラムですから、
言葉と同じように、習得されなければいけないのは、
当たり前です。
コンピュータでは、ハードウェアとソフトウェアを、
分けて、考えますが、
ソフトウェアが、変更不能になれば、
ハードウェアって、言われるのでないかと、
疑われます。
生物は、そうですので、コンピュータと少し違います。
わたしたちが見ている知覚の対象は、
みんなの流行の意見や文化と、言われるプログラムが、
変更不能になった証拠です。
物は、変更不能の、典型的な仕組みなの。
心が変化しなくなれば、物になりますから、
死んだと、言われます。
コンピュータよりも、生物のほうが、
少しだけ、変化しやすいのは、
心が体よりも、気体に近いようなものです。
妄想や幻覚や支離滅裂と、表現される精神病の症状は、
健常な人の、日常を支えている仕来りと、
まったく同じ仕組みですが、
数学や科学技術やコンピュータのプログラムのような、
みんなと一緒の言葉なのか、
それとも、自分一人だけの言葉なのかが、違います。
ウイルスのようなプログラムだけでなく、
インターネットと繋がらないコンピュータも、
あまり役に立ちませんけれど、
自分一人だけのプログラムって、おおいにあり得ます。
一回きりの自分だけの経験が、
事実や現実であり得ないように、
自分しか知らない言葉は、あり得ませんので、
個性や人格などと、言われます。
それを、想定したほうが、便利なのは、
コンピュータと同じと、言っても、構いませんし、
少し違うと言っても、構いません。
妄想や幻覚や支離滅裂と、表現されるのは、
統合失調症の症状ですが、
病気の軽いうちは、鬱病と、区別がつかないように、
自分一人だけが、みんなと違う、という気持ちは、
精神病の始まりです。
流行文化に乗れずに、みんなと違えば、
虐(いじ)められますから、当たり前です。
個性や人格を、主張して、
虐められないようにするのも、当たり前です。
個人主義は、自由や責任の考え方の、根本ですので、
欧米文化は、合理主義と個人主義であると、
言われます。
王様が代行していた唯一の神様の権限を、
個人が担うことができる、としなければ、
自由の根拠がありませんでしたので、
フランス革命の言い草になりました。
個人には、責任能力がある、と言うのです。
神様って、
みんなのご先祖さまに、決まっていますから、
一人一人の人間には、
みんなと一緒のことをする能力や義務がある、
という意味です。
そういう言い草でしたが、ほんとは、
貴族が囲い込んでいた田舎の農民を、
都会の資本家が奪い取り、工場でこき使わなければ、
イギリスに負けるから、
王様や貴族を、殺さなければいけませんでした。
個人主義って、フランス革命の時代から、
ただの謳(うた)い文句にすぎなかったと、
日本国憲法に書いてあります。
なんで黒船と原爆に負けたのに、
フランス革命の謳い文句を、
頂かなければいけないのかしら。
せっかく、幕末に、砲台を作ったのに、
東京の台場に、自由の女神を建てた放送局は、
あほです。
日本は天皇制なのに…
わたしなら、
モンタナ州とアラスカ州とハワイ州をくれたら、
台場に、フランス革命を立ててやると、言います。
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