この派手な花は、南米原産ですが、
ニュージーランドやオーストラリアで、
よく見かけます。
わたしは、フェイジョアの実が、大好きですが、
日本で売れなかったので、
店頭に並ぶことも、めったにありません。
スプーンや包丁がなければ、食べられない果物は、
売れないのかも。
西瓜(すいか)ぐらいの食べ目があれば、
売れますが。
フェイジョアの味は、
シロップ漬けの、缶詰の梨かな。
*** ***
怒られることを、書かないと、面白くないので、
わたしが、どこの誰であるかを、
はっきりとさせないほうが、良い。
統合失調症や性転換や発達障害などの、
さまざまな意味での、精神の病気の人が、
このブログを読んでも、
どこの馬の骨か、わからん奴の、言葉のせいで、
気分が悪くなることは、少ない。
精神の病気の中でも、
器質的な、原因や仕組や治療法の、
わかっていない種類は、
だれの気分も、悪くしない言葉を聞いても、
治る可能性は、少なく、
当たり障(さわ)りのないことを、言い、
薬物を使い、鎮静したり、酔わせたりして、
世の中の邪魔にならぬように、
あほにしているだけを、治療と抜かすのは、
良くない。
ましてや、どのような症状の、どこの誰が、
インターネットのブログを、
読んでいるかも知れないのに、
精神の病気の人の、だれの気分も、害しないように、
通り一遍のことを言い、生殖機能を壊して、
わざと、自分の体を傷つけるように、仕向けるのは、
医者のすることで、ない。
わたしは、どこの誰と、知られないように、
いくつものプロバイダを、
使い分けています。
匿名を維持するための、
プロキシサーバーも、使います。
普段から、そういう考え方なの。
日本では、役所の事務だけでなく、
他人や企業に、明かした情報の、
ほぼ全部が、警察に筒抜けです。
法律や、会社の内規などでは、
裁判所の、命令や許可がなければ、
個人情報をバラしては、いけません。
守秘義務がある。
実際には、内緒で情報を見せてくれと、
警察や役所に、頼まれたのに、
拒む役所や企業や店や人は、
滅多(めった)にない。
内々に求められれば、内々に応じるのが、
日本の風土ですから、
公序良俗は、憲法違反もいいとこです。
田舎の役所の情報の、ほぼ全部は、
隣近所にまで、聞こえて来ます。
役所に勤めている親戚や、
隣近所の人や友達や、
弱味を握られている人や、
頭の弱い人や、体の悪い人や、
人に恨まれたくない人や、
矢面(やおもて)に立ちたくない人などが、
簡単に漏らしますから、
所得の金額や、性交渉の時間や、
虫歯の治療も、
人に知られたことは、
噂(うわさ)と同じように、
すべてが、人の口に戸は立てられません。
役所や裁判所や軍隊などが、
噂(うわさ)を撒き散らす本家本元なのに…
権力は、コミュニケーションの中心です。
殺し合いをしている軍隊が、
本当の戦況を、言うわけがない。
殺し合いに比べて、
嘘つきの出費が、いかに少ないかを、
知らない人は、いない。
プライベートなことを、秘密にして、
公然としたことは、嘘八百って、
日本人に、許されませんが、
プライバシーであろうが、選挙の公約であろうが、
科学技術であろうが、数学であろうが、
この世の中の、本当のことは、
この目や手や耳で、知覚した現実と、同じように、
変更不能であると、定義されているだけなのに。
統合失調症の、妄想や幻聴や支離滅裂と、
表現される症状を見れば、一目瞭然です。
生まれつきの体が、知覚を定義していますから、
体と同じように、
知覚の変更が、困難なのは、当たり前です。
ブルドックやダックスフンドの、
顔や体と同じように、
知覚のための装置を、品種改良されて、
わたしたちは、生まれて来ました。
その品種が好まれるのは、歌の流行と同じように、
どうしようもなく無責任ですから、
殺し合いをしている軍隊だけでなく、
役所や企業や他人が、
本当のことを言うわけがないのに、
警察や裁判所があるのは、
憲法や科学技術や数学があるのと、
同じくらいに、面白い。
コンピュータが本当のことを言うと、信じている人が、
鉄砲や黒船や原爆のように、
コミュニケーションや権力などの、
実力を使いますから、面白さも半減です。
統合失調症のように、興醒めをするよりも、
プロレスやプロキシのほうが、立派です。
アノニマスのプロキシを使うために、
公開のプロキシサーバのリストを、
見に行けば、
ポータルサイトの、ニュースの項目や、
通販サイトの、商品の種類や値段のように、
わたし向けに、アレンジされた情報が、
表示されます。
アノニマスのプロキシサーバの、
ほとんどは、いわゆる漏れ串なのに、
知らん顔をして、
利用者を嵌(は)めるのが、
目的かも知れません。
IPアドレスの、挙措振舞いの情報を、
収集している人たちが、
公開の、匿名のプロキシサーバを、
運営したり、
サーバのリストを、公開したりしています。
30年前に、コンピュータウイルスの、
スキャンソフトを、売り出した人たちと、
ウイルスを、
盛んに、バラ撒いていた人たちが、
同一であったのに、似ています。
公開の匿名プロキシを、
中国の警察が、運営していたり…
値段が高くても、買う奴と、知れば、
ボールペン1本を、1万円で売りつけ、
安くなければ、買わない奴には、10円です。
高級品と普及品の、使い分けなら、まだしも、
中国の通販サイトは、買い手のIPアドレスにより、
最安値の2倍の値段しか、
絶対に検索できなかったり…
売り手のほうも、
同じ商品の型番なのに、安い値段から高い値段まで、
何種類ものカタログを、用意しています。
このIPアドレスの客は、どれくらいの値段なら、
買うかって、通販サイトだけでなく、
googleのような広告取扱会社が、
情報を提供しています。
そんなのって、
プライバシーの侵害や、守秘義務違反でないかと、
文句を言いたくなりますが、
すでに諜報活動のような商売が、世界の標準です。
中国やインドの商人は、守秘義務を守りません。
日本語表示の、航空会社のチケットの値段も、そう。
IPアドレスを使い分けて、
往きの航空券と、帰りの航空券を、予約すると、
東京大阪は、いずれも、1980円で買えます。
使い分けなければ、往きは1980円で予約できるのに、
帰りは4800円よりも、値段が下がらなかったり…
わたしは、もっと、お金を使わなければ、
家を、10軒も残して、
死にそうな気がしますが、
他人の目論見の、裏をかくのが、
趣味なので、仕方ありません。
贅沢を望まず、儲かる商売をしないのに、
お金が増える。
公開のプロキシを使えば、
かえって、尻尾を摑(つか)まれて、
インターネットだけでなく、
統合失調症の患者さんの、妄想のように、
頭の中を、遠隔操作されかねません。
昔に、
スパイ大作戦というテレビドラマがあり、
大掛かりな芝居を使い、
悪い奴を騙(だま)しましたが、
今は、インターネットに表示される内容の、
ほぼすべてが、
googleや金融機関などのような、
情報収集業者により、IPアドレスごとに、
細かく演出されています。
お医者さんが、アクセスすれば、
インターネットから得られる情報の、
ほぼすべてが、そのお医者さん用に、
業者の用意した誂(あつら)え品に
すぎないかも。
この程度の奴には、
これこれを表示して置け。
それが、一番儲かる。
うちの父は、IQ70でしたので、
浙江省の天目山を、通りすぎても、
何の山かを、教えてもらえずに、
復員してから、故郷の図書館に行き、
本を読んで、知ったそうです。
一兵卒には、
一兵卒に相応(ふさわ)しい情報しか、
教えてもらえません。
軍隊では、当たり前でしたが、
今に、それぞれの個人のための、
専用の情報しか、
インターネットから、得られなくなります。
だれが、だれの知る情報を、決めるかって、
社会の力関係が、反映されます。
コンピュータのない時代の、
個人の知覚の中身や、知覚のための体の装置の、
品種改良と同じです。
googleや銀行の、やっていることは、
歌や噂(うわさ)や流行や性交渉と、
まったく同じ仕組なの。
端的には、言葉と同じですから、
コミュニケーションの仕組です。
生物の40億年のやりかたを、
コンピュータが真似(まね)ていますので、
お釈迦さんやイエスキリストやアリストテレスや、
ヨーロッパの力学や、アラブの化学や、
ロマン主義や進化論や精神分析や認知科学などの、
インドヨーロッパ文化の論理中心主義が、
嫌(いや)と言うほど、わからなければいけません。
わたしのブログの筋道(すじみち)が、
同じところを、何度も循環していると、
笑う人がいました。
子供の頃に、
1000部の新聞配達の、道筋(みちすじ)を、
1回だけ、前任者に付いて行き、
998軒くらいを、覚えました。
順番に、どの道を通り、
どの家に、新聞を配るかって、
どこかに行くために、
その町を通り抜ける道筋で、ありません。
その町に、何本もの道があります。
新聞配達って、
町の中の道の、ほとんど全部を、
通り尽くします。
右左折するたびに、
何度も、頭の中に、地図を描きますので、
たった1日だけでも、1000部を配るのは、
何万回と、繰り返したのと、同じです。
物を記憶するのは、
繰り返して、道を通るからなの。
論理は、記憶のための、便宜ですが、
どこかに、行くためでありません。
知っていることを、詳しく知るために、
道を作ります。
プラトンは、すでに知っていることしか、
人間は知れないと、考えました。
何度も何度も、
同じ町の中を、巡り歩くのは、
町を知るための、手段です。
物事(ものごと)を知るのは、
通り抜けるためで、ありません。
何度も、同じことを繰り返します。
唐の劉廷芝(りゅうていし)は、
年々歳々、花相い似たり
歳々年々、人同じからずと、歌いました。
0コメント