花冷えですけれど、
うちの近所の、染井吉野(ソメイヨシノ)は、
咲き終わりました。
このごろは、公園に、山桜を植えませんので、
日曜日に、八重桜しか、残っていないかも。
利休梅(りきゅうばい)も、バラ科ですが、
溢(あふ)れんばかりに、咲きますから、
千利休が好んだと、思えません。
明治の末に、中国から輸入されました。
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生物の体や心が、
変更可能から、不能になることが、
時間と言われる知覚の仕様に、現れています。
過去は、変更できませんから、
老化のせいで、死ぬのでなく、
変更不能になったことを、時間が来たと、
言い訳(わけ)をします。
そのために、
目で見て、手で触り、耳で聞く知覚の中身に、
具体的に修飾された姿を、老化と言います。
知覚による修飾は、文学の手法に似ていますから、
老化と同じように、
物の認識が、レトリック(rhetoric)であると、
わからなければ、いけません。
物になることと、老化することが、同じように、
科学技術は、体に心地よい文章のようなものなの。
固体や液体よりも、気体のほうが、
少ない量の物でありながら、活発に変化するのは、
当たり前です。
心は、気体のような物であり、
体や社会は、気体の集団が、凝り固まり、
固体のように、変更不能になったものです。
水の流れのように、器を選ばない液体よりも、
泡沫(うたかた)のような、気体のほうが、偉いと、
インド人は考えました。
水で、火を消すよりも、泡で消すほうが、賢い。
お釈迦さんだけでなく、インドから向こうの人は、
だいたい、似たようなことを考えます。
ペルシャが、
ソグディアナ地方を、抑えていましたので、
昔の中国人は、
ペルシャの向こうに、インドがあると、
想像しました。
インドとギリシャ・ローマが、
一緒くたになりましたので、
達磨さんは、インド人と言われていますが、
禅宗の考え方は、キニク派やストアの思想に、近く、
欧米人に受けるのは、当たり前です。
インドかぶれの、仏教の中でも、
ヨーロッパかぶれの、甚(はなは)だしい禅宗は、
論理中心主義の人生観を、禅と言いますから、
日本の俳句の、地球の裏側に、当たります。
心は、気体のようなものですから、
魂と言われれて、空に昇るように、消えやすい。
なぜ、化学物質は、気体のように不安定なものから、
固体のように、変更不能な物に、
変わりやすいのかしら。
宇宙も、そうですが、
少量でも、敏感に作用する化学物質が、
大量の、重く固い地球のような、星になります。
生物は、その途中にありますが、
脳や体の器質に、原因となる病変の、
発見されない種類の、精神の病気の中でも、
慢性的や進行性に推移するものの、ほとんどは、
少量の化学物質に、機敏に反応せずに、
重たいドアを押すように、ちっとも動かないのに、
一旦動き出すと、制御できずに、
もの凄い勢いで、壁にぶつかり、
建物をぶち壊してしまいます。
統合失調症や
癲癇(てんかん)や鬱(うつ)病だけでなく、
性別違和を訴え、性転換を実行する人たちや、
性転換医療を行なうお医者さんたちも、そうなの。
性転換医療は、
患者さんとお医者さんが、似たような素質です。
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