ケヤキ 1800 知覚の品種改良 論理と科学技術

欅(けやき)並木の芽吹き。
まだ、10本に1本ぐらいしか、芽吹いていません。
 
この季節になると、
ぞろぞろと、建物から、人が出て来る光景に、
出食わします。
  
入社式や入学式って、道や電車が混むから、
野球や大相撲みたいに、早く帰りたかった。
 
今ごろに、芽吹く欅は、そういう気持ちかしら。
 
農作物の早生(わせ)も、
抜け駆けをすると、儲(もう)かります。
早稲田に行った子は、頭が悪かったのに、
狡(ずる)賢しこかった。
性転換をする子は、要領が悪い。
 
       ***          *** 
 
性同一性障害や発達障害や統合失調症などの、
精神の病気の話なのに、
なぜ、論理や論理能力を、問題にするのかって、
分類や筋書きや、こじつけや顔色が、
生まれつきの、自然や世界の、知覚や、
生まれた後の、社会の、科学技術や権力と、
仲良くするために、大切だからです。
保身術や精神修養のこと。
 
筋書きって、
検察官の作文であるって、弁護士が言うでしょう?
嘘や噂(うわさ)や間違いや迷信なども、
筋書きであるって、このブログに書きましたが、
それなら、本当の筋(すじ)があるのかと、
問われると、
コンピュータのプログラムのように、
定義されたマルペケの組み合わせや筋書きしか、
基準になるものは、ありません。
 
論理って、これとあれを、くっつけることなの。
くっつけ方が、複雑になると、
結(むす)ぼった糸のように、
どうなっているのか、よくわかりませんけれど、
辛抱強く解きほぐすと、わかります。
 
糸は、こっちとあっちを、結びつけますが、
糸そのものは、ただの一本の線です。
 
厄介なことに、こいつは生物ですので、
枝分かれをしても、一本であると、抜かします。
こんなのが、縺(もつ)れても、
解きほぐせるのでしょうか。
 
生物は、皆、一本の糸で繋がっているだけでなく、
知覚された物事(ものごと)も、
脳味噌の中で、一本の糸で繋がっていれば、
世も末ですが、幸いにも、
脳の中の神経って、繋がっているのでなく、
化学物質が、くっついたり離れたり変化したりして、
神経と神経の間の、情報を伝えています。
 
そんなことを言えば、
神経の中でも、情報が伝わるのは、
電気と言われる粒々(つぶつぶ)のせいですから、
筋書きや枝分かれや分類や組み合わせや論理って、
なんとなく、古臭い考え方でないかと、疑われます。
 
論理や論理能力を、
大切にしようとする考え方や生き方が、
精神の病気の、症状や原因でないかと。
 
コンピュータのプログラムは、
人間が定義したのに、決まっていますが、
コンピュータの機械も、人間が作ったのに、
その仕組の規則性は、人間が作ったのでないと、
科学者や科学技術者は、言います。
 
人間は、人間が作ったので、ないのかしら。
人間の知る知覚の中身や、知覚の方法は、
どのようにして、作られたのかしら。
 
人間や人間自身を、
人間が定義したはずが、ありませんが、
進化論が言うように、
人間もばい菌も、一(ひと)続きの生物ですから、
猿の文化的な仕来(しきた)りが、
猿を取捨選択して、品種改良して、
人間を作ったのに、決まっています。
 
生物は、動物も植物も、近縁の種(しゅ)でしたら、
たいていは、簡単に雑種が出来ます。
 
種(しゅ)と呼ばれるのは、
ほとんどが、地理的に離れていたり、
文化的な違いから、
ひとりでには、交雑しないだけです。
 
人間は、類人猿と、生殖できませんが、
細胞や遺伝子などを、工夫すれば、
簡単に交雑します。
文化的に禁じられているから、出来ないだけです。
 
人間の場合は、
近縁の種(しゅ)と、交雑しない原因の、全部が、
科学技術のせいです。
 
似たもの同士が、共食いをして、分化しましたから、
交雑できるような、
人間自身に似た種(しゅ)が、いなくなりました。
 
自分と似た奴は、競合するので、
近親者を、殺してしまったの。
人殺しの手段が、科学技術です。
 
科学技術と、近親相姦を禁止する道徳や、
人間と猿を、交雑させる遺伝子工学などを
禁止する法律とは、同じ共食いの考えかたです。
 
どうせ、似た者を殺すのなら、
最初から作らないほうが、合理的でしょう?
科学技術の考え方です。
 
どうせ原爆を落として、殺すのなら、
最初から、日本人を作らないほうが、良いと、
アメリカ合衆国は、考えました。
科学的でしょう?
 
ばい菌みたいな奴らの、日頃の生活が、
人間を定義しました。
 
ロマンチックなドイツの哲学者の、ヘーゲルは、
生物が、自分を定義するように、
人間の個体が、自分で自分を定義すると、
言いました。
 
マルクスやレーニンのような、
近代的な共産主義者が、
自然の摂理や法則が、人類や人間の個体を作ったと、
言うのも、文学表現が違うだけで、意味は同じです。
 
いずれも、毛沢東や、
現代日本の自由主義や民主主義の政治家に至るまで、
典型的な、ロマン主義と言われる考え方です。
 
自由主義と共産主義は、
レトリックと言われる文学表現の違いにすぎないと、
わかっていなければ、いけません。
 
自分は、これこれであると、自分で決める自由と、
人間の個体の、生活のすべてや、
科学技術の帰趨(きすう)などを、
自然や社会が決めるための、摂理や法則とは、
大違いでないかと、文句が出ます。
 
そのことを、ヘーゲルは逆立ちをしていると、
マルクスは言いました。
 
でも、どちらも、典型的なロマン主義なの。
それが、わからなければ、
安倍晋三の自由民主党と、
イオンや宇宙人の、民主党だけでなく、
江田なんとかの、維新の党も、
病的な時代錯誤の古さであることを、
理解できません。
 
ヨーロッパに比べて、200年は遅れていますから、
徳川政権の鎖国が、いまだに響いています。 
 
第二次世界大戦後に、コンピュータを作る考え方が、
上手(うま)く行ったことが、はっきりしましたが、
もとは、19世紀の初めに、電信が実用化された時に、
ロマンチックな思想を廃止して、
脳みその仕組と、相似形の社会を作ったほうが、
何につけても、理解と運営が容易で、便利であると、
たくさんの人が考えたのが、始まりです。
 
そうすれば、脳みその仕組に、社会の仕組を、
接続できます。
相互乗り入れが、可能になるの。
コンピュータの成功は、その手始めにすぎません。
 
国会の評決を、電気的に勘定して、
議場に表示するなんて、古い。 
脳みそと社会を、直結すべきであると、
コンピュータは言っています。
個人の自由なんて、古い。
個人も自由も、廃止されるべきであると。
 
事実があると、想定すれば、便利なように、
自然や社会に、規則性があると、主張すれば、
科学技術のように、人殺しの役に立ちます。
 
論理は、これとあれをくっつけて、
因縁をつけますから、
数学や裁判の判決みたいなものです。
 
数学って、知覚の仕組の流行を、
エステティックのように、見つけ出して、
不細工な奴を殺すための、
告げ口みたいなものかしら。
 
裁判は、言うまでもありません。
弱い者を見つけて、虐(いじ)め殺すのが、
生き甲斐のような奴しか、法律家になりません。 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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