浅草寺(せんそうじ) 1776 食べられないのに、共食い

カメラを向けても、堂々としていました。
わたしは、境内を、通り抜けましたが、
彼女たちの体の中を、屋台が通り抜けます。
たぶん、
夜汽車も通り抜けて、世代交代するでしょう。
 
     ***          *** 
 
脳を含めた体に、
原因となる器質の病変が、発見されないのに、
精神症状を出して、本人や他人を、苦しめる種類の、
病気や障害では、
生まれつきの生活能力の低さが、問題になります。
 
とりわけ、
権力や流行文化に、共感して協調する脳の機能は、
論理と言われて、
統合失調症や性同一性障害や知的障害などの、
病気や障害の、核心や本体に、近い。
 
統合失調症では、
その能力の低下が、生活経験を積めば積むほど、
進行する人がいますので、
病理だけでなく、論理の正体も、
なんとなく、わかりそうな気がします。
 
ひとりでに病気が進行する難治性の種類を、
統合失調症では、抵抗性と言いますが、
薬剤の作用に、抵抗する脳の機能と、
権力や流行文化に、
共感したり協調したりが、出来ずに、
次第に、論理能力の低下する精神の病気とは、
同じ意味です。
 
脳の機能の、変更や調整ができないのは、
ドーパミンという化学物質と、脳の神経との、
くっつきかたや、作用の仕方や、分解の仕方などが、
イカれていると、薬屋さんは言います。
 
鬱病は、セロトニンとの関係が、おかしい、
と言うのも、似たような考え方です。
 
抗精神病薬や抗鬱薬などは、
長期間の脳の習慣に、作用させる目的から
長期に使用して、神経細胞に、癖をつけますが、
使用をやめれば、元の木阿弥になるだけでなく、
使い続けていても、効かなくなることが、
よくあります。
 
ドーパミンやセロトニンが、根本原因でないのは、
わりと、はっきりしていますが、
特定の精神症状を、抑止するには、便利です。
薬のせいで、別の精神症状が出て来ても、
使ったほうが、得です。
 
そうでなければ、
統合失調症や鬱病などの、病名に、なりません。
 
性転換も、そのほうが得である、という算段ですが、
信用性は皆無です。
お医者さんの得になるだけとか…
 
化学物質や性別などは、病気の原因でなく、
病気の多数の結果のうちの、
いくつかの症状の可能性が、高い。
 
脳の中の、
もの凄い種類数の、それぞれの化学物質の量を、
どうやって、薬屋さんは、調節するのかしら。
 
もぐら叩きと、同じで、
こっちをやっつければ、あっちが出て来ると、
思いますが、
実用的な利益の、大きなところで、安定すれば、
しめしめです。
 
ドーパミンの量を、強制的に決めても、
その他の化学物質を、調節するための、
脳や体の機能が、正常である可能性は、皆無に近い。
 
健常な人でも、手の動きを強制されれば、
足が、反乱を起こすのに、
手や足が、勝手に動く人の、
手の動きを、強制すれば、
本人が、自主的に、足の動きを調整する、
と思うのは、妄想です。
 
ドーパミンを飲めば、
統合失調症の患者さんは、あほになりますから、
自主的な回復力も、期待できません。
 
生まれた時から、みんなと違い、
本人やみんなに、都合の悪いことが、
変更不能になっているから、障害と言われますが、
薬屋さんやお医者さんが、
都合の良し悪(あ)しを、決めるのは、
権力のせいです。
 
治し方を知っているわけで、ありません。
 
本人も知りませんから、世も末ですが、
体は、知っているかも知れない。
 
類は友を呼ぶとは、よく言ったもので、
性転換医療を見れば、
お医者さんと患者さんが、同類であることは、
一目瞭然です。
 
権力のある者と、ない者なのに、
変な纏め方ですが、被害妄想と誇大妄想のように、
一対(いっつい)になって、現れます。
 
鬱病の人が、萎(しお)れて、死にそうなのと、
元気一杯に、弱い奴を虐(いじ)めている姿とは、
たいていは、君子豹変するように、入れ替わります。
 
浅野内匠頭って、統合失調症でしたかしら。
鬱病かも知れません。
 
本人が望むのだから、良いでないか。
気持ち良ければ、いい。
性転換や性転換医療を行なっても、
悪いことをするわけでなし。
 
性転換って、共食いですけど、
お医者さんが、患者さんを食べるばかりで、
患者さんが、お医者さんを食べないのは、
権力の量の違いに、決まっています。
 
世の中には、権力のような社会の出来事と、
病気のような、体の出来事とは、違うと、
思っている人が、少なくありませんが、
精神の病気や障害では、ほとんど同じです。
 
手や足の動きを協調させるのは、
個人の心よりも、社会の権力に、関係があるような…
論理って、権力の顔色を見る機能なの。
 
わたしは、修験道の家に生まれましたが、
宗教活動は、葬儀だけです。
 
鎌倉時代の初めから、
体や心の、障害者や病人を、世話していましたが、
障害者や病人が、みんなに庇護してもらうのは、
もう、古いかも知れません。
 
権力と戦い、死んで行くのが、
障害者や病人の、本分と、わたしは思っています。
戦うために、治したり教えたり、します。
 
湯川君や後藤君は、よくやった。
シリアイラクのイスラム国に行く欧米の青年も、
似たような人たちです。
 
戦争ですから、
敬虔なキリスト教徒が、敵味方になり、
殺し合うのは、当たり前です。
 
シリアイラクに行く彼らの気持ちは、紛れもなく、
障害者や病人が、掲げなければいけない気持ちでした。
 
権力をぶち壊す意気が、一番大切です。
優生医療に頼ったり、優生医療を行なったりしては、
いけません。
敵は権力であると、障害者や病人は、
自覚しなければいけない。
 
権力の中身は、関係ありません。
それがわからないようでは、
精神科医はやってられない…
性転換のような優生医療は、情けない。
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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