つぼみが黄色く、咲いているように見えますが、
まだ、咲いていません。
葉が、これだけ展開していますので、もうすぐです。
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わたしは、
ロケットを飛ばして、月へ行くはずだったのが、
コンピュータや脳や精神になりましたが、
修験道の家に生まれて、
鉱業会社や造船所や化学工場や、
障害者のための療育施設などを、
経営していましたから、
予定通りのコースと言えば、
言えないこともありません。
1945~1970年の一般社会は、
まだコンピュータの実用を知らず、
第一次世界大戦直前の
『Principia Mathematica』の習得が、
若い大学の先生たちの、雰囲気でした。
学生は、すでに自由主義や共産主義に
見切りをつけていましたから、
後の社会が、その通りになったのは、
当たり前です。
『Principia Mathematica』は、
コンピュータと認知科学の
作り方の教科書のようなもので、
論理の仕組みを、分析していました。
論理は、マルペケの判断の組み合わせですが、
数字(すうじ)や算盤(そろばん)の玉や
言葉などにより、表現されるだけでなく、
化学物質の組み合わせや、
神経の枝分かれなどとしても、表現されますから、
知覚や記憶や感情や運動などの、具体的な内容が、
算盤やコンピュータのように、表現された数学と、
同じであることを、記号論理は説明していました。
『Principia Mathematica(数学原理)』は、
記号論理の代表的な著述でしたが、
小学高学年でしたら、
すでに直感的に気づいていることを、
いまさら説明される必要があるのかと、
疑問になるのは、
旧来の論理学の教科書と、同じでした。
昔ながらの、アリストテレス風の論理学の教科書も、
言わんとするところは、
生まれつきに知っている論理の素質の、
内容目録に、過ぎませんでした。
退屈なの。
わかる人には、当たり前ですけれど、
わからない人は、一生かかっても、わかりません。
顔や体の見てくれの、エステティックと、同じです。
赤ちゃんの時から、生まれつきに知っていても、
言葉を知らなければ、表現できませんので、
成長するにつれて、習得したかのように、
定義することも、出来ます。
見てくれのエステティックも、
赤ちゃんと成人では、顔や体の形が違いますから、
成長するにつれて、
努力により、獲得された形質のように、
主張する人もいます。
努力しても、足が長くなるとは、思いませんが…
わざと足の骨を折り、
くっつく時に、引っ張り続けて、
足を長くする方法は、あります。
骨や筋肉や血管や神経や皮膚が、
上手く機能するように、伸びるとは、限りません。
伸びたけれど、故障だらけで、
使い物にならなかったとしても、わたしは知らん。
足が短いのは、いわばローギアーです。
長いのは、トップギアーですけれど、
それぞれの、特徴があり、
どちらかが一概に良い、というのもので、
ありません。
オランダ人やディンカ人は、足が長い。
巨人族が滅びたのは、神話や進化ですけれど…
2m10cmのディンカ人なんか、
わたしの胸ぐらいの所が、股でした。
エステティックを誇るのと、
『Principia Mathematica』の内容は、
全く同じですから、
コンピュータや認知科学が、何を意味しているかは、
言うまでもありません。
科学技術が繁栄した理由と、同じです。
刃物や鉄砲や原爆を使い、
嫌(いや)な奴を殺したからに、決まっています。
わたしは、
墓の中のホワイトヘッドや、よぼよぼのラッセルに、
口の中で、あほんだらと、言ってやりました。
性転換医療は、さらに古い。
弁証法やロマン主義の時代の、産物です。
こうなると、アナクロニズムに近い。
精神の病気です。
三島由紀夫氏の切腹に、よく現れていました。
性転換では、上手く行きません。
彼の人生って、性転換したようなものでした。
性転換により、女として生きるのと、
性転換をしないで、男らしく生きるのとは、
いずれも、上手く行かないって、
わかり切っていました。
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