アメリカ合衆国軍の、立川基地のあった所ですが、
わたしは、基地の中の住宅に、住んでいました。
大学まで、遠かったので、電車賃がかかりましたが、
家賃がタダでしたので、住むことにしました。
知り合いの紹介でした。
文京区に下宿していましたから、
庭付き一戸建ては、天国でした。
池や山は、ありませんでしたから、
公園にする時に、作ったのでしょう。
自分の暮らしていた所は、懐かしいものですが、
昔の面影がなくなりましたので、
浦島太郎の気持ちです。
学生時代は、見渡す限りの、田んぼや畑が、
今は、住宅ばかりになっているのが、普通ですが、
飛行場と住宅が、奇麗な公園になっているのも、
また格別です。
立川のアメリカ合衆国空軍の、兵士のための住宅は、
朝鮮戦争の頃から、急速に需要が高まり、
基地の中だけでは、足りなくなり、
基地の外にも、住宅地を借りて、運営されました。
妻帯者用の、いわゆる米軍ハウスというやつです。
朝鮮戦争が終わると、
兵士の住宅は、基地の中だけで、
足りるようになりましたので、
基地の外の住宅は、徐々に撤収されて、
日本に返還されました。
むしろ、返還された後の住宅を、
米軍ハウスと、言うのかも知れません。
新左翼の学生が、好んで住みましたから、
南京大虐殺を訴える中国人が、
日本製品を好むのに、似ています。
今は、日米の所得が、あまり違いませんので、
老朽化した米軍ハウスに、
日本人が住みたくなる理由は、ありません。
中国も、そう。
日本と中国の、個人の所得格差がなければ、
日本製品を、崇拝しないでしょう。
わたしの住んでいた家は、
昭和公園になるまで、返還されませんでしたが、
今も、横須賀に暮らしています。
京都の病院に住んでいた時も、そうでしたが、
畳の部屋がなかったのに、
靴を脱ぎ、床に寝転がっていました。
そのほうが、楽でした。
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