ゴシキトウガラシ 1652 拡張された脳と、社会

観賞用の、唐辛子(とうがらし)です。
写真の品種は、背丈が13cmぐらいでしたので、
小さな花壇やプランターに、ちょうど良いかも。
 
観賞用の唐辛子は、
全部、五色唐辛子(ごしきとうがらし)と、
言うのでしょうか。
五色唐辛子の中にも、色々な品種の名前があり、
       ***          ***
 
コンピュータやインターネットや
事実や物理化学のような、
通信と、その中身って、
マルペケの情報を、あっちこっちから集めて、
組み合わせて、日常言語に翻訳しますので、
意図的に、あっちこっちに流された断片は、
スパイの暗号のようなものかも、知れません。
 
万華鏡のように、物の世界の、変化する映像があり、
自然と言われています。
自然のあっちこっちから、情報の断片を集めて、
組み合わせて、
日常言語に翻訳したと、物理化学は言います。
 
ただの物が、意図的に情報を分割して、
あちこちに、暗号を流すわけが、ありませんから、
意図的に情報を流した奴は、人間に決まっています。
 
誰かが、意図的に情報を流した癖(くせ)に、
自然が、情報を発信したかのように、
物理化学は、嘘をつきます。
 
そもそも、自然や事実と言われる知覚の対象が、
言い訳の塊(かたまり)かも、知れません。
わたしたちは、嘘や言い訳を、知覚しているのかも。
 
嘘や間違いや、噂(うわさ)や迷信や、
妄想や幻覚などのほかに、
事実や自然や真理などが、あるわけがない。
そのような神棚は、必要ありませんから。
 
脳の言い訳を、知るために、
なんで、目や皮膚や耳があるのかしら。
 
自分で、脳の言い訳を作り、自分で知るわけですから、
言い訳のために、
目や皮膚や耳だけでなく、手足や体があるのに、
決まっています。
 
脳の中で、言い訳を作って、知るだけでは、
脳の記憶の場所や、情報のやり繰りの性能が、
足りないので、
脳の外に、脳の機能を拡張するために、
体や手足や感覚器官があるって、 
小学校の時に、習いました。
 
ノートや文字や本があれば、便利であると。
 
内臓や自然だけでなく、手足や目や耳は、
ノートを使うための、道具のようなものです。
情報を書き込み、記憶して、
あっちこっちに移動させて、分散させて、
また組み合わせて、やり繰りをします。
 
わたしたちは、手足を使い、
内臓や自然と言われるノートに書き込み、
やり繰りする様子を、
目や耳を使い、知るように、
脳の言い訳を、脳自身が自覚できます。
 
脳の自作自演のための道具が、
体や自然や他人であったら、どうしよう。
 
自分の体と言われるノートだけでなく、
自然と言われるノートや、
他人と言われるノートなどを、使い分けて、
ノートとノートの間で、翻訳をしているのでしたら、
そもそも、ノートは全部、
架空のシミュレーションに、決まっています。
 
言い訳のための、便宜を積み重ねて、
分類して、整理整頓しているだけかも、知れません。
 
     情報と言われるマルペケの判断を、
     日常言語に翻訳する仕方によっては、
     支離滅裂な情報が、
     神妙な意味を持ちます。
 
     目で見て、手で触って、耳で聞いて、
     感覚される中身の情報から、
     事実と言われる共通語を作り、
     哺乳類は、昔から、使って来ました。
 
     特に、目の仕組みが、
     人間と似ていますので、
     哺乳類の知覚の中に、
     人間の知る事実と、同じものが、
     たくさんあるのは、当たり前です。
 
     ドイツ語とオランダ語が、
     似ているようなものかしら。
 
     他の哺乳類が、
     複雑な論理を、使えないのは、
     ノートを使う能力が、低いのでしょう。
     
     小学校の時に、
     授業のノートを取りなさいと、
     先生に怒られました。
 
     先生はあほでしたから、
     知りませんでしたが、
     わたしは、ノートをとらなくても、
     他人の話を、1回、聞いただけで、
     テープレコーダのように、
     全部、覚えることが出来ました。
 
     でも、怒られるから、
     黒板の字を、ノートに書きました。
     自分の書いたノートの中身を、
     読み返したことは、
     一度もありませんでした。
     男のオナニーみたいなものです。
     書き捨て。 
 
     そんなの、当たり前なのに、
     小学校の先生は、知りませんでした。
 
     小学3年生ぐらいになると、
     学校の先生って、
     わたしよりも、確実にあほであると、
     気づきました。
 
     一生懸命に勉強をしても、
     普通の小学校や中学校の、
     学級で1番の成績にしか、
     なれない人が、
     学校の先生になるのでないかと、
     思いました。
 
     ちょうど、それくらいの成績の子と、
     学校の先生とが、
     同じくらいの能力であると、
     わかりました。
     
     論理能力も、そうですが、
     見えている事実の量が、
     犬の鼻と、人間の鼻ぐらいに、違います。
 
     視力の違いでないのに、
     どうして、見える量が、違うのかしら。
     小学3年生ぐらいになると、
     量の違いが、わかるんです。
 
     でも、学校の先生は、気づきません。
     自分のほうが、賢いと思い、
     わたしを、憎んでいたかも知れません。
 
     これは、仕方ないんです。
     社会の底辺では、あほのほうが、
     たくさんの人の、支持を得ますから、
     当たり前です。
     あほのほうが、賢いの。
 
     多勢に無勢ですから、
     あほと、真正面から戦えば、
     たいていは、負けます。
     うまく、あほを、使うことのできる人が、
     権力を握ることが、出来ます。
 
     自分の、脳や心の、権力を握る時も、
     その要領です。
     自分の、心のあほを、
     うまく使わなければ、いけません。
     真正面から戦っては、いけない。
 
     死ぬときには、死にますから、
     体の権力を、握る方法は、知りません。
 
人間は、物理化学と言われる共通語も、
作りましたが、
事実と、少し違う言葉の体系ですので、
他の哺乳類だけでなく、
人間の胎児の頃に作られた脳のハードウェアでは、
翻訳できません。
 
生まれた後に、物理化学を学習しなければ、
いけません。
事実を知る能力も、生まれた後の学習が必要ですが、
たいていは、無意識に自動的に学習しますので、
努力をして、しんどい目をする必要は、ありません。
 
意図的に、一生懸命に勉強をしても、
事実を知る能力は、向上しないと、思います。
 
論理能力と言われるやつですけれど、
この能力が低ければ、知覚される事実が、
妄想や幻覚や支離滅裂と言われますが、
能力の測定は、他の人との比較ですから、
権力を握っている少数の人だけが、
論理や事実を知っていると、言うこともできますし、
人口の全員の知覚が、妄想や幻覚や支離滅裂であり、
権力の量が違うだけであると、言うこともできます。
 
マルペケの判断は、すべて定義ですから、
この世の中の、判断と権力は、
みんなの選ぶところが、同じに、決まっています。
物理化学だけでなく、事実の知覚の仕組みが、
何を表わしているかは、言うまでもありません。
 
だいたいは、
みんなと一緒なら、論理や事実と言われ、
そうでなければ、妄想や幻覚や支離滅裂と言われて、
精神病院にぶち込まれます。
 
それほどでなければ、
たぶん、精神病院でなく、牢屋に入れられますが、
権力があれば、気違いや犯罪でないのは、
総理大臣を見れば、わかります。
 
スターリンの時代だけでなく、
現代中国を見れば、一目瞭然ですが、
マルクス・レーニン主義のように、
ロマンティックな考え方では、
犯罪と精神病が、
権力と同じ筋(すじ)の序列として、比較されます。
 
頭が悪ければ、
精神の病気や、常習的な犯罪を、
理解できませんから、仕方ありません。
病気や犯罪を、本気で憎みますから、
頭の悪い人が、権力を握ると、世も末です。
 
     そのほうが面白いと、
     多くの人は言います。
     お医者さんが、大阪教育大附属小学校の、
     宅間氏を殺したり、
     性転換医療を行なったり
     するようなものです。
 
     インドのカーストと同じですが、
     お釈迦さんは、
     どうしようも、できませんでした。
     自分は賢い、と言うだけです。
     生まれつきだから、仕方ないと。
 
     インドヨーロッパ人の文化は、
     お釈迦さんの頃に、すでに、
     凝り固まっていたのかも知れません。
     幸いにも、日本人は、
     インドヨーロッパの文化よりも、
     遥か以前に、
     彼らと枝分かれしましたので、
     インドヨーロッパ文化の血は、
     流れていません。
 
     あとから、仏教を学んでも、
     馬の耳に念仏です。
     品種改良されていませんから。
 
     物理化学は、
     生まれた後の学習を、必要としますが、
     自分一人では、物理化学の翻訳の歴史を、
     再現できませんので、
     教えてくれる人がいなければ、
     しんどい目をしても、理解できません。
 
     だいたいは、
     事実の知覚の、論理能力と同じですから、
     生まれた時には、
     能力の量が、変更不能になっています。
     教えてくれる人の有無により、
     物理化学の、習得の可否が、
     決まりますので、
     権力の門地が、能力の量を、
     決めるようなものです。
 
     マルペケの判断が、
     すべて定義であるように、
     能力の量も、権力の恣意なの。
 
     生まれた時には、
     すでに変更不能と言っても、
     権力のほうは、
     流行文化のように、変更されますから、
     特定の流行文化に、
     相応(ふさわ)しい遺伝的素質を、
     競っても、仕方ない気もします。
 
お釈迦さんは、そう確信しました。
諸行無常であると。
人間万事塞翁が馬、
禍福は糾(あざな)える縄の如しと。
 
人類だけでなく、哺乳類は、
大昔から、それをやって来ましたが、
脳みそを大きくしても、仕方ないし、
架空の世界を、作っても、きりがない。
 
物理化学や進化論や
マルクス・レーニン主義のような、
ロマンティックな考え方では、
人間は、自分自身や宇宙を、知っていると、
胸を張ります。
 
笹身は、脂っ気がなく、美味しくないのに。
牛の脳みそも、狂牛病になりそうで、嫌(きら)い。
 
論理や事実の能力って、
権力闘争により、評価されますから、
お釈迦さんのように、わけを知っても、
権力を握れるわけでない。
 
お釈迦さんのグループは、
その後に、オウムのように繁殖して、
インドや東南アジアや中国や日本などで、
権力を握りましたが、北朝鮮の権力者のように、
王朝の貴族階級や祭司階級に、祭り上げられました。
 
インドのカーストは、それですが、
上のほうだけでなく、下のほうも、
特定の血筋の名残(なごり)です。
 
インドのダリットや、日本の被差別部落などは、
社会階級の中に入れてもらえない人たちですから、
論理や事実や物理化学などに替わる新しい権力が、
この人たちの中から、生まれなければ、
世の中は面白くない。
 
日本の部落差別は、1970年代になくなりましたから、
その頃に生まれた大阪市長は、
すでに役立たずになっているそうです。
 
ルイ16世やニコライ2世を、
ギロチンや鉄砲で殺すのは、
とてもロマンティックでしたが、
東條英機が処刑されても、
ちっとも、絵になりませんでした。
 
原爆を落としたのに、
何のために、東條を殺したのかしら。
マッカーサーは、あほでした。
 
仏教や物理化学やロマン主義や進化論などの、
インドヨーロッパ文化に、日本人は、馴染めません。
たくさんの血筋の間の、階級闘争って、
お互いに言葉の通じない多民族社会の
出来事ですけれど、
日本人は、殺されなくても、
言うことを聞きますから、
生まれながらの奴隷根性が、染み付いています。
争いを好みません。
  
黒船の時も、原爆の時も、そうでした。
原爆を落とされても、争いを避けるのは、
肉屋にぶら下がっている肉かも知れません。 
性転換がそう。
あほを、肉として扱っている奴は、だれなのかしら。
 
日本人は、人殺しや泥棒などの、犯罪者を、
裁判官や警察官などの、言う通りに、
悪いやつと、思っていますが、
法律家や警察官に、事実や論理のわかる奴なんか、
いません。
 
鉄砲を突きつけて、
嫌(いや)な奴を、やっつけているだけです。
 
嘘や間違いや、噂(うわさ)や迷信や、
妄想や幻覚などを、事実と言っています。
そうでない事実は、どこにもない。
 
それなら、科学技術の事実はと、誰でも問います。
 
脳の神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方が、
事実と言われる価値に、矛盾しないように、
人間の知覚が、品種改良されています。
 
流行文化の価値によって、
品種改良が行なわれるのは、
犬や花壇の花の、品種を見れば、一目瞭然ですが、
性転換や優生医療を見ても、よろしい。
 
科学技術が、権力や流行文化の、価値に、
一致するように作られるのは、
技術者が、
阿諛追従(あゆついしょう)しているからです。
売れなければ、クビになるもんね。
 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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