ヤブマメ 1633 奴隷の判断

三出複葉っていう葉です。
 
1枚の葉が、
3枚の小葉(しょうよう)に、分かれていますので、
葉の枚数を、3枚一組で、1枚と数えるのは、
ややこしいかも。
 
葉の付き方も、
3枚一組を、1枚と見なしますので、互生です。
対生でありませんから、子供に教える時は、要注意。
 
これは、マメ科ですけれど、
お豆さんが、食用になります。
普通の花のほうの、豆は、
美味(おい)しくないみたい。
 
根元(ねもと)のほうの、蔓(つる)に、
閉鎖花の鞘(さや)が成り、
腐葉土に埋もれるように育つので、
モチモチとして、美味しい豆が、出来るそうです。
 
閉鎖花って、花を開かずに、
蕾(つぼみ)のままで、自家受粉をして、
種子を作ります。
 
どうせ、自家受粉をするのなら、
花を開く必要がありませんので、合理的です。
 
それなら、茎や蔓の、上のほうでなく、
下のほうの、地面の生え際に咲いても、構いません。
小さな花で、充分です。
 
土に埋もれた種子が、そのまま、芽を出せば、
なかなかの、上手(うま)い世代交代かも
知れません。
 
光が当たらずに、湿っているほうが、
果実は、美味しいのかしら。
とにかく、藪豆(やぶまめ)の、
0.5mmほどの、地下の小さな閉鎖花には、
1cmぐらいの、美味しい豆が、出来るそうです。
 
落花生は、花が咲くと、柄(え)を伸ばして、
地面の中に、潜ります。
暗く湿っていなければ、子房が育ちませんので、
子房柄(しぼうへい)が伸びて、土に突き刺さり、
根が伸びるように、地下に果実を作ります。
 
藪豆(やぶまめ)は、地上と地下に、閉鎖花があり、
蔓が、他の植物に巻き付くだけでなく、
匍匐枝のように、地面を這ったり、
地下茎のように、
腐葉土の中に、伸びたりしますので、
地下にも、豆が稔ります。
 
       ***          ***
 
判断の枝分かれを増やして、
たくさんの組み合わせの中から、
どれでも選べるように、
汎用性のある脳みそを作れば、
動物的な感情のような、変更不能な判断を、
廃止したり、変更可能にしたりすることが、
出来るのかしら。
 
第二次世界大戦後の日本は、家庭電気製品を作り、
世界に売りましたので、高度経済成長になり、
現在のように、豊かになりました。
 
女性は、お洗濯と、食事の支度のために、
毎日、数時間を費やしていましたから、
洗濯機と炊飯器のお陰(かげ)で、
単純労働から、解放されました。
 
わたしの子供の頃は、一般家庭の電気製品って、
白熱電球と、真空管のラジオだけでしたから、
お洗濯は、盥(たらい)に洗濯板で、
薪(まき)や炭を使い、ご飯を炊きました。
 
冬は、火鉢を囲う生活でしたから、
子供は、屋外で遊んだほうが、快感でした。
 
テレビが普及すると、
日本人は、電卓を作り、世界中に売りましたが、
わたしは、
アメリカ合衆国のパソコンのキットのほうが、
汎用性があるので、重宝しました。
 
お金なんか、儲(もう)けたくない。
家を建てると、あとは旅行しか、
お金の使い途が、ありません。
時間が余っているのは、死に掛けの人だけです。
 
権力なんか、欲しくないもんね。
弱い奴を、虐(いじ)める人と、
みんなに虐められる人とは、そっくりですから、
権力って、類は友を呼ぶ共食いに、決まっています。
 
弱い奴は嫌いって、思う人は、自分を憎みますから、
自傷や自殺のように、
自分を愛している人が、お酒や薬物を使い、
気持ち良さに浸るのと、区別がつきません。
 
人を攻撃するって、気持ちが良いでしょう?
軍隊や警察を、
お酒やコカインや犯罪や自殺のように言うと、
怒られますけれど、
他人を、やっつける気持ち良さと、
自分を、攻撃する気持ち良さは、
似たようなものなの。
 
性交渉とオナニーって、目糞鼻糞です。
 
他人と自分の気持ちは、
類は友を呼ぶように、入り混じり、
層になって、沈殿して行くのが、わかります。
個体の単位で、人の心を、知ろうとするのは、
細胞の心を、知ろうとするぐらいに、
滑稽かも知れません。
 
わたしは、心や、事実よりも、
判断の組み合わせの中から、
どうして、その判断が選ばれたのかが、
気になります。
 
理由のわからない判断が、
心や事実よりも、神さまみたいに、面白い。
神さまって、ご先祖様に、決まっていますから、
ばい菌や受精卵みたいなものですけれど、
男と女が、くっつくように、
生まれつきの素質と、文化と言われるプログラムが、
ドッキングして、経験と言われます。
 
文化的な判断が、物理化学よりも、面白いのは、
心や事実の、変更の余地が、大きいからです。
 
     電卓って、あまり、
     プログラムを変更できませんから、
     汎用性が、小さい。
 
     判断の枝分かれは、
     マルペケの二進法ですから、
     汎用性のある脳みそは、
     裾広がりに、物凄い数の枝分かれが、
     必要になります。
 
     特定の枝分かれの道筋だけを、
     奥深く何度も枝分かれさせても、
     他の道筋がなければ、
     汎用性がありません。
 
     マルペケの判断の組み合わせが、
     特定の神経の道筋と、一致するなんて、
     滅多(めった)にありません。
 
     その脳味噌の道筋は、
     その判断の組み合わせに一致するような、
     特定の目的にしか、使用できません。
 
     でも、特定の用途に使うだけでしたら、
     他の膨大な判断の枝分かれを、
     作る必要が、ありませんから、
     電卓みたいに、安上がりです。
 
     汎用性はありませんが、
     人間の脳味噌って、
     短期間に、簡単に作られました。
 
     わたしは、お金や美貌を、
     欲しくなかったので、
     日本の電卓よりも、アメリカ合衆国の、
     汎用性の高いパソコンのほうが、
     いいなあと、思いました。
 
人間や猿の脳味噌は、
原始的な哺乳類の脳味噌の先に、
枝分かれの回数を、増やしただけですから、
哺乳類に共通の判断の道筋とは別の、
判断の組み合わせを、選ぶことは、できません。
 
哺乳類に共通の判断までは、
マルペケの組み合わせが、決まっています。
変更不能なの。
 
たぶん、もの凄く長いマルペケの羅列ですけれど、
その組み合わせ以外を、選びたくても、
その組み合わせの道筋しか、
脳みそが作られていません。
電卓と同じです。
 
もの凄く長い道筋と、同じだけの、
他の選択肢を作れば、
たぶん、哺乳類に共通の判断だけでも、
地球ぐらいの大きさの、脳みそが、必要になります。
それだけ、たくさんの枝分かれが、なければ、
他の、自由な組み合わせを、選ぶことができません。
 
特定のマルペケの羅列になるようにしか、
脳みその枝分かれが、作られていませんので、
汎用性がありません。
 
     くそったれですけれど、
     人間の脳みそは、
     ばい菌みたいな、ご先祖様の仕様を、
     受け継いでいますから、仕方ありません。
 
     微生物なんて、脳みそがありませんから、
     ただの体の仕様が、脳みそのように、
     特定のマルペケの判断の羅列を、
     表わしています。
 
     これとあれの、
     化学物質の粒々(つぶつぶ)が、
     くっついたり離れたりするだけの、
     脳みそですから、体と同じです。
 
     このほうが、
     判断の枝分かれの、組み合わせを、
     たくさん記憶できますので、
     物体や事実などの、知覚の中身として、
     文化的に表現されています。
 
     男と女がくっつくように、
     遺伝的素質と、文化的なプログラムが、
     経験により、ドッキングして、
     文化のほうの、マルペケの羅列が、
     物体や事実として、知覚されます。
 
     人間の判断の要素が、
     コンピュータの論理よりも、多いように、
     文化のマルペケの枝分かれは、
     脳みそよりも、巧妙に工夫されています。
 
生物の、延々と続くマルペケの羅列の、道筋を、
適当に切り分けて、根本(ねもと)のほうから、
均一に枝分かれをするように、配置換えをすれば、
汎用性のある選択が、可能になります。
 
実際に判断したマルペケの道筋よりも、
通らなかったマルペケの組み合わせを、
選択可能にしなければ、
判断の汎用性が、得られません。
 
電卓よりも、パソコンのように、
たくさんの判断の組み合わせを、用意するために、
違うものを同じであると、定義する論理により、
変更不能な生命の、マルペケの羅列を、
仮想的に組み替えて、
わたしたちは、物体や事実などとして、
知覚しています。
 
サイバネティックスってやつですけれど、
物体や事実と言われる仮想現実を作るための、
知覚や文化の仕組みです。
 
     でも、汎用性のある判断の仕組みが、
     良いのかしら。
     人生は、
     理不尽で不公平で変更不能でなければ、
     思い出として、残りません。
 
     自由に選択して、
     自在に変更できる判断って、
     滓(かす)のような、
     気がしてなりません。
 
     痛く苦しく、酷く辛い手枷足枷や、
     奴隷のように、不自由な心が、
     素晴らしい。
 
     普遍的で必然的な判断や、
     思いのままの、自分らしい人生って、
     阿片(あへん)を吸って、
     気持よくなっているだけのような…
 
     
     
     
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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