ムラサキシキブ 1631 性転換の抑うつ症状

紫式部の実も、奇麗ですけれど、食べられません。
 
わたしは、餓死しなくても良いように、
食べられるか、食べられないかを、
一番最初に知りたい。
 
その次に、こいつとあいつは、
生殖できるか、できないかを、知りたい。
 
だって、簡単に雑種ができるのなら、
死なないと思って、食べたのに、
毒に当たって、死ぬかも知れないでしょう?
 
人間も、そう。
簡単に生殖ができる、ということは、
優しい人の子が、人殺しかも知れない。
 
でも、植物は、自家受粉するやつが、多い。
クローンと違いますから、便利です。
  
       ***          ***
  
性別違和を訴えたり、
性転換を実行したりする人だけでなく、
女装や男装などの、異性装の趣味のある人や、
同性愛の人も含めて、
この方面の人たちには、わりと若くから、
普通に、抑うつ症状の出ることが、よくあります。
 
抑うつ症状って、
脳の器質に、原因の発見されない種類の、
精神の病気の中では、
様々な精神症状の、初めのほうに、
共通して出て来る症状です。
 
このまま、ずーつと、死ぬまで、
抑うつ症状のままでしたら、
喜ぶべきかも、知れませんが、
だんだんと、抑うつ症状がひどくなり、
自殺する人もいますから、油断はできません。
 
抑うつ症状だけって、それを自覚するのと、
単に、気持ちが落ち込んで、元気がないのと、
どこが違うのかって、文句が出るくらいに、
精神の病気なのか、健常なのか、よくわかりません。
 
だれでも、
気持ちの良い時もあれば、落ち込む時もあるのは、
日常生活が、順調に行く時もあれば、
うまく行かない時もあるのと、
似たようなものですから、
精神の病気の症状と、言うのは、
変(へん)でないかと、思われるくらいに、
普通です。
 
     でも、
     具体的に、これこれの生活の手順が、
     上手(うま)く行かないから、
     気持ちが良くないのは、
     抑うつ症状と言いません。
 
     具体的な生活の手順の、
     善悪(よしあし)との、
     直接の関係を、見つけ出せませんから、
     御本人は、どうしようもありません。
 
     抗鬱(こううつ)薬を使えば、
     良くなりますので、
     脳の中の、化学物質の仕組みが、
     何らかの原因で、おかしくなったと、
     されています。
 
     何らかの原因だなんて、無責任な、
     と思いますが、
     特定の家系に、集中する種類の、
     抑鬱症状もありますから、
     その場合は、遺伝的素質が、疑われます。
 
     統合失調症の人も、
     統合失調症と診断される前に、
     抑鬱症状を自覚していましたが、
     病院を受診すべきものとは、
     思いませんでした。
 
     理由がないのに、鬱陶しければ、
     だれに、何を訴えれば良いかって、
     皆目(かいもく)、見当がつきません。
     どのような手順で、説明をすれば
     良いかも、わからないのに、
     お医者さんを、受診できるわけが
     ありません。
 
     そうかと言って、きっと、
     これこれの具体的な原因のせいで、
     自分が苦しむ羽目(はめ)になったと、
     確信しているのに、
     明らかに具体的な、生活上の原因を、
     お医者さんに相談する人も、
     滅多にいません。
     人生相談や法律相談などのほうが、
     良いかも知れません。
 
     その生活上の原因の確信が、
     被害妄想でしたら、
     たぶん、うつ病でありません。
 
     統合失調症になる前に、
     抑うつ症状が出ているのに、
     受診することなんか、思いも寄りません。
 
     抑鬱症状が、解決しなければ、
     別の症状に、変化して行きますから、
     様々な精神症状の、入り口であると、
     わかります。
 
一人で苦しんで、放置されていたから、
後々(のちのち)に、
統合失調症になりますけれど、
だいたいは、乳幼児の頃に、
将来に、統合失調症になりはしないかと、
疑われる子は、
実際に、高い確率で、統合失調症になりますから、
これも、遺伝的な素質が原因でないかと、
疑われます。
 
遺伝的素質でなければ、風邪を引くように、
抑うつ症状が出て来る、と言うのは、
変(へん)かも知れません。
 
人生観が、抑うつ症状の出っ放しになるような、
解決不能の種類でしたら、どうしよう?
人間は、一生懸命に努力して、
みんなに褒められなければいけない、
という人生観は、たぶん、解決不能です。
 
どこまで生きても、努力努力の連続ですから、
過労になれば、衝動的に自殺したくなるように、
疲れる人生です。
 
疲れても疲れても、この人生観を変更できなければ、
解決不能です。
抗鬱剤で行くしか、ありません。
 
人生観が、変更不能になるのは、
老化と同じですから、
幼児の頃には、その傾向が、はっきりとしています。
性格ってやつです。
 
生まれつき変更不能が、
ほとんどかも知れませんから、
性格って、遺伝的素質を疑いたくなります。
受精してから、誕生するまでのことなんか、
知らんもんね。
 
     生まれつきだけでなく、
     そんな人生観を、持たなければ、
     良かったと、言われても、
     自分で、一から十までを、
     作った人生でないように、
     周囲の社会との、関係の中で、
     特定の人生観を、
     持つようになりましたから、
     それが悪かったと、言われても、
     納得できません。
 
     遺伝とは違うけれど、風邪とも違う。
     運や成り行き、なのかしら。
     それとも、
     生まれつきの素質に、人生の運が、
     抑うつ症状の出るように、ぴったりと、
     嵌(はま)ってしまったのかしら。
 
     素質と経験の、食べ合わせが悪かった…
     精神の病気の、教科書みたいです。
 
原因が、はっきりとわからないものを、
根本的に治すのは、簡単でありません。
 
抗鬱薬を飲むような、対症療法により、
大部分の人が、上手(うま)く行きますから、
結果として、
神経伝達物質の調節が、上手く行かずに、
セロトニンが、少なくなっていたのを、
抗鬱薬を飲んで、増やしてあげたので、
気持ち良くなったと、説明されます。
 
セロトニンが少なくなっているのでなく、
作用する機能が、低下しているのなら、
セロトニンを増やす方法によっては、
上手(うま)く効(き)かないかも、知れません。
 
だいたいが、根本的な原因だけでなく、
そのせいで、
脳の化学物質の作用が、不調になる仕組みも、
わかっていませんから、くそったれです。
 
簡単に言えば、
神経が、こっちとあっちを、繫ぐのと、
化学物質が、これとあれを、くっつけるのとは、
似たような意味なの。
 
こっちとあっちとか、これとあれとかと、
違うものを、結んだり、くっつけたりするのは、
論理的には、違うものを同じと、することです。
定義って、言います。
 
概念の共通点を見つけて、概念を分類するために、
定義します。
記憶するために、分類しますけれど、
判断って、マルペケのことですから、
その組み合わせを、記憶するために、分類します。
 
すべての組み合わせを、記憶するのが、
一番に、汎用性のある分類ですけれど、
それって、要するに、神経が枝分かれをして、
その枝分かれの回数を、多くするのが、
大脳の仕事の、一番大切な目的であると、
言っているのと、同じです。
 
なーんだ、コンピュータと同じでねえかと、
言わないで下さい。
脳みそが、可哀想です。
 
     神経のように、
     糸や棒みたいに、手を伸ばす前って、
     化学物質のように、
     粒々(つぶつぶ)が集まって、
     塊(かたまり)になっています。
 
     そいつが、一つの方向に伸びて来ると、
     神経の樹状突起や軸索が、
     手足を伸ばすようなものです。
 
     物質の結晶が成長して、
     雪印みたいな模様になり、
     さらに、変形菌の形みたいに、
     歪(いびつ)に成長すると、
     神経に似てきます。
     
     粒々が成長すると、
     化学物質の構造式みたいに、
     手足を伸ばしますから、
     わたしたちの目や脳が、
     事実として、見ている物体や、
     その変化の規則性って、
     神経や定義と、同じ意味です。
 
     神経やコンピュータが、
     こっちとあっちを、繋ぐのと、
     化学物質や論理が、
     これとあれを、くっつけるのって、
     いずれも、下層労働者の、
     単純作業のようなものでしょう?
 
     ノーベル賞も、土方(どかた)も、
     やっていることは、同じなのに…
     それを苦しいとか、気持ち良いとかと、
     変更不能に感じるように、
     わたしたちは、流行を仕分けしています。
 
粒々(つぶつぶ)主義なの、欧米の医学って。
 
人間の心を、その延長として、見るのは、
弁証法や進化論や精神分析などに、
よく現れています。
 
物理化学の粒々主義と、文学の論理主義とは、
同じ意味です。
インドヨーロッパ文化の、特徴なの。
 
光や電気みたいに、
目に見えない粒々を、在ると、想定するのって、
事実や心を、在ると、確信するのと、そっくりです。
ヨーロッパの物理化学は、
インドのお釈迦さんの心理学を、
受け継ぎましたから、当たり前です。
 
なんで、エジプトの文化を、
受け継がなかったのかは、簡単です。
エジプト人と、ヨーロッパ人は、
民族の系統が、違うもん。
 
インド人とヨーロッパ人は、色は違うけれど、
顔の形が、そっくりであるだけでなく、
インド・ヨーロッパ語族と、言われるくらいに、
言葉も、そっくりなの。
 
顔も言葉も、似ていれば、
同じ連中と言っても、構いません。
アラブ人とは、違います。
 
でも、古いメソポタミア文化は、
シュメール語を使っていました。
こいつは、インドヨーロッパ語や、
セム系の言語とも、違います。
 
人種が違うような記述は、ありませんし、
発掘物の人物像も、
セム系やヨーロッパ人やペルシャ人などの、
コーカサイドと言われる白人と、同じ顔立ちです。
 
シュメール語は、
セム系の言語に、取って代わられましたので、
文化も、セム系の人たちに、受け継がれたと、
思います。
 
インダス文明を作った人たちは、
黒人と言われていますが、
インドヨーロッパ語に、取って代わられましたので、
わたしたちの知っている古代インドの文化は、
白人のものなのか、黒人のものなのか、
よくわかりません。 
 
     野生のシマウマは、
     アフリカのサバンナに、
     棲息していますが、
     馬は、
     飼育された品種しか、残っていません。
 
     牧場から逃げ出して、
     野生化したものが、保護されていますが、
     自生できるだけの、生活能力は、
     ありません。
     馬は、全部、家畜なの。
 
     犬も、そう。
     野犬は、保護されていませんが、
     人間社会の周囲でなければ、
     生きて行けません。
 
     馬は、草原の気候に、適していますが、
     雨のたくさん降る所や、
     森の中では、生きられません。
 
     馬の飼育が、白人の中でも、
     インドヨーロッパ人に、共通しています。
 
     アラブは、砂漠ですので、
     セム系のアラブ人は、馬を飼育しません。
 
     インドヨーロッパ人の、馬の飼育は、
     たぶん、モンゴル人から、伝わりました。
 
農耕を覚えて、定住した連中を、
遊牧民が、狩りをして、飼育するのは、
漢民族とモンゴル民族の、関係を見れば、
よくわかります。
 
馬の生存に必要な、草原の気象条件と
農耕に必要な、雨と森の、気象条件とは、
違います。
 
東アジアや南アジアの、モンスーン地帯では、
降って来る雨水を、直接に使えば、農耕が可能です。
エジプトやメソポタミアやインダスでは、
川の水がなければ、農耕ができません。
 
熱帯雨林の中で、植物の栽培を覚えてから、
温帯の、雨の多い森に、移動しました。
冬の寒さを、凌げるようになったのは、
湿原の牛を食べてから、
草原の馬を、飼育したからです。
やがて、川の水を使った農耕を覚えて、
定住した連中を、
馬に跨がった遊牧民が、飼育しました。
 
家畜人ヤプーみたいでしょう?
 
アフリカの黒人が、民族移動をして、
インドの文化を作り、
黄色人種が生れて、中国の文化を作り、
牧畜を覚えてから、白人が生まれて、
中東の文化を作り、歴史時代の文字が、残りました。
 
昔のインドの黒人や、中国の黄色人種って、
まだ、あほでしたから、
歴史の記録が、残っていません。
 
アフリカの黒人から、インドの黒人が生まれて、
インドの黒人から、中国人が生まれて、
中国人から、モンゴル人やインディアンが生まれて、
モンゴル人から、白人が生まれました。
 
農耕民族を飼育して、
権力の特権階級を維持するために、
都市と文字が、作られました。
白人の堕落であると、
イブン・ハルドゥーンは、言います。
 
     なんで、抑うつ症状に、関係あるかって、
     性別違和や性転換を、訴える人だけでなく、
     異性装や同性愛などの、性別関係の人に、
     抑うつ症状が多いからです。
     
     精神の病気の、始まりですから、
     当たり前ですけれど、
     性と、精神の病気が、精神分析のように、
     密接な関係を持つのは、
     インドヨーロッパ文化の、
     伝統的な考え方なの。
 
     インディアンや、
     日本人や、中国人のように、
     インドヨーロッパ文化の発祥地から、
     遠い所の人たちって、
     彼らよりも、古い時代に、
     世界の果てまで、移動した人たちです。
 
     インドヨーロッパ文化よりも前の、
     古い文化が、残っています。
     猿みたいに、神様やご先祖様に、近い。
     
     日本人は、論理的でないと、
     言われるでしょう?
     感情的ですと、
     うつ病に、なり易(やす)いかも
     知れませんが、
     論理がわからなければ、
     あほと、言われます。
 
     神様やご先祖様を、あほと言うのは、
     もちろん、あほです。
 
     わたしの父は、
     IQ70の知的障害者でしたが、
     わたしは、何も勉強をしないのに、
     全国で1番でした。
 
     こんなに差が出るのは、うちの家系って、
     代々、体や心の障害者を、
     わざと養子に貰(もら)い、
     けっして、間引かなかったからです。
 
     品種改良をしませんでしたから、
     遺伝的素質が、純化されていません。
 
     そのほうが、良い結果になることが、
     うちでは、とっくの昔に、
     わかっていました。
 
     代々、
     修験道系の宗教をやっていましたから、
     障害者を引き取り、育てるのが、
     家業のようなものでした。
 
     今は、宗教のほうは、開店休業で、
     親戚しか、信者がいないのに、
     布教しません。
     わたしも、宗教を信じたことがないのに、
     うちの家系には、宗教法人もあります。
 
     宗教系の病院や学校って、
     たくさんありますから、
     不思議でありませんが、
     間引いて、品種改良をする医療には、
     反対です。
     優生医療ってやつね。
 
     うつ病も、品種改良の結果のような、
     気がします。
     うつ病の人の、人生観だけでなく、
     性転換や異性装や同性愛なども、そう。
 
     性転換は、子供を育てたほうが、
     はっきりと、結果が良いのに…
 
     欧米の猿真似の医療は、
     上手く行きません。
     責任能力があるから、
     本人の勝手であると、するように、
     性転換医療も、
     お医者さんの勝手であると、するのは、
     日本の伝統的な文化で、ありません。
     
     欧米の猿真似をすると、
     日本が間引かれるのに…
     文化は、簡単に真似が出来ても、
     遺伝的素質は、変えられません。
 
     性転換医療が、欧米の真似をしても、
     顔や体の見てくれは、
     欧米人になりません。
 
     うつ病の人の、勤勉な性格って、
     欧米の猿真似をするための、
     勤勉な性格の、間違いでないのかしら。
     
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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