近所の公園の、秋桜(コスモス)です。
少し、山があるので、この感じになります。
海も、あります。
男と女の、両方があれば、便利ですけれど、
わたしは、性分化疾患や性別違和で、ありません。
生殖や世代交代を、ぶち壊すと、
生物の体や脳は、変化に適応できませんので、
性別の文化の変更は、生存に差し障りがないように、
気をつけなければ、いけません。
当たり前のことを言うから、怒られるのですが…
コスモスやヒガンバナなどの、草花は、
背の低い品種しか、売れなくなりました。
これだけ低ければ、台風が来ても、大丈夫です。
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言葉って、
生物の能力の、一番てっぺんのほうにありますから、
通じていようが、いよまいが、
通じていると、理解することができます。
変更可能な枝葉(えだは)ですから、
使用する人数の、同音異義語により、成り立ち、
使用されるたびに、新しく定義されます。
コンピュータのマルペケ式の判断は、
日常言語に翻訳されますけれど、
わたしの若い頃の、パソコンは、
自分でプログラムを書かなければ、
動作しませんでした。
いくら、面白いプログラムを、書いても、
集積回路の中の、配線を変えることは、出来ません。
喉から手の出る気持ちを、抑(おさ)えるのって、
精神衛生に、良くありませんでした。
オウムの人たちも、やっていたように、
チップの外側の、電気部品や配線なら、
なんとか、自分で変更できました。
動物の脳は、
神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方を、
少しは、自分で変えることが、できます。
神経の樹状突起が、手を伸ばしたり、
化学物質を生産したり、
神経細胞の変性や壊死が、起こったりして、
生まれた後にも、成長や発達や病気などの、
運動や変化が、個体の内側に、現れます。
品種改良の結果は、受精の中身に現れますが、
品種改良は、
生まれた後の、他の個体や社会との、関係により、
個体の中の、運動や変化として、進行します。
その逐一(ちくいち)の途中経過が、
成長や発達や病気などと、言われる種類の、
個体の中の、粒々(つぶつぶ)の運動や変化に、
実況中継されているようなものです。
個体は、すべての人に共通の、翻訳のプログラムを、
使うことができるだけでなく、
人間は、自分だけのプログラムを、
作ることもできます。
同じ日常言語でも、
その意味の判断は、人により異なります。
通じないはずなのに、通じていたり、
通じるはずなのに、通じない言葉の不思議は、
言葉が、言葉により、評価されるからです。
情報処理って、階層構造になっていますけれど、
もっと、根本に近い所の、
殺したり、産んだり産ませたり、
怒ったり、自惚(うぬぼ)れたり、
蔑(さげす)んだりの、
日々の臓器の仕事や、行動や感情などにより、
コミュニケーションや権力を、評価しても、
同じです。
命(いのち)により、言葉を判断しても、
翻訳と言われるプログラムが、ある限り、
判断が、通じたり通じなかったりの、評価は、
個体の側の、プログラム次第(しだい)です。
翻訳って、
こっちとあっちを繋ぎ、これとあれは同じであると、
定義することです。
違うものを、同じであると、定義するのですから、
支離滅裂も、いいところですが、
同じも違うも、判断のマルペケの、
枝分かれや道筋(みちすじ)は、
個体の側にあります。
勝海舟の、行蔵は我に存す、のようなものかしら。
わたしたちの文化は、
みんなと同じ判断の個体を、繁殖させて、
そうでない奴を、間引いて来ました。
品種改良です。
直接に殺すだけでなく、
産ませるようにして、遠隔操作により、
個体の中身の、粒々の運動や変化を、
左右できますから、
統合失調症の人に、被害妄想が現れるのも、
もっともなことです。
この権力闘争を、コミュニケーションと、言います。
行為や感情や言葉などの、枝葉末節の役割です。
平和は、鉄砲を使わない戦争であると、
毛沢東は言いました。
離れ離れの心筋細胞が、
それぞれのリズムとテンポで、拍動していたのに、
一つにくっつくと、
同じリズムとテンポを、共有するように、
コミュニケーションの仕組みを、争うのは、
合従連衡や離合集散などの、権力闘争です。
コミュニケーションを保ち、
よく話し合い、意思疎通を図(はか)りなさいと、
表現します。
殺し合い、産み合い、間引き合いなさい、
と言うのと、同じです。
毛沢東が、そう言っていたように、
お釈迦さんやアリストテレスや、
物理化学やパスカルやデカルトや、
フランス革命や進化論や精神分析などの、
毎度お馴染みの、インドヨーロッパ文化の、
伝統的な考え方です。
性転換は、
ルイ16世の首を、ギロチンで落とすように、
たいへん、ロマンティックですけれど、
コンピュータが実用化された後に、行なうのは、
時代錯誤です。
コスモスって、
宇宙や秩序の、美しさの意味であると、
中学校の教科書に、書いてありました。
英語だけでなく、学術分類の、ラテン語の属名も、
そうなっていますが、
どうして、コスモス属だけを、秩序正しく美しいと、
名付けたのかは、よくわかりません。
植物には、花言葉みたいな命名が多く、
物事(ものごと)の名前は、
すべてが、そうでないかと、疑われます。
もちろん、言葉を使って、名前を付けなくても、
物体や、知覚や、感情や、行動などを使い、
名前を付けても、同じです。
神経や電線は、物体を使い、
こっちとあっちを繋ぎます。
言葉も、空気や光の、運動や変化です。
胎児が出て来るまでに、
内臓や組織や細胞の中の動作の、
プログラムのほとんどは、
変更不能になっていますが、
コンピュータのマルペケの判断の枝分かれと、
数学や日常言語などとの、翻訳のプログラムを、
わたしの若いころには、自分で書かなければ、
コンピュータは、機能しませんでした。
昔に、電信が実用化された時に、
たくさんの人が、
コンピュータのような脳の機能を、想像しましたが、
コンピュータとして、実証されたのは、
わたしの若いころでした。
面白くて、闇月(やみつき)になりましたけれど、
車の運転や整備のように、
社会の底辺の人の、仕事だなあと、思いました。
その後、性転換をした人に、
コンピュータのプログラマーになる人が、
少なくありませんでした。
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