メタセコイアは、
雌雄同株の針葉樹で、3月に咲きます。
雄花序の蕾(つぼみ)は、
8月に、見掛けの形が、出来ます。
落葉樹ですので、冬芽です。
雌花序は、毬果(きゅうか)になりますが、
まだ、見つかりません。
葉芽(はめ)と、雌花序の花芽(はなめ)の、
識別は、困難ですが、
高い所は、よく見えませんから、仕方ありません。
メタ meta という言葉は、
時間的に、後に起こった、後に派生した、
という意味の、ギリシャ語の前置詞です。
アリストテレスは、
人文学を、第一哲学と言い、
自然科学を、第二哲学と言いました。
アリストテレスと、その弟子たちの、
逍遥学派と言われる学者のグループの、
10代目のリーダーの、アンドロニコスという学者が、
アリストテレスの著作を、分類した時に、
自然科学を先に纏めて、人文学を後にしましたので、
人文学は、
自然学の後(Metaphysica ,メタフィジカ)と、
言われるようになりました。
古代インドからの、インドヨーロッパ人の、
伝統の通りに、
アリストテレスの人文学は、論理学が中心でした。
論理が、知性の正当性を、保証している、
という意味ですので、
どのように保証しているかを、究明することが、
人文学の目的です。
アリストテレス以後の、
ヨーロッパの人文学の中心的な課題を、
メタフィジカと言い、
日本では、形而上学と、翻訳されます。
易経の、形而上者謂之道、形而下者謂之器 から、
パクッて来たそうです。
形のある物としての、事実や人が、
どのように変化して、何を行なうべきか、
という道筋(みちすじ)が、大切です。
感覚器官により、知覚された形は、
変化や行いの能力を、器のように表現しています。
冬芽のように、内蔵している、という意味です。
道筋は、論理のことですけれど、
人間の知覚は、哺乳類の感情を、
論理として表現するための、
道具のようなものですのから、
事実は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)のように、
感情の刀を、振り回す道筋かも、知れません。
三種の神器は、刀と鏡と玉ですけれど、
男と女と子供です。
生殖と世代交代が、最高の道筋であり、論理である、
という考え方を、象徴しています。
知覚って、
こっちとあっちを結びつけて、定義をするように、
人間の個体の、生まれつきの動物の感情に、
電気や権力のように、
他の個体のオーラを、結びつけるための、
コミュニケーションかも知れません。
結んだり切ったりするのも、子供のうちだけです。
大人になると、変更不能になり、
お医者さんみたいに、あほになります。
感覚器官を、権力の受信機のように、
統合失調症の人は、理解します。
老化して、変更不能になるのが、
何者かのせいに、感じられます。
神様のせいや、自然の摂理であると、言わずに、
被害妄想や、精神の病気であると、言い出すと、
精神科の、患者さんとお医者さんのように、
類は友を呼び、共食いに明け暮れる関係になります。
精神の病気って、だれかが相手になってあげて、
一緒の社会を作らなければ、仕方ありません。
毎日、精神の病気の患者さんを見ていると、
頭の中が、精神の病気の患者さんになるのが、
よくわかります。
性転換医療を見れば、歴然としています。
自然学の後の、メタフィジカが、
論理学や形而上学になったので、
メタ meta に、背後という意味が、加わりました。
背後に、
神様や物理化学や精神科などの、陰謀がある、
というように、使われます。
時間的に後(あと)の、派生や変形、という意味の、
メタなら、簡単でしたが、
背後の、黒幕や真相のように、
先にある複数の物事(ものごと)の間に、
共通の根本を、後から見つける、
という意味が加わり、
メタの意味は、わかりにくくなりました。
時間的に、後(あと)に起こったり、
後から派生したりするのと、
複数の具体的な事実の、共通点を見つけ出すのとは、
正反対のようです。
朝に、一つの出来事を知り、
昼に、また別の出来事を知り、
夕方に、その共通点を知れば、
時間的に後ですので、
その共通点のことを、メタと言います。
なんで、そんなややこしいことを、
と、文句を言いたくなりますが、
第二哲学の後に、第一哲学を編集したので、
そういう意味になりました。
獣(しし)食った報いですから、
ヨーロッパ人は、あほです。
セコイアは、中生代ジュラ紀から、新生代第三紀の、
スギ科の裸子植物の、Sequoia sempervirens を
言います。
センペルビレンスは、ラテン語の、常緑の意味です。
日本の地層からも、化石が、たくさん出て来ますが、
現在では、
カリフォルニアのシエラネバダの山にしか、
自生していません。
Sequoia 属は、この1種だけです。
特定の化石の植物と、特定の現生の植物とが、
同種である、という学説です。
近縁に、Sequoiadendron 属というのがあり、
そこでも、giganteum という1種しか、
生存していません。
セコイアは、インディアンのチェロキー民族の、
18~19世紀の、セコイアという個人の名前に、
由来しています。
豚という意味とか。
チェロキー文字を作った人です。
第二次世界大戦の直前に、
樹木のセコイアに、そっくりなのに、
少し違う化石が、日本で発見されましたので、
日本の学者が、メタセコイアと、名付けました。
Metasequoia glyptostroboides です。
日本語名は、曙杉(あけぼのすぎ)。
水松(すいしょう)の属名が、
Glyptostrobus ですので、
メタセコイアの種小名の、glyptostroboides は、
それに似ている、という意味です。
セコイアは、常緑の互生ですが、
メタセコイアは、落葉の対生です。
こいつが、後に、
中国の四川省に自生する水杉(シュイシェン)と、
同じでないかと、言われて、
現在の、日本で植栽されているメタセコイアに
なりました。
メタセコイアの葉は、痛くありませんから、
杉と同じように、親しみやすいかも知れません。
大木になりますので、
公園にしか、植えられませんが、
日本でも、よく育ちますので、貴重です。
背の高い樹形でも、幹が太いので、台風に強い。
*** ***
0コメント