ゴヨウマツ 1567 事実や科学技術などの、形而上学

五葉松の青っぽい緑(みどり)は、
息をのむ美しさです。
盆栽の定番ですが、
10mぐらいに、育てたいものです。
 
日本や朝鮮半島などの、東アジアの原産です。
軽く、柔らかい材質ですが、
乾燥した後に、狂いが少なく、
削り上がりが良いので、
鋳物の木型や、工業製品の模型などに、
使われます。
 
姫小松とも言われますが、
学名は、Pinus parviflora 。
 
朝鮮五葉 Pinus koraiensis は、
けっして変種の関係でなく、
種(しゅ)が違いますが、
五葉松の代わりに、木型の素材として、使われます。
 
中国で、紅松(ホンソン)と言われる朝鮮五葉の、
ロシア産の木材が、
日本の木型を、支えて来ましたが、
2010年に、シベリア虎の保護のために、
伐採禁止になりましたので、
現在では、朝鮮産や日本産の、五葉松や雪松が、
使われているそうです。
 
雪松って、中国では、ヒマラヤスギのことです。
日本の公園にも、植わっているやつです。
 
ほんとうに、五葉松や紅松は、
狂いが少ないのかしら。
わたしは、以前から、疑問に思っていました。
 
だって、五葉松と朝鮮五葉が、
種(しゅ)が違うのに、似たような名前であるのは、
葉が5枚ずつ、束生(そくせい)するからです。
材質が似ているわけでありません。
 
朝鮮五葉も、日本に自生していますから、
五葉松がなくなれば、朝鮮五葉に手を出すって、
なんとなく、変な感じでした。
 
五葉松のほうが、柔らかいそうですが、
鋳型と言っても、直接に鋳物を流すのでなく、
木型を、砂で固めてから、木型を抜き、
砂型の中に、鋳物を流し込みます。
 
木工製品が変形しないように、
木材の乾燥に、工夫を凝らしますが、
短期間の使用には、
加工の容易さや、肌理(きめ)の細かさが、
大切かも知れません。
 
五葉松は、マツ属 Pinus ですから、
受粉の翌年の初夏に、受精します。
毬果(きゅうか)は、秋に熟しますが、
2年がかりです。
 
枝のてっぺんの、小さく赤っぽいのが、
今年の若い毬果です。
 
多年草のパイナップル pineapple は、
松の毬果に似ているので、そう言われますが、
松のほうが、本物です。
 
椴松(とどまつ)は、モミ属 Abies で、
蝦夷松(えぞまつ)は、トウヒ属 Picea で、
唐松(からまつ)は、カラマツ属 Larix ですので、
松と言うのは、ややこしい。
 
        ***          ***
  
原因と結果は、ひっつき虫みたいに、
なんにでも、くっつくと、書いたら、
大学生に笑われました。
 
こうなれば、必ず、そうなるのは、
原因と結果でないのかと。
 
こうでなければ、絶対に、そうならないが、
こうなれば、必ず、そうなるってやつですけれど、
定義でしか、ないような…
 
早い話が、数学でなければ、
現実には、ありません。
 
高層ビルが建ち、宇宙船が飛び、医薬品を作るのも、
定義なのかって、文句を言われました。
 
だから、何度も書いているのに…
犬や豚の、品種改良と、似たようなものだって。
言葉だけでなく、
知覚の仕方や中身を使っても、定義されます。
 
ブルドックの顔や、お肉の質だけが、
品種改良されるのでありません。
人間の脳味噌の、
神経の繋がり方や、化学物質のくっつき方も、
文化的な好みにより、取捨選択されて、交配されて、
品種改良されます。
 
脳味噌の神経や化学物質の、遺伝的な素質により、
生まれつきの、知覚の仕方が、決まります。
 
知覚の仕方って、空間や時間や論理ですけれど、
知覚された中身のことを、事実と言います。
人により、遺伝的素質が違うように、
同じ事実を知ることは、ありません。
 
一卵性双生児でも、
生まれた後の、脳の発達が、異なりますから、
同じ事実は、見えません。
生まれた後にも、神経って、手を伸ばすもんね。
 
空間や時間や論理などの、知覚の仕方って、
脳の神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方の、
網の目により、事実と言われる認識の中身を、
掬(すく)い取るようなものなの。
 
網に引っ掛かった中身が、認識の対象です。
わたしたちは、それを、事実と言います。
 
網に引っ掛かって来なかったものを、
神様や自然などと、言う人もいます。
認識の対象にならないものを、在ると言い出しても、
話になりませんから、
孔子は、怪力乱神を語りませんでした。
 
お釈迦さんや、キリストさんや、
物理化学やフランス革命や
進化論や精神分析や共産主義などの、
インドヨーロッパ人は、
それを話すことが、大好きです。
 
星の王子様の、サン=テグジュペリみたいに、
大切なものは、目に見えないと、言います。
 
人間は、目が良いので、
たいていの物は、見えると思いますが、
耳も、悪くありません。
 
鼻は、あほですから、
化学物質の好きな奴は、あほかも知れない、
と言うと、薬屋さんに怒られます。
 
皮膚も、鈍(にぶ)いように、思います。
刃物や鉄砲を使って、殺し合ったり、
焼身自殺をしたりする人が、多いもんね。
皮膚科医や形成外科医は、賢いのかしら。
 
機械を使って、情報を捕獲しても、
やっぱり、最後は、
感覚器官を使わなければ、知覚できません。
 
顔や体の見てくれが、脳の神経や化学物質の、
変更不能な遺伝的素質を現していると、思う人は、
大切なことは、目に見えないと言い、
自分の生まれつきの素質に、自惚(うぬぼ)れて、
他人を攻撃するかも知れません。
エステティックてやつです。
 
生まれつきの素質を、自慢しているのに、
大切なことは、目に見えないって、
数学者や絵描きさんだけでなく、
目のある人は、精神の病気でなければ、
全員かも知れません。
 
ルキノ・ヴィスコンティの映画の中で、
マーラーの交響曲第5番の第4楽章と一緒に、
トーマス・マンの『ベニスに死す』の、
美少年に恋した主人公の作家が、
コレラに罹り、薄化粧をして、野垂れ死にします。
エステティックでしょう?
 
空間や時間や論理の網は、
人それぞれに違いますが、海に放り込めば、
魚が獲れるのかしら。
海藻が引っ掛かって来るのかしら。
 
事実が見えると、言います。
網の目が、一人一人、違いますから、
事実も、人それぞれですが、
そのことを、わたしたちは、
個体の、空間や時間の位置が違えば、
同じ事実は無いと、言います。
 
そう言うのは、論理ってやつですが、
空間や時間の、網の目のように、
論理にも、論理法則と言われる網の目があると、
アリストテレスは、言いました。
 
神様や自然の海から、
事実が、網に掬(すく)われて、
知覚されるのでなく、
網の目を、事実と言っているだけかも、知れません。
プラトンは、そう言いました。
 
だって、網の目は、一人一人が、違うだけでなく、
遺伝的素質ですから、
一枚の網の目も、一様で均一とは、限りません。
 
人それぞれの異なる網の目を、照らし合わせて、
似たような目を、似たような事実と、
言っているだけかも知れません。
 
事実が、似ているとか、似ていないとかって、
空間や時間の規則により、
論理は、知覚の中身を比較します。
 
規則って、品種改良された遺伝的素質にすぎません。
 
コンピュータを見ていると、
神様や自然と言われる海は、無いと、疑われます。
 
わたしたちの目や耳や手が、
認識の対象を知覚するのでなく、
コンピュータのように、
入ってきた情報を、知覚するだけなら、
認識される以前の、認識の対象の海のような、
神様や自然を、想定する必要は、ありません。
 
目や耳や手が知るのは、
認識される以前の、認識の対象の海から、
網に掬われるように、
抽象された事実と言われる認識の対象でなく、
単にコミュニケーションの相手であると、
統合失調症の人は、言います。
 
目や耳や手は、コミュニケーションの受信機ですが、
手は、コミュニケーションの相手を、ぶち壊します。
こうして、遺伝的素質が、品種改良されました。
 
それなら、取捨選択や交配などにより、
素質のほうも、抽象されたのでなく、
コミュニケーションの相手が、
直接に、体の中に入り込んでいると、考えたほうが、
単刀直入です。
 
認識の対象と主体の、いずれもが、
抽象したり、されたりするので、ありませんから、
自分という心や個体も、無用です。
 
インドヨーロッパ人の考え方って、
昔から、お釈迦さんと同じになるのが、相場です。
古い幹から、枝葉を伸ばして、
新しくなっているのですから、当たり前ですが、
進化論的でしょう?
 
統合失調症の人は、
空間や時間や論理などの、規則が、
作り話の、捏(でっ)ち上げの、インチキである、
と言うだけでなく、
認識の対象や主体も、同一であると、
プラトンのようなことを、言います。
 
精神の病気になると、みんなと一緒の文化を、
擬(なぞ)えることが、苦しくなりますから、
楽ちんなところまで、退行します。
 
わたしたちは、胎児の頃から、
文化的な理不尽に、曝(さら)されていますから、
みんなと一緒であることを、拒否して、
個性や、本当の自分に、帰ろうとすれば、
物事(ものごと)や認識の、規則性を失い、
精神の病気は、
統合失調症と、言われるかも知れません。
 
みんなに虐(いじ)められて、性別違和を訴えて、
性転換をしたり、性転換医療を行なったりするのは、
その道すがらの出来事です。
 
セム系のキリスト教を、
インドヨーロッパ文化と言うのは、
アッシリアのネブカドネザルの
奴隷になっていたユダヤ人が、
ペルシャのキュロスに解放された時代から、
セム系の民族の中でなく、
インドヨーロッパ系の民族の中で、
生きるようになったからです。
 
新約聖書の中身は、
ギリシャの思想の、文学的な表現手法を、
模倣しています。
 
インドヨーロッパ人の文化は、
インドからヨーロッパへ、伝わりましたが、
最近の遺伝子による分類では、
インドヨーロッパ系の言語の民族だけでなく、
セム系の言語の民族も含めて、
白人は、
ソグディアナ地方で、発祥したのでないかと、
言われています。
 
アムダリア川とシルダリア川の間の、
パミール高原に近い流域です。
 
イエス・キリストの教団も、
インドのほうから流れて来る白人文化の、
主流に乗りましたが、
後々のイスラム教は、それを拒否しました。
 
オバマ大統領の父親は、
ナイル川上流の、ナイル諸語を話すルオ民族ですが、
オランダ人と同じように、背の高いのが、自慢です。
 
昔は、男が、顔に絵の具を塗り、
女のように化粧をして、踊っていました。
 
体が大きく、殺し合いに強いのを誇るのと、
顔や体の形を、見せびらかして、
うっとりするのとは、似たような気持ちなの。
 
エステティックと言います。
女性や、背の低い男性が、
エステティックになっても、
殺し合いに強くありませんので、
性別違和を訴え、性転換をするだけでなく、
お医者さんになり、性転換医療を行なったり、
鉄砲を持ち、
嫌(いや)な奴を、攻撃したりするかも知れません。
 
性転換って、
仲間同士の、共食い医療のようなものです。
預言者のモハメッドが、キリスト教を批判したのも、
セム系の民族の体が、小さかったからのように、
思います。
 
たぶん、ビンラディンと同じように、
イエス・キリストや預言者モハメッドは、
背が高かったのでしょう。
 
性転換を望むFtM(female to male 女→男)は、
どうかしら。 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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