モッコク 1587 藤圭子さんのこと

昔は、ツバキ科でしたが、
最近は、遺伝子による分類が、
幅を効かせていますので、
モッコク科として、独立しています。
 
DNAの構造により、世代交代の系統を、
分類するのは、
事実と言われる物語の、典型のようなものですが、
流行文化が、社会を仕切っているのは、
大昔から、当たり前ですから、仕方ありません。
 
たくさんの流行を、仕入れて置いたほうが、
嫌(いや)な奴を、やっつける時に、便利です。
 
文化って、人間を、変更不能にしますから、
放射能汚染よりも、怖いのに…
 
生物を見て、瞬間的に、遺伝子を読み取る人は、
いませんから、
だれでも、遺伝子でない分類法により、
生物を見分けています。
 
木斛(もっこく)は、雌雄異株ですけれど、
雌株(めかぶ)は、両性花ばかりで、
雄株(おかぶ)は、雄花ばかりです。
 
雄花には、雌しべがありませんので、
写真は、雄株と思います。
 
昔の民家の庭に、
木斛(もっこく)が、植わっているのは、
当たり前でしたが、最近は、珍しくなりました。
 
地味(じみ)な花ですから、
割(わり)を食っているのかも、知れません。
 
化学肥料が普及して、水洗便所になっても、
梔子(くちなし)や金木犀(きんもくせい)は、
廃(すた)れませんでしたが、
木斛(もっこく)は、民家の庭から、消えました。
 
日陰(ひかげ)に強い陰樹(いんじゅ)ですが、
肥壺(こえつぼ)や汲み取りが、なくなると、
日陰に、香りの樹木を、植えることも、
なくなりました。
 
木斛は、香りの良い花を、咲かせます。
 
        ***          ***
  
今年(2014年)の1月25日に、
藤圭子さんのビデオを、貼りつけましたが、
Youtube から、削除されましたので、
Mediafire のビデオのアドレスを、
 
クリックすると、
別ウィンドウで、Mediafire のページが開き、
藤圭子さんと八代亜紀さんの、
デュエットのビデオが、再生されます。
 
Mediafire の信頼性を、わたしは知りませんので、
試験的に使います。
 
     藤圭子さんのお母さんも、障害者でしたが、
     目の見えない身体障害と、
     精神の病気とを、
     あまり区別しない症状が、よく出るのは、
     精神の病気では、
     知的障害や統合失調症や
     認知障害や癲癇(てんかん)などです。
 
     精神の病気の中身を、一々、分類して、
     どこに、どのような症状があるかを、
     記録しておかなければ、
     お医者さんに、わからなくなりますので、
     お医者さん自身が、
     症状を細かく分類しますけれど、
     何が原因であり、どうすれば治るかを、
     考えるには、
     精神や体の全体として、見なければ、
     部分を見ていても、仕方ない、
     という気になります。
 
     ようするに、
     この人の精神や体の、生命力は、
     これくらいなので、仕方がないと、
     諦(あきら)めたくなります。
 
     とりあえずは、
     何をしなければ、いけないかって、
     医者や看護師が、
     仕事をサボッているように、
     見えてはいけませんので、
     自責感のために、
     医者や看護師が、苦しくならないように、
     どうすれば良いか、というのと、
     同じ意味になります。
 
     そういう病気って、
     原因や対策を考えれば、
     知的障害や統合失調症と、
     身体障害や体の病気との、
     区別のつかないのが、普通です。
 
     細かに識別するのは、
     文書に記録するためですが、
     たいていは、記録の中身も、
     いい加減です。
 
     殺すわけに、行きませんので
     だれかが、世話をしなければ、仕方ない、
     という現実があるだけなのは、
     体の病気になり、死に掛けになる時と、
     同じです。
 
     たいていの人は、早く死なないかと、
     みんなに心配されて、死にますけれど、
     長期的な精神の病気や、
     生まれつきの、体や精神の障害などでは、
     だれにも、気にされずに、
     自由に、死んで行くことが、
     出来るかも知れません。
 
     健常な人の、体の病気と、
     精神の病気や、知的障害や、
     身体障害などとは、
     どこが違うのかって、
     時間割でなければ、
     自由しか、ありませんけれど、
     フランス革命の自由って、つまらない。
 
     世間のほとんどの人は、
     中学1年生の、国語の読解力や、
     数学の初歩の問題を解いても、
     中学1年生と、同じ成績ですから、
     論理や事実を、知る能力は、ありません。
 
     世間のほとんどの人は、
     新聞の社会面の、
     泥棒や火事の記事を読んでも、
     あらすじが、わかりません。
 
     それどころか、
     新聞社や放送局に、就職をして、
     原稿を書いている人や、
     大学の教授になった人の、
     中学1年生の頃の、
     国語の読解力や、数学の初歩の成績も、
     わかっていますから、
     成人後の能力も、たぶん同じです。
 
     書いている人や、教えている人が、
     三面記事のあらすじも、
     わからない始末です。
 
     わからない人が、どうして、
     裁判員になれるかってだけでなく、
     わからない人の代表が、
     裁判官ですから、世も末です。
 
     裁判官になる人って、頭が悪いのを、
     知ってるもん。
     お医者さんも、
     公立の医学部に行く人って、
     IQ140もありませんから、あほです。
 
     IQ145でも、165でも、
     統合失調症になったり、
     性転換をしたりする人を、
     知っていますから、相当なあほですけれど、
     知能検査を作った奴が、
     自分のIQは、155であると、
     言っているのに、
     120台にしか、見えませんから、
     何をか言わんやです。
 
     120台の人に、
     知能検査の解き方を教えてあげると、
     知らない問題を解いても、
     185くらいになりますから、
     知能検査の問題を作っている人が、
     IQ155って、知的障害かも知れません。
 
     わたしは、人間の賢さを測る方法を、
     知りませんから、
     知能検査の悪口を言っても、
     埒(らち)が明きませんけれど、 
     わたしなら、人間の賢さを測ろうとは、
     思いません。
 
     何を、賢いとするかは、
     人それぞれの価値観によりますから、
     賢さの尺度は、ありません。
 
     でも、
     みんなが、何を賢いと、思っているかは、
     みんなに聞けば、わかりますから、
     それを測るのは、
     流行文化を測るようなものです。
 
     みんなの流行文化に、乗れない奴に、
     知能が病的に低いと、
     いちゃもんをつけて、
     精神障害者として、隔離するのと、
     みんなに虐(いじ)められないように、
     保護してあげるのとは、
     同じかも知れません。
 
     体の病気を、お医者さんが診断したり、
     治そうとしたりするのと、同じです。
     
     病気と言ってあげなければ、
     みんなに虐(いじ)められますけれど、
     病気と診断して、
     お医者さんが、治そうとするのは、
     お医者さんが、
     独占的に虐(いじ)めるのと、
     どう違うのかしら。
     
藤圭子さんのことが、wikipedia の日本語版に、
統合失調感情障害でないかと、書かれていますが、
わたしは、御本人を知らないので、知りません。
      
健常な人が、
お金や、身の安全を、気に掛けるように、     
精神の病気の、普通の症状は、
財産や健康を、心配することです。
 
健常な人の、国語や数学の能力が、
どれくらいかって、わかっていますから、
その人たちが、お金や、身の安全を、心配すれば、
一定の割合の人が、精神の病気になるのは、
当たり前です。
     
個々には、器質的な異常との関係を、
疑うことができますが、
たくさんの人に、具体的に同じように
器質と精神の異常が、特定されて、
みんなに、お揃いのように現れるのでなく、
その具体的な器質の異常が、現れるのは、
個々の例に、限られますので、
確かに、その精神の異常の原因であるとは、
断定できません。
 
原因と結果の関係が、
個々の例では、特定できないって、
当たり前です。
原因と結果のような、
時間や、自分という意識などは、
みんなの文化的な、流行の産物ですから。
 
みんなと一緒でなければ、
時間や自分という意識が、おかしくなるのは、
精神の病気の、自我障害に、よく現れています。
 
器質の異常の多くは、脳に発見されずに、
脳以外の体に、発見されます。
 
その事情は、
精神遅滞や知的障害や統合失調症などに、
共通ですが、     
おそらく、大部分の精神の病気に、共通です。
     
事実を知覚する能力に応じて、
精神の病気になるようなものですけれど、
体の器質の状態が、よく反映されます。
 
世間の大部分の人は、
精神の病気の症状を、溢(あふ)れるくらいに、
出していながら、
苦しまないように、暮らしていますので、
至って健常です。     
 
統合失調症の患者さんが、抗精神病薬を飲み、
わざわざ、思考力や実行力を、低下させて、
小難しいことや、悩ましいことに、
囚(とら)われずに、     
極楽蜻蛉で生きようとするのは、
世間一般の健常な人たちと、同じです。
     
一部の統合失調症の人の、
症状が進行するかのように、     
だんだんと悪化するのは、なぜでしょうか。
     
症状が進行しなくても、
抗精神病薬を飲まなくてはいけない人が、
どうして、世間一般の人のように、
抗精神病薬を飲まなくても、
極楽な気持ちで居ることが、出来ないのでしょうか。
     
健常な人は、苦しくなると、
自分から、あほになるかのように、
気持ち良くなるのが、普通です。
 
ドーパミンがうんぬんという結果でなく、
そうなる原因が、脳以外の、体の事情であることが、
少なくありません。
とりわけ、体と社会の関係かも、知れません。
     
健常な人の大部分の、
国語の読解力や、数学の能力が、     
中学1年生のそれと、同じであるのも、
それでしょうか。
 
何も知らない中学1年生と、同じの程度の能力しか、
発揮しようとしません。
 
学習して、能力を高めようとしませんから、
学習能力の低いことを、
あほの特徴であるかのように、指摘するのは、
あたっているような、いないような…
     
自分から、あほになり、ストレスを解消するから、
人間は、幼児期を過ぎると、
脳味噌が、萎(しぼ)んで行きます。
 
あほになり、気楽にならなければ、
精神の病気になるのでしたら、
わざと、あほになっているのは、
学習能力が低いのでなく、賢いのかも知れません。
     
精神の病気の人たちは、
どうして、あほになって置くことを、
拒否するのかしら。
 
要領よく、あほになって置いたほうが、得なのに…
     
なんとなく、要領が悪ければ、
一流大学の医学部を卒業して、
要領が良ければ、
三流高校を、中退するような気もします。
 
それが、寿命や、精神や体の、病気などに、
端的に現れているような…   
 
精神の病気の患者さんと、
それを診断するお医者さんだけでなく、
体の病気の患者さんと、お医者さんも、
類は友を呼ぶように、集まっているのでないかと、
疑いたくなります。
 
     世の中の、あほから数えて、
     1/3ぐらいの中に、入っていれば、
     極楽です。
     
     1/3もの人数を、殺そうとする人は、
     滅多(めった)にいませんから、
     ここに入っていれば、冬でも、
     温泉に漬かっている猿のようなものです。
 
     それなのに、あほになれないのは、
     もちろん、社会の底辺が、
     叩き合いの、足の引っ張り合いの、
     虐(いじ)め合いの、
     犯罪的な無慈悲や悪意や嘘や奸計などの、
     共食いの世界であるからです。
 
     共食いを忌避して、
     人間は、病気やお医者さんに、
     なりますけれど、
     ちゃんと、お医者さんは、病人を、
     食べますから、
     ライオンみたいなものです。
 
     わたしは、どう見ても、
     ライオンと、ばい菌の、
     どちらが賢いのか、
     どちらが惨めなのかと、迷います。
 
     だって、ライオンは、
     鉄砲で撃ち殺されれば、
     すぐに絶滅します。
 
     ポルポトは、カンボジアのお医者さんを、
     全員、殺そうとしました。
     うまく、生き延びたのは、4人だけと、
     聞いています。
     
     ライオンと猫は、
     体の大きさが、違うだけみたいですから、
     可愛らしいけれど、
     賢しこそうには、見えません。
 
     お医者さんも、可愛らしいので、
     ポルポトには、
     もっとたくさん、生きてもらいたかった。
     お弁当を食べながら、
     たくさんのポルポトと、
     国会で議論をすれば、極楽と思います。
 
     現在の日本の国会も、
     似たようなものですが、
     お弁当を食べながら、というのが、
     違います。
 
     あほになれば、楽ちんなのに、
     みんなに虐(いじ)められるので、
     あほになれないのを、
     ストレスに弱いとか、
     お医者さんみたいに頭が良いとかと、
     言います。
 
     社会の底辺の、
     刑務所と娑婆(しゃば)を、
     行ったり来たりしている人たちが、
     何を見て、他人を虐(いじ)めたり、
     何をして、
     虐められないように、しているかって、
     やくざや、警察官や、犯罪者を見れば、
     すぐに、わかります。
 
     それが出来なければ、
     精神の病気になったり、
     お医者さんになったりしますから、
     これは、拙(まず)い。
 
     性転換をする人に、その両方が、
     覿面(てきめん)に現れていますから。
 
体の障害や病気と、精神のそれとの関係は、
性転換をする人たちの、
エステティックな事情に、よく現れていますが、
マンションから飛び降りた藤圭子さんの、病気にも、
現れていたようです。
 
体を壊そうとするのは、
精神の病気の原因を、端的に現しています。
藤さんも、目が見えなく、ならないかと、
とても気にしていたそうです。
 
娘さんにも、そのような名前を付けたと、
言われています。
 
脳の器質だけでなく、脳以外の体の病気が、
精神を直撃するのは、普通ですけれど、
病気だけでなく、エステティックのような、
体の流行も、
精神の病気の、たいへん大きな原因になります。 
 
とりあえずは、唾(つば)をつけて置きます。
性別の違和って、脳の器質の異常よりも、
体の流行に乗れない事情が、大きいの。
 
こんなことを言うと、怒られますけれど、
藤圭子さんは、娘さんよりも、かなりの美人でした。
こんな、つまらないことが、
ものすごく、精神に響きます。
 

 
     
 
 

     

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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