木の育っている所が、
JR山手線田町駅の東の、芝浦公園という名前の、
児童公園です。
昔の運河を埋めて、公園を作りましたが、
南の一部を、船溜まりとして、残しました。
写真は、鹿島橋です。
もう一つ南の、霞橋から、撮りました。
2つの橋の間が、運河の十字路になっています。
右側にも、香取橋という橋があります。
西側は、モノレールが、運河を渡っているだけです。
船溜まりを跨(また)ぐ橋って、妙な感じです。
1970年代は、まだ、昔の漁師が、
暮らしていたのでしょうか。
北側の運河全部を、埋めてしまえば、
橋は、必要ありません。
1990年のバブルの頃に、地価が高騰しましたので、
昔ながらの、漁師の暮らす長屋の土地が、
1億円を超える値段になりました。
今は、このあたりに、木造の民家は、ありません。
慶應義塾という大学や、
昔の東京タワーのある芝公園などは、
皇居や上野公園の続きの、
海食崖の上の、武蔵野台地の端っこです。
縄文時代に、暖かくなりましたので、
氷河が溶けて、世界中の海面が、上昇しました。
その時に、波が、山を削り、
10mぐらいの、崖が出来て、
土砂が、崖下に堆積しました。
海食崖の下に、幅200mほどの、
土砂の溜まった細長い浜辺があり、
JR東海道線や山の手線は、そこを通っています。
浜辺の下は、明治以後の、埋立地です。
川や下水の通路を、運河としましたが、
漁師の村もありましたので、
船を出すために、水路を残す必要がありました。
その運河が、高度経済成長期の頃から、
埋め立てられました。
排水は、土管の中を通して、地中に埋めれば良い。
まだ、漁師が、死んでいなかったのでしょうか。
完全には、埋められませんでした。
漁業権が、相続されますので、
若い人は、船溜まりに、
貸しボートを保管しているのかも、知れません。
日曜日だけの農家と、同じです。
畑に樹木を植えて、苗木や植木を売れば、
農業を営んでいることになります。
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