ナシの実 1582 知覚と論理と事実

梨(なし)は、葉が多く、
葉に隠れるように、実が成ります。
 
そのせいで、赤くならないとは、思いません。
 
わたしは、林檎(りんご)よりも、梨が好き。
水分が多く、甘いから。
 
粒々(つぶつぶ)の歯触りが、好きですけれど、
心って、原子論では、上手(うま)く行きません。
 
こっちとあっちを、くっつけたり離したりするのは、
物理化学のように、神経や化学物質ですけれど、
心のプログラムは、体の動作のことでなければ、
多くが、言葉の、単語や文法で書かれています。
 
文化の流行を見ても、
神経や化学物質は、見えません。
 
個体の人権を掲げたフランス革命は、
古代ギリシャ以来の、
エステティックな人種差別を、踏襲しましたが、
個体のエステティックは、
粒々(つぶつぶ)に見えません。
 
わたしには、知覚や事実やエステティックって、
論理や統合失調症のように、言葉に見えます。
流行文化による品種改良が、体や心を作りました。
 
梨や林檎の木を見ると、この品種は何かと、
思いを巡らせて、だれも見ていない時に、食べます。
 
中国や韓国朝鮮では、今も、犬を食べますが、
人間を食べるのが、進歩的であると、
欧米人は言います。
 
中国や韓国朝鮮は、遅れていますが、
わたしの子供の頃の日本でも、
朝鮮人に食べられるので、
犬を放し飼いにしてはいけないと、言われました。
 
日本人が、中国人や朝鮮人を、食べたと、
中国人は、思っています。
アメリカ合衆国が、日本を飼育しているように、
中国も、そうなるのに…
 
今度は、日本が我慢をして、
中国が、アメリカ合衆国と、
戦争をするかも知れません。
 
梨や林檎だけでなく、生物は、食べ物ですから、
医療は、傷ついた兵士を治療して、
戦場に送り返します。
 
中国が勝てば、新しい品種が作られますので、
人間の個体は、薔薇の品種のようなものです。
 
梨や林檎は、バラ科です。
 
        ***          ***
  
精神の病気の人って、乳幼児の頃にわかります。
動作が、他の子供と違いますが、
何も教えていない動作の違いって、
他人の真似(まね)をしたのでなければ、
生まれつきかも知れません。
 
一人一人の子は、それぞれに特徴がありますから、
その子供の特徴だけが、
どうして、精神の病気に、繋がったのでしょうか。
 
精神の病気の子の、動作の特徴は、
知能の低さを、表わしているように、見えますが、
エステティックや動作でない知能って、
あるのかしら。
 
     性別違和を訴えて、
     性転換を実行する人は、
     知能が低く見えますが、
     知能検査や学力検査の成績は、
     優秀かも知れません。
 
     自分に出来ることの中に、
     知能検査や学力検査の
     問題を解くことがあれば、
     成績が良いのは、当たり前ですが、
     出来ないことが、多すぎれば、
     知能検査や学力検査の成績は、優秀でも、
     知能が低いように見えます。
 
     みんなと一緒のことを、
     しようとしないのは、
     みんなと一緒のことが、できないのかも、
     知れません。
 
白人に似ていないのに、
みんなと一緒の、体つきや顔つきでなければ、
頭が悪いように、見えます。
 
日本が、黒船に負けてから、
その傾向が、目立つようになりましたが、
原爆に負けた後の、わたしの子供の頃でも、
白人に似ている子は、
ものすごく虐(いじ)められていましたのに、
わたしが成人する頃には、白人に似ていれば、
無条件に、尊敬されるように、なっていました。
 
他人のエステティックを見て、判断をする内容が、
ものすごく速いテンポで、移り変わりました。
 
他人を見て、
知能が低いとか、不細工とかと、思うのは、
奴隷にして、虐(いじ)め殺してやろう、
という意味です。
 
     けっして、美といわれる規則が、
     独立しているのでありません。 
 
     朝鮮を植民地にすれば、
     朝鮮人と聞いただけで、
     あほをやっつけなければいけない、
     と思う気持ちは、
     古代ギリシャ人のエステティックと、
     同じです。
 
     アレキサンダーが、
     どこの国の歴史の教科書にも、
     載っていて、その先生が、
     アリストテレスであるように、
     ギリシャが、
     インドからエジプトやヨーロッパまでを、
     征服して、
     物理化学が、事実と言われる知覚を、
     作るようになったのは、
     自分たちと違う奴を殺して、
     品種改良をしたからです。
 
ダックスフンドやヨークシャーテリアを
作るように、
人間の脳の素質の中から、自分たちと同じ素質を、
抽出して、選び出しました。
 
純化すると、言いますが、その素質の通りに、
事実と言われる物事が、知覚されます。
この知覚の仕方と、
知覚された事実と言われる内容は、
見えない糸で、結ばれています。
 
コンピュータを見れば、わかるように、
神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方と、
事実と言われる認識の中身とは、同じです。
 
そのことを、変更不能にする、と言います。
そうでなければ、何も知覚されませんから、
赤ちゃんは、言葉を喋れないだけでなく、
成人と同じような事実が、見えません。
 
分娩される前の、何千年も何万年も前から、
起こり続けたことと、
分娩された後に、起こったこととは、
似たような要領です。
 
変更不能なことが、作られて行くのは、
自由な、何も規定されない物事(ものごと)から、
特定の素質を、抽出して、
だんだんと純化されて、貧弱になり、
後戻りが出来なくなる過程です。
 
     ピラミッドの石を積み上げるように、
     具体的な事実が作られた手順を、
     再現できなければ、変更できません。
 
     事実の知覚は、
     土を捏(こ)ねて、陶磁器を焼くように、
     変更不能になる過程ですから、
     科学技術に一致するのは、
     当たり前ですけれど、
     仕組みを理解できても、
     元に戻せないかも知れません。
 
     昔の、焼き物の窯(かま)の、跡には、
     たくさんの、失敗作の破片が、
     捨てられています。
     作り方を知っていても、割れた陶磁器を、
     粘土に戻すことは、出来なかった…
     
     物理学者が、
     宇宙はこれこれであると、言うのは、
     自分の脳味噌は、これこれの手順により、
     変更不能になっていると、言うのと、
     同じです。
 
     自分と同じ血筋が多ければ、
     たくさんの支持を得ますけれど、
     みんなと違えば、
     精神病院にぶち込まれるかも、
     知れません。
 
     科学技術を使い、血筋を争うのは、
     アリストテレスの教え子の、
     アレクサンダーが、インドやエジプトを、
     征服したようなものです。
 
日常的に、わたしたちは、遺伝的素質を争うように、
事実の知覚を、見比べています。
違いがあれば、共通点を見つけて、同じであると、
因縁をつけます。
  
太陽を見ても、他人の見たのと、自分の見たのとは、
事実が違うのに決まっています。
他人と自分とでは、進化の枝分かれが違いますから、
同じ事実は、見えません。
 
それでも、共通点を探して、太陽と名付けますから、
一人一人が、違う太陽という事実を見ているのに、
みんなの共通点の、同じ太陽を見たと、
コミュニケーションの中身を、作ります。
 
そうして、みんなと同じ知覚を、確信するのは、
共通点という特徴を、抽出して、純化したのと、
同じです。
 
こういう仕組みを、弁証法と言います。
事実の知覚や、数学の論証や、科学技術の実証や、
進化の枝分かれなどは、弁証法的に、行なわれます。
 
数学は、はっきりと、
違うものを、同じであると、定義します。
 
だから、数学が成り立つように、
物理化学や科学技術が、数学を使うのは、
違う太陽を、同じ太陽であると、
目で見て、事実を知る仕組みの通りに、
数学に表される論理が、
知覚の手順から、抽出されることに、由来します。
 
知覚が、論理的に、物体を知るように、
物理化学や科学技術は、
知られた事実の通りに、行なえば、
矛盾を来(きた)さない結果を、
作ることが出来ます。
 
事実や科学の見ている物って、
知覚が、論理的に作り出した産物ですが、
わたしたちは、自然や科学技術が、作り出したと、
表現します。
 
     わたしたちは、乳幼児の頃から、
     癖(くせ)になっていますので、
     判断の手順を、自覚しませんが、
     わたしは、乳幼児の頃から、
     精神や体の、病気や障害のある人たちに、
     取り囲まれて、暮らしましたので、
     自覚しなければ、
     生活ができませんでした。
 
     当たり前の手順ですが、
     精神の病気の人は、うまく行きません。
     
     自分と違う事実を、見ている人を、
     許容できませんので、
     コミュニケーションができませんけれど、
     健常な人は、自覚しなくても、
     他人との共通点を、
     自動機械のように、見つけます。
 
     1億人の人が、太陽を見れば、
     違う太陽が、1億個あるのに、
     それぞれの太陽に、共通の特徴を、
     みんなに共通の太陽と、言いますから、
     同音異義語の、区別ができなければ、
     混乱して、孤立します。
 
     同じ、太陽という言葉です。
 
     その通りに、統合失調症の人には、
     妄想や幻聴が、現れますから、
     世間一般の人が、事実と言われる知覚を、
     確信して、
     科学技術を、疑わないのも、
     当たり前かも、知れません。
 
     自覚していませんけれど、
     統合失調症の人のほうが、
     健常な人よりも、論理能力の高いのが、
     普通です。
 
精神の病気の人に、精神症状が現れるのは、
みんなと一緒のことができないので、
みんなに虐(いじ)められて、
共通の事実を、確信できないからです。
 
生まれ育った境遇や教育のせいかも、知れません。
生まれつきの、体の能力のせいも、あります。
最近の苦しい事情も、あるでしょう。
 
これこれでなければ、いけないとか、
これこれしか、あり得ないとかって、
変更不能になるのは、
特定の判断だけを、抽出することにより、
わざと変更不能にする知覚や進化の手法を、
理解できないからです。
 
普段から、色々な判断の仕組みを、知っていれば、
同音異義語を、簡単に識別することが、できます。
 
電線に止まっているカラスは、
1羽ずつ、違うでしょう?
でも、3羽が止まっていると、数えるのは、
共通点を見つけて、
同じであると、判断したからです。
 
同じカラスという言葉でも、一羽一羽のカラスと、
種類としての、カラスとは、意味が違います。
 
太陽も、そうなの。
種類としての太陽と、一人一人の心の太陽とは、
意味が違います。
 
わたしたちが、目で見て、手で触り、
耳で聞いて、知る事実は、一つ一つの意味ですか。
それとも、種類としての、意味ですか。
 
脳が、具体的な事実として、
感覚器官から、物事(ものごと)を知ったと、
思っているのは、種類としての意味のほうなの。
だから、複数の人の見た事実が、
同じ一つの事実として、一致します。
 
わたしたちが、個々の物と、思っていたのは、
種類としての概念であったと、わかれば、
フランス革命の個人主義や、
ヨーロッパの合理主義と言われる論理主義の意味も、
わかってきます。
古代インドの考え方が、ヨーロッパに伝わりました。
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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