英語でも、ラテン語の属名でも、
マグノリア magnolia ですけれど、
どの範囲の植物を、マグノリアと言うのかを、
同定するのは、結構、面倒臭いんです。
学名は、はっきりしていますけれど、
どこの民族でも、日常会話の言葉は、曖昧でして、
中国と日本の、植物の名前も、
たいていは、範囲が違いますから、
突き合わせるだけでも、簡単でありません。
泰山木(たいさんぼく)を、
日本語では、木蓮(もくれん)と、言いません。
辛夷(こぶし)や、朴(ほお)の木も、
木蓮でありません。
アメリカ合衆国では、みんな、マグノリアです。
マグノリアが、モクレン科の植物を、
指(さ)すようになったのは、
フランス人の植物学者の名前に因(ちな)み、
分類学上の属として、名付けられたのが、
最初ですから、
植物を表わす英語のマグノリアは、
ここ数百年の、新しい言葉です。
分類学のそれと、
たぶん、同じ範疇(はんちゅう)ですけれど、
泰山木(たいさんぼく)の原産地は、
アメリカ合衆国南部ですから、
インディアンの言葉を、今は使わないのでしょうか。
殺してしまったのかも、知れません。
オバマ大統領の身長は、185cmですけれど、
ヨーロッパ白人や、ナイル川上流の大地溝帯などの、
草原の民族は、背が高い。
ビリー・ホリデイ Billie Holiday は、
奇妙な果実の中で、
マグノリアの甘い香りに、うっとりしていると、
焼き肉の匂いがして、
ポプラの木に吊るされた血だらけの死体が、
風に揺らいでいるのを見る、
と歌いました。
飛び出した目玉を、カラスが突っついています。
マグノリア州と言えば、ミシシッピ州のことですが、
オバマ大統領は、背が高いので、
ポプラの木のほうが、よく似合うかも知れません。
わたしは、泰山木(たいさんぼく)の花を見ると、
ヨーロッパ白人の、エステティックな歴史を、
連想します。
すぐに、真っ白の花びらが折れて、
傷(いた)みやすく、茶色になり、
ぶら下がるように、汚くなります。
オバマ大統領のように、背が高ければ、
吊るされるのも、大変かも知れません。
わたしの若い頃は、
まだ、吊るされる黒人が、たくさんいました。
高度経済成長の頃に、日本人のほとんどは、
南アフリカに赴任しても、
現地の白人と同じように、黒人を軽蔑しました。
黒人は、掘っ立て小屋のような家に、
暮らしていましたから、
対等に付き合えるはずがないと、
日本人は、言うんです。
性転換医療って、
そういう社会を作る医療かも、知れません。
部落差別の発祥と、同じ道筋でないのかしら。
*** ***
目や耳や皮膚などの、感覚器官を経て、
いわゆる事実を、知覚する能力と、
数学や言語などの、論理能力とは、
だいたい、同じですので、
健常な人の、妄想や幻覚や支離滅裂などを、
わたしたちは、精神の病気の症状にしている、
と言われると、わかりにくいそうです。
中学1年生の、国語の読解力の問題や、
数学の初歩の問題を、解いてもらえば、
中学1年生と成人の、成績は、ほぼ同じですから、
大部分の平均的な成人は、
新聞の社会面の、火事や泥棒の記事を読んでも、
あらすじがわかりません。
論理能力は、歴然としていますので、
簡単に計測できますけれど、
健常な人の、論理能力が低いせいで、
目や耳や皮膚などから、知覚された事実が、
妄想や幻覚や支離滅裂などと、言われるのでしたら、
健常な人と人との間で、統合失調症のように、
事実が食い違い、話が通じないはずです。
どうして、健常な人たちの間では、
統合失調症のように、
病的な人間関係にならないのかと、疑問になります。
知覚された事実は、
超能力により、直接に、
他人に伝えられるので、ありません。
複数の人が、同じ事実を知覚したのか、
それとも、違う知覚の中身なのかは、
お互いに、照合しなければ、
だれにも、わかりません。
他人と同じ事実を、知覚したと、
確信するには、どうしても、他人と、
情報を交換しなければ、いけませんので、
みんなの事実の知覚って、
他人とのコミュニケーションを、
込めた意味です。
自分だけの事実を、
たくさん知っていると、
たぶん、精神病と言われます。
コミュニケーションには、合図や言葉や写真などの、
文化の産物と言われる道具を、
使わなければいけません。
目や手で、合図をすれば、道具を使わなくても、
直接に伝えられるような、気がしますが、
声帯の振動を使った言葉が、
代表的な文化の産物であるのと、同じように、
目や手を、直接に使った合図も、
文化的に、みんなに合意された約束事がなければ、
通じません。
この暗黙の約束事を、理解する能力が、
国語の読解力試験や、数学の初歩の問題などを、
解いてもらえば、
わりと簡単に、計測されますから、話は簡単です。
だって、暗黙の約束事を、理解する能力が、
論理能力ですから、
コミュニケーションの能力と、同じです。
目や耳や手を使い、知覚される事実って、
コミュニケーション込みの意味ですから、
事実を知覚する能力と、論理能力とは、
感覚器官の体の能力を、除外すれば、
同じに、決まっています。
論理能力を測られて、
火事や泥棒の記事の、
あらすじのわからない人たちが、
コミュニケーションをすれば、
事実や論理を、神棚に祭り上げるように、
事実や論理で、あろうがなかろうが、
事実や論理を奉(たてまつ)り、
ちゃんと、話が通じるのは、
哺乳類一般のコミュニケーションと、
同じ仕組です。
動物は、事実や論理を、標榜しませんが、
お題目は、何でも構いません。
その代表的な例が、裁判です。
法廷の議論や判決文の、
妄想や幻覚や支離滅裂は、
統合失調症よりも、桁違いにひどい。
わたしたちは、統合失調症の症状を、
妄想や幻覚や支離滅裂の度合いが、
平均的な国民の水準よりも、
著しく低いのでなければ、
その具体的な中身が、みんなと違うと、
知らなければいけません。
そのことを、
統合失調症は、知能が下がり、
みんなと一緒のことが、できなくなると、
言います。
精神の病気の、代表的な症状です。
コミュニケーションの原動力の、
権力が希薄になると、
さまざまな精神の病気に、なるかも知れません。
権力と言わずに、性欲と言う人もいますが、
インドヨーロッパの、仏教や進化論では、
同じ意味です。
性欲でしたら、動物にも通じますから、
フロイトだけでなく、
お釈迦さんやダーウィンも、満足でしょう。
権力と言えば、
アレクサンダーやナポレオンだけでなく、
スターリンやヒトラーや毛沢東やポルポトなども、
喜ぶかも知れません。
アレクサンダーの先生のアリストテレスは、
お医者さんの息子でしたので、
何事も、生態学的に目的論的に考えて、
スケベーでしたけれど、仏教や進化論などの、
インドヨーロッパ系の同類であることは、
一目瞭然です。
アレクサンダーは、
ソグディアナまで、行きましたが、
遺伝子を比べている人は、白人の発祥地であると、
言います。
インドのヒジュラを、持ち出すまでもなく、
性転換は、
典型的なインドヨーロッパ文化の、病気です。
タイやフィリピンや韓国の人たちが、
性転換を慕うのは、
日本が、黒船や原爆に負けたのと、同じ理由です。
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