譲葉(ゆずりは)の、雄株です。
新しい枝の根元に、赤い雄花序が、咲いています。
雄しべの葯袋が、赤い。
それでなくても、赤い葉柄が目立つのに、
一層、赤く見えます。
雌株の雌花序は、
丸い子房が、緑色なので、もっと緑っぽく見えます。
古い葉と、新しい葉の、交替する時期は、
譲葉(ゆずりは)の、名前の由来が、よくわかります。
学名は、Daphniphyllum macropodum です。
月桂樹になった妖精のダフネの、葉っぱに、似ているそうですが、
譲葉を見て、月桂樹の葉に似ていると思う人は、いません。
macro が、変な言葉で、地図の縮尺の大きいのは、
マクロでしょうか、それとも、マイクロやミクロでしょうか。
マクロ経済や、
コンピュータのプログラムを実行するマクロも、あります。
カメラの接写レンズって、
虫眼鏡みたいに、小さなものを大きく写しますが、
マクロと言います。
大きく見えるけれど、認識の対象は小さいから、ややこしい。
巨視的と、訳します。
顕微鏡で見るのを、ミクロと言いますが、どう違うのかしら。
大きさでなく、事実のような確かさも、それに似ています。
確かに見えるのに、
認識の対象は、嘘や間違いや虚像かも、知れません。
統合失調症は、認識の対象を、
言葉のように、
コミュニケーションのメディアとして、理解しますから、
宗教家向きです。
事実は、物事(ものごと)なのか、
それとも、コミュニケーションの手段や中身なのでしょうか。
コミュニケーションの、相手の意志を、
物体や、その変化として、認識すれば、
物理化学やエステティックなどと、言われますが、
コミュニケーションのメディアとして、認識すれば、
妄想や幻覚などと、言われて、
統合失調症やGID(性同一性障害)などの、
精神の病気と、言われるかも知れません。
マクロやミクロのように、見掛けと、背後のいわゆる実体とを、
二枚舌のように、使い分けるのは、脳味噌がしんどい。
事実ってのは、使い分けの一つの方法ですけれど、
乳幼児の頃から、習慣になっていると、
自動機械のように、認識されます。
躾(しつ)けが出来ていないと、
精神の病気になるかも知れませんが、
精神障害の親に、教育されたり、
本人に、体の障害があったりすると、
躾けられないことが、多いようです。
podum は、柄や軸です。
今頃の譲葉(ゆずりは)は、息を呑む美しさですが、
番茶も出花、鬼も十八と、言います。
*** ***
他人の意志は、
物体や、その変化などの、いわゆる事実から、類推するしか、
仕方ありませんけれど、
統合失調症や、GID(性同一性障害)などの、
精神の病気の人たちは、
事実って、言葉のように、
コミュニケーションの、メディアや中身であると、
思っているかも知れません。
どう違うのかしら。
精神の病気を、自我障害として、理解する人たちがいるように、
コミュニケーションの相手は、自分の意志かも、知れません。
そいつが、言葉のように、
コミュニケーションの、メディアや中身などとして、
物体やその変化などの、事実に見えるのですから、
もろに、妄想や幻覚と、言われます。
自我障害って、
自分や他人や神様や動物などの意志に、左右されない事実を、
認識することが、できません。
自我を、うまく認識できないのと、同じ意味ですけれど。
物体や、物体の変化として、
目で見たり、耳で聞いたり、手で触ったりして、知られる事実は、
すべて、言葉のように、
何者かとの、コミュニケーションの手段であり、中身であると、
統合失調症の人たちは、感じているようです。
自分の意志と、コミュニケーションをすれば、
ややこしいことに、なりません?
統合失調症では、
そのややこしいことが、症状として現れますから、
自分一人で、問題の解決を、
背負(しょ)い込んでいるようなものです。
わたしなら、自分一人だけの、責任にならないように、
みんなと一緒のことをして、知らん顔をしますけれど、
三島由紀夫って人は、切腹をしました。
ソチのオリンピックでは、
レジャー開発のせいで、ゴミ処理が追いつかずに、
巨大なゴミの山に、土を被せて、
目に見えないように、隠してしまいました。
大阪でも、鶴見緑地って、ゴミの山でしたけれど、
今は、とても奇麗な、緑の山に見えますから、
上手(うま)い方法です。
事実って、そうなの。
言葉のように、
みんなのコミュニケーションの、手段や中身なのに、
誰の意志にも、左右されない事実が、あるかのように、
みんなで理解します。
物理化学は、共通の時間や空間を、取り決めますから、
ゴミ処理問題が、人類発展の鍵であったと、わかります。
インダス文明は、燃料の樹木を、切り尽くしたので、
インド洋沿岸や、ソグディアナやペルシャやギリシャや、
ガンジス川などのほうに、移動しました。
ソグディアナって、
白人の発祥の地と、言われていますけれど、ほんとかしら。
アレキサンダーも、ソグディアナまで行って、満足したようです。
誰の意志にも、左右されない事実があるって、
思って置いたほうが、燃料やゴミの問題を、
自分一人で、背負(しょ)い込まなくても良く、便利です。
乳幼児の頃から、その便利さを享受するように、
躾(しつ)けられたほうが、得ですが、
なんらかの理由で、躾けられなかった人たちは、
精神の病気に、なるかも知れません。
自我障害ってやつが、出て来るの。
三島由紀夫氏のように、
自分一人で、問題を背負い込む羽目(はめ)になり、
切腹をしてしまいます。
脳味噌の中を見ても、
原因となる器質的な病変を、発見できませんから、
生まれつきの変更不能な、神経や化学物質の、
繋がり方やくっつき方のせいでなく、
親や体のせいで、躾(しつ)けられずに、
みんなと一緒のことが出来ずに、
虐(いじ)められたり、天才と言われたりして、孤立して、
自我障害が、顕著に現れるようになったのかも、知れません。
目で見たり、耳で聞いたり、手で触ったりして、
物体や、その変化として、知られる事実が、
言葉のように、コミュニケーションの手段や中身と、感じられ、
自分や他人の意志の現れと、理解されますので、
それが習慣になると、
自分だけの妄想を、実行しないように、我慢することが出来ずに、
自動機械のように、
自分だけの妄想の中身が、事実のように知られて、
幻聴と、言われるようになります。
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