ツクバネ 1389 みんなと一緒のことが出来なければ、性欲は?

衝羽根(つくばね)って、
衝羽根草(つくばねそう)や衝羽根空木(つくばねうつぎ)などを
思い出しますけれど、
写真は、ビャクダン科の衝羽根(つくばね)です。
 
ただの衝羽根(つくばね)と言えば、これ。
 
ビャクダン科は、
白檀(びゃくだん)や宿木(やどりぎ)も、寄生植物ですが、
自分で、葉緑素を生産して、光合成を行ないますので、
半寄生と言われます。
 
他の樹木の幹に、鳥の糞の中の、ねばねばの種(たね)がくっつき、
発芽します。
根を侵入させて、栄養を吸収しますが、
衝羽根(つくばね)は、他の樹木の根に、自分の根をくっつけます。
 
ビャクダン科なので、寄生植物かも知れないと、疑わなければ、
発見できなかったかも知れません。
 
自分の根が、他の植物の根を感知すると、
蛸(たこ)の吸盤みたいに変形して、
吸い付くように、抱き込み、栄養分を横取りします。
食い込むの。
 
地面の下と言っても、
枯葉や落葉が、ふかふかに積み重なった腐葉土の中ですので、
地上部分よりも、具合が良いのかも知れません。
性転換医療みたいに、スケベです。
 
落葉低木ですので、
冬には、葉が落ちて、衝羽根型の実だけが、目立ちます。
 
          ***          ***
 
いわゆる性転換の欠点は、体を壊すことが、端的ですが、
性ホルモンのせいで、体調不良になるだけでなく、
世代交代ができなくなり、同性愛や性転換などの、仲間内としか、
一緒に暮らせなくなりますので、孤立や自閉を進めて、
精神の病気を、悪化させる結果になります。
 
性ホルモン剤を使ったり、性転換手術を受けたりしても、
バレないのは、着衣の時だけです。
性器を見れば、すぐにバレますから、仲間内としか、暮らせません。
 
他人に、事実を言えませんから、
嘘に群がる浮動票のような人の中で、暮らします。
やくざや水商売や芸能関係の人生に、似ています。
 
GID(性同一性障害)の仲間って、
精神病院の中に、たむろする人たちにも、似ています。
類は友を呼ぶように集まり、
共食いをしなければ、生きて行けません。
 
患者さんや看護師やケースワーカや精神科医などと呼ばれるような、
なんとなく、情けない人たちです。
心って、雲をつかむ話ですから、
精神病院は、監禁するのでなければ、
気持良くさせているだけかも知れません。
 
GIDの仲間は、精神の病気に、たむろする人たちです。
 
昔は、牢屋に入る人と、牢屋の番人は、
似たような種類の人間として、扱われました。
やくざの親分さんが、十手を持ち、犯罪の捜査をしていました。
死体と、墓場の世話人は、仲間内でした。
お肉になる動物と、動物を屠殺したり、皮を剥いだりする人とは、
同類でした。
部落差別ってやつです。
 
今でも、インドのGID(性同一性障害)の人たちは、
自分たちのことを、ヒジュラと自称して、
高いカーストの生まれの人でも、
自分から、ダリットの身分に、落ちぶれて行きます。
 
ダリットって、カーストの仲間でない人たちですけれど、
何かの世襲の利権を、共有する血族の一員でない、ということです。
 
実際には、精神障害者や犯罪者などが、
生まれつきのカーストの習俗に、適応できなかったり、
除(の)け者にされたりして、落ちこぼれて、ダリットになります。
 
一般のカーストには、世襲の職業の利権が、くっついていますから、
大人しくしていれば、
失業による落ちこぼれは、ないのかも知れません。
 
ヒジュラと言われるGID(性同一性障害)の人たちは、
おもに精神障害のせいで、
自分から、ダリットに落ちこぼれて行きます。
なかには、犯罪のせいも、あるかも知れません。
 
ヒジュラって、イスラム教の聖遷の意味ですけれど、
モハメッドが、メッカのみんなに、虐(いじ)められたので、
アスクムやヤスリブに、逃げるように、引っ越しをしたことです。
 
一族郎党を連れていましたから、
中国共産党の長征みたいなものです。
ヒジュラの語源って、
インドの言葉なのか、セムハム系の言葉なのか、知りません。
 
紀元前から、紅海やアラビア湾沿岸を含めて、
インド洋沿岸の港町の経営は、インド人が行なっていました。
遺跡から、古代ローマの貨幣が、たくさん出て来ますので、
どこの言葉が、商業用語になっていたのかしら。
 
今でも、アラブのインド洋側の港町は、
アラビア人の町なのか、インド人の町なのか、
よくわからない風俗です。
 
モハメッドも、ラクダに跨(またが)り、
町から町へ、行商をする仕事でした。
販売の独占権が、一族にあります。
港で仕入れて、奥地へ運びますから、
タイの日本人町を作った山田長政と同じように、武装していました。
 
インドのヒジュラって、
生まれつきのカーストの仕来(しきた)りを、実行するのが、
精神的苦痛なの。
 
性別のせいであると、彼らは主張しますが、疑問です。
みんなと一緒のことができない種類の、精神の病気でも、
性欲が健常でしたら、同性愛やGIDのように、ならざるを得ません。
 
一般社会から見ると、性転換によって、孤立や自閉が進みますので、
性転換医療が、精神の病気を、悪化させる原因でないかと、
疑われます。
 
性転換をさせないように、圧力を掛ければ掛けるほど、
望み通りに、性転換をした時の、嬉しさが大きく、
性転換後の気持ち良さが、長持ちします。
 
いずれは、一時凌ぎの効果がなくなり、
精神の病気の進行が、目立つようになりますが、
だいたいは、10年間ぐらいが、性転換医療の賞味期限です。
 
それくらいの期間は、
GID(性同一性障害)や性転換を、話の種(たね)にして、
夢現(ゆめうつつ)のように、羽根(はね)を伸ばして、
遊び半分の気持ちで、過ごせます。
 
社会運動や文化運動の活動家になったような気持ちって、
悪くありません。
 
そのあとが問題なの。
性転換医療を受け始めて、10年を経過した後の生き方は、
狭い意味での精神病の、入り口付近の、精神障害です。
 
性転換医療を受けて、体を壊したことが、
一層、症状を、悪化させたのかも知れません。
いわゆる性転換手術が、上手(うま)く行かなかった人は、
精神症状の悪化が、早い。
 
夢破れた後(のち)の、残り滓(かす)のような人たちの間で、
たむろしていれば、まだ、ましです。
完全に孤立して、統合失調症になる人も、結構います。
 
それでも、本人は、性転換医療を受けて良かったと、
言うかも知れません。
催眠術と言うよりも、宗教的な確信に似ています。
 
みんなから離れて、閉鎖的な宗教に凝る人の、
何かにしがみつかなければ、不安でたまらない気持ちって、
精神科では治せないと、言われています。
 
藁(わら)をも、掴(つか)むとか、
藁にも、縋(すが)るとかと、言われる気持ち。
 
そうかと言って、精神科医が率先して、
患者さんを、性転換医療に突き落とすのも、極悪非道です。
 
美容外科と新興宗教の、どちらに引き渡すのが、
良い結果になるのか…
精神科で、ちゃんと最後まで責任を持つほうが、儲かると思います。
     
性転換をしたいとか、性ホルモン剤が欲しいとか、
診断書が欲しいとかって人たちは、
性別の問題が、悩ましく苦しいと、言います。
 
人間は、死ぬのでなければ、子孫を残すしか、
結末がありませんから、
死ぬのが嫌(いや)なら、子孫を残すのが嫌(いや)になっても、
不思議でありません。
個体を超えた社会的な価値が、負担になれば、そうなります。
 
鬱病と、言いますけれど、
そんなもん、統合失調症の人なんか、みんな、最初はそうです。
 
みんなと同じことをしていると、
損をして、虐(いじ)められる人は、
へそ曲がりになり、孤立して、鬱病になり、
やがて、妄想や幻覚が出て来ます。
 
本人は、気づきませんけれど、
他人が問えば、支離滅裂な答えが返ってきます。
しつこく問い詰めれば、妄想や幻覚が、洗い出されますけれど、
一般の人は、妄想や幻覚を、識別できません。
 
まさかと、思うかも知れませんけれど、
中学の国語の読解力試験や、数学の初歩の試験を受けても、
一般の成人は、中学生と同じくらいの成績しかとれません。
 
裁判員になり、因果関係を、合理的に判断したかのように、
確信するのは、妄想や幻覚と、同じ仕組みです。
 
裁判の判断って、妄想や幻覚なの。
中身は違うけれど、妄想や幻覚と、同じ判断の手順です。
自分一人だけが信じている事実と、みんなが信じている事実とは、
中身が違うように見えるだけです。
 
妄想や幻覚って、判断や認識の仕方でなく、
結果が、みんなと一緒でない、という意味なの。
GID(性同一性障害)は、性別が違うのでなく、男女不問です。
 
なんで、世間の人は、裁判を信じるのかしら。
判決文みたいな、数学の答えを出す奴がいたら、
0点にしてあげます。
 
プラトンの数学でなく、アリストテレスの物理化学でも、そう。
論理は、定義されなければ、正しくないのに、決まっています。
 
裁判は、一つの事件だけでも、
物凄い量の事実を、自分勝手に定義します。
あれだけの量を、みんなで定義するには、
100億年ぐらいは、かかりそう。
 
精神病の人の、認識の仕方と同じなの。
中身が違うだけですから、
裁判は、統合失調症の人の判断と、同じ手順です。
 
日本の裁判は、江戸時代から、キチガイを相手にしませんでした。
同類相憐れむのを、嫌(きら)いました。
これは、世界で一番早かったかも知れません。
日本人は、賢い。
 
人間は皆、死ぬ、って言えば、
経験を述べているのか、定義をしたのか、よくわかりません。
 
経験ですと、今までは、そうであっても、
明日からは、そうでないかも知れません。
自分の見た限りですから、見逃しが多く、信憑性は低い。
 
みんなで見て、今までは、そうであったと、言っても、
みんなの見た限りに過ぎませんから、信じられません。
 
定義なのかしら。
人間は皆、死んでもらうのなら、
生きていても、途中で切り上げて、死んだことにします。
定義は、絶対に正しいと、プラトンは言いました。
 
人間は皆、死ぬって、どう考えても、経験にすぎませんけれど、
裁判のように、定義に掏(す)り替えると、恐ろしい。
経験をしていなくても、経験をしたと言われて…
 
アリストテレスは、それをやれ、と言いました。
目で見て、耳で聞いて、手で触って知る事実の認識は、
それですから、裁判も、そうでなければいけません。
 
ただし、自分一人で、勝手に定義をするのでなく、
これは便利と、みんなが納得したものだけが、
みんなの定義になり、物理化学と言われます。
 
みんなの定義を組み合わせると、
みんなの認識する事実に、ちゃんと一致しますから、
科学技術と言われて、みんなの役に立ちます。
 
絶対に間違いなく、みんなの事実が認識されるように、
裁判は、公正に行なわれなければ、いけません。
 
でも、裁判の中身って、一生懸命、頭を働かせて、どう聞いても、
目で見て、手で触って知られる事実のようには、認識されません。
判決なんか、蛆虫(うじむし)みたいに、陰湿な文章です。
 
科学技術は、だれが見ても、間違いのない事実に見えます。
裁判が、科学技術よりも、
統合失調症の、妄想や幻覚や支離滅裂に近いことは、
火を見るよりも、明らかです。
 
あんなもんを信じていると、精神病院に放り込まれそうですので、
テレビニュースや新聞記事や文部科学省の教科書などと同じように、
眉に唾(つば)を塗(ぬ)らなければ、いけません。
 
時代が、ちょっと変われば、裁判官なんか、建物や観衆と一緒に、
全部纏めて、牢屋や精神病院に、ぶち込まれて、
コンクリートで、塗り込められます。
 
精神の病気の人たちが、類は友を呼ぶように、たむろして、
共食いをしている所が、裁判や性転換などの、社会の底辺です。
法律家や犯罪者やお医者さんや精神障害者などが、
年柄(ねんがら)年中、うろうろしています。
 
犯罪者と十手を持っている人って、同類なの。
精神病院にぶち込まれた患者さんと、ぶち込む精神科医も、
仲間内です。
性転換医療を見れば、言うまでもありません。
 
昔から、優生医療や、オウムのような宗教を、信じる人って、
蛆虫(うじむし)みたいに、悩ましい心に決まっています。
オウムの医療に、似ているの。
 
この人たちを治療するのが、難しい。
欧米が、やっていますから、
黒船と原爆に負けた日本は、楯を突けません。
 
鹿鳴館みたいに、欧米のお題目を、繰り返すあほが、
日本で一番強い。
原爆を落とされると、無抵抗ですから、これは効きました。
日本人は、心を失いました。
 
欧米の同性愛差別を見れば、
同性愛や性転換の運動が、支持されるのも、当たり前です。
 
日本でも、部落差別がひどかったので、
部落解放運動が、錦の御旗のように、勢いづくのは、当然でした。
 
医師や法律家や官僚に、被差別部落出身の人が、一杯いました。
1960年の、安保の時代から、
新左翼の運動に乗じて、部落解放運動が活発になりましたが、
錦の御旗を掲げる神戸のやくざが、
積極的に逮捕されるようになったのは、1990年頃です。
 
30年間、部落解放運動が、跋扈(ばっこ)しました。
1960年の、安保改定の時に、跳梁(ちょうりょう)したのは、
岸内閣が、関東のやくざを、動員したからなの。
神戸のやくざと、殺し合いをしていました。
 
そういう事情を、欧米の人は、知りません。
日本の人も、欧米の同性愛差別や、キリスト教の内部抗争を、
知りません。
 
原爆を落とされると、万事休すですから、
日本の性転換は、社会の底辺の、奴隷の性転換のようなものでした。

 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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