軍隊の素行に、その国の人の心が、よく現れるそうです。
軍事機密ですから、平時は見えません。
わたしの子供の頃は、男がお酒を飲むと、戦争の話ばかりでした。
命乞いをしたので、可哀想だった、という話。
人間は、虫けらでしたので、後始末も大変でした。
石油が足りなかったせいで、日本人は、少ししか殺しませんでした。
死体を燃やせなかったの。
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中学の国語の、読解力の問題を、成人が回答しても、
中学生と同じくらいの成績しか、取れません。
ちっとも、文章の論理を知る能力が、向上していません。
平均的な中学生の国語の能力って、
新聞の刑事事件の三面記事を読んでも、あらすじを理解できません。
どのような事件であり、
なぜ、嘘や間違いでなく、本当とされるのかを、
中学生は、読みません。
なぜ、犯人が誰それであると、新聞や警察は主張するのかを、
中学生は、気にかけません。
なぜ、犯人が自供したのかも、同様です。
人は、自分のやっていない犯罪を、簡単に自供します。
拷問を受ければ、当たり前ですけれど、
どうせ、体が痛いのは、精神的に苦しむことです。
指一本、触(ふ)れられなくても、精神的に苦しければ、同じです。
中学生や成人の、平均的な国語の能力と、
やっていない犯罪を、簡単に自供する人の能力とは、
同じであると、言われています。
話のあらすじを、理解できないから、
やっていないことを、自供します。
先々の成り行きを、予想したりや心配したりが、できません。
普通の人は、事実や論理を、認識できませんから、
精神病の症状と、ちっとも変わりません。
みんなと一緒であれば、病気と言われないだけです。
振り落とされたり、炙(あぶ)り出されたり、
燻(いぶ)し出されたりすれば、精神病の症状になりますが、
具体的な症状の有無にかかわらずに、
平均的な人の能力は、統合失調症と同じです。
その能力のせいで、発病します。
国語の読解力よりも、中学1年生の、数学の初歩の問題のほうが、
はっきりと、論理能力を把握できるかも知れません。
好き嫌いがありますので、国語と数学の、両方を試してみて下さい。
大人になっても、中学生よりも、論理能力は伸びません。
たぶん、1才ぐらいの時に、論理能力は完成していますけれど、
1才では、国語をよく使えませんので、計測が難しいようです。
1才でなく、誕生の時に、すでに論理能力は決まっていて、
エステティックと同じように、
転がり出た賽(さい)の目にすぎないと、言う人もいます。
やっぱり、美人って、生まれた時に、決まっているのかしら。
流行が変わったら、どうしよう。
他人の言うことは、他人の嘘や間違いかも知れませんので、
論理能力と、事実を識別する能力は、だいたい同じです。
1万人の一人一人に、間違いないかと、
詳しく問い質(ただす)すことは、できませんけれど、
1万人の他人が、口を揃えて、絶対に間違いないと、言っても、
わたしの判断と異なることが、普通にあります。
よほどの親しげな人でなければ、
暇(ひま)そうに答えてくれませんから、
数人の意見と、自分の意見とを、照合するのが、せいぜいです。
あとは、10人であろうが、1億人であろうが、中身のない人数なの。
コミュニケーションって、数人が限界かも知れません。
出版物やテレビやインターネットでも、
国語や数学が通じなければ、仕方ないもんね。
コミュニケーションって、通じれば良いのに、
どうして、国語の試験は、能力を測ると、言われるのかしら。
通じないのは、二人の間で、情報処理の手順が違う意味なのに、
能力の差の意味に、ちゃんと掏(す)り替えられます。
多数決でしたら、半数以上の受験者が、不正解になるのは、
問題を作った人のほうが、あほかもしれません。
数学の記号は、定義された意味でしか、使われません。
数(すう)は、マルペケ式で行くって、別に定義されていませんが、
コンピュータが、上手(うま)く役に立っていますから、
間違いないとされています。
アリストテレスの論理学では、
同一律や矛盾律や排中律などと、言われましたが、
数学やコンピュータや脳の神経のほうが、簡潔で、わかり易い。
19世紀に、進化論が主張されたのと、電信が実用化されたのと、
マルクスレーニン主義のような、弁証法が流行したのと、
精神医学が、脳の神経を見るようになったのは、
似たような歩調でした。
ぜんぶ、判断の、マルペケ式の枝分かれを、
殺し合いで擬(なぞら)えよう、という魂胆です。
生きるか死ぬか、っていうマルペケ式。
コンピュータや神経や数学や進化や遺伝などは、
ただの道具であると、ロマンティックな人たちは、考えました。
生命や宇宙は、何かの大切なことを実現するための、
道具であるそうです。
欧米人やインド人やエジプト人などは、宗教的でしたけれど、
わたしは、行き掛かりを変更できないだけの、
生命や宇宙と、思いますけれど…
言葉や数式が通じないのに、通じているって、錯覚するのは、
やることが同じだからです。
動物です。
中学1年生の、国語や数学の試験を受けても、
満点を取れないのですから、
新聞を読み、テレビニュースを聞き、裁判員になり、
井戸端会議をしても、話は通じません。
猫って、仲の良い猫は、何匹も、一緒に歩いています。
国語の点数が悪く、お互いに、話の意味が通じませんので、
相談をしません。
それなのに、仲が悪くなると、すぐに殺し合いをします。
人間や猫の、国語や数学の能力は、五十歩百歩ですので、
人間では、裁判をします。
判決や、法廷の問答を読めば、わかりますが、
学校の教科書と同じぐらいに、支離滅裂です。
猫の飼育を目論んでいますが、
猫って、監禁されなければ、すぐに行方不明になります。
わたしは、小学高学年の頃に、
大人は、何を仕込もうとしているのか、すごく疑問でした。
今もそうですが、教科書の中身は、統合失調症の妄想と同じです。
具体的な中身が違うだけで、判断の仕方が、同じなの。
定義したことでなければ、間違いのないことは、一つもありません。
事実は、定義したことでなければ、間違いに決まっているのに、
教科書は、事実であることがわかる、と言い、
したり顔や、どや顔です。
間違いである、という意味でなければ、
赤い花は赤いと、言っているだけなのに…
精神の病気の人って、それに気づきません。
目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実は、
人それぞれの、価値の通リに、認識されますから、
みんなの文化と言われる価値のプログラムを使えば、
みんなと同じ事実が見えるのは、当たり前です。
幾つかの価値を使い分ければ、幾つかの事実が見えるって、
自分で実験できるのに…
違う価値を持てば、違う事実が認識されますので、
変更可能な使い分けの一つが、変更不能になれば、
統合失調症の妄想や幻覚になるって、自分でわかります。
変な化学物質を使い、妄想や幻覚を経験するのと、似ていますが、
変なものを使わなくても、簡単に使い分けられて、
夢を見ても、簡単に目覚めるように、
自動的に、いつもの心に戻ることができます。
目覚めているのに、夢のような状態を、
長期間、意図的に持続できますので、
精神病未満の、GID(性同一性障害)や解離性障害などが、
変更不能になった心であると、わかります。
精神的ストレスが、変更不能の原因と思いますが…
復元力が失われるの。
いつもの目覚めた時の自分と、夢の中の自分とを、
使い分けるには、
両方を往(い)き来(き)するための、プログラムが必要です。
それがなければ、
いつもの自分や、夢の中の自分に、張り付いたままになり、
変更不能と言われるかも知れません。
両方を往来(おうらい)しながらも、無意識になれば、
目覚めた朝のように、ひとりでに、いつもの自分に戻るのでしたら、
変更不能と言われずに、復元力がある、と言われるかも知れません。
いつもの自分という安全地帯を確保したまま、
たくさんの夢のような自分に、足を伸ばします。
もしも、夢のほうが良ければ、そちらが、いつもの自分になり、
現実が変わります。
自分が、要領よく、現金に変わって行くには、
いつでも戻れる自分という安全地帯が、
確保されていなければ、いけません。
普通は、親や社会の庇護を受けて、
乳幼児の頃に、安全が保障されています。
いつもの自分と言われる心が、確保されるの。
これが、上手く行かないと、
自我障害と言われる精神の病気の、根本的な素質のようなものが、
出来てしまいます。
いつもの自分が、不安で恐ろしい夢のような心地(ここち)です。
統合失調症やGID(性同一性障害)の人の心には、
それが感じられます。
自分という安全地帯が、乳幼児期に確保されなかった。
境遇や経験のせいかも知れませんが、
いつもの自分と、夢のような自分とを、使い分けるプログラムに、
生まれつきの不備のある可能性も、否定できません。
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