竹藪 1284 進化論とコンピュータ

ただの竹藪で、すみません。
どうして、葉の色が、一本ずつ異なるのか、よくわかりません。
年齢かな。
 
竹藪の竹は、全部、地下茎で繋がっていますが、
1本の竹の寿命は、7~20年ぐらいです。
地下茎のほうも、部分ごとに、それくらいで枯れます。
 
花が咲けば、枯れますので、草に似ていますけれど、
普通は、群落の一部が花を付けて、一部が枯れるだけです。
 
部分的に、花を咲かせて枯れるのは、
何らかの理由で、生存条件の不規則な変化があったのでしょう。
 
花芽を形成するフロリゲン florigen と言われるホルモンは、
たいていの樹木や草花でしたら、
季節の変化が、生産のきっかけになります。
 
60~120年に一度、竹藪の全体が花を付けて、枯れる、
と言われていますが、
土壌の、特定の栄養素が、枯渇したり、
ウィルスや微生物のせいかも、知れません。
 
全体が弱っていたのでしょう。
 
笹(ささ)の花は、低い所に咲きますので、よくわかりますが、
竹(たけ)の花って、誰が、どういうふうに見るのでしょうか。
イネ科ですから、ありきたりの地味な花です。
 
竹や笹の群落が、部分的であろうが、全体であろうが、
花が咲いて枯れるのは、生理的な周期でありません。
 
地下茎を延ばして、栄養繁殖により、
永遠に群落が生き続けようとするのが、竹や笹の魂胆です。
 
不規則な生存条件の変化のせいで、花が咲きますので、
統計的に何十年に一度と割り出すのは、
生存環境の変化や、病原生物の繁殖などを、
見積もっているのでないのかしら。
 
         ***          ***
 
GID(性同一性障害)は、軽症の発達障害が基礎にあるんだけど、
発達障害にしても、その軽症にしても、
何を言っているのか、よくわからないところが、
そもそも、精神の病気の中でも、
GIDや拒食症や人格障害や鬱病や統合失調症などの、
原因や仕組みに物的証拠のない種類の特徴と、よく似ているの。
 
軽症って、普通学級での就学に支障をきたさない程度と、
思って下さい。
わたしは、そういう意味で、使っていますから。
 
支障をきたさなければ、いちゃもんを付けられませんから、
見逃されるのと、同じ結果になります。
 
学校運営の実用に、差し支えがなければ、
いちゃもんを付けられません。
 
軽症の人ほど、見逃されて、
後(のち)に、重症の精神障害になり易(やす)いのですけれど、
そんなことを言うのなら、健常な人が、一番軽症ですから、
一番重症になり易いのかと、問われると、その通リです。
 
なり易いのですけれど、なるとは限りません。
 
統合失調症でも、拒食症でも、GID(性同一性障害)でも、
わりと簡単に、目星をつけることが出来るように、
発達障害も、
普通学級でやって行けないのでないかと、心配される子って、
わりと簡単に、わかります。
 
みんなと一緒のことが、できないもんね。
統合失調症でも、拒食症でも、GIDでも、
みんなと一緒のことができなければ、
生活に困りますから、診断って、量と種類分けの問題です。
 
本人は困らないけれど、みんなが困るってのも、あります。
本人やみんなでなく、学校経営者や、親が困るってのも、あります。
 
量は、軽症か重症か、どれぐらいかってことですから、
これぐらいなら、まあ、普通学級でも大丈夫だろう、となれば、
発達障害でも、わりと軽症です。
バレたけれど、行けるって感じ。
 
もっと軽症になれば、いちゃもんが付きませんから、バレません。
普通は、発達障害と言われません。
 
仔細に観察をして、いろいろな種類の能力を、しつこく検査すれば、
みんなと一緒のことができない、という軽い程度の子のほうが、
後々(のちのち)に、悪い結果になりましたら、
確かに見逃されていた、ということになります。
 
統合失調症でも、拒食症でも、GID(性同一性障害)でも、
発達障害と、似たような要領です。
生活に支障をきたすことや、みんなと一緒にできないことの、
いわば、種類が違うだけです。
 
物的証拠のない精神障害の種類に、名付けられた病名って、
そういう観点で見る、という意味なの。
たいていは、いくつかの観点の組み合わせです。
 
どの人も、さまざまな観点によって、評価されますから、
その観点の組み合わせで見られれば、
みんなと一緒に出来ないって、はっきりするのでしたら、
その人は、その病名を、貰(もら)うことができます。
 
受診しなければ、貰えませんから、
お金を払えば貰える、ということです。
 
     みんなのすることの中でも、
     何が多数派で、何が少数派かって、
     時代や場所により、
     しょっちゅう、文化的な流行が変わりますから、
     何を指標にするかも、変わります。
     何を観点にするかってことね。
 
     一応、同じことを指標にする間は、同じ病名が付きます。
 
     統合失調症や発達障害なんて、
     名前の字面(じづら)だけでは、何を言っているのか、
     さっぱりわかりません。
 
     具体的に、指標になる観点の組み合わせが、
     診断基準として、人為的に決められています。
     他の観点の組み合わせと、競合しないように、
     便宜的に調整されています。
 
     なーんだ、みんなと一緒のことの出来ない奴を、
     篩(ふる)い落とすだけでないかと、
     思うかもしれませんけれど、
     見つけ出して、保護してあげなければ、
     みんなに虐(いじ)められて、殺されます。
     多勢に無勢ですから、たぶん勝てません。
 
     幼児の頃に、みんなと一緒に出来ない中身と、
     成人後に、出来ない中身とは、違います。
 
     幼児と成人では、
     個人に要求される能力の中身が違いますけれど、
     個人のほうも、幼児の頃に出来なかったのに、
     成人する頃に、できるようになっていたって、
     普通です。
 
     みんなと一緒に出来れば、いちゃんもんが付きません。
     幼児には、おしっこを洩らしていても、
     小学高学年になれば、大丈夫って子が、
     現在の総理大臣になっていても、不思議でありません。
 
     幼児の頃は、何事も、みんなと一緒にできたのに、
     成人後には、みんなと一緒に出来ないのも、普通です。
     昔は正常でしたのに、
     中年になってから、花粉症になる人って、
     一杯いるでしょう?
 
     年齢によって、変わるだけでありません。
 
     社会の文化が、ころころと変わりますから、
     その都度、だれでも、流行に適応しなければ、
     新たに、みんなと一緒にできないことが、
     次々に出て来ます。
 
     年寄りになれば、新しい流行に適応できないのは、
     当たり前です。
     体が動かなくなるだけでなく、
     脳味噌の性能も、低くなります。
 
流行は、みんなと一緒のことの出来ない奴を、見つけ出して、
振り落として、篩(ふる)い分けるために、
わざと、意味のない変化を、繰り返します。
 
スポーツやファッションや芸能などの、流行の中身は、
どのように具体的な中身でも、構いません。
 
無意味であればあるほど、文化的です。
人間に必須(ひっす)の、根本的な価値であると、主張して、
無意味な流行を振りかざすのは、
みんなと一緒にできないやつを、見つけ出して、
殺そうとする気持ちなの。
野蛮です。
 
生存に必要な価値と、無意味な流行とは、表現の違いですけれど、
わたしたちの文化に、無意味でないものは、ありません。
 
意味は、すべて定義なの。
こうなれば、必ずこうなるって、
これとあれを自分でくっつけたのに、自分で変更不能になります。
 
みんなの文化も、
みんながくっつけたのを、自分が、真似をしただけなのに、
変更不能になるのは、自分かも知れません。
 
言語の習得と同じです。
自分だけの、みんなに通じない言葉は、役に立たないだけでなく、
あほや妄想や支離滅裂などと言われて、間引かれます。
 
言葉って、定義なの。
これとあれとを、くっつけます。
 
わたしたちが、こうなれば、必ずこうなるって思うのは、
すべて定義なの。
 
定義でなければ、必ずって、言えません。
脳味噌の中の、こっちとあっちを、
電線や化学物質を使って、繋いだだけです。
 
わざわざ、定義するくらいに、絶対に変更しないぞって、
自分から、病的な気持ちになりますけれど、
みんなの定義は、変更不能になる病気の症状が、
みんなに蔓延します。
 
そうでない脳味噌の奴を見つけて、殺すのですから、
そりゃあ、みんなに普及します。
 
言葉による定義があるように、
科学技術は、事実によって定義をします。
 
物によって、定義をするようなものですけれど、
人間は、目が良いので、
だいたいは、見てくれによって、定義をします。
 
目に見えない物でも、電子顕微鏡や放射線などを使い、
目に見えるように、変換しますから、
やっぱり、見てくれによって、これとあれをくっつけます。
 
事実を定義するって、物の見てくれを定義しますから、
文学が、言葉によって定義するように、
科学技術が、物のよって定義するのは、
文学が、単語を組み合わせるように、
科学技術は、見てくれを組み合わせているって意味です。
 
言葉を使い、
定義を組み合わせて、コミュニケーションをするように、
科学技術は、
見てくれを組み合わせて、コミュニケーションをします。
  
現代は、物理化学や科学技術が、
昔の宗教のように、流行していますので、
見てくれの定義は、普及しやすく、
病気のように、猖獗(しょうけつ)しやすい傾向があります。
物的証拠を示せば、嫌(いや)な奴を、簡単に死刑にできます。
 
     目で見て、手で触って、耳で聞く事実は、
     みんなの文化と言われる価値を、表現したものです。
     事実の認識と言います。
 
     目や皮膚や耳などは、
     人間と人間の、コミュニケーションのための、器官です。
     人間と蝗(ばった)や、人間と海豚(いるか)では、
     価値が違いますので、事実も違います。
 
     人間の中でも、価値が違えば、事実が違います。
     目や皮膚や耳などは、価値を伝える器官ですから、
     感覚器官が同じでも、
     みんなと違う事実を認識するやつは、
     精神病と言われて、間引かれます。
     妄想や幻覚や支離滅裂などです。
 
     だから言っているのに…
     言葉や事実や感情などの、
     価値を表現するための、コミュニケーションの仕組みは、
     みんなと一緒であるか、そうでないかを、
     測るためであるって。
 
     みんなの文化的な言葉や事実や感情は、物差しなの。
 
     こいつは、みんなと一緒か、そうでないかを、
     測るために、
     わたしたちは、コミュニケーションをします。
     一人一人の言葉や事実や感情って、計測の結果なの。
 
     精神の病気の中でも、
     発達障害やGID(性同一性障害)や
     拒食症や統合失調症などの、
     原因や仕組みに物的証拠のない症状の組み合わせって、
     どのように、病気の量と種類を計測するかが、簡単です。
     目で見て、手で触り、耳で聞けば、すでに測っています。
 
     精神障害の症状って、変化するのが、当たり前ですから、
     統合失調症の人が、
     幼児の頃から、統合失調症の症状を出していることは、
     ほとんどありません。
 
     たいていは、幼児特有の、
     軽い発達障害の症状が出ています。
     GID(性同一性障害)も、そうなの。
     色気づく頃に、性別の症状が表れやすいものです。
 
     みんなと一緒の性別の行動が、できませんが、
     幼児の頃にも、幼児特有の性別の行動を、
     みんなと一緒に出来ないかも知れません。
 
人間だけでなく、動物は、
生れた時に、すでに、脳の情報処理の大部分が、
変更不能になっています。
 
情報処理って、コンピュータみたいに、こっちとあっちとを、
結びつけているだけです。
     
電線だけでなく、化学物質も、これとあれが、くっつきます。
電線や化学物質の、繋がり方やくっつき方が、
すでに変更不能になっています。
      
動物って、みんなと違う脳や体の仕組みの個体が、
これまでに殺されていますから、これまでに進化しています。
     
人間の近辺の動物を殺したのは、だいたい、人間です。
食べたの。
 
生物って、生殖をしますから、
みんなと一緒でなければ、生きて行けません。
普通は、お互いに生殖が出来なくなれば、
種(しゅ)が違うと、言います。
 
お互いに生殖のできる仲間でなければ、
殺して食べますから、合理的です。
憲法違反になりません。
豚や牛や鶏を食べるのは、生殖の出来ない相手だからでしょう?
 
仲間同士で生殖が出来なければ、絶滅しますから、
早い話が、近親相姦ができなければ、滅びます。
 
生物って、集団で生きますから、
仲間同士で共食いをするのも、違う種類と殺し合うのも、
自然環境に適応できないのも、似たような意味です。
生物って、物体から出来たので、物体の仲間です。
 
GIDの人は、健常な人間から見れば、
生殖のできる相手でありませんから、
性転換や性転換医療って、
人間と違う種類の、共食いに決まっています。
 
煮て食おうが、焼いて食おうが、憲法違反にならない、と言わずに、
性転換医療をするって、変(へん)ですけれど、巧妙です。
優生医療と言います。
 
ほんとは、健常者とGIDの人たちの、混血が幾らでもできますから、
生殖できるんです。
わざわざ生殖のできない方向へ、誘導して、隔離します。
 
水商売を隔離するのと、たいして違いません。
ラジオやテレビが普及すると、
堅気(かたぎ)と、芸能や歓楽や水商売との
境目(さかいめ)がなくなりますから、医療が柵を作ります。
 
お医者さんって、
序列を作り、階級を隔離して、飼育するのが、好きなの。
 
     商品に手をつけないだけでなく、
     GIDって、通貨かも知れません。
     欧米が大切にしているのなら、
     日本もGIDを大切にすれば、色々な物と交換できます。
 
     井上馨も、鹿鳴館のことを、そう言っていました。
     不平等条約を改正できるって。
 
     日本の性転換医療が、すんなりと支持されたのは、
     もちろん、欧米諸国の趨勢でしたから、
     日本だけが、孤立するわけに行きません。
 
     性転換医療を行なう医者が、役所や国会に訴えました。
     GIDの人の健康は、どうでもよろしい、という意味です。
     
     すでに、脳味噌の仕組みの違うやつは、
     その都度、みんなに殺されて来ましたから、
     現代人も、誕生した時に、だいたいの脳味噌の仕組みが、
     似たような個体ばかりです。
     
     変更不能でも、
     みんなと一緒のあほでしたら、苦になりません。
     とんでもなく苦しい個体は、あまり、生まれません。
     人類は皆、兄弟姉妹ですから。
 
     見た感じが、みんなと一緒の形の個体しか、
     長生きが出来ません。
     そうでない奴は、間引かれて来ましたから、
     生れた後も、同じことです。
 
     みんなと一緒に扱うのは、
     殺すのと、同じ意味になりますから、
     平等や公平って、便利です。
 
     みんなと一緒に扱ってやれば、
     勝手に虐(いじ)められて、殺されます。
     みんなと一緒にするのが、しんどいの。
 
     脳味噌の仕組みも、みんなと大幅に違う奴は、
     すぐに死にますから、苦しさも感じません。
 
     それでも、個体は、
     ちょっとずつ、みんなと違いますから、
     苦しさがわかるように、成長すれば、
     悶(もだ)え死んで行く個体も、たくさん出て来ます。
 
     人間の文化って、わざと、そうしているの。
     ちょっとの違いを捉えて、因縁をつけて殺します。
     銃口を突きつけられれば、
     嫌(いや)でも、みんなと一緒のことをするでしょう?
 
     ほんとは、頭をぶち抜かれれば、
     死ぬのって、ちっとも痛くも苦しくもないのに、
     わざわざ、死ぬのを想像するだけで、苦しくなるように、
     文化的なオナニーみたいに、教育してから、
     銃口を突きつけて、言うことを聞かせます。
 
     人間の文化って、ヒトラーよりも、桁違いに悪徳です。
     彼は、正直なので、跳ね上がったのかも知れません。
     
     わたしの若いころのインドって、
     飢餓や天然痘やコレラで亡くなった人たちが、
     ガンジスの河原で、燃やされていました。
 
     南のほうの、ポンディシェリの町では、
     イギリス人やフランス人が、
     インド人を飼育して、こき使うよりは、
     品種改良をして、肉質を改善すれば、
     人口問題と食糧問題が、一挙に解決すると、
     議論していました。
     
     ドイツ人やロシア人は、看護師で、
     イギリス人やフランス人は、
     お医者さんみたいに、進化していました。
 
     インド人や中国人や日本人は、精神科の患者さんかしら。
     GID(性同一性障害)やインドのヒジュラの人って、
     可哀想です。
 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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