オオバボダイジュの実 1223 事実って?

シナノキ科の菩提樹(ぼだいじゅ)って、
花序に、苞葉(ほうよう)が付きますので、すぐにわかります。
 
菩提樹 Tilia miqueliana は、日本に自生しませんが、
同属の大葉菩提樹(おおばぼだいじゅ) Tilia maximowicziana や、
級の木(しなのき) Tilia japonica などが、自生します。
 
お釈迦さんの菩提樹は、クワ科イチジク属の、
印度菩提樹(いんどぼだいじゅ) Ficus religiosa と
言われていますので、
シナノキ科の菩提樹とは、全然、違う種類の木です。
 
でも、葉っぱのハートの形が、似ています。
日本のお寺さんでは、菩提樹を植えて、
印度菩提樹の代わりとします。
 
ビハール州のブッダガヤの印度菩提樹は、
今も、挿し木で、育っているそうです。
この木の下で、お釈迦さんは、悟りを開きました。
 
インドに多い変人ですけれど、布教に成功したのは、
名門の血筋が、ものを言ったのかも知れません。
 
伝えられている説話は、たぶん、ほとんど嘘です。
城を構える一族の本家の跡取りと、言われているのは、
本当かも知れません。
 
昔の人は、血筋を重視しましたが、
お釈迦さんの考え方も、そうですから。
 
お釈迦さんとお医者さんって、なんとなく似ていると思いません?
 
        ***          ***
 
精神の病気って、判断や実行を、変更できなくなります。
合理的な思考や行動よりも、
常識的な生活や、みんなと一緒のことが、できなくなります。
 
部分的に、変(へん)な人って、普通ですけれど、
全部できないって、すごく奇妙です。
 
みんなと一緒のことを、しようとする気持ちが、
全然、無いかも知れません。
 
赤ちゃんや、死にかけの人や、眠っている人などは、
みんなと一緒なのかしら。
 
赤ちゃんは、大人と一緒のことが、できませんけれど、
赤ちゃんの時は、みんな、そうですから、みんなと一緒なの?
 
死にかけや、眠っている人も、そうですけれど、
法律に、これこれを守らなければいけないと、書かれてあれば、
わかりやすくて、良いかも知れません。
 
法律違反なら、牢屋に行きますけれど、
法律以外の文化に、違反ばっかりしていると、
たとえ法律違反でも、牢屋に入れてもらえないかも知れません。
福祉施設や精神病院に、ぶち込まれます。
 
法律って、みんな、違反しているのが、普通ですから、
ちゃんと、牢屋に行ける種類の法律違反と、
牢屋に入れてもらえない種類の法律違反と、
どうやって、区別するのかしら。
 
精神の病気でも、入院すれば治るのは、ほんの僅(わず)かです。
統合失調症ですと、急性期の興奮した症状は、
3週間から数ヶ月ぐらいで、治って来ます。
 
特に興奮していないのに、だんだんと妄想や幻覚だらけになり、
支離滅裂になって行くのは、あまり治りません。
どうして、そうなって行くのかも、わかりません。
 
アルツハイマーやピック病や、脳の血管障害や腫瘍や、
多発性硬化症や糖尿病みたいな病気のせいでしたら、
物的証拠が出て来ますから、
こいつと精神症状とが、関係あるって、わかります。
 
生まれつきの知的障害って、ほとんど、証拠が出ません。
統合失調症なんか、
医学部を卒業して、アメリカ合衆国に留学したのに、
知的障害と同じところまで、だんだんと進行して行きます。
 
自分は賢いって、記憶がありますから、
統合失調症のほうが、症状がひどくなり、厄介です。
どうして、だんだんと、あほになるのかが、わかりません。
 
統合失調症のお薬のせいで、あほになるのは、わかりますけれど、
悪さをするから、お薬を飲ませて、監禁して、大人しくさせないと、
仕方ありません。
 
どうして、学校で1番の成績になり、医学部に行った人が、
間抜けな悪さを、するのかしら。
 
手鏡の先生も、そうです。
東京大学って、一番偉い大学のくせに、手鏡です。
 
わたしも、学校のおトイレで、
ドアの下から、手鏡を入れられたことがありますから、
どうせ、悪いことをするやつは、東京大学に決まっています。
手配師みたいに、
人の割前(わりまえ)をピン撥ねして、生きているの。
 
精神的な理由から、道を外(はず)れただけなのかしら。
手鏡は、責任能力があると、されましたけれど、
それなら、統合失調症も責任能力があるのかしら。
 
脳味噌を探しても、原因や仕組みが、わかりません。
生まれつきの知的障害も、そうなの?
 
統合失調症や、生まれつきの知的障害って、
たくさんの人がいますけれど、 
昔は、脳味噌を切って、大人しくさせました。
ロボトミーって言います。
 
今は、お薬を使い、化学的に脳味噌を壊して、大人しくさせます。
性ホルモン剤も、そうなの。
 
自転車を漕いで、信号を無視して、歩行者にぶつかり、
死なせてしまったのに、止まらずに、逃げてしまった人がいるの。
 
捕まって、賠償をさせられて、ちゃんと服役をして、出て来てから、
ピック病って、わかりました。
脳味噌に、証拠が出たもんね。
 
ひき逃げ事件の中身と、それまでの御本人の生活習慣からして、
もしかしたら、事件は、ピック病のせいかも知れません。
 
アルツハイマーやピック病でしたら、責任能力が無いのかしら。
いきなり、症状がひどくなるのでなく、だんだんと進行します。
だんだんと、責任能力がなくなって行きます。
 
GID(性同一性障害)って、その途中かも知れませんけれど、
どこまで進行するかを、予測できません。
統合失調症や、手鏡も、そうですけれど、
脳や体に、物的証拠が見つかりませんから、
予測の根拠がありません。
 
     こういう考え方を、エステティックと言います。
     物理化学と同じ判断の手順です。
     目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実があれば、
     未来を予測できると、言います。
 
     これまでに、これこれならば、こうであったことは、
     これからも、そうであると、言います。
     宇宙や生物の、恒常性ってやつです。
 
     これまでに、そうでなかったことも、
     その理屈が、未来に適用されますので、
     未来は、こうであると、予測できます。
 
     これまでと同じことが、起こるのでなく、
     これまでの理屈が、未来にも適用されます。
     だんだんと、言い回しがひねくれて来て、
     文学と同じになります。
 
     エステティックが文学になると、
     数学や物理化学と、言われます。
     お化粧をするように、鉄や宇宙船などを作ることを、
     錬金術や科学技術などと、言います。
 
     事実がなく、定義だけでは、未来を予測できません。
     事実という物的証拠があれば、気持ちが強くなります。
     音声や映像でも、録音や録画ができます。
 
     韓国のES細胞や、東北の旧石器時代みたいに、
     物的証拠を示せば、偉い学者さんになれます。
     手鏡でも、良いかも知れません。
 
     物理化学の考え方って、
     電信や電話の出来た頃から、判断の手順がおかしいと、
     疑われるようになりました。
     エステティックと同じ判断を、崇(あが)めるのは、
     変(へん)であると。
 
     ドイツのカントって、
     エステティックな判断は、あほであると、言いましたが、
     その後のドイツ観念論は、
     ヘーゲルを経て、マルクスの唯物論になり、
     ソ連の、科学主義になりました。
 
     ソ連って、
     コンピュータに乗り遅れたので、潰れたでしょう?
     エステティックや物理化学の考え方は、おかしいって
     疑った人たちは、
     事実は嘘八百でないかと、指摘しました。
 
     人間は、定義だけで、未来を予測して、作っています。
     プラトンの考え方なの。
 
     彼は、この世界は幻影である、と言いました。
     デカルトやパスカルも、そうです。
     夢と、区別がつかないではないかと、指摘しました。
 
     物理化学は、
     アリストテレスの考え方が、イスラム諸国に伝わり、
     錬金術になりました。
     北アフリカやスペインを経由して、ヨーロッパに伝わり、
     物理化学になりました。
 
     デカルトやパスカルって、数学の人ですけれど、
     プラトンって、数学者でした。
     プラトニックな文学者も、数学が大好きです。
 
     事実なんか、嘘八百や夢かも知れませんけれど、
     嘘か本当かを、識別するのは、
     定義しかないと、言います。
 
     電信や電話って、
     こっちとあっちを、電線で繋ぐでしょう?
     電気を、空中に垂れ流しても、構いませんけれど、
     線路に流したほうが、確実です。
     自動車も、道路という線路を走リます。
 
     脳味噌の神経って、電線や線路や道路なの。
     こっちとあっちを繋ぐって、定義と同じ意味です。
 
     誕生した時に、
     大まかな電線が、すでに定義されています。
     ハードウェアと言われるプログラムです。
 
     ハードウェアの直通の線路がなくても、
     ソフトウェアのプログラムでは、
     直通の線路があるかのように、記述されます。
 
     別のプログラムを使い、
     本当は、こっちの線路から、あっちの線路に乗り換えて、
     3番目の駅で降りるって、翻訳されます。
 
     プログラムって、言語と同じですから、
     ハードウェアの
     神経の繋がり方や、化学物質のくっつき方も、
     文法と同じなの。
 
     事実は幻(まぼろし)である、というプラトンの説は、
     人間の判断の手順を、機械にやらせれば、
     はっきりするって、数学者たちは考えました。
 
     数学って、
     日常言語を使えば、便利に通じて、
     ちゃんと、間(ま)に合っている判断を、
     一々、数式に翻訳しませんでした。
 
     日常言語では、往生するような、面倒くさい判断だけを、
     算盤(そろばん)の玉を動かすように、
     数式を使って計算しました。
 
     算盤では、人間の判断の、僅かしか、代行できません。
     汎用性のある機械を作るには、
     日常言語のままでも、間(ま)に合っている判断を、
     数式や電線に、置き換えなければいけません。
 
     文字や音声のように、
     目で見て、手で触って、耳で聞いてわかる事実を、
     機械に入れたので、電信や電話になりました。
 
     事実でなく、判断のほうも、機械にさせれば、
     電話交換手が要(い)りませんけれど、
     文字や音声などの事実は、判断に決まっていますから、
     電信や電話は、すでにコンピュータの始まりでした。
 
     人間の脳味噌って、そうなの。
     こっちとあっちを、
     電線や化学物質を使って、くっつけると、
     賢いと、言われます。
 
     これとあれとは、同じ概念である、とするように、
     一つに纏めることって、定義ですけれど、
     体の部分と部分や、人と人とのコミュニケーションと、
     同じ理屈です。
 
     機械って、あほですから、
     人間の脳味噌の判断をやらせるには、持って来いです。
 
     賢い判断は、これとあれを、くっつけるような、
     あほな判断であるって、
     翻訳をして、機械に放り込みます。
 
     機械にやらせるために、
     数学はあほであると、翻訳しました。
     こういうのを、記号論理や数学基礎論などと、言います。
 
     今までの数学とは、違うことをしました。
     算盤(そろばん)と同じですけれど…
 
     言葉を使えば、間(ま)に合っていることを、
     わざわざ、数式に置き換えるような、
     面倒くさい作業を、行ないました。
 
     ラジオやテレビが出来た時には、
     数学や論理学や物理学などの、ほとんどの学者さんは、
     コンピュータの仕組みが、わかっていました。
 
     一般庶民はあほですから、
     実際にコンピュータが出来てから、わかりました。
     第二次世界大戦が終わった直後に、
     体育館ぐらいの大きさの、
     真空管を使ったコンピュータが出来たそうです。
 
脳味噌の判断の仕組みと同じなの。
判断の最大のものは、認識です。
目で見て、手で触って、耳で聞く事実ってのが、
一連の判断の結果ですけれど、認識と言われます。
 
みんなと同じ文化的な事実と言われる形式に変換しないと、
他人とコミュニケーションができません。
事実と言われる文化形式にするためのプログラムを実行して、
事実を認識します。
大部分は、誕生の前に、ハードウェアになっています。
 
データが、パチンコの玉のように流れて、
事実と言われる形に変換されますけれど、
データは、ただのパチンコの玉ですし、
流れ方は、
ハードウェアの化学物質や電線の、くっつき方や繋がり方や、
ソフトウェアの文化と言われるプログラムによって、決まります。
 
その流れ方が、事実です。
パチンコ玉というデータの、量や間隔や、打つ強さなどは、
どうなっているのかしら。
 
ソ連の科学主義の物理化学者は、
自然の世界があるので、わたしたちは、事実を認識するそうです。
正しい認識と、間違った認識が、あります。
人それぞれに、違う経験をするので、
人それぞれの知っている事実が、違います。
 
ソ連が潰れて、コンピュータが普及しました。
 
事実って、みんなと談合をするための、
コミュニケーションに必要な、共通の形式のようなものです。
 
一人一人の経験が異なり、知っている事実が違うのは、
みんなの離合集散や合従連衡のせいで、
たくさんの大小の集団が出来て、
つねに蠢(うごめ)いていますので、
個体が孤立することも、しょっちゅうであるってことなの。
 
自分一人だけしか知らない経験って、
一時的に孤立した、という意味です。
 
コンピュータやインターネットって、
みんなと一緒の規格に合わせなければ、孤立します。
弾(はじ)き飛ばされて、蹴られて、仲間に入れてもらえません。
 
規格に合っていれば、コンピュータの中って、
嘘八百や夢のようなものです。
嘘や夢を見破る仕組みが、ありません。
原理的に不可能です。
 
学校の先生でないのに、学校の先生であると、嘘をつくと、
どこそこの学校の先生の名簿に載っていないとか、
学校の先生なら、知っているはずのことを、知らないとかって、
言われます。
名簿や知識の規格に、一致しなければ、いけません。
 
規格がなけば、嘘八百や夢と、区別がつかないだけでなく、
規格に一致していれば、事実と、嘘八百や夢とは、識別されません。
 
ソ連の唯物論は、
コンピュータの中でしたら、嘘や夢と、区別がつかなくても、
現実の世界では、嘘や夢がバレると、考えました。
 
現実も、コンピュータと同じことなのに…
わたしたちの普段の判断の手順を再現したから、
コンピュータが出来ました。
 
事実って、みんなと談合をするための、規格や仕組みですけれど、
みんなと違うやつを、見つけるための、物差しです。
 
わたしたちは、自分だけの経験を、あまり人に言いません。
自分だけのことを、みんなに信じてもらうって、しんどいから。
信じてもらえなければ、殺されますから、言わないほうが無難です。
ありきたりの、信じてもらえそうなことしか、言いません。
 
事実って、信じてもらえそうなデータによって、出来ています。
社会は、事実によって、コミュニケーションをしています。
 
しんどくなれば、だんだんと孤立して行くのは、当たり前です。
みんなが離合集散して、合従連衡していますから、
殺し合いの帰趨を、見間違えてはいけません。
事実って、競馬の予想と、たいして変わりません。
 
判断は、未来の成り行きを、予測します。
予測の中身が、事実として認識されますから、
事実という規格を使ったコミュニケーションは、
こうあるべし、という価値観の、張り合いなの。
賭博みたいなものです。
 
うっかりと、事実を言ってはいけません。
他人の言う事実を聞けば、殺し合いの敵と味方が、わかります。
 
赤穂浪士の討ち入りの時に、合言葉を決めたでしょう?
山と言えば、川と答えるようなものです。
襖(ふすま)の向こうから、海と言われても、
そんな合言葉を、知らなければ、
跳び退(の)かなければいけません。
襖の向こうから、槍で突き刺されます。
 
事実って、合言葉なの。
みんなと一緒ですと、良いのですけれど、
自分だけの一回限り経験のない生き方なんて、ありません。
 
みんなと一緒でなければ、殺されますから、どうしよう?
相手と違うことは、黙っているのが、よろしい。
そうでなければ、説得しなければいけませんから、しんどい。
 
定期的に眠っても、気持ちが回復しなければ、病気です。
どうしても治らなければ、死にます。
 
事実の認識って、価値観ですから、善悪の意見と同じことなの。
精神科では、事実や善悪がわからなければ、
責任能力がないと、言われます。
 
要領よく、多数派にくっつくように、
狡賢く身を躱(かわ)すことが出来なくなれば、
精神の病気と言われます。
 
精神科の診断や鑑定って、やくざと、あまり変わりません。
治療をしているのか、殺しているのか、
精神病院を見れば、わかりますけれど、
似たような人たちばかりですから、動物園みたいなものです。
動物が動物を飼育するって、すごいでしょう?
当たり前ですけれど。
 
 
 

 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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