ハナショウブ 1203 脳の性別と、物理化学やコンピュータ

花菖蒲(はなしょうぶ)は、今が盛りです。
蛙の鳴き声が凄まじく、農薬を使わずに運営していました。
 
わたしは、素通りしただけですが、
人口8万の町に、議会があり、政党が争っていると聞き、
日本の平和を、実感しました。
 
こういう町が、関東平野に幾つあるのでしょうか。
牛久沼(うしくぬま)という池があり、
観光者を誘致しようとしています。
人が来ないので、息抜きには持って来いでした。
蒸し暑い日です。
 
よく整備されていますが、無料の公園は、大変でないのかしら。
牛久沼は、食べて、すぐに寝たので、牛になったお坊さんの話に、
由来しています。
入水(じゅすい)して、自殺しましたが、河童(かっぱ)になり、
草刈りの手伝いをして、暮らしました。
 
蛙の声は、牛蛙(うしがえる)です。
長閑(のどか)な日本が、心に滲(し)みました。
 
        ***          ***
 
 
日本では、マスコミが、いわゆる心の性別や、性転換などを、
良いことのように報道してから、
性転換を望む人たちが、急激に増えました。
 
心の性別って、文学的な表現ですけれど、
目玉の性別や、季節や都市や抽象語の性別なども、
行けるかも知れません。
 
インドヨーロッパ系の言語は、
単語と、その変化に、性別がありますから、
心の性別を問われると、
どこの民族の言語なのかと、聞き返さなければいけません。
 
あっちは、性別にこだわる社会です。
 
日本のマスコミは、脳の性別と言っていましたが、
日本の脳味噌に、性別はありません。
 
言葉によって、言い表される物事と、言葉とは違うって、
物理化学は言います。
 
わたしたちは、認識の中身しか、知りませんから、
表現に左右されないような、
認識の対象と言われる物事や世界などが、
独立して存在する、とするのは、唯物論の仮定にすぎません。
 
欧米の言葉には、性別がありますが、
言葉によって指し示されている認識の対象が、存在するのは、
仮定の話ですから、
認識の対象に、性別があると聞けば、
性別は、仮定の話なのか、それとも、認識の仕様の話なのかと、
追求したくなります。
 
言葉の性別は、認識の対象の話でなく、
言語学の話である、と言えば、また、ややこしくなります。
認識の対象が女性なら、言葉も女性に決まっていますから、
言語学の話だけでは、済みません。
 
決まっている、という定義の話は、
コンピュータや数学や論理学などの、仕組みの話と同じです。
 
心の性別って、
文学で食べて行こうとするマスコミの、得意技でした。
突っ込まれると、脳の性別と言いますから、
AIDS(えいず)みたいに、糞(くそ)ったれです。
 
欧米の脳の性別は、性ホルモンの調節という脳の機能の内の、
排卵を惹(ひきおこ)す LH(黄体形成ホルモン)や
GnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン) の、集中的な大量分泌が、
雌雄共通でなく、雌(めす)に特有であることと、
生まれつきの変更不能な行動の内の、
性交渉の体位という雌雄別々の自動行動とが、
人生の途中の、胎児の頃に、一緒に分化した脳の機能であることを、
言っています。
 
雌雄別々の遺伝子によって、雌雄別々の性腺が作られた後に、
雌雄別々の性ホルモンが作用して、雌雄別々に分化した機能ですが、
性ホルモンの調節のほとんどは、雌雄共通のプログラムによります。
一部の機能だけが、胎児の頃の、特定の途中の時期に、
雌雄別々になるように、分化しました。
 
同じものから、違うものが分化して行く仕組みが、
脳の場合の、性別に関しては、脳の性別と言われます。
 
人間は、嗅覚があほになり、
フェロモンに反応する能力が退化していますので、
性交渉の、生まれつきに変更不能な自動行動が、ほぼ皆無です。
本能的に、雌雄別々であった行動が、
文化的に、雌雄共通に進化しました。
 
こっちのほうは、脳の性別と言いません。
GID(性同一性障害)の人たちの言うには、
人それぞれの生き方や個性です。
 
男性が、パンチラを見ると、立つのは、
文化的なプログラムが作用していますので、
生まれつきでありません。
 
男女共通の文化的なプログラムにより、
男女の生殖器官の違いに応じた反応になっただけです。
 
脊髄で反射しますので、脳とは、また別ですが、
似たようなものです。
 
ちんちんは、脊髄に近いだけですから、
けっして、大脳のほうが、賢いのでありません。
目や鼻や耳は、大脳のほうが近いだけです。
 
食べればわかりますが、脳味噌は美味しくありませんから、
賢いわけがありません。
 
松島トモ子を食べようとしたライオンは、
頭の皮を剥(は)いだだけで、断念しました。
美味しくなかったそうです。
 
     組織や器官などの、雌雄別々の形の分化や、
     細胞の、雌雄別々の数などは、
     生まれつきの遺伝子の、
     雌雄別々のプログラムに従いますが、
     雌雄別々の生殖器官を形成してから、
     雌雄別々の性ホルモンを分泌します。
 
     性ホルモンの量を管理するプログラムは、雌雄共通です。
     生殖器の性差は、器質の違いですし、
     性ホルモンの管理は、雌雄共通のプログラムですので、
     脳の機能の性差は、ありません。 
 
     ところが、LH(黄体形成ホルモン)や
     GnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン)の、
     排卵直前のサージ分泌が、脳の機能の性差でないかと、
     疑われるようになりました。
     胎児期の途中に分化した違いです。
 
     いわゆる脳の性別は、
     生まれながらに変更不能な、脳の機能の性差を言います。
     一般的には、
     生まれながらの意味は、誕生の時を言います。
 
     でも、原因と結果の関係は、無限に繋がりますから、
     受精卵が出来た時を、生まれながらと言うのとは、
     どうせ、文学の違いでしかありません。
 
     何が原因であり、何が結果であるかって、
     選択のしようがないのに、
     特定の物事(ものごと)という名前をつけて、
     一区切りに切り出して、
     原因と結果の関係であると、表現するのは、
     もちろん、文学でしかありません。
 
     これこれの原因があれば、
     必ず、その結果が起こる、と言えるのも、
     定義でしか、あり得ませんから、
     数学や物理化学などは、文学の一種に決まっています。
 
     昔の人は、
     実際に目で見て、手で触って、耳で聞く認識が、
     文学を実行しているって、わかっていても、
     証明に往生しました。
 
     観念論とかって、言われたの。
     確率ってのが、あるでしょう?
 
     知能は、賢いって意味ですけれど、
     何を賢いと思うかって、人それぞれの勝手ですから、
     そんなもん、測れるわけがありません。
 
     でも、その人が、何を賢いと思っているかは、
     その人に尋ねれば、わかります。
     別の人が思っていることは、別の人に尋ねます。
 
     みんなが思っていることは、
     みんなに尋ねれば、わかります。
 
     何のことを、賢いと思うかって、
     人それぞれの勝手ですから、測れませんけれど、
     たくさんの人が、何を賢いと思っているかは、
     たくさんの人に聞けば良いのですから、
     みんなが賢いと思っていることに、
     どれくらいに一致しているかは、測ることができます。
 
     どれだけ多数派の思惑(おもわく)に近いかってことね。
 
     たくさんの人が賢いと思っていることに、
     一致することを実行する人は、
     たくさんの人から、賢いと言われます。
 
     知能検査って、それを測ろうとしますから、
     確率と同じ考え方です。
     
     これこれであれば、必ず、こうなるってのとは、
     違います。
     定義ではありませんけれど、
     世間の実態を表現しています。
 
     文学でも、こういう違いを表現できますけれど、
     やっぱり、誤解を招きます。
     数学や物理化学と、まったく同じ事情になります。
 
     電信や電話が、実用化されると、
     だれの目にも、
     物事(ものごと)の仕組みが見えて来ます。
     
     物理化学って、
     世間の実態を定義しているだけでないかと…
 
     世間の実態の、単に確率の高い所を、
     あたかも、必ずそうであるかのように、定義すれば、
     反対が少なく、役に立ちますから、
     賢い学者と、言われます。
     物理化学者って、狡賢(ずるがしこ)いだけでないかと。
 
     お医者さんがそうですから、
     物理化学者って、リトルドクターって感じです。
     お医者さんの医療は、軽蔑と嘲笑の実行であったと、
     GID(性同一性障害)の治癒した人たちは、述懐します。
 
     化学物質と言われる物は、
     均一な粒々(つぶつぶ)の組み合わせで出来ていて、
     くっつく力の量が変われば、組み合わせが変わり、
     組み合わせが変われば、全体の量が変わり、
     量が変わると、見掛けの質が変わるので、
     別の物質の名前に変えたほうが、便利です。
 
     力の量が、すべての物の原因ですから、
     化学物質の粒々(つぶつぶ)は、
     物の粒々でなく、力の粒々と言ったほうが、
     文学的にわかり易くなります。
 
     物は、この宇宙に、たった一個の空間という名前の、
     均一な物があるだけです。
 
     力の量が、空間を分割しています。
     分割の度合いや組み合わせが、
     力の量の変化によって、変わりますので、
     化学物質の粒々は、
     力の量を、文学的に表現していたと、わかります。
 
     電信や電話の事実と、化学の学説を合わせると、
     子供でしたら、そう思う羽目(はめ)になりますが、
     大人は、力(ちから)って、運動や変化の力でなく、
     定義の力でないかと、疑いたくなります。
 
     だって、力が粒なら、
     物理化学って、文学の一種に決まっているもん。
 
     力と定義は、同じことを言っているって、
     証明する方法があるかも知れません。
 
     数学や文学って、
     エステティックや物理化学などと同様に、
     これと、あれを、くっけつけますから、
     定義に決まっていますけれど、
     数学は、ほとんどが、日常言語により説明されて、
     ごく一部分だけが、数式によって表現されます。
 
     文学部分を、全部、数式や記号式にしてしまえば、
     全部文学と全部数学とが、同じであるって、
     簡単に確かめられます。
 
     全部文学は、日常語の世界です。
     プラトンとアリストテレス以来、
     物理化学は、数学に矛盾してはいけないと、
     定義されています。
 
     物理化学は、目で見て、手で触って、耳で聞く事実の、
     エステティックな認識の学問ですから、話は簡単です。
 
     全部数学にしてしまい、全部文学と一致すれば、
     目で見て、手で触って、耳で聞く事実の認識は、
     文学的な定義を実行しているって、わかります。
 
     全部を、数式や記号式にするのは、不可能ですけれど、
     電信や電話や化学物質の実験に、必要な程度に、
     数式や記号式に置き換えれば、充分です。
 
     今までは、日常言語で説明したほうが、
     簡単に納得できて、間違いなく他人に通じることを、
     わざわざ、数式や記号式に置き換える人は、
     いませんでした。
 
     今は違います。
     文学と、数学や物理化学は同じであり、
     事実の認識が、定義であることを確かめるために、
     人間の認識や判断を、
     電気や化学物質に、機械的に代行させます。
 
     機械に数学を放り込むために、数学の中の、
     日常言語でも間違いなく、納得して通じていたことまで、
     できるだけ多くを、
     わざわざ、数式や記号式などに、置き換えてしまいます。
 
     お金の計算や、
     戦争の実行や、暗号処理が、大変でしたので、
     人間の判断を、代行できる機械が、求められていました。
 
     産業革命は、人間の筋肉を代行しましたが、
     判断も、機械にさせなければ、
     人間は、しんどくて仕方ありません。
 
     数理論理学や記号論理学と言われる学問が起こり、
     ハードウェアのプログラムが設計されました。
 
     ラジオやテレビと言われる機械が作られ、
     第二次世界大戦の終結直後に、
     真空管を使ったコンピュータが作られました。
     体育館ぐらいの、大きさだったそうです。
 
     ラジオが出来た頃に、ほとんどの学者さんは、
     コンピュータの完成像を、頭に描いていました。
     わたしは、子供の頃に、実際にテレビの中を見て、
     脳味噌の仕組みが、初めてわかりました。
 
     あほですので、
     実物を見なければ、納得できませんでした。
     頭で想像しただけでは、
     嘘や間違いかも、知れないでしょう?
 
     テレビを見て、
     プラトンの言った通りであると、確信しました。
     この世の中は、プラトニックな文学と同じです。
     プラントンの数学は、間違いなく文学でした。
 
     実際に目で見て、手で触って、耳で聞いて、
     事実を知る認識が、定義の適用でした。
     行為は、定義の実行です。
 
     コンピュータと言われるハードウェアのプログラムが
     出来ましたので、
     あとは、文化と言われるソフトウェアのプログラムを、
     一般庶民が作ってくれるはずです。
 
     そうすると、個々のデータってのは、もちろん、
     個々の物体の存在や、個々の運動や変化などと、
     同じですから、
     力の変化によって、個々のデータが生成されますけれど、
     どうして、力は変化するのかしら。
 
     子供の頃のわたしには、わかりませんでした。
     力の変化って、文学的には、嘘と同じですから、
     プラトンは幻影と言いました。
     わたしはあほですから、
     機械の仕組みを見なければ、信じられません。
 
     手鏡の先生も、
     スカートをめくって見なければ、わからないと
     言いました。
      
     嘘をつく機械を、作らなければいけませんが、
     お医者さんって、それでないのかしら。
     お父さんは、わたしのことを、
     廃品回収業と言いましたが、
     わたしは、嘘をつく機械を作ったのかも知れません。
 
     本当は変化しないのに、変化しているように見えるのは、
     心の嘘であると、宗教家は言います。
     神様が嘘をついているようなものですけれど、
     心って、神様なので、精神って言うんでしょう?
 
脳の器質の、雌雄の違いによって、
男女の心の違いが説明できるなら、脳の性別と、言いません。
器質が違うせいで、機能が違うのは、当たり前だからです。
 
器質の違いによって、説明できないのに、
機能の違いがあれば、いかにも、心(こころ)っぽいでしょう?
 
生れた後でしたら、文化的なソフトウェアの違いによって、
男女の心の違いが、簡単に起こりますけれど、
胎児の頃に、機能の違いが出来たのでしたら、
少なくとも、受精卵以後の、
文化的なプログラムの違いでない可能性が、高くなります。
 
脳の性別って、そのことを言っています。
器質の違いのせいや、生れた後の文化の違いのせいでしたら、
ちっとも面白くありません。
 
マスコミは、脳の性別と、書いていましたけれど、
エステティックな見てくれ主義や、
物理化学の粒々(つぶつぶ)主義では、
上手(うま)く行かないことを、
お釈迦さんやキリストさんや、オウムの人たちは、考えました。
 
宗教って、とっくの昔に、左前(ひだりまえ)になっていますから、
焦(あせ)れば、サリンになるのも、仕方ありません。
 
エステティックの見てくれ主義や、物理化学の粒々主義って、
目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実から、
論理的に類推して、直接に知らないことを、知ろうとします。
 
論理的な類推って、定義にすぎないと、昔の人は考えました。
これと、あれを、結びつける根拠は、何もありません。
定義しかない、と言います。
 
みんなの定義の通りなら、事実と言われ、
自分勝手な定義でしたら、牢屋に入れられたり、
お薬によって、あほにされたりします。
 
みんなの言うことを聞かない奴を、捕まえて隔離しないと、
仕方ないでしょう?
みんなの定義って、文化と言われますが、
文化を適用する知性の機能を、認識と言います。
 
認識って、目で見て、手で触って、耳で聞き、
事実を知ることですけれど、
みんなの定義を適用するための、知性が働いた、ということです。
これがイカレると、精神の病気と言われます。
 
みんなの文化と言われる定義を適用するには、
実行と言われる機能もあります。
これだけがイカレると、犯罪と言われます。
 
生物の体って、たくさんの細胞から出来ていますけれど、
最初は、卵子と精子だけですから、増殖して、
異なる形や機能の細胞に、分化します。
 
どれぐらいの数に、増殖して、
どのように異なる細胞に分化するかって、
だいたいは、特定の化学物質の量によって決まります。
 
遺伝子と言われる種類の化学物質の組み合わせは、
細胞の増殖や分化のための、
さまざまな種類の、触媒や酵素などと言われる化学物質の生産に、
役立ちます。
触媒や酵素(こうそ)があると、
特定の化学物質が、くっついたり離れたりします。
 
同じ種類の化学物質って、
たくさんくっつくと、改名されて、別の化学物質と言われます。
くっつきかたが変わると、
組み合わせ方が変わり、くっつく量も変わります。
くっつき方や組み合わせ方って、
粒と粒が、どれくらいの力でくっついているかにより、
変わります。
 
くっつく力が強いと、
一つの粒のまわりに、10個ぐらいの粒がくっつきます。
弱いと、3つぐらいしか、くっつきません。
その違いから、粒々のくっつきかたの形が変わり、
たくさん集まった時の、全体の量の違いになり、
化学物質の名前の違いになります。
 
粒々主義って、
粒の量や組み合わせによって、たくさんの物質の種類ができると、
言います。
力の量によって、粒の量や組み合わせが決まりますから、
粒って、力の量のことです。
 
力の量が変われば、さまざまな種類の物ができるって、
さまざまな種類の細胞が分化する仕組みと、
ほとんど同じ考え方です。
 
力って、変化や運動をする力のことですから、
力という言葉を、時間や空間に置き換えても、
ほとんど同じ意味です。
そのことを論理と言いますから、
数学は、文学の一種に決まっているのですが…
 
わたしは、真空管のコンピュータの時代に育ちましたので、
ロケットを飛ばして、宇宙船の中で暮らすつもりでしたが、
うちの家系は、製鉄や化学工場や造船などをやっていましたので、
危ないと言われて、やらせてくれませんでした。
 
工場の中で、女子供(おんなこども)がロケットを飛ばすのは、
危険だと言うのです。
昔は、ロケットを飛ばすのって、男のちんちんの特権でした。
 
仕方ありませんので、ロケットや宇宙船が、コンピュータになり、
コンピュータが、細胞や生物になり、宇宙が、人間の体になって、
美味しくない脳味噌のスープになりました。
 
こういうのを、
14世紀の北アフリカの思想家の、イブン・ハルドゥーンは、
堕落と言いました。
わたしは、男女差別と思いますけれど…
 
日本って、FtM(female to male 女→男)が多いの。
男がだらしないと、FtMが増えます。
バブルからこっちの、日本の男どもの為体(ていたらく)は、
目に余ります。
不沈空母が、アルツハイマーに負けたせいですが、
戦争にならなかったのは、戦争の準備をしていなかったからです。
 
赤ちゃんを教育するのに、20年は、かかりますから、
兵力を揃えるのに、最低、30年は必要です。
たぶん、現代の日本は、その初めのほうにいます。
 
最近の子供は、
うんこの総理大臣みたいに、甘やかされて育っていますので、
すぐに、戦争をしようとして、我慢できません。
うんこを洩(も)らしてしまいます。
 
今のうちに、芽を摘(つ)んでおいたほうが良いのですが、
FtMは、ポン引きをする人が多くて…
困ったものです。
 
上手(うま)く摘んで、上手く育てるのが良いのですが、
性転換や総理大臣にしたのでは、あまり上手くありません。
母親って、赤ちゃんのオムツを取り替えるのが、仕事ですから、
GID(性同一性障害)や総理大臣の、うんこの世話が、
とても気になります。
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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