栗(くり)の雄花(おばな)の尾状(びじょう)花序と、
その1cmほど下に、2個の雌花(めばな)が付いています。
同じ花穂(かすい)です。
栗の葉の葉腋(ようえき)の芽が、栗の実のように丸いので、
櫟(くぬぎ)と、すぐに区別がつきます。
花が咲いていれば、栗の花序は立ち上がり、
櫟は垂れ下がりますので、間違うこともありません。
櫟は4月ですが、栗は今です。
花の咲いていない時期も、
遠くから、太い幹の樹皮を見ただけで、めったに、間違いません。
花の咲く1ヶ月も前から、蕾(つぼみ)の花序が出ていますし、
咲いてしまえば、実が成りますから、間違えるはずもありません。
櫟のどんぐりと、栗の毬々(いがいが)は、
違いが歴然としています。
今の子は、炭を使わないので、
真冬の樹皮の違いが、わからないらしく、説明に窮します。
落葉樹ですから、冬は丸裸です。
どんぐりや、毬(いが)が、落ちているのですが…
わたしは、火鉢や七輪の中の、櫟(くぬぎ)の炭の、樹皮の模様が、
文字通り、頭に焼き付いています。
寒い冬に、真っ赤に燃えた櫟の炭と、
睨(にら)めっこをしながら、手を炙(あぶ)りましたから、
忘れることが、できません。
葉は、そっくりですけれど、
栗の葉のぎざぎざは、鋸歯(きょし)が伸びているって、
わかります。
鋸歯の先端まで、葉緑素がありますので、緑色です。
櫟(くぬぎ)のぎざぎざは、
先端が、はっきりと黄色の針になっています。
葉は緑色ですが、櫟の針に、葉緑素はありません。
栗は女性的で、葉も平面的ですが、
櫟の葉は、裏表の方向に波打ち、男性的です。
このごろは、目の解像力が低下して、
人間の身包(みぐる)みを剥(は)がないと、
男女を、識別できないことが、よくあります。
*** ***
GID(性同一性障害)は、性別のことでない、と言えば、
男女差別も、性別のことでないのかと、問われます。
もちろん、性転換や男女差別は、エステティックのことです。
性別の事務の問題で、ありません。
だって、性別は、
遺伝子や性器や体や衣服などの、見てくれによって、
決まるんだもん。
とりあえずは、
戸籍の事務員を、退(の)けものにしても、構いません。
数学や法律などの、定義と言われる事務は、
算盤(そろばん)やコンピュータの、機械的な作業であっても、
人間や生物の判断のことでありません。
GIDの人たちは、脳の性別が、体の性別と異なる、と主張しますが、
証明されたことは、一度もありません。
性転換をしたいと思う気持ちや、男女差別に憤慨する気持ちなどは、
エステティックな判断の手順に、疑義があることから、起こります。
御本人たちは、気づいていないかも知れません。
黒人を、あほと言い、差別して奴隷にして殺したのは、
エステティックな判断であり、間違いであったのに、
GID(性同一性障害)の人たちは、
エステティックな判断を、少しも否定しようとしません。
体の性別が、これこれであるのを、正しいと、理解したうえで、
それと異なる心の性別があると、主張します。
物理化学のエステティックな認識が、
見てくれを差別して、黒人を殺す文化になったのを、
GID(性同一性障害)の人たちは、
むしろ、是認しているかのようです。
体の性別は、もちろん、見てくれの差別です。
見てくれが、
顔であろうが、裸の性器であろうが、性腺や染色体であろうが、
顕微鏡によって知られる遺伝子と言われる化学物質であろうが、
同じ理屈です。
男女の体の性別が、エステティックであるのは、明白です。
物理化学が、
そもそもエステティックを梃子(てこ)にした判断の手順なの。
GIDの人たちは、
エステティックな性別と異なる心の性別がある、と言い、
自分の体の、エステティックな生殖機能を、壊そうとしますので、
精神の病気と言われます。
黒人が、自分の心は白い、と言い、
美容外科を受診して、皮膚を漂白したり、削ったりするのは、
患者と医師の両方が、同じ精神の病気に決まっています。
フランス革命が、人種差別を批判したのは、
トマ・デュマの父親のような人の功績が大きかったのですが、
一般的には、植民地を獲得すれば、混血が生まれますから、
黒人の子供が生まれた時に、白人の親がしっかりと、
エステティックな差別は間違っているって、主張すれば、
人権宣言が、人種差別を否定したような成り行きも、あり得ました。
親や社会が、ぼんくらでしたら、
子供が皮膚を破壊する手術を望み、
性転換医療を行なう医師が、優生医療を実行することに、
なりかねません。
フランス革命って、エステティックな判断の間違いに、
気づいていませんでした。
父親が白人なのに、
ムラートと言われる黒人のクレオールが、たくさん生れましたから、
有力者の親の意見が、人権宣言に混入されただけです。
フランス革命は、エステティックな判断の、本家のようなものなの。
古代ギリシャ・ローマの、エステティックを受け継いでいますから、
フランスと同様に、エステティックを受け継いだイスラム諸国は、
ナイル川を遡(さかのぼ)り、奴隷狩りを行ない、
黒人奴隷を地中海沿岸諸国に売り捌(さば)きました。
奴隷にされたのは、南スーダンのディンカ民族の人たちが多く、
今でも、アラビア語には、
ディンカの女という言い回しが残っています。
奴隷のように、具合の良い女性の意味かしら。
後(のち)には、インド洋沿岸の港町から侵入して、
タンザニアやケニアの、草原の人たちも、大量に捕獲されました。
バラク・オバマというアメリカ合衆国の大統領をしていた人も、
父親が、ケニアのルオ民族でした。
南スーダンの国内にも、
結構たくさんの、ルオ民族の人たちが、暮らしていましたけれど、
わたしは、言葉が通じませんでしたので、よく知りませんでした。
ディンカ語とルオ語って、
一括りにされて、西ナイル語と言われますけれど、
顔や体の見てくれのエステティックや、生活様式なども、
よく似ていました。
オランダ人みたいに、牧畜と漁業の、とても背の高い人たちでした。
イスラム教徒が、
エステティックな古代ギリシャ文化を継承したので、
ナイル川上流地域と、中東や地中海を結ぶ奴隷貿易になりました。
イスラム社会では、今も、しつこく、
男女差別が、蔓延(はびこ)っています。
人種を差別するのと、女性を差別するのとは、
同じ判断の仕組みです。
人種も性別も、エステティックに識別されるからなの。
皮膚の色や、頭蓋骨の形であろうが、
性器の形や、性腺や染色体や、
遺伝子と言われる化学物質の形であろうが、いずれも、
個体の変更不能な、あるいは変更困難な、見てくれを分類して、
個体の価値を定義します。
古代ギリシャのエステティックな文化って、西のほうでは、
後々(のちのち)のフランス革命に受け継がれましたので、
現代の欧米や、その支配下の社会には、
美容外科やミスコンなどに代表される考え方が、
今も、刺青(いれずみ)のように残っています。
でも、エステティックの最大の継承者は、
イスラム教やフランス革命でありません。
男女差別や美容外科でありませんでした。
エステティックな判断の、最大の継承者は、数学と物理化学です。
これがわかっていない人は、哲学者のカントのように、
エステティックはあほであると、言いながら、
数学や物理化学を、信奉する羽目(はめ)になります。
ひいては、ソ連の共産主義のように、
科学主義を掲げることにもなります。
ほんとは、GID(性同一性障害)の原因って、
エステティックと物理化学と宗教ですが、
現代でも、数学やコンピュータや物理化学などの
判断の手順や仕組みのわからない人たちは、
学校の理数系の教科の成績が良かったのに、
ピラミッドの黄金比率がどうのこうのと、言い出したりします。
物理化学って、宗教と同じくらいに、あほなの。
オウムがサリンを撒くのと、黄金比率を信じて、
見てくれによって人を評価したり、殺したりって、
同じ判断の手順ですけれど、
もしかしたら、性転換医療を行なうお医者さんの知能では、
足りないかも知れません。
わたしは、あほなことを言うので、怒られますけれど、
同年令の人の中の、日本で一番の学力でも、まだ足りないとなれば、
たぶん、知能検査や学力検査は、あまり賢くなく、
人間の知能って、測れない、と思ったほうが、良いのでないかしら。
賢さや知能って、エステティックと同じ判断の手順なの。
価値と言いますけれど、
数学やコンピュータの判断の、成り立つ根拠が、まさに価値です。
価値って、定義にすぎないんですけれど、すみません。
これと、あれや、こっちとあっちが、くっつくのを、
一般には、事実と言いますけれど、
ほんとは、裁判と同じで、定義にすぎません。
くっつくのでなく、くっつけているの。
世代交代をするたびに、生まれつきに品種改良をされて、
変更不能になっているハードウェアのプログラムがありますから、
くっつく、と言うのが良いのか、
流行の変わる文化的なソフトウェアのプログラムもありますから、
くっつける、と言うのが良いのかは、
文学的なレトリックの問題です。
ハードウェアであれ、ソフトウェアであれ、
数学だけでなく、認識ってのが、定義の体系ですから、
数学と物理化学って、当然のように、ワンセットになります。
生身(なまみ)の人間の判断は、物理化学のように、
目や耳や手などを経た認識の手順が不可欠ですので、
エステティックにならざるを得ませんけれど、
数学の定義と同じことを、認識の仕方に使っています。
物理化学は、
実際に目で見て、手で触って、耳で聞くのを根拠にして、
そこから、数学みたいに、定義を伸ばして類推して行きますので、
所詮は、エステティックな判断に決まっているって、
4才ぐらいのわたしは、気分だけを自覚していました。
たぶん、生まれつきです。
10才ぐらいの時に、実際のエステティックな認識が、
そもそも定義にすぎないって、初めて気づきましたから、あほです。
変更不能なハードウェアであれ、変更可能なソフトウェアであれ、
何もかもが定義にすぎないのでしたら、元の木阿弥なのに…
色気づくと、元に戻るんです。
生殖って、ビッグバンと同じかしら。
女性はぐるぐる回りをして、男性は爆発します。
せっかく、数学やコンピュータなどの、機械の事務を除外したのに、
何もかもが自動機械の仕事にすぎないって言われると、どうしよう?
生物は、自動機械の仕事を、裏切れません。
哺乳類の、共通の感情って言われる機能に、故障があると、
鬱病と言われて、
人間特有の、知性と言われる機能に、故障があると、
統合失調症と言われるかも知れませんけれど、
人間の知性って、動物の感情の、下請けをしています。
ライオンは、シマウマを見ると、
追いかけて行って、食べるでしょう?
猫と同じですから、
白猫でも黒猫でも、鼠を獲るのが良いのに、決まっています。
人間の知性は、その下請けをしていますから、
エステティックな見てくれを知ると、
鉄砲を作り、車の運転免許を取り、不細工な奴を殺して食べます。
茨城県土浦市の荒川沖で、9人を殺傷して、死刑になった犯人も、
父親から、ライオンとシマウマの話を教えられましたが、
どうしようもできませんでした。
自動機械のような手順を裏切る方法って、
文化のほうにしか、ありませんけれど、
ちゃんと死刑にしていますから、
事件の後始末に至るまで、ライオンとシマウマの、
恍惚として、涎(よだれ)の垂れる関係から、
逃げられませんでした。
性転換医療の、患者さんとお医者さんの、
お肉の間柄(あいだがら)と、同じです。
わたしは、お魚が好きなので、
ぴちぴちの、飛び跳ねている鯵(あじ)や鰯(いわし)の頭をもぎ、
指を入れて、腸(はらわた)を奇麗に取り除き、骨を外すって、
子供の頃からの、毎日でした。
ライオンがシマウマを食べる気持ちも同じですから、
ピクピクと動いているほうが、美味しいのに決まっています。
酒鬼薔薇君や、池田小学校の犯人や、
宮崎君や、荒川沖や秋葉原の人たちは、
自分のほうが、お肉であることを、ちゃんと知っていたみたいなの。
マスコミや法律家や一般の人たちは、
人殺しの凶悪犯を、やっつけた積(つも)りでいますけれど、
韓国朝鮮って、弱そうでしたので、
日本に因縁をつけられて、侵略されたように、
みんなの文化のほうが、弱い奴を執拗に虐(いじ)めて、
お肉にしようとしました。
食べられているお肉が、痙攣をするように、暴れていただけなのに…
GID(性同一性障害)の性転換も、そうなの。
ぴちぴちしている患者さんのほうが美味(おい)しいと、
性転換医療を行なっているお医者さんたちは、申しております。
荒川沖の犯人は、ライオンとシマウマの話を、習いました。
ライオンのように、通り魔をやってのけた凶悪犯人であるって、
一般の人は理解します。
本人は、シマウマのように、食べられているお肉の気持ちでした。
GIDの患者さんたちは、
進歩的な文化の、活動家のような気持ちを、自覚します。
わたしには、食べられるお肉の気持ちを、
患者さんたちが錯覚しているように、見えます。
精神の病気と言いますけれど、
食べる側のお医者さんも、似たような病気でしたら、結構複雑です。
相互関係になりますから。
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