春(はる)の七草(ななくさ)の仏(ほとけ)の座(ざ)とは、
別物(べつもの)です。
物的証拠(ぶってきしょうこ)のある植物(しょくぶつ)の
名前(なまえ)でさえ、
時代(じだい)によって、全然(ぜんぜん)違(ちが)います。
証拠(しょうこ)のない言葉(ことば)の意味(いみ)は、
違(ちが)うものを、同(おな)じであるとする脳(のう)の
機能(きのう)がなければ、通(つう)じません。
論理(ろんり)と言(い)います。
春(はる)の七草(ななくさ)の、仏(ほとけ)の座(ざ)は、
現在(げんざい)の、
小鬼田平子(こおにたびらこ)と言(い)われています。
現在(げんざい)の仏(ほとけ)の座(ざ)は、
有毒(ゆうどく)ですから、
美味(おい)しさは、負(ま)けていますけれど、
生殖器(せいしょくき)の、
エステティックな姿容(すがたかたち)は、負(ま)けていません。
言葉(ことば)は、時代(じだい)や場所(ばしょ)によって、
意味(いみ)が異(こと)なるだけでなく、
人(ひと)によっても、大(おお)きく異(こと)なりますので、
どれほど違(ちが)っていても、同(おな)じであると、
翻訳(ほんやく)できない人(ひと)は、
知的障害(ちてきしょうがい)かも知(し)れません。
認識(にんしき)や実行(じっこう)は、
翻訳(ほんやく)の作業(さぎょう)をしていますけれど、
一般(いっぱん)には、コミュニケーションと言(い)われます。
動物(どうぶつ)の脳(のう)は、
コミュニケーションのための臓器(ぞうき)ですが、
端的(たんてき)には、
生殖(せいしょく)を制御(せいぎょ)しています。
植物(しょくぶつ)では、
脳(のう)がなくても、花(はな)が咲(さ)きますので、
動物(どうぶつ)は、
知的障害(ちてきしょうがい)かも知(し)れません。
お釈迦(しゃか)さんは、
愛欲(あいよく)や執着(しゅうちゃく)などと、
言(い)いました。
インドヨーロッパ系(けい)の人々(ひとびと)は、
粒々理論(つぶつぶりろん)で行(い)きますから、
くっつくことを、欲(よく)と言(い)います。
どれとどれを選(えら)び、同(おな)じである、とするかを、
判断(はんだん)と言(い)います。
お釈迦(しゃか)さんの判断(はんだん)は、
賢(かしこ)いそうですけれど、
ライオンやシマウマと、
お釈迦(しゃかさん)さんの感情(かんじょう)は、
たぶん、同(おな)じですから、
賢(かしこ)い愛欲(あいよく)って、あるのかしら。
仏(ほとけ)の座(ざ)が、そう言(い)っているかのように、
聞(き)こえました。
お釈迦(しゃか)さんのことを、
知的障害(ちてきしょうがい)とは、
言(い)っていませんでしたけれど…
シソ科(か)の唇形花冠(しんけいかかん)ですが、
花筒(かとう)が深(ふか)く、横(よこ)から見(み)ると、
お釈迦(しゃか)さんの立(た)ち姿(すがた)に
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