ミモザ 1121 数量や数字や数学のこと

銀葉(ぎんよう)アカシアのように、
小振(こぶ)りの複葉(ふくよう)ですが、
ちっとも銀(ぎん)のような質感(しつかん)でありませんでした。
 
柔(やわ)らかい緑色(みどりいろ)の葉(は)でしたが、
大(おお)きな複葉(ふくよう)の房(ふさ)アカシアでも
ありません。
 
オーストラリアには、
日本(にほん)で言(い)うミモザの類(るい)だけで、
300種(しゅ)ほどあります。
 
マメ科(か)の、黄色(きいろ)の
丸(まる)っこい花(はな)の咲(さ)く木(き)です。
 
日本人(にほんじん)には、
直観的(ちょっかんてき)に識別(しきべつ)できませんので、
同定(どうてい)が、面倒臭(めんどうくさ)くて…
 
人間(にんげん)の顔(かお)と同(おな)じです。
欧米人(おうべいじん)は、
東(ひがし)アジアの人間(にんげん)の個体(こたい)を、
顔(かお)によって識別(しきべつ)できません。
 
日本人(にほんじん)は、
欧米(おうべい)の、テレビや映画(えいが)を
見飽(みあ)きていますから、
白人(はくじん)でも、黒人(こくじん)でも、
欧米人(おうべいじん)の顔(かお)を
ちゃんと識別(しきべつ)できます。
 
あっちの人(ひと)は、
日本人(にほんじん)の顔(かお)が、
猿(さる)に見(み)えます。
生態学者(せいたいがくしゃ)でなければ、
個体(こたい)を識別(しきべつ)できません。
 
それと同(おな)じです。
オーストラリアに300種(しゅ)もあるミモザの花(はな)を
見(み)ても、
日本人(にほんじん)には、同定(どうてい)なんか、
どうでも良(よ)さそうに感(かん)じられます。
 
日本(にほん)では、アカシアと言(い)えば、
アカシア Acacia 属(ぞく)でなく、
ハリエンジュ Robinia 属(ぞく)の
ニセアカシア Robinia pseudoacacia を指(さ)します。
針槐(はりえんじゅ)の別名(べつめい)ですが…
 
面倒(めんどう)なことに、マメ科(か)には、
オジギソウ Mimosa 属 (ぞく)というのがあり、
ミモザ Mimosa と言(い)いますが、
房(ふさ)アカシアや、銀葉(ぎんよう)アカシアなどの、
日本(にほん)でミモザと言(い)われるアカシアは、
オジギソウ Mimosa 属 (ぞく)でなく、
アカシア Acacia 属(ぞく)です。
 
フランス人(じん)が、アカシア属(ぞく)を、
オジギソウ Mimosa 属 (ぞく)と間違(まちが)えて、
ミモザと呼んだのに、
日本人(にほんじん)が、猿真似(さるまね)をしました。
 
それなら、アカシア属(ぞく)を、金輪際(こんりんざい)、
ミモザと呼(よ)ばなければ良(よ)いのですが、
針槐(はりえんじゅ)を、ニセアカシアと呼(よ)ぶのは、
どうしてくれるのかと、文句(もんく)が出(で)ます。
 
ミモザは、
英語(えいご)の mimic と同(おな)じ語源(ごげん)の
ギリシャ語(ご)です。
 
模倣(もほう)する、偽物(にせもの)の、
物(もの)まね上手(じょうず)な人(ひと)などの、
動詞(どうし)や、形容詞(けいようし)や、名詞(めいし)などの
意味(いみ)があります。
 
オジギソウ Mimosa 属(ぞく)や
アカシア Acacia 属(ぞく)などの、ネムノキ亜科(あか)は、
風(かぜ)に吹(ふ)かれたり、触(ふ)れられたり、
暗(くら)くなったりすると、
葉(は)を閉(と)じて、項垂(うなだ)れます。
 
ミモザ Mimosa や、御辞儀草(おじぎそう)や、
合歓(ねむ)の木(き)などは、
それを言(い)い表(あらわ)しています。
 
アカシア Acacia は、
鋭(するど)く棘(とげ)のある、という意味(いみ)です。
 
ハリエンジュ Robinia 属(ぞく)は、
ヨーロッパに持(も)ち帰(かえ)ったフランス人(じん)の
名前(なまえ)ですが、
針槐(はりえんじゅ) Robinia pseudoacacia の
種小名(しゅしょうめい)の、pseudoacacia は、
アカシアに似(に)ている、という意味(いみ)です。
 
ニセアカシアという和名(わめい)は、
学名(がくめい)の直訳(ちょくやく)ですが、
日本では、アカシアと言(い)えば、
針槐(はりえんじゅ) Robinia pseudoacacia の、
ニセアカシアを指(さ)しますから、ややこしい。
 
人間(にんげん)も、猿(さる)と言(い)われますし、
もちろん、生物(せいぶつ)の一種(いっしゅ)ですが、
物(もの)の名前(なまえ)は、
人(ひと)や場所(ばしょ)や時代(じだい)とともに、
意味(いみ)が変(わ)わりますから、
言葉(ことば)は、
すべて、翻訳(ほんやく)されなければ、通(つう)じません。
 
じつは、認識(にんしき)や実行(じっこう)が、
すべての翻訳(ほんやく)の、
一般的(いっぱんてき)な手段(しゅだん)ですが…
 
黒(くろ)を白(しろ)と言(い)います。
 
鄧小平(とうしょうへい)という人(ひと)は、
黒猫(くろねこ)でも、白猫(しろねこ)でも、
鼠(ねずみ)を捕(と)る猫(ねこ)が、
良(よ)い猫(ねこ)であると、言(い)いました。
 
彼(かれ)は、身長(しんちょう)150cmの、
マルクス主義者(しゅぎしゃ)でしたから、
コンピュータの
記号論理学的(きごうろんりがくてき)な原理(げんり)を
よく知(し)っていました。
 
黒猫(くろねこ)や白猫(しろねこ)は、
たぶん、経済(けいざい)の話(はなし)でなく、
諸子百家(しょしひゃっか)の
名家(めいか)の論法(ろんぽう)です。
 
彼(かれ)は、エステティックな判断(はんだん)の非(ひ)を、
 
 
数学って、やっぱり、数や数式を扱うから、数学なのかしら。
英語の mathematics なんか、ギリシャ語まで遡(さかのぼ)ると、
数や数式の意味は、ほとんどありません。
 
ピュタゴラスって人が、
錬金術に、数(すう)を使ったそうですけれど、
わたしは、溶鉱炉の生まれですから、
錬金術なんか、数学を使っても、埒(らち)が明かないって、
知っています。
 
数式や化学式なんか、役所に提出する書類に、添付して置くと、
いかにも難しいことを、精密に計算して実行したかのように、
見えるでしょう?
 
ぜんぶ、嘘の数字と数式です。
役所に提出するのに、ほんとうのことを書く馬鹿がいますか。
 
事務的な虚仮威(こけおど)しなの。
政府の審議会の報告書みたいに、体裁を整えているだけです。
 
錬金術に、数学は要(い)らないのに、
ピュタゴラスって、錬金術をやっていたのでしょう?
 
三陸の津波でも、流されなかった木造民家は、
建物が浮き上がらないように、
基礎にしっかりと留(と)められていました。
 
ほとんどの民家は、基礎の鉄筋が無傷で残っているので、
水に浸かった時に、浮力のせいで、
木造部分が、すっぽりと真上(まうえ)に抜けてしまったの。
 
それを計算して、これこれの浮力に、これこれの金具が必要と、
答えを出して来る建築家もいます。
 
そんなもん、計算せんで、よろしい。
実際に三陸を見て、これぐらいなら大丈夫と、目分量でわかり、
試してみて、びくともしなければ、それでよろしい。
 
なんで、この計算式が正しく、計算結果がこれこれであるから、
この金具の使用が妥当であると、
書類に書かないといけないのかって、ただの事務に決まっています。
 
数学って、そのためにあるみたいなの。
物理化学の計算によって、超高層ビルが建つかのように、
錯覚している人もいます。
 
ピュタゴラスになるよりも、
宗教家になったほうが、良いかも知れません。
 
物事の判断を、煩瑣(はんさ)な事務に、変換しているだけです。
法律家が、それでしょう?
権力が猥雑(わいざつ)な事務を作り、法律家が告訴します。
被告人を弁護してくれる法律家もいますのです、
自作自演もいいとこです。
 
性同一性障害のための特例法を作った法律家や、
性転換医療を行なう医師たちのことを、
GID(性同一性障害)の人たちは、
自分たちの味方であると、確信していますから、
確かに精神の病気です。
 
間引いてくれて、ありがとうと、GIDの人たちは、涙を流します。
 
サッフォーは、レズでしたけれど、
ピュタゴラスって、ホモだったのかしら。
健常でしたら、古代ギリシャの男性は、ホモであったと
聞いていますが…
 
判断って、くっついたり、離れたりすることなの。
足し算と言えば、
掛け算だけでなく、引き算や割り算も含んでいますから、
判断って、二つの物事(ものごと)がくっつくことであると言えば、
離れることも含んでいます。
 
物事(ものごと)って、概念ですけれど、
生まれつきに、わたしたちは、時間や空間と言われる種類の概念を、
作ってしまいます。
 
時間や空間を、概念と言うと、怒られるのですけれど、
そういうくっつけ方の癖(くせ)があるの、生まれつきに。
 
神経が、こっちとあっちを繋(つな)いでいて、
化学物質が、くっついたり離れたりするようになっています。
 
脳の中という生物の体の、化学物質の変化ですから、
普通は、代謝(たいしゃ)と言います。
中学校の教科書に、載(の)っていたと思います。
 
神経の繋がり方や、代謝の仕方が、生まれつきに決っているから、
時間や空間という種類の、判断の仕方をします。
やっぱり、情報をくっつける手順ですから、
概念の作り方のことです。
 
あっちの情報とこっちの情報をくっつけて、
電気や化学物質などにして、
脳の中のどこそこへ持って行くという手順です。
 
情報って、判断される材料ですけれど、
何が情報であるかって、わたしは知りません。
 
感情も認識も実行も、時間や空間も、判断の種類ですから、
判断されないものを、知っているわけがありません。
判断される以前であるとさえも、言えません。
以前や以後って、時間と言われる判断の結果に決まっていますから。
 
コンピュータとそっくりでしょう?
コンピュータはあほですから、電気の足し算しか出来ませんけれど、
人間は、化学物質の足し算も使えるから、毛が三本多い。
人間の判断の真似(まね)をするように、
人間がコンピュータを作ったのですから、当たり前ですけれど…
 
人間は、賢いので疲れますけれど、
コンピュータはあほですから、疲れません。
数学者や算盤(そろばん)の先生みたいに、便利でしょう?
バレると怒られるから、内緒ですけれど。
 
コンピュータを作る前に、
人間の判断って、こういうものであるって、見極めることと、
コンピュータを設計することとは、ほとんど同じでした。
 
記号論理と言いますけれど、
数学は、どうして役に立つのかってのを、はっきりとさせます。
数学という判断は、何をしているのか、という意味です。
 
数字(すうじ)って、デジタルです。
10進法でなくて、2進法でも同じことですから、
マルペケ式の判断です、数学(すうがく)って。
 
足し算と、その組み合わせだけで出来ていますけれど、
こっちの足し算と、あっちの足し算を、また足して、
どれとどれを足したり引いたりするかっていう手順や組み合わせを、
数式が示しています。
 
足し算って、マルペケの仕訳(しわけ)を何度も重ねて、
分類して記憶することなの。
 
脳が、時間や空間の生まれつきの判断の仕方を利用するように、
時間的に並べる順番と、
空間的に移動させて、組み合わせて記憶することを、
コンピュータにさせています。
 
時間って、情報を、原因と結果のように、認識します。
空間って、物体として認識します。
これを利用して、論理的な概念を作り、仕訳して分類しますけれど、
論理的って、マルペケの判断の、順番と組み合わせです。
 
数字(すうじ)は、マルペケを表していますから、デジタルなの。
2進法も10進法も同じですけれど、
わたしたちが、日常的に使っているのは、10進法の表記です。
文字の一種ですから、マルペケと、同じような意味です。
 
物理化学は、数量化しますから、マルペケ式で行きます。
今日の気温という日常語が、
摂氏20度というマルペケ式に翻訳されます。
 
コンピュータが計算機であり、
数学の面倒臭いところを、コンピュータがやってくれるのは、
当たり前ですけれど、数学自身は、数量化できません。
 
摂氏20度は、簡単に2進法に翻訳できますが、
今日の気温と言われる無数の価値のうちの、
いずれの価値に賛同するかという価値観がなければ、
今日の気温から、摂氏20度を、抽出できません。
 
今日の気温を、摂氏20度というマルペケ式に翻訳するには、
特定の価値観の主張が必要です。
マルペケ式で表現した御本人が、それを自覚していなければ、
闇雲(やみくも)に、神さまを信じて拝むのと、同じです。
 
自覚するなんて、ほんとにできるのかしら。
人間の個体のする技(わざ)でないような気がするけれど…
  
数学者の人が、学問をやっていると、言うのは、
数量化できない部分を考えている、と言うのと、
ほとんど同じ意味です。
ピュタゴラスと同じで、暇人(ひまじん)のホモかも知れませんが、
神秘的な宗教家かも知れません。
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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