雛人形 1107 デカルトやパスカル

雛人形(ひなにんぎょう)は、宝塚(たからづか)みたいに、
女性(じょせい)が、男装(だんそう)をしますので、
FtM(female to male 女→男)かも知(し)れません。
 
お雛(ひな)さまや、宝塚(たからづか)は、
GID(性同一性障害、せいどういつせいしょうがい)で
ありませんが
GIDのFtMの、TV(トランスベスティズム , ティーブイ)って、
見(み)たことがありません。
 
宝塚(たからづか)の立役(たちやく)の感(かん)じの人(ひと)が、
性転換(せいてんか)を実行(じっこう)するかしら。
 
MtF(male to female 男→女)は、
行(い)きます。
TV(トランスベスティズム , ティーブイ)から、
たくさんたくさんの、
浜(はま)の真砂(まさご)のような男(おとこ)たちが、
性転換(せいてんかん)をして、消(き)えて行(い)きました。
 
見(み)てくれが、女(おんな)に似(に)ていると、
男(おとこ)は、いちころです。
軽(かる)く性転換(せいてんかん)まで行(い)きますから、
麻薬(まやく)のようなものかしら。
 
TV(トランスベスティズム , ティーブイ)は、
異性装(いせいそう)の趣味(しゅみ)です。
 
GIDは、異性(いせい)になりたくて、
異性(いせい)の性(せい)ホルモンや、
性腺(せいせん)の摘出(てきしゅつ)や、
性器(せいき)の整形手術(せいけいしゅじゅつ)などを
強(つよく)く望(のぞ)み、
生活(せいかつ)に、支障(ししょう)をきたします。
 
GIDは、正真正銘(しょうしんしょうめい)の
精神(せいしん)の病気(びょうき)です。
 
お酒(さけ)を飲(の)み過(す)ぎたせいで、
アルコール依存症(いぞんしょう)になるのでないかも
知(し)れません。
ダイエットをし過(す)ぎたせいで、
拒食症(きょしょくしょう)になるのでないかも
知(し)れません。
 
それらは、引(ひ)き金(がね)を弾(ひ)いただけかも
 
 
性転換をしたいと、強く望み、実行しようとする人たちは、
普通は、GID(性同一性障害)と、診断されます。
精神科の病名です。
 
性転換を望む理由が、口裏を合わせたように同じでして、
心と体の性別が、一致しないそうです。
 
この理由を考えたのが、
1960年代の性転換医療を行なっていたお医者さんたちです。
 
それまでの女装の人たちは、女の子として育てられたと、
口を揃(そろ)えて言いました。
真っ赤な嘘ですけれど、
どうせ夜の歓楽街ですから、問題ありませんでした。
 
患者さんたちは、
性ホルモン剤を使用して、手術をしてもらわなければ、
性転換と言われる状態になりませんので、
事実上、お医者さんたちが、こう言えと、誘導した通りのことを
訴えて、受診しました。
 
どうせ自前の生殖機能を壊すだけで、
性転換後の性別の生殖機能を作れるわけでありませんから、
ただの精神障害者の自傷行為です。
 
いわゆるブルーボーイ事件の、被告人のお医者さんの言い分が、
木に竹を接(つ)いだように、
白々(しらじら)しい代物(しろもの)でした。
 
明治時代の鹿鳴館みたいに、
欧米の猿真似(さるまね)を披露しましたが、
多民族社会の殺し合いの事情や、
日本にない同性愛差別の事情などは、無視されました。
 
日本人も、中国や朝鮮韓国との交渉になると、
南京大虐殺や従軍慰安婦やらの、
変(へん)な事件になりましたけれど、
民族が異なると、遺伝子の二重螺旋構造みたいに、
殺し合いや性交渉が、絡んで来るのが、当たり前です。
 
生物って、嫌(いや)な奴を殺して、好きな奴とつるむのが、
本能なの。
 
日本国内でも、戦国時代には、
織田信長や森蘭丸みたいな人と、殺し合いの乱痴気騒ぎとが、
能やお茶の、奥深い取り合わせであると、解釈されました。
 
性転換って、風流や幽玄かも知れません。
 
第二次世界大戦後の、欧米と日本の事情の、
違いのわからなかった日本人は、あほですけれど、
日本のおかまの人たちも、1960年代頃は、圧倒的多数が、
再び戦争になりそうだから、去勢はやめておこうと、
考えていました。
 
若い子は、性転換をして、ブルーボーイと呼ばれましたが、
そのへんの事情を、
被告人のお医者さんは、わざと無視をして弁解しました。
裁判官も、ころっとイカレましたので、
日本人は、相当にあほでした。
 
ご丁寧にも、最近の日本には
GID(性同一性障害)のための特例法という法律があり、
生殖機能を壊して、性器の美容整形手術を行なえば、
戸籍の性別を変更してやると、書いてあります。
 
生殖機能の破壊は、
性腺の摘出でも、望みの性別の性ホルモン剤の使用でも、
どちらでも行なえますけれど、
せっかく、性器の手術を受けるのですから、
たいていの人は、性腺を摘出します。
セット料金なの。
 
望みの性別の性ホルモン剤を使用しなければ、
女は毛だらけになりませんし、男の顔もぽっちゃりと変形しません。
 
性器の美容整形手術って、FtM(female to male 女→男)でしたら、
ちんちんを作ることですけれど、
1cmぎりぎりの、小指の先みたいに可愛らしいのを作り、
子宮を摘出して、膣を閉じて、
ちんちんから、おしっこが出るようにしただけでも、
性腺の機能がダメになっていて、回復不能なら、
性転換をしたことになります。
 
性分化疾患の人の、男女を識別するときに、
性腺の具合や、性器の見かけや、染色体などを、目安にしますから、
それに準じています。
 
ちんちんを作るのは、難しいので、男女の真ん中ぐらいですと、
昔は女の子にしておかなければ、仕方ありませんでしたが、
男の子のほうを選択した親御さんもいました。
 
立ちしょんべんが出来れば、なんとか行けますので…
性分化疾患って、昔の半陰陽と言われていた人たちです。
 
MtF(male to female 男→女)の性器の手術って、
ちんちんをチョン切り、皮や袋を使い、膣とその近辺を作ります。
これは簡単です。
 
ようするに、性腺の機能と、立ちしょんべんが、
日常生活には、大切な性別なの。
 
歓楽街のおかまの人たちが、性転換をしたいって言い出したのは、
お医者さんが、性ホルモン剤や外科手術のことを、吹聴したからです。
おかまの人たちは、半陰陽の病気や治療のことを、
何も知りませんでした。
 
男娼(だんしょう)や、
TV(トランスベスティズム , ティーブイ)や、
TG(トランスジェンダー , ティージー)などの人たちに、
心と体の性別が不一致である、というスローガンを言わせたのも、
性転換医療を行なうお医者さんたちでした。
 
昔の労働組合の春闘であるまいし…
 
精神障害者に対する優生医療ですから、お医者さんの保身のために、
患者さんが自分から、いわゆる心の性別を訴えるように、
お医者さんたちが仕向けたの。
 
GID(性同一性障害)という病名を作り、
診断基準を作ったのも、そうですけれど、
GIDのための特例法という法律も、
患者さんためでなく、お医者さんのためです。
性転換をした患者さんたちの戸籍の性別を変更しなければ、
MtF(male to female 男→女)の人は、
売春を行なうのに決まっています。
 
もともと、歓楽街にたむろして、女装遊びに興じていた人たちが、
性転換をするにようになったのですから、当たり前です。
 
性転換医療を行なったお医者さんたちの責任が問われるでしょう?
そうならないように、お医者さんや、法律家や、学者さんなどが、
美味(うま)い汁を吸っただけです。
 
だれも、精神障害者の苦しみや人生のことなんか、考えていません。
精神障害者を利用して、いかに儲けるかを、みんなで考えました。
 
だって、頭がイカレると、どうしようもないでしょう?
統合失調症の患者さんのことを、一生懸命、考えてあげても、
たぶん、あまり良い結果になりません。
人間って、頭が中心なんだから、仕方ありません。
 
患者さんたちは、GID(性同一性障害)は精神障害でないとか、
性転換をしたい気持ちは、精神の病気でないとかって、言います。
 
統合失調症の人も、
自分は精神の病気でないと、思っていますけれど、
こういうのを、病識がないと言います。
発達障害や認知障害や人格障害などにも、
病識のない人が、たくさんいます。
 
性転換医療では、自分は精神の病気でないと言う人が、
自分から、精神科を受診して、
性転換をしたいとか、ホルモンをしたいとか、診断書をくれとかと、
訴えます。
 
精神障害や、精神の病気でないと言いながら、
健康保険の適用を主張しますから、
性転換って、妊娠や予防接種と同じなのかしら。
 
統合失調症の人って、自分は精神病でないと言って抵抗しても、
意識のない人みたいに、判断能力がないとされますから、
誰かが本人の意思を代行してあげないと、仕方ありません。
 
GIDも、夢現(ゆめうつつ)のような精神状態かも知れないの。
むしろ、性転換医療を受けることによって、そうなりますから、
病気の治療でなく、病気を作っているのかも知れません。
 
朝、目が覚めたばかりの時に、お茶を飲むと、
湯のみが、手から滑り落ちて、寝惚(ねとぼ)けているんだろうと、
みんなに笑われます。
 
性転換医療が、それを作り出したのに、医者が笑います。
頭の足りない患者さんに、治療をしているって、
医師は思っていますけれど、
ほんとは、性転換医療が、知的障害に似た症状を作りました。
色ボケってやつね。
 
何よりも、GID(性同一性障害)って、
性転換医療を行なっているお医者さんが、
オウムのお医者さんのように、イカレています。
社会に適応できない人たち同士が、
お医者さんと患者さんに分かれて、共食いをしているのでないかと、
疑われます。
 
お医者さんのほうにも、夜の歓楽街にたむろしているような、
ならず者やあほが多かったみたいなの。
 
そう言えば、昔の赤線で、売春婦の堕胎をやっていた連中も、
箸にも棒にも掛からん医者が多くて、困りました。
 
     ほんとは、人間って、
     賢い判断のできる特別な能力を、持っているわけが
     ありません。
 
     単細胞のばい菌の判断を、複雑にしただけです。
     記憶しているから、新しい判断を付け足して行くと、
     複雑になります。
 
     牛が、いつも反芻(はんすう)をしているみたいに、
     朝から晩まで、そればっかりやっています。
 
     こっちの情報と、あっちの情報を、
     くっつけたり、離したりしているだけですから、
     判断って、レッテル貼りと仕訳(しわけ)です。
     賢いも、へったくれも、ありません。
 
     物理化学は粒々(つぶつぶ)で行きますから、
     算盤(そろばん)の玉みたいなものでしょう?
 
     情報処理って、足し算や引き算と同じですけれど、
     算盤の玉を、くっつけたり、離したりします。
 
     別に、玉々(たまたま)のようなデジタルでなくて、
     光の影のように、無断階的に変化するアナログでも、
     同じですけれど…
     
     玉を動かして、くっつけたり離したりするように、
     影を動かして、変形させるのが、足し算なの。
     足し算も引き算も、原理は同じですけれど、
     神経って、あっちとこっちを、くっつけますし、
     化学物質も、くっついたり離れたりします。
 
     アリストテレスって人は、
     くっついたり離れたりする力(ちから)があるって、
     考えました。
     エネルギーや能力と、言われるやつです。
     
     物理化学は、
     粒々(つぶつぶ)に、種類があると、言います。
     算盤(そろばん)の玉にも、
     上と下の段の、二種類がありますけれど、
     エネルギーにも、何種類かがある、と言うの。
 
     どこをくっけて、どこを離すかって、
     組み合わせのことですけれど、空間と言われる方法です。
     くっつけたり、離したりする順番のことを、
     時間と言います。
 
     くっつけるのと離れるのとの、組み合わせや順番と、
     何種類かの力や粒々(つぶつぶ)とで、
     世界の何もかもを、説明しようとします。
 
     そういうふうに説明するのは、論理ですけれど、
     生物では、
     コミュニケーションと言われる翻訳と同じですから、
     こんなに文化的なことはありません。
 
     人と人との認識の中身が、違っていても同じであると、
     定義します。
     そうしなければ、殺し合いになるので、翻訳をします。
 
     好きな奴と、コミュニケーションをして、
     生殖をしますけれど、嫌(いや)な奴を殺しますから、
     有性生殖なんていう屁理屈(へりくつ)は、
     最近の駄洒落(だじゃれ)のようなものです。
 
     社会って、
     同性愛でなければ、殺すのが本当かも知れません。
     織田信長や森蘭丸の時代も、そうでした。
 
     翻訳の原理は、同じ時間と空間なら、
     認識の中身は、何が何でも、同じってことです。
 
     時間や空間の仕組みは、生まれつきの神経や代謝の、
     繋(つな)がり方やくっつき方のことですけれど、
     みんなと違う奴は、間引かれて殺されますから、
     物理化学は、生殖本能と言われるくらいに、
     スケベです。
 
     アリストテレスは、生物の本能を見て、
     自然を解釈しました。
     
     GID(性同一性障害)だけでなく、
     脳を見ても原因のわからん種類の精神の病気って、
     エステティックと物理化学と宗教が、
     原因のようなものですが…
     
     心理学は文学であるって言われると、
     心理学者の人は、怒るでしょう?
     物理化学や数学の人も、文学って言われると、
     怒るんです。
     科学技術を否定するのかと。
 
     役に立たないごみを作ると、怒られますから、
     実行も、認識と同じ仕組みなのに…
 
     認識された中身は、価値の表現ですから、
     意志を実行するのと、認識するのとは、
     あまり違いません。
 
     算盤(そろばん)の玉を、実際に動かさなくても、
     頭の中で、算盤を入れて、暗算をすれば、同じです。
     実際に目で見て、手で触り、
     知ることのできる算盤って、記憶の補助になります。
 
     実行は、認識の中身を変更しますから、
     科学技術が、認識の外側にあるとは、思えません。
 
     認識された事実って、
     測定された価値のようなものですけれど、
     他人と共有されます。
 
     人間は、感覚器官から新しく入手された情報と、
     以前からの手持ちの情報しか、
     処理すべき情報を持ち合わせていません。
     
     情報を処理して、物事(ものごと)を認識しますけれど、
     感覚器官から新しく入手された情報を、事実と言います。
 
     記憶の中の、過去の事実も、事実と言われますが、
     誰の感覚器官からも、入手されたことのない情報でさえ、
     裁判では、事実と言われます。
 
     類推によって知られることが可能ですから、
     事実は、それぞれの人の特殊な経験の、
     具体的な中身でなく、普遍的です。
 
     その情報が、感覚器官から入手されたとは、
     ちっとも証明されていないのに、
     今、知覚している新鮮な情報だから、事実であると
     人は、自動的に信じます。
 
     どこかに、認識の対象があると想定して、
     感覚器官が知覚しているって、信じます。
     たいていは、宇宙や世界や、自分の家や、
     身の回りの自然や他人などを、
     認識の対象として、空間的に想定します。
 
     そういうのが、本当に在るとして、
     それを知覚していると、わたしたちは言います。
     宗教の信仰みたいに、根拠のない確信です。
 
     わたしたちは、認識された結果の、
     編集後の情報しか知りませんから、
     認識される前の、無編集の元ネタが、
     どのようなものであるかなんて、
     わかるわけがありません。
 
     それなのに、
     認識の結果に対応する世界があるって、想定しているの。
     絶対にあるって、理由もなく確信しています。
     これって、妄想ですけれど、夢かも知れません。
 
     認識の対象のほうを、知っているわけがない、と言うと、
     いや、直接に認識の対象を知っているって、怒る人が、
     必ず出て来ます。
 
     人間は、認識という脳の機能の結果として、
     世界や他人という認識の中身を知るだけでなく、
     自分を知っているではないか、と言うの。
 
     自分も、認識の対象ですけれど、
     いい加減に想定されたものでなく、
     認識の対象の自分を、
     直接に、内側から知っているではないか、と言うの。
 
     だから、自分だけでなく、世界や、身の回りのことも、
     間違いなく存在するって、考えます。
 
     なんか、言葉のちょろまかしみたいでしょう?
     いい大人(おとな)が…と言いたくなりますけれど、
     17世紀のフランスの、デカルトやパスカルなどの、
     数学や物理化学の人たちは、本気で考えました。
     
     文学やゲーム機遊びに似ていますけれど、
     数学や物理化学に凝(こ)ると、
     現代でしたら、お医者さんになってしまいます。
 
     なんで、花札(はなふだ)に溺(おぼ)れた遊び人が、
     お医者さんなのかって、言いたくなりますけれど、
     学校で一番ですと、自動的にお医者さんになりますから、
     仕方ありません。
   
     人間の脳みそや物理化学だけでなく、生物の判断って、
     くっつけるのと離れるのとの、
     順番と組み合わせだけなの。
 
     レッテル貼りと、分類ですけれど、
     自作自演をするように、レッテル貼りのことを、
     意志の実行と、言うこともあります。
     
     算盤(そろばん)の玉みたいに、
     粒々(つぶつぶ)で行くと、
     玉の種類や、玉を動かす力の種類に、
     幾つかがあるって、想定することになります。
 
     どうせ、翻訳をしなければ、
     数学や物理化学を知らない人と、
     コミュニケーションが出来ません。
 
     面倒臭いので、嫌(いや)なやつを殺して、
     好きなやつとつるむでしょう?
     弱そうなやつを見つけて、虐待します。
     花札(はなふだ)をやっている遊び人のすることって、
     今も昔も同じです。
     
     生殖本能ってやつね。
     翻訳が面倒臭くなると、自惚(うぬぼ)れて、殺します。
     性転換医療は、やくざに似ています。
 
     違う素質の人と、
     コミュニケーションをするのが面倒なので、
     優生医療を行ないます。
     そういうお医者さんや、そういう精神の病気の人たちが、
     オウムのお医者さんや患者さんのように、
     自分たち同士で、共食いをしています。
 
     確実に、絶滅します。
     生殖しないんだもん。
     GID(性同一性障害)の治った人たちは、
     性転換医療を行なっているお医者さんを、死刑にしろと、
     言っているしね。
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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