井守(いもり)の尻尾(しっぽ)は、オタマジャクシみたいなの。
両生類(りょうせいるい)です。
爬虫類(はちゅうるい)の、蜥蜴(とかげ)や屋守(やもり)と、
違(ちが)います。
日本(にほん)のサラマンダーですけれど、
一匹(いっぴき)300円也(えんなり)。
雑食性(ざっしょくせい)ですから、育(そだ)てやすく、
10年(ねん)は生(い)きるそうです。
人間(にんげん)は、井守(いもり)を食(た)べてはいけません。
河豚(ふぐ)の毒(どく)と、
同(おな)じ化学物質(かがくぶっしつ)が、
皮膚(ひふ)の粘液(ねんえき)に含(ふく)まれています。
河豚(ふぐ)もそうですけれど、
食(た)べ物(もの)から蓄積(ちくせき)されたものですので、
河豚(ふぐ)や井守(いもり)が、
毒(どく)を作(つく)ったのでありません。
両生類(りょうせいるい)って、可愛(かわい)らしいので、
なんとなく、プラナリアを思(おも)い出(だ)します。
再生能力(さいせいのうりょく)が高(たか)く、
中学校(ちゅうがっこう)の実験動物(じっけんどうぶつ)に、
よく使(つか)われます。
井守(いもり)って、あほですけれど、
お医者さんのことを、あほあほと言うと、怒られますけれど、
美しいとか、醜いとか、賢いとか、強いとか、お金持ちとかの、
価値って、どうでも良いことなの。
その価値のせいで、
他人や自分を、殺そうとする人が、たくさんいるので、
問題になります。
人間だけでなく、生物って、
みんなと一緒でなければ、生きて行けませんけれど、
生物の種類を見れば、わかるように、
誰とでも一緒になるのでなく、
特定の種類と仲良くなり、別の特定の種類とは、殺し合います。
人間も、他の種類の生物を殺して、食べているだけでなく、
人間の中の、個体と個体の間でも、
殺したり、食べられたりしています。
誰かと仲間になることと、誰かと殺し合い、食べ合うこととは、
似たような意味なの。
化学物質の粒々(つぶつぶ)が、
くっついたり、離れたりしているのと、同じように、
くっつくのと、離れるのとは、量を識別しているだけです。
価値は、殺し合ったり、食べ合ったり、くっついたり、離れたりの、
数量を計算しています。
脳や体の、神経や細胞や代謝などには、
生まれつきのコンピュータが組み込まれていて、
自動的に無意識に、いつも計算をしていますから、
猿真似(さるまね)しかできない数学者のようには、
あほでありません。
数学者は、自然のコンピュータの、ごく一部分を、
鹿鳴館のように、真似(まね)しますけれど、
数学による数量の計算を、普遍的であると、誤解します。
たくさんの流れ星を、あちこちから写真に撮ると、
地球に衝突する前の、宇宙の星屑(ほしくず)の
軌道がわかります。
人間の個体が、流れ星を見て、
直観的に、軌道がわからないのでしたら、
たぶん、人間の個体には、
そのよう種類の計算の原理が、仕組まれていません。
エステティックな価値って、
一瞬のうちに、数量の計算が片付きますけれど、
何の努力も苦痛も、感じません。
何のために、数学者が頭を使うのかと、不思議になります。
数学は、数量を計算しますけれど、
数学そのものは、数量化されないように、
エステティックな価値の計算は、いつでも使えるものでありません。
一瞬のうちに、何の苦もなく、判断のつく事だけが、
エステティックと言われる審美眼(しんびがん)の、適用範囲です。
星屑(ほしくず)の軌道の計算って、
エステティックには不可能ですので、数学で行きますけれど、
コンピュータソフトがなければ、けっこう時間がかかります。
価値の判断って、幾つもの種類があり、
それぞれの種類によって、使用される脳や体のシステムが違います。
軌道の計算には、脳の中の、数学と言われるシステムを使いますが、
文化的に作られたコンピュータという機械がなければ、
ほとんど使い物にならないくらいに、劣悪な性能です。
どのような価値の測定のために、数学という方法が、
多少なりとも有効であるかを、数学は判断できませんので、
数学自体を数量化することはできません。
たくさんの価値の判断の種類の中の、
一種類のみが、数学と言われている判断であることを、
数学は知りません。
普遍的な数量の判断であると、思い込んでいます。
ほんとうは、数量って、幾つもの種類があるの。
数学が取り扱えるのは、そのうちの一種類だけです。
すべての判断は、一種類しかないって、
ユダヤ教やキリスト教などの、一神教の考え方です。
物理化学の世界観は、数学を使いますので、
一神教と同じ間違いを、しでかすことになります。
時間や空間や論理って、
共通項で括る認識の仕方ですけれど、
無数の共通項のうちの、
幾つかの共通項だけを選択するのが、価値なの。
みんなと一緒に付和雷同して、
文化的に、具体的な原因と結果という時間の中身や、
具体的な個々の物体という空間の中身を認識するように、
それぞれの人が、自分の脳の仕来りを作りますから、
全然、論理的でありません。
文化の中身に一致しやすいような、
生まれつきの脳や体の素質を持った人が、
生存や生殖に有利ですので、すでに品種改良をされて、
純化(じゅんか)された結果の、脳や体の素質の人が、
たくさん生まれます。
そうでない人も、少数ですけれど、やっぱり生まれます。
何よりも、文化の中身が、いつも同じと限りませんから、
いつも同じ素質の人が、ますます有利になり、
ますます競争が激しくなるのでありません。
純化が進むと、たいていは、融通の効かない素質になり、
適応力の低い人間ばかりになりますから、
そのままでは、共倒れになります。
お医者さんばかりを選択していると、すぐに絶滅します。
だから、お医者さんって、
融通の効かない精神の病気であると、言っているのに…
みんなが文化的に認識する事実に合わせて、
物理化学は、
共通の自然という架空の世界を想定しますけれど、
ほとんど、唯一絶対であるかのように確信された風俗と、
同じ意味です。
みんなの文化的な事実を作るコミュニケーションって、
共通の絶対的な世界がなくても、
ちゃんと、みんなが同じ夢を見ることが出来ますので、
物理化学の想定する自然って、
一神教の神さまの世界と同じなの。
わたしたちが宇宙船を飛ばすのを、
わざわざ、神さまの世界に翻訳して理解するのは、
純金との交換が保証されている物でなければ、
貨幣として通用しないと、思い込んでいるのと同じです。
物理化学の世界って、
五つ玉の算盤(そろばん)のように、
二度手間(にどでま)ですけれど、
ほんとは、四つ玉の算盤(そろばん)も、
頭の中の算盤の玉を動かして、暗算ができるように、
目で見て、手で触って、知ることのできる道具は、
ただの記憶の補助かも知れません。
コンピュータも、そう。
物理化学の言う自然や宇宙って、メディアなの。
人間の認識に左右されない世界が存在しなくても、
現に、みんなで一緒の夢を見るように、
たくさんの人が、共通の自然や宇宙を想像します。
ちゃんと、時間と空間を指定すれば、
たくさんの人が、同じ事実を知ることができます。
そういう仕組みが、人間の側にあるので、
コミュニケーションをして、
物理化学の言う自然や宇宙を、作りました。
けっして、神さまや自然が、
人間の認識によらずに、存在するのでなく、
人間が、神さまや自然を、作りました。
それを理解しなければ、お医者さんと同じ間違いをおかします。
数量には、
たくさんの種類の、価値と言われる神さまがいますけれど、
わたしは、神さまを信じないほうが良いと、思っています。
数学や物理化学という神さまもね。
わたしは、溶鉱炉で生まれましたけれど、
サラマンダーって言われると、
あんなイモリや鉄の塊(かたまり)と、一緒にせんといて頂戴と、
言いたくなります。
価値のせいで、人を侮(あなど)ったり、嘲(あざ)けたり、
蔑(さげす)んだり、攻撃したり、殺したり、食べたりって、
数学者やお医者さんと、同じくらいにあほなの。
GID(性同一性障害)の治療って、
性転換医療を行なうお医者さんの、精神の病気から、
治療しなければいけませんので、一筋縄で行きません。
だって、強制的に治療をされる症状でありませんから、
本人が、自分は健常であると、主張しているのを、
どうこうできるわけがありません。
精神の病気のお医者さんが、GIDを治療しているのですから、
オウムのお医者さんが、オウムの信者さんを治療しているのと、
同じでしょう?
倫理って、簡単でありませんけれど、
医療の倫理なんか、歌舞伎町の商売と似たようなものです。
離れ小島なの。
横須賀も、原子力空母のお陰で、食べていますから、
歌舞伎町と、たいして変わりませんけれど…
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