横須賀(よこすか)の、海(うみ)のはたの道(みち)に、
カナリー椰子(やし)の街路樹(がいろじゅ)が、
植(う)わっています。
写真(しゃしん)は、公園(こうえん)で撮(と)りましたが。
フェニックス属(ぞく)なので、
宮崎県(みやざきけん)の日南海岸(にちなんかいがん)みたいに、
フェニックスと言(い)います。
ふつうは、棗椰子(なつめやし)のことですが、
日本(にほん)のフェニックスは、
カナリー椰子(やし)の意味(いみ)です。
昔(むかし)は、宮崎(みやざき)って、
新婚旅行(しんこんりょこう)の定番(ていばん)でした。
フェニックスのほうが、縁起(えんぎ)が良(よ)いのかしら。
カナリー椰子(やし)には、
よく羊歯(しだ)が着生(ちゃくせい)します。
くっついているだけで、
栄養(えいよう)は独立(どくりつ)しています。
写真(しゃしん)のは、
ツルシダ科(か) Oleandraceae
タマシダ属(ぞく) Nephrolepis の、
玉羊歯(たましだ) Nephrolepis cordifolia
という種(しゅ)です。
伊豆半島(いずはんとう)よりも南(みなみ)に
自生(じせい)すると、言(い)われています。
横須賀(よこすか)で、ちゃんと育(そだ)っているのに…
街路樹(がいろじゅ)や公園(こうえん)の椰子(やし)に
分類(ぶんるい)って、論理(ろんり)のことです。
違(ちが)うものに、共通点(きょうつうてん)があるとして、
一(ひと)つの名前(なまえ)をつけて、
同(おな)じであるとします。
共通点(きょうつうてん)が、条件(じょうけん)になります。
この宇宙(うちゅう)に、
共通点(きょうつうてん)のない二(ふた)つのものって、
ありません。
共通点(きょうつうてん)は、無数(むすう)にありますけれど、
何(なに)を共通点(きょうつうてん)として
認識(にんしき)するかは、
具体的(ぐたいてき)な価値(かち)と、言(い)われます。
一(ひと)つの事(こと)は、
複数(ふくすう)の違(ちが)うことの集(あつ)まりであると、
認識(にんしき)するのも、同(おな)じです。
時間(じかん)は、一(ひと)つの事(こと)を、
原因(げんいん)と結果(けっか)の関係(かんけい)であると、
認識(にんしき)します。
戦争(せんそう)の原因(げんいん)を議論(ぎろん)しても、
正(ただ)しい原因(げんいん)と結果(けっか)は、
定義(ていぎ)でしかありません。
物理化学(ぶつりかがく)の
原因(げんいん)と結果(けっか)の関係(かんけい)も、
定義(ていぎ)をして、レッテルを張(は)ります。
空間(くうかん)は、複数(ふくすう)の物(もの)を、
一(ひと)つの物体(ぶったい)として、認識(にんしき)します。
何(なに)を原因(げんいん)と結果(けっか)と言(い)い、
何(なに)を物体(ぶったい)として一纏(ひとまと)めに
認識(にんしき)するかは、
価値(かち)によって定義(ていぎ)されます。
目(め)で見(み)て、手(て)で触(さわ)って、
耳(みみ)で聞(き)き、間違(まちが)いないと、
認識(にんしき)される事実(じじつ)は、
文化的(ぶんかてき)に定義(ていぎ)された価値(かち)を
なぞっています。
みんなの価値(かち)は、みんなに共通(きょうつう)です。
物理化学(ぶつりかがく)が、みんなの文化(ぶんか)になれば、
物理化学(ぶつりかがく)の予言(よげん)の通(とお)りに、
未来(みらい)の事実(じじつ)が、認識(にんしき)されます。
昔(むかし)の人(ひと)が、
キリスト教(きょう)や仏教(ぶっきょう)は
間違(まちがい)いないと、確信(かくしん)したのと、
同(おな)じです。
事実(じじつ)は、価値(かち)の通(とお)りに、見(み)えます。
みんなの価値(かち)が同(おな)じなら、
みんなの事実(じじつ)も同(おな)じです。
分類(ぶんるい)は、
論理(ろんり)と同(おな)じ意味(いみ)ですけれど、
物事(ものごと)の認識(にんしき)の仕方(しかた)が、
論理的(ろんりてき)である、とする考(かんが)え方(かた)を、
弁証法(べんしょうほう)と言(い)います。
健常(けんじょう)な人(ひと)は、
みんなの文化的(ぶんかてき)な価値(かち)に合(あ)わせて、
どのような原因(げんいん)と結果(けっか)や、
どのような物体(ぶった)として認識(にんしき)するかを、
変更(へんこう)します。
脳(のう)や体(からだ)の、
神経(しんけい)や化学物質(かがくぶっしつ)などの、
繋(つな)がり方(かた)や、くっつきかたを、
部分的(ぶぶんてき)に変更(へんこう)します。
孤立(こりつ)すると、
生物(せいぶつ)は、生(い)きて行(い)けませんので、
老化(ろうか)して、みんなに合(あ)わせられなくなると、
死(し)にます。
みんなの文化(ぶんか)が、
いつも同(おな)じで、変(か)わらなければ、
生(う)まれつきに、みんなの文化(ぶんか)と
一致(いっち)した脳(のう)や体(からだ)の素質(そしつ)が、
生存(せいぞん)や生殖(せいしょく)に、有利(ゆうり)です。
そうでない人(ひと)は、
生殖(せいしょく)ができずに、殺(ころ)されますので、
品種改良(ひんしゅかいりょう)と同(おな)じになります。
すでに品種改良(ひんしゅかいりょう)をされて、
生(う)まれつきの変更不能(へんこうふのう)な
脳(のう)や体(からだ)の素質(そしつ)の一部(いちぶ)が、
論理(ろんり)や時間(じかん)や空間(くうかん)などの、
認識(にんしき)と言(い)われる情報処理(じょうほうしょり)の
仕組(しくみ)みです。
変更不能(へんこうふのう)な
認識(にんしき)の仕組(しく)みって、
だいたいは、みんなに共通(きょうつう)でも、
細(こま)かには、人(ひと)それぞれに違(ちが)います。
生(う)まれた後(のち)に、
変更可能(へんこうかのう)なシステムを追加(ついか)して、
具体的(ぐたいてき)に微調整(びちょうせい)をします。
脳(のう)や体(からだ)の情報処理(じょうほうしょり)が、
みんなの文化(ぶんか)に一致(いっち)するように、
変更不能(へんこうふのう)な
論理(ろんり)と言われる分類(ぶんるい)の仕組(しく)みに、
変更可能(へんこうかのう)な
原因(げんいん)と結果(けっか)や、
物体(ぶったい)の識別(しきべつ)などの、
具体的(ぐたいてき)なレッテル貼(は)りと、
枝分(えだわ)かれの条件(じょうけん)が、
追加(ついか)されて、微調整(びちょうせい)されます。
みんなの文化(ぶんか)を、
意志(いし)や実行(じっこう)によって、
変更(へんこう)することも、可能(かのう)です。
文化(ぶんか)の中身(なかみ)は、生(う)まれつきの
変更不能(へんこうふのう)な素質(そしつ)を、
選択(せんたく)する基準(きじゅん)です。
文化(ぶんか)と同(おな)じ素質(そしつ)を増(ふ)やして、
異(こと)なる素質(そしつ)を殺(ころ)します。
文化(ぶんか)は、品種改良(ひんしゅかいりょう)をします。
生(う)まれた後(のち)に
追加(ついか)された変更可能(へんこうかのう)なシステムも、
みんなの文化(ぶんか)と一致(いっち)すれば、
みんなに流行(りゅうこう)します。
そうでなければ、
脳(のう)や体(からだ)と一緒(いっしょ)に、
叩(たた)き壊(こわ)されます。
わたしたちは、品種改良(ひんしゅかいりょう)を争(あらそ)い、
文化的(ぶんかてき)な価値(かち)を
変更(へんこう)するために、
意志(いし)を実行(じっこう)します。
分類(ぶんるい)は、
殺(ころ)し合(あ)いと、助(たす)け合(あ)いのための、
価値(かち)なの。
進化(しんか)や血筋(ちすじ)って、
屁理屈(へりくつ)なのですが…
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