榊(さかき)の芽(め)って、
万引(まんび)きみたいに、曲(ま)がっています。
GID(性同一性障害)の人(ひと)の中(なか)には、、
ジェンダーフリーなので、公文書(こうぶんしょ)に
性別(せいべつ)を記載(きさい)しないようにって、
役所(やくしょ)に意見(いけん)をする人(ひと)もいます。
指(ゆび)を曲(ま)げると、
神道(しんとう)を差別(さべつ)することになるから、
曲(ま)げないで下(くだ)さいって、
尼崎の角田(すみた)って人が、自殺をしたそうです。
首に、Tシャツの袖(そで)を巻いていたと、報道されています。
意識を失うだけなら、
血液の炭酸ガスを増やすよりも、酸素を増やすほうが、
簡単ですけれど、
意識を失った後(のち)に、ちゃんと死ぬには、
首が締まっていなければ、いけませんので、
わざと過呼吸にするよりも、わざと窒息するほうが、
うまく行きそう。
脱いだTシャツの袖(そで)を、
首に、きつく巻いて、首を絞めても、
強く呼吸をすると、ちゃんと息ができます。
ちょうど、風邪をひいて、鼻づまりの時に、
無理に鼻だけで、呼吸をするようなものです。
強く吸い込まないと、息ができませんけれど、
慣れてしまうと、それでも眠れます。
風邪ひきでしたら、
眠ってしまうと、自然に、口から呼吸をします。
Tシャツの袖(そで)を、きつく首に巻いていたら、どうかしら。
眠りに落ちると、たぶん、呼吸が出来なくなり、安らかに死にます。
だいたい、首を、きつく締めていると、
無理やりに強く呼吸をしても、換気不足になりますから、
血液中の二酸化炭素が増えて、意識を失い易くなります。
その反対に、
首を締めずに、わざと過呼吸をして、血液中の酸素を増やせば、
もっと簡単に意識を失うって、
わたしは、何度も試したことがあるので、間違いありません。
他の人も、そうなるかは、知りません。
死のうとしたことがありませんので、
死ねるかどうかも、知りません。
教科書って、嘘ばっかり書いてあるので、
自分で過呼吸をやってみて、わざと体験してみただけなの。
薬剤師の人は、
教科書に書いてあることを、丸覚えばっかりして、
人の受け売りを信じるだけの、
変(へん)な人生になりかねませんけれど、
わたしは、覚えないと怒られるから、
仕方なしに覚えただけなの。
教科書なんか、全然、信じていませんから、
くそったれです。
だって、嘘をつけるもん。
人間は、嘘をつける余地があれば、必ず嘘をつきます。
必ずだから、100%なの。
教科書に、良心を吐露(とろ)するあほがいますか。
あんなもん、お題目を掲げる目的なんだから。
誰々なら、こう言うだろうって、
頭の中で、シミュレーションをするでしょう?
教科書なら、こう書いてあるだろうとか、
あの教授なら、こう言うだろうとかって、
思い出すだけでも、吹き出します。
みんなの信じていることって、
テレビのコマーシャルみたいなものなのに、
医学の教科書って、そればっかり。
入学試験や国家試験って、
キャッチフレーズしか、問題になりませんから、
早押しクイズみたいに、答えなければ、仕方ありません。
目で見て、耳で聞いた事実が、判断なのに…
判断やキャッチフレーズって、
価値を定義しているだけなの。
あほの一つ覚えの、積み重ねですけれど、
神経や化学物質などを使い、
全然、関係のないものを、無理やりに結びつけたり、
くっつけたりします。
論理って、定義の体系ですけれど、
脳味噌の中を調べなくても、事実を見ればわかります。
因果関係や物体などが、事実として見えるのは、
神経や化学物質を使い、
無関係なものを、無理やりにくっつけた、
という物的証拠です。
因縁をつけて、関係を持たせたの。
ほとんどは、
生まれた時に、すでに変更不能になっていますから、
生まれた後には、
微調整をして、みんなに合わせるのでなければ、
殺し合いや、助け合いによって、
みんなの文化を、変更するしかありません。
文化を変えるって、
特定の脳味噌や体を選択することなの。
選択して生殖をするのか、それとも、
間引いたり殺したりをするのかって意味ですから、
品種改良と同じです。
その人の見ている事実が、その人の判断なの。
教科書の中身なんか、嘘八百。
他の哺乳類と同じ価値を、感情と言いますけれど、
人間は、鼻があほなので、フェロモンを感じません。
目や耳や皮膚などで行きますけれど、
定義の複雑な組み合わせを、演算できますので、
感情を、論理的に実行します。
感情に一致しない事実があると、
一致させようとして、意志して、実行しますけれど、
教科書に書いてあるのは、それなの。
著作者の感情に、世界が一致しないので、
テレビコマーシャルが、
商品のキャッチフレーズを流すように、
教科書がお題目を掲げます。
その人の見ている事実が、
みんなの判断に一致するのなら、
コマーシャルを流す必要もなければ、
教科書に謳(うた)う必要もありません。
子供たちを放置すれば、
教科書の作者と、違う判断をしますので、
進駐軍が、チョコレートをくれたように、
教科書は、文化大革命の紅衛兵みたいな子どもたちを、
作ります。
薬剤師の人は、毛沢東語録を振っているのが、
自慢かも知れませんけれど、
わたしは、くそったれめと、思いながら、
チョコレートだけを、食い逃げできないものかと、
思案していました。
事実って、判断ですけれど、
大脳っていうコミュニケーションのための臓器のせいで、
自分と他人は、繋がっていますから、
他人が、勝手に、判断を変えてしまいます。
事実が変わってしまいますから、黙っていられません。
テレビコマーシャルやチョコレートを流して、
毛沢東語録を教科書にしなければいけません。
あんなもん、日本国憲法と同じで、
嘘や糞(くそ)しか、書いていません。
意識的に、酸素や二酸化炭素の、いずれかを多くして、
意識を失うのは、
ほとんど苦しみもなく、簡単に実行できますけれど、
そのあと、上手(うま)く死ねるかどうかってのを、
わたしは知らないの。
やってみたことがないから。
Tシャツの袖(そで)を使い、首を強く締めてから、
無理やりに強く呼吸をして、眠るように気絶をすれば、
ほんとに、ちゃんと死ねるのかしら…
わたしの想像では、
意識を失うと、無理やりに強く呼吸をすることが、できませんから、
大人しく、死にそうな気がします。
過呼吸でなく、呼吸不足による炭酸ガスのナルコーシスで行くの。
簡単に解(ほど)けないぐらいの、きつい結び目を作れば、
気絶しても、緩(ゆる)まないでしょう?
わたしは、実験をしたことがないから、知らないけれど、
実際にやってみて、ちゃんと死んだ人は、たくさんいます。
この事件って、暴行傷害や死体遺棄を証明できても、
殺人の証明は、難しいかも知れません。
やくざって、毎日、仲間内の暴行傷害をやっています。
暴力を美化して、やくざになったのですから、
当たり前ですけれど、警察や軍隊と同じなの。
集団行動の結束力に、守られていることを、
みんなに、見せびらかします。
エステティックに、人を差別虐待して、
エステティックに、自惚(うぬぼ)れて、
うっとりする気持ちと、同じです。
三島由紀夫って人や、連合赤軍の子も、そうでした。
集団の規律に、しがみつき、
集団の儀式を、誇示しました。
仲間内の暴力のせいで死ぬのは、日常茶飯です。
暴行傷害に憧(あこが)れていますから、共食いなの。
尼崎の事件が、やくざや警察や軍隊などと、異なるのは、
規律や儀式が、不明なことです。
三島さんのように、自分勝手な右翼でさえも、
やたらと、儀式的な遊戯(ゆうぎ)を、
みんなに見せびらかしました。
連合赤軍も、共産主義のスローガンを掲げて、
集団行動のデモンストレーションを実行しました。
仲間内の特殊な約束事を、
鉄の規律のように、わざわざ変更不能にして、
一般の人たちから、驚異の目で見られるように、
エステティックな儀式を披露します。
ファッションショーと同じです。
脳味噌や体の、融通の効かない人って、
いつも変わらぬものに、しがみつかなければ、
心や体が苦しくなります。
いつもと同じ生活でなければ、適応できません。
世間に、侮(あなど)られないように、
集団安全保障を、披露します。
硬直した信条を、共有していなければ、いけません。
裁判官は、尼崎の人たちが、仲間内の何にしがみつき、
仲間の外に、何を見せびらかしたのかを、
明らかにしなければ、いけません。
仲間内の暴力に同意している人たちの、
毎度お馴染みの共食い事件ですから、
殺人の証明は、性転換医療と同じくらいに、
難しいと、思います。
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