横須賀(よこすか)に帰(かえ)ると、街中(まちじゅう)に、
金木犀(きんもくせい)の匂(にお)いが、
充満(じゅうまん)していました。
火をつけると、爆発(ばくはつ)します。
しばらく、ウォーキングをしていなかったので、
三浦半島の田舎道(いなかみち)を歩(ある)くと、
ここにも、金木犀(きんもくせい)。
よその家(いえ)の写真(しゃしん)ですから、
内緒(ないしょ)です。
昔(むかし)の日本は、下肥(しもごえ)を使っていましたから、
金木犀(きんもくせい)の古い木があるってことは、
昔の肥壺(こえつぼ)の傍(そば)って意味です。
オウムというサリンを撒(ま)いた宗教は、
癲癇(てんかん)でもないのに、ヘッドギアを被(かぶ)り、
朝から晩まで、一日中、教祖の歌や説教を、聞かせていました。
音痴です。
何週間も、ヘッドギアをつけっ放しで、暮らしました。
脳味噌の神経細胞の樹状突起の受容体の機能に、新しい癖をつけて、
樹状突起の枝分かれを、変更しようとしたのかしら。
枝分かれって、神経細胞が手足を伸ばして、
こっちとあっちの情報を結びつけることですけれど、
神経細胞の軸索という電線は、長いものでしたら、変更不能です。
中枢神経でも、脊髄まで伸びるやつみたいに、
長いのは、50cmもあるそうです。
わたしは、人間の脳味噌を、食べたことがありませんけれど、
哺乳類の脳味噌って、美味(おい)しくありません。
長い軸索が、いっぱい集まっていると、
白質と言われる繊維の束に見えます。
大脳の表面みたいに、灰白質と言われる部分の神経細胞は、
二階建てや三階建てって感じで、積み重なっていますので、
一階と二階を繋ぐだけでしたら、
顕微鏡で見なければわからないほどの、
短い軸索でも、行けるかも知れません。
短い神経細胞は、年長になっても、新しく出来るそうです。
わたしは、作られるところを、見たことがないので、
受け売りですけれど…
長いのは、中枢神経でも、末梢神経でも、
損傷すると、だいたい、再生不能です。
神経細胞は、樹状突起という手を伸ばして、枝分かれをします。
樹状突起の先っちょから、軸索の尻尾の先っちょのほうに、
電気が流れます。
刺激や情報が、伝わるの。
こっちの情報と、あっちの情報を、
一つに纏(まと)めたり、足し合わせたりする意味です。
空間と言われるのは、物体の形に見えたり、触ったりできる、
という意味でしょう?
物体として認識するのは、情報の纏め方の一つの方法です。
時間的に、纏(まと)める方法もあります。
原因と結果として、認識する、という意味ね。
人間の個体の心って、空間的には、目に見えません。
時間的や論理的に認識されます。
自己同一性ってやつね。
論理的に纏める方法は、表現の方法によって、
概念と言われたり、足し算、と言われたりします。
足し算って、数学のことですけれど、
コンピュータも、こっちとあっちの情報を、一つに纏めて、
足し算や演算をするって、言うでしょう?
昔は、コンピュータのことを、電子計算機と言いました。
計算をするって、考えるってのと、似たようなものなの。
こっちの情報と、あっちの情報を、くっつける、という意味ね。
そうして、モニター画面の映像が作られますから、
人間が、目で見て、手で触って、
間違いのない事実であると、知覚して認識するのは、
こっちの情報と、あっちの情報が、
神経によって、くっつけられている、という意味なの。
生まれた後(のち)には、
もう、生産や再生や修復や変更の出来ない神経もあれば、
出来る神経もあります。
軸索の短いやつは、
新しく作られたり、再生されたり、しているかも知れません。
新品の生産や再生が出来なくても、大脳では、
使用中の神経細胞の、樹状突起の手や枝分かれを、変更できるのが、
普通みたい。
引き算や割り算も、足し算の組み合わせですから、
数学って、足し算一本で行きます。
論理って、数学だけでなく、言葉で表現する場合も同じように、
概念に纏(まと)めたり、
ばらばらにして、別の概念に、再編集したり、
部分的に組み替えたりを、しているだけです。
なんとなく、遺伝子の組み合わせや、組み換えなどと、
神経が、こっちとあっちの情報を、くっつけるのって、
似ている感じでしょう?
一つの組み合わせを、そのままにして、
別の組み合わせを作り、それらを使い分けたりしますので、
三階建や四階建ての、層構造になります。
原理的には、二階建てで行けますけれど、
足し算だけで、フィールズ賞の数学をやってのけるには、
二階建てよりも、三階建てのほうが、便利です。
二階建ての素質の人よりも、三階建ての素質の人のほうが、
有利であるってことです。
べつに、数学に有利でも、よく繁殖するとは、思えませんけれど…
こっちとあっちを、どのようにくっつけるかは、
生まれてから後では、
ほとんど樹状突起の枝分かれを作ったり変更したりするぐらいしか、
できません。
一々の情報のくっつけかたを、樹状突起が決めています。
樹状突起の先っちょに、化学物質の受容体が多いのですけれど、
こいつの形を変えたり、
化学物質と電気との、変換の歩合を変えたりすると、
電気の量だけでなく、電気の流れ方が、変わります。
枝分かれの効力が変わるってことね。
あっちとこっちの、情報のくっつきかたが変わります。
浮気をするの。
情報の組み合わせを変える時の、スイッチの役割を果たします
電気の量が変わると、枝分かれの効力が切り替わります。
神経細胞や樹状突起などを作る能力だけでなく、
受容体の形を変える能力が低いと、機転や融通が効かずに、
精神の病気と言われるかも知れません。
統合失調症の抗精神病薬みたいに、
お薬を飲むと、余計に、機転が効かなくなりますけれど、
悪さをするのでしたら、
お薬を使って、大人しくさせないと、仕方ありません。
あほになっていれば、
刑務所に、入れられないでしょう?
法律に違反しないで、自損や自傷って人も、たくさんいます。
髪の毛を切るみたいに、自傷って、自由ですから。
あほになっているのは、神経細胞や樹状突起や受容体などを、
作ったり、変更したりする能力が、
低くなっているかも知れないのに…
機転や融通が効かなくなり、悪さをしてしまいますけれど、
苦痛が大きいと、あほになるのは、健常なの。
生きている人は、みんな、
苦しみが取れないと、自分からあほになります。
認知障害になると、苦痛を感じなくなるから、楽ちんでしょう?
賢いでしょう?
あほになるってことね。
健常な人は、みんな、そうして死んで行きます。
精神の病気の人は、
どうして、苦痛が取れずに、自分からあほになるのかしら。
自分からあほになるってことは、
それはそれで、健常の証拠ですから、
苦痛がなくならないのは、
自分や他人や自然などが、苦痛を製造しているのかも知れません。
普通は、出生した時までに、脳が作られて、
出生した時は、すでに、変更不能になっているのが半分で、
出生後の経験のせいで、変に脳味噌の作られたのが半分と、
言われています。
精神の病気の原因ね。
苦しければ、あほになるのは、健常ですから、
統合失調症は、
生まれた後の、苛酷な経験だけが、原因かも知れません。
3才頃までに、甘やかされて育った経験とかね。
これも、苛酷な経験の内です。
だって、教えられなければ、文化的に育たないもん。
変(へん)なことを言いますけれど、
苛酷な経験って、本人に自覚できないのが、普通です。
自覚ができないでいるうちに、いきなり、
精神の病気になったり、麻薬をやったり、人を殺したりします。
殺人犯人が自覚をしているのは、
法律に違反をして、人を殺したことでなければ、
自分の気持ちは正当であるとか、
自分や被害者が、狡(ずる)いことや悪いことをしたくなったのに、
我慢できなくなったとか、それぐらいのことですので、
裁判も、それぐらいのことしか、できません。
統合失調症の人の自覚と同じで、他愛もない原因や理由です。
もちろん、法律家や精神科医も、犯人や気違いと、同じ水準です。
警察官の人が、統合失調症の患者さんを連れて来ますけれど、
患者さんの言うことが、支離滅裂で、要領を得ません。
警察官に尋ねても、
証拠もないのに、こうだと決めつけているだけですから、
患者さんと警察官と、どちらが統合失調症なのか、
よくわかりません。
警察官のほうは、支持者が多いので、
支離滅裂と言いませんけれど、五十歩百歩と言います。
精神科医も、それです。
こうなると、裁判をしないで、責任能力を無しにして、
不起訴にするのは、法律家のあほのせいかも知れません。
一人が、要領を得ないことを、言ったり、行なったりすると、
周囲の人が、全部そうならざるを得なません。
これって、統合失調症の患者さんと御家族の関係や、
患者さんと御近所や職場の人の関係や、
患者さんと警察官の関係や、
患者さんとお医者さんの関係だけでなく、
人間の個体と個体の関係に、一般的に言えることです。
社会は、そうして成り立っています。
誰かのことを、要領を得ない、と決めつけて、
合理的な理由や因果関係のないことを言ったり、行なったりする、
と思うのは、
嫌(いや)な奴を、始末したい、と思うことですけれど、
みんながそう思えば、規則を破っていないときに限って、
規則を破ったと言い、精神科に連れて来ます。
証拠がないのに、みんなが目撃した、と言います。
警察官が目撃した、と言うのは、その代表のようなものです。
みんなが、あなたの答えは間違っている、と言います。
学校でしたら、わたしだけが正解って、しょっちゅうでしたけれど、
世の中では、みんなが言えば、わたしは死刑になります。
これが、しょっちゅう起こっているって、
精神の病気の患者さんを見れば、よくわかります。
賢いとか、あほとかって、価値ですから、測る尺度がありません。
嫌(いや)な奴のことを、あほと言っているだけです。
知能検査や学力検査って、
自分の嫌(いや)な奴を、探し出して、
自分の好き嫌いにより、人を殺そうとする検査ですけれど、
仲間を集めて、みんなの好き嫌いである、と主張すれば、
公正に聞こえます。
神経の道筋(みちすじ)って、
ちゃんと、嫌(いや)な奴を、精神病院にぶちこんで、
廃人にできます。
大脳は、コミュニケーションのための臓器だもんね。
社会は、個人の神経の道筋の、争奪戦をやっているようなものなの。
メキシコが、麻薬戦争をして、5万人ほどが死んだのと、
同じことです。
メキシコはあほみたいですけれど、
アメリカ合衆国が、麻薬戦争を強要しました。
こっちの情報と、あっちの情報とを、くっつけるのが、
神経細胞の役割なの。
おおまかなところは、ほとんどが、生まれつきに決まっています。
殺し合いをしてきた成果なの。
弱肉強食や、適者生存や、自然淘汰とかってやつね。
品種改良とも言います。
生まれつきに、周囲の環境に適応しやすい個体は、
繁殖をして、生き残りやすいでしょう?
猿や人間って、脳味噌の外側に、
個体やみんなの経験を、文化的に記憶しますから、
人間の個体の、周囲の環境の大部分は、人間の作り出した社会なの。
人間の個体の脳の外側に、文化的に経験を記憶するって、
自然環境が、人間の脳に、よく反映されている、という意味なの。
脳の中身(なかみ)が、自然環境と一致すれば、
脳の中に記憶しなくても、
自然環境が、脳の記憶と同じ役割になるでしょう?
一致させようとすることを、意志と言いますけれど、定義のことね。
脳味噌の外側の、地球みたいに、でかい物体が、
脳味噌の中に、入るわけがありません。
脳の中身(なかみ)の情報と、自然環境とを、一致させるって、
同じであると、定義することなの。
心の性別と、体の性別が、同じであると、定義するだけでいいの。
そのことを、
嫌(いや)な奴は、自然でなく、人間社会である、と言います。
人間の敵は人間、ってことね。
嫌(いや)な奴を殺すのと、自然環境の中で生きるのとは、同じ、
という意味です。
人間は、文化的ですから。
認識の仕方や、記憶の中身(なかみ)が、
神経細胞の伝達路によって作られますから、
こっちの情報とあっちの情報の結びつきが、
事実や、気持ち良さや、苦痛を、作っています。
みんなと同じ神経の道筋(みちすじ)ですと、
みんなと同じ情報処理になりますから、
みんなと同じ事実が見えますけれど、
脳味噌の外側に、文化的に記憶しますので、
みんなと同じ神経の道筋でなくても、
みんなと同じ文化的なプログラムを使えば、
みんなと同じ事実が見えます。
そのような文化的プログラムを実行するのに
適した神経の道筋を持っている人は、有利ですから、
性交渉をして増殖し易くなります。
こっちの情報と、あっちの情報を結ぶために、
神経が繋がっているって、
ようするに、こっちの情報と、あっちの情報を、
物体や因果関係や概念や足し算などによって、
一つに纏(まと)めることですけれど、定義と言います。
物体や因果関係や概念や足し算などが、定義であると言うよりも、
神経の道筋(みちすじ)が、定義なの。
宗教のお題目や、多神教の神々みたいなものね、定義って。
弱肉強食や、適者生存や、自然淘汰などの、考え方を、
進化論と言いますけれど、
物理化学や、精神分析なども、同じ考え方です。
神経細胞と、樹状突起や軸索や受容体などを見て、
化学物質や電気などという、荒唐無稽な妄想を作りました。
賢(か)しこさや、美しさと、同じです。
化学物質を、電子顕微鏡で見ても、同じことです。
目で見たり、手で触ったりの、認識の仕方や、論理が、
神経の繋がり方によって、決まっています。
美人コンテストやノーベル賞に優勝するのも、
麻薬戦争をして、
意識のあるままの、生きている首を、不器用に切り落とすのも、
一緒のことです。
エステティックでしょう?
苦しいとか、痛いとかって、
科学技術によって、実際に楽ちんになりますけれど、
麻薬によっても、同じです。
素敵な王子さまに抱かれていると、
片腕を切り落とされても、痛くありませんから、
科学技術も美人コンテストもオナニーも、似たようなものです。
科学技術によって、実際に寿命が長くなりますけれど、
実際にそうなる、という知覚や認識の仕方が、
神経の繋がり方や、
文化的なプログラムの作り出した事実や論理法則によります。
コンピュータのモニター画面を作り出すのも、そうでしょう?
神経の繋がり方にしても、文化的なプログラムにしても、
これとあれとを、結びつけているのは、定義をしています。
痛いとか、苦しいとかってのは、
その定義を、変更できなくなっていますけれど、
年を取ると、性能が悪くなるから、仕方ありません。
変更できない定義って、お題目を崇め奉りなさい、ってことね。
麻原彰晃って人のサリンや
ノーベル賞や美人コンテストみたいなもので、荒唐無稽です。
賢いとか、美しいとかってやつ。
みんなの事実っていう共通の文化的な夢を作り出すプログラムや、
それを実行するために適した脳の神経の道筋(みちすじ)を、
人間たちは、奪い合いをしています。
物理化学や進化論や精神分析って、
ニーベルングの指輪みたいに、ロマンティックでしょう?
神話を題材にした芸術ですけれど、
オペラの舞台の上で生きているって、しんどいと思います。
なーんか、ノーベル賞や美人コンテストって、
警察官と、ちょぼちょぼのような気がしますけれど、
うちの患者さんたちも、関西の大手やくざの組長さんのところに、
しょっちゅう、挨拶に行っていました。
江戸時代は、やくざと警察って、二足わらじが普通でしたけれど、
神戸のやくざって、被差別部落の人たちが、
港の仕事を仕切るようになったそうです。
GID(性同一性障害)の人たちにも、
韓国朝鮮系の人や、被差別部落系の人が、たくさんいました。
心の性別なんて、お笑い草です。
だって、闇医療の時代に、患者さんたちの袖(そで)を引いて、
性転換を吹聴したのは、お医者さんのほうでした。
お医者さんのほうに、
在日や被差別部落出身の精神障害者が多かったの。
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