【月に寄せる歌】 Měsíčku na nebi hlubokém
Song to the Moon
ドボルザーク Antonín Leopold Dvořák の
オペラ 『ルサルカ』 Rusalka のアリア
Měsíčku na nebi hlubokém
Svetlo tvAc daleko vidi,
Po svete bloudis sirokAcm,
Divas se v pribytky lidi.
Mesicku, postuj chvili
reckni mi, kde je muj mily
Mesicku, postuj chvili
reckni mi, kde je muj mily
Rekni mu, stribmy mesicku,
me ze jej objima rame,
aby si alespon chvilicku
vzpomenul ve sneni na mne.
aby si alespon chvilicku
vzpomenul ve sneni na mne.
Zasvet mu do daleka,
rekni mu, rekni m kdo tu nan ceka!
O mneli duse lidska sni,
at'se tou vzpominkou vzbudi!
Mesicku, nezhasni, nezhasni!
nezhasni, nezhasni!
ドボルザークの時代は、美しい歌が、流行りました。
現代のような、メロディのない歌は、
子供のように飛び跳ねる生活を、
いつまでも堪能できる経済力がなければ、
流行(はや)りません。
昔の踊りは、仕事のリズムでしたから、
白人奴隷が船を漕ぎ、黒人奴隷が綿を摘む動作が、
ダンスのステップになりました。
チェコ語は、ぜんぜん知りませんが、
『月に寄せる歌』、とするのが、
お決まりの日本語の題名です。
日本語訳は、たくさん検索できました。
英語訳も "Song to the Moon" が定訳です。
ドボルザークの
歌劇『ルサルカ』の中で歌われるアリア。
ルサルカは、
スラブ系民族に共通の民話の中の、水の精ですけれど、
水死した女性が、
男を道連れにするために、美しい姿になり、
この世に戻ってきますので、亡霊や幽霊の類です。
ロシアでは、醜い姿のこともありますから、
四谷怪談の、お岩さんのようなものかも知れません。
女性は、見てくれが不細工ですと、
どうしようもありませんので、
差別虐待を受けたせいで、性転換を望むのでしたら、
たいへん、わかりやすいのですけれど、
差別虐待を受けたせいで、
学業や芸術やスポーツや宗教などに没頭しても、
不思議でありません。
宗教のために、性転換をしたいとか、
学業は、性別を超越しているから、
性転換をしたいとかって、よく聞く理由です。
御本人自身が、変(へん)な言い訳を信じているのが、
普通ですので、どうしても精神障害が現れます。
本当の理由を思い出せないと、
合理的な判断が出来なくなります。
自分の判断の道筋を、準(なぞ)れないって、
記憶が変(へん)になるってことです。
でも、物事(ものごと)の本当の理由って、
誰も知りません。
合理的な判断は、物理学や化学のように、
精神分析と似たような意味にしか、ならないからです。
科学技術に、理由は要らないのかも知れませんけれど、
原因と結果の関係が、命です。
心に従うように、人間は、手で触って、目で見て、
間違いのない事実として、物事を認識します。
たくさんの人が、
共通の文化的な認識のプログラムを使うと、
誰の目にも、同じ事実が見えますので、
間違いないと、確信されるだけです。
みんなが、一緒の夢を見ることができます。
脳の中の情報と、脳の外の物体とが、
同じはずがありません。
違うものを、同じである、と定義するから、
因果関係と言います。
認識って、定義に条件を付けますので、
時間を持ち、因果関係に化けます。
空間的な条件も付けますけれど、
違う物に、空間的な位置の違い、という条件をつけて、
同じ物であると認識するにしても、
移動には、どうしても、時間が必要です。
違う物を、時間が違うという条件を付けて、
同じであると、定義するのは、自己同一性の要領です。
過去の自分と、今の自分とは、違う自分なので、
過去の自分の責任を、今の自分がとる必要はない、
と確信すると、たぶん、精神の病気になります。
明日は明日の風が吹く、ケセラセラ、ってやつね。
自己同一性と責任って、すごく関係がありますけれど、
違うものを同じとする要領の一つが、
自己同一性や責任の意味の、時間です。
複数の違う物を、一つの同じ物として、
くっつけて理解することを、認識と言い、、
一つの概念を、条件の枝分かれの通りに分けることを、
意志と言います。
これこれならば、こうなる、ってのが、
間違いのない事実として認識されるのは、
そのように定義して、条件を付けたから、
そのように見える、という意味です。
思い込みが、事実の正体と言えば、
幽霊と同じですけれど、
コンピュータの集積回路の中の電気情報から、
モニター画面の、
間違いなく目に見える映像が作られるのと、
似たような仕組みですので、
事実って、意志の作業である、とも言えます。
みんなの意志でなければ、
精神の病気と言われるかも知れません。
心の性別は、奇妙な言い訳の一つですけれど、
ルサルカの民話も、面倒臭い言い回しなので、
とても美しい音楽に聞こえます。
不細工な見てくれのせいで、入水(じゅすい)をして、
自殺をした女性の幽霊であったほうが、正直です。
幽霊って、正直であればあるほど、迫力があります。
四谷怪談のお岩さんも、
美しかった人が、仕返しに現れたので、
恐い顔をしているのでなく、
不細工な顔でしたので、
虐(いじ)められて、自殺をした、と見るほうが、
正直です。
もともとの、醜い顔の通りに、現れたほうが、
恐いと思います。
GID(性同一性障害)も、そうなのに…
性転換をしないほうが、正直で、迫力があります。
現代では、顔の美容整形もありますが、
足が短いと、
イリザロフ法は、必ずしも安全でありません。
長期の療養を必要とするだけでなく、
身体障害が残るかも知れません。
エステティックな顔や体の、形の見てくれのせいで、
差別虐待を受けるのが、そもそも、間違っています。
性転換によって、生殖機能を破壊するのは、
もちろん、治療でなく、虐待です。
人権無視の加害行為にすぎませんが、
エステティックな見てくれのせいで、
差別虐待を受けると、心のほうが変形します。
その心が、自分の性別は、体の性別と違う、と言い、
性転換を強く望みます。
日本のGID(性同一性障害)の歴史は、
その通りの、心の変化を、如実に表しています。
欧米のような、同性愛差別による変形が、
ほとんどありません。
その代わりに、欧米白人の、黒船と原爆に負けて、
奴隷にされた心の怨みが、日本にあります。
とりわけ、
性転換医療を行なう医師や、それを支持する学者に
顕著です。
まず、医師や学者の心を、治療しなければいけません。
差別虐待の加害者の最右翼だからです。
Tereza Matlova って、なんと読むのかしら。
テレザ・マートロヴァー としておきます。
チェコの人です。
ビデオの映像は、大嫌いですけれど、
チェコ語の歌詞は、
チェコの人のほうが、うまいと思います。
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