栃(とち)の実(み)の、
苦味(にがみ)や渋味(しぶみ)の物質(ぶっしつ)を、
エスシンと言うそうです。
タンニンやサポニンが、含(ふく)まれていますが、
単体(たんたい)の物質(ぶっしつ)でありません。
栃(とち)の実(み)は、
アク抜(ぬ)きが大変(たいへん)なくせに、
それほど美味(おい)しくありません。
栗(くり)の実(み)のようなのが、
写真の殻(から)の中に、1~3個、入っています。
殻(から)が割(わ)れて、地面(じめん)に落(お)ちた実を、
拾(ひろ)います。
味(あじ)は、栗(くり)に遠(とお)く及びません。
澱粉(でんぷん)や蛋白質(たんぱくしつ)がお目当ての、
昔(むかし)の救荒植物(きゅうこうしょくぶつ)です。
栗(くり)を植(う)えたほうが、役(やく)に立ちそうですけれど、
栃(とち)の実(み)の、
強烈(きょうれつ)な渋(しぶ)やアクが、
害虫(がいちゅう)を寄(よ)せ付けないのかも知れません。
保存が利(き)くので、万が一の備(そな)えに、良いのでしょう。
アク抜(ぬ)きに手間(てま)のかかる栃(とち)の実を、
わたしは、食べたいと思いませんが、
万が一のためなら、
一年間ほど、食べ繋(つな)げる量(りょう)を、
保存(ほぞん)して置(お)きたくなります。
芋(いも)や穀物(こくもつ)は、
長期間(ちょうきかん)、保存(ほぞん)をすると、
鼠(ねずみ)や虫(むし)の被害(ひがい)を受(う)けるし、
宗教の人たちは、
物理や化学や科学技術などの判断が、間違っている、と主張します。
恋愛の悩みや、親子の確執(かくしつ)などの、
人間関係の問題でなく、
心の使い方の、善悪の問題でも、ありません。
物理や化学や科学技術などの判断の仕方が、
美人コンテストの序列を競う判断の仕方と、同じであるからなの。
エステティックと言いますけれど、美学のことね。
宇宙船を飛ばしたり、超高層ビルを建てたり、
早期の胃癌を切除すれば、胃癌が治るような判断って、
セビリアの理髪師と同じくらいに、喜劇なのかしら。
顔がこれこれだから、ユダヤ人である。
ユダヤ人だから、殺せ。
ほら、社会が良くなったでしょう?
間違いありません、と確信するのは、
実験や試行錯誤により、いつも、予想をした通りになる科学技術の、
役に立つ成果を、目(ま)の当たりに見て、
これは間違いない、と確信するのと、ほぼ同じ判断の手順です。
大雨が降るたびに、洪水になるので、堤防を作ったところ、
浸水がなくなり、
あたり一面が、良好な耕作地や住宅地になリました。
大雨と洪水の関係から、堤防を作れば良い、と判断する正しさや、
堤防を作る土木技術の確かさなどを、人々は確信します。
間違いのない判断って、どこにも無いのに、
どうして、人間の個体は、誤解するのかしら。
自分の感覚器官や、他の個体とのコミュニケーションなどにより、
入手した情報の中から、
人間の個体は、任意の情報だけを抽出して、
意識の内容を形成することができます。
他の個体とのコミュニケーションが、認識の仕方を決めるので、
大脳は、コミュニケーションのための臓器と言われているのに、
人間の個体が、
意識の中身(なかみ)を、任意に形成できる、とするのは、
コミュニケーションの端末機械としての、自動機能のことなの。
フランス革命や、アメリカ合衆国憲法や、
日本国憲法などの個人主義では、人間の個体に、
意識の中身(なかみ)を形成する能力と責任がある、とします。
意識って、自我や事実や感情などのことね。
そのときに、意識を抽出して形成をするためのプログラムには、
自分が、いつも使って、慣れているだけのプログラムもあれば、
みんなに流通していて、
たくさんの人が使っているプログラムもあります。
少数の人や、自分だけの意見のような、個人的なプログラムを、
いつも使っているだけなのに、
そのことに気づいていなければ、妄想や幻覚などと言われます。
本人には、間違いのない事実のように、見えます。
みんなに流通している文化的なプログラムを使うと、
みんなで一緒の夢を見るように、
たくさんの人が、同じ事実を見て、間違いないと、確信します。
事実って、目で見て、手で触って、
確かに、そこに在るように意識されますから、
早期の胃癌を切除すると、癌が治り、
現代の医療は素晴らしいと、誰もが実感することになります。
サイコロを振ると、6の目が出るって、予言した通りに、
6の目を出すことができます。
詳しいことは、やくざ映画を作っている人に、尋ねてください。
サイコロの中や、サイコロを転がす台の下に、
電磁石が入っているそうなの。
そういうのって、イカサマ賭博(とばく)と言い、
コンクリート漬けにされて、沖の海底に、沈められます。
うちのGID(性同一性障害)の患者さんたちも、
1970年頃に、誰々がコンクリート漬けとか、
誰々が消されて、藪(やぶ)の中とかって、
しょっちゅう、噂(うわさ)をしていました。
首を吊るためのロープや、ピストルを、
持って来た患者さんもいます。
これで自殺をしろって、わたしに言うの。
イカサマ賭博って、してはいけませんけれど、
科学技術が間違いない、って確信される仕組みと、同じですから、
わたしたちは、毎日毎日、朝から晩まで、明けても暮れても、
イカサマ賭博ばっかり、楽しんでいるようなものです。
未来を予言して、その通りになるように、細工を実行すれば、
予言した通りの未来になるのは、当たり前でしょう?
細工を実行することを、意志を実行する、と言います。
サイコロの目を、自由自在に制御できれば便利なので、
サイコロや、サイコロ台に、細工をするのは、
科学技術まる出しでしょう?
イカサマよね。
堤防の土木技術も、胃癌の手術も、
イカサマ賭博と、同じ手口ですけれど、
物理や化学が、イカサマを体系化する方法を、定義と言います。
定義って、複数の物事を、くっつけることなの。
概念を作るとも言いますし、判断するとも言います。
その時に、空間や時間によって、条件をつけますので、
いくつもの判断の枝分かれを作ることが出来ます。
分類や体系と言うの。
みんなに流通していない定義を使うと、
自分だけにしか通じない単語や文法を使うようなものですので、
言語のように体系的に使うと、支離滅裂と言われますけれど、
みんなと一緒の定義を使うと、
賢しこそうに見せかけることもできます。
知能検査なんか、そうでしょう?
何が賢しこくて、何があほかって、
そんなの、人それぞれの価値や意見ですから、
測れるはずがありません。
その人が、何を賢しこいと思っているかは、
その人に聞けば、わかりますし、
みんなが、何を賢しこいと思っているかは、
みんなに聞けば、わかりますので、
みんなが賢しこい、と思っていることを、
どれくらいに実行できるかを、測ることが出来ます。
知能検査って、みんなと一緒ってのを、測っています。
みんなに流通している定義を使っているかを、測っているの。
みんなが賢しこい、と思っている判断ばかりを、使っている人は、
知能が高い、という結果になります。
うちの患者さんには、IQ185やIQ165やIQ145なのに、
統合失調症やGID(性同一性障害)になった人がいました。
うちのお医者さんにも、IQ185って人がいました。
統合失調症やGIDでありながら、お医者さんであっても、
別に不思議でありませんけれど、たぶん、危険と思います。
オウムにも、そういうお医者さんがいました。
美人コンテストに優勝するような、美しさってのも、価値でしょう?
目が小さく、足の短いやつを、殺しましょうって、言わずに、
顔や体の、形の見てくれによって、意志表示をすると、
優勝するかも知れません。
このごろの日本では、口に出して言っても、怒られないそうです。
不細工な奴を、殺しても良いと。
みんなの意志ですから、
これこれならば、不細工である、と決まっています。
不細工な奴を、就職試験や面接では、採用しませんし、
不細工な奴とは、契約をしませんから、
美しければ、お金持ちで、地位や身分が高く、
賢く、信用のできる人と言われて、
不細工でしたら、貧乏人のあほになるって、決まっています。
ちゃんと、不細工なら劣等な個体である、と実証されます。
意志って、その通りになるように、細工を実行することなの。
科学技術のイカサマや、外科手術の成果と、同じでしょう?
認識の仕組みって、その通りに見えるんです。
目で見て、手で触って、
確かに知ることのできる事実であると、知覚されますから、
絶対に間違いない、と確信されます。
こういうことを言おうとして、
お釈迦さんは、身代(しんだい)を潰(つぶ)しましたし、
イエス・キリストさんは、
死刑になってから、わざわざ復活しました。
麻原彰晃って人は、サリンを撒(ま)いて、人を殺してから、
あほになったそうです。
統合失調症やGID(性同一性障害)と、五十歩百歩ですから、
心配しなくても、構いません。
うちの性分化疾患の患者さんたちの言うには、
お釈迦さんは、性分化疾患だったそうです。
わたしは、検査をしてみなければ、わからないと、
思いますけれど…
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