お盆って、サンスクリットやペルシャ語の、
盂蘭盆(うらぼん)が起源と言われていますけれど、
祖先を祀(まつ)るための、あっち方面の外国の儀式(ぎしき)が、
仏教と共に、中国を経て、日本に伝わったそうです。
亡くなった祖先(そせん)の霊(れい)が、
一時的に、この世に帰(かえ)って来ます。
インドの仏教では、夏安居(げあんご)の最後(さいご)の日が、
盂蘭盆(うらぼん)の日であったそうです。
夏安居(げあんご)って、雨季の最中(さいちゅう)に、
仏教の修行者(しゅぎょうしゃ)たちが、骨休めをすることです。
この時期は、托鉢(たくはつ)をせずに、出歩きませんから、
お坊(ぼう)さんの、夏休みね。
中国に伝わった時に、
すでに、盂蘭盆(うらぼん)は、7月15日と決まっていたそうです。
日本でも、旧暦(きゅうれき)の天保暦(てんぽうれき)の
7月15日が、盂蘭盆(うらぼん)でしたが、
現在の新暦(しんれき)の、今日、8月26日は、
旧暦(きゅうれき)の天保暦(てんぽうれき)の7月10日ですので、
まだ、盂蘭盆(うらぼん)でありません。
仏教では、お盆(ぼん)って、
旧暦(きゅうれき)の7月1日から24日までを、言うそうです。
新暦(しんれき)の8月18日から、9月10日まで。
地獄の閻魔(えんま)さんの縁日(えんにち)から、
閻魔(えんま)さんの本地仏(ほんちぶつ)の、
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の縁日(えんにち)までです。
お坊さんの夏休みは、旧暦の7月15日の、盂蘭盆までなのかしら。
一般社会では、毎年、新暦の8月15日を、お盆とするのが、
仕来(しきた)りです。
月遅(つきおく)れのお盆(ぼん)と言います。
お地蔵さんって、
賽(さい)の河原で迷(まよ)っている子供たちを、
助(たす)けてくれるそうですけれど、
道祖神(どうそじん)の信仰を、仏教が取り込んだものです。
よそ者から、土地を守るための神さまですので、
村の境界(きょうかい)を示しています。
地蔵盆(ぢぞうぼん)って、
現代では、子供祭(こどもまつ)りになっていますので、
団地の子供会(こどもかい)が主催(しゅさい)して、
親(おや)が模擬店(もぎてん)を出す場合(ばあい)と、
昔ながらの神社と氏子(うじこ)が主催して、写真のように、
テキ屋のあんちゃんが、夜店を出す場合とがあります。
昔の、ヒステリーと言われた精神障害の症状のうちで、
今も、医師の間で、よく使われるのは、
体に異常がないのに、精神的に苦しく、身体の診療科を受診して、
体が痛い、苦しいので、体の異常を、なんとかして欲しいと、
訴える症状です。
これを、真(ま)に受けていると、
身体の診療科に、たくさんの精神障害者が詰め掛けて、
混雑しますので、
検査をしても、体の異常の発見できない患者さんに対して、
「何も異常がありませんでしたよ、よかったですね」 と、
冷たくあしらうのが、普通です。
それでも、しつこく受診する患者さんに、
精神科の受診を、お薦めしますけれど、
地獄みたいに縁起でもない所に、行け、と言われると、
患者さんは、侮辱されたように、心が傷(いた)みます。
そこで、心療内科という名前の、偽(いつわ)りの看板を上げて、
精神科医が、お待ち申しております。
患者さんを、釜茹(かまゆ)でにしてくれるの。
体に異常がないのに、精神的に苦しいって、
だいたいは、みんなと一緒のことが出来ないので、
したいと思わなくなり、仲間外れにされて、孤立して、
みんなに差別されて、苛(いじ)められるってことです。
みんなと一緒のことができない原因は、
体の能力のこともあれば、
精神的な情報処理能力のこともありますけれど、
だいたいは、同じ意味です。
たとえば、運動神経や反射神経が鈍(にぶ)い、と言われるのは、
体の動作の能力のことですから、体の異常と言えますが、
脳の情報処理や情報伝達の機能に、異常があるのかも知れません。
体を調べて異常があれば、内科や整形外科や内分泌科などの、
身体の診療科の専門ですし、
脳に、器質的な異常が発見されれば、神経科の専門ですけれど、
たいていは、原因不明ですので、釜茹(かまゆ)でにされます。
運動神経が鈍(にぶ)いと、みんなに言われて、
差別をされて虐待されるので、
みんなと一緒のことを、したくなくなれば、
体のどこそこが、痛い、苦しいと、感じるようになります。
体が異常なので、体の治療をして欲しいと、
一般の内科や整形外科などを、受診することになります。
たった一つでも、みんなよりも能力が低ければ、
その能力を発揮したくなくなるのは、当然ですけれど、
自分だけが、みんなよりも低ければ、だれも助けてくれません。
学校や会社って、集団社会ですから、
みんなと一緒に、能力を比較されて、
さまざまな能力の最低線が、みんなに適用されます。
個性なんて、関係ありません。
最低線よりも低い能力があれば、
みんなの足手纏(あしでまと)いになりますから、
差別虐待されます。
足切りって、言うでしょう?
体の異常を訴えても、異常が見つからなければ、
医師の間では、ヒステリーと言い、
公立の総合病院の、身体の診療科でしたら、
忙しいので、冷淡に扱われて、相手にされません。
次回の予約を、受け付けてもらえないかも知れませんけれど、
なかには、患者さんを侮辱する医者もいます。
民間の総合病院では、検査漬けになるかも知れませんが、
個人の開業医でしたら、どうでもよい漢方薬を処方されたり、
向精神薬や、場合によっては抗鬱薬や、痴呆のお薬などを、
処方されるかも知れません。
一般社会では、能力の低さを差別されるだけでなく、
顔や体の見てくれを差別されるのが、普通です。
見てくれから、能力がわかる、とする判断を、
エステティックと言います。
一般の体の診療科の医師も、顔や体の見てくれにより、
知能や地位や所得などを判断して、
体の苦痛の訴えを、ヒステリーと診断します。
エステティックに診断するのは、
もちろん、医師の側のヒステリーですけれど、
大部分の医師が、ヒステリーを自覚しないのは、
患者さんが、自分の体の苦痛を、ヒステリーと気づかないのと、
同じです。
身体の診療科の医師は、
GIDの患者さんの体の苦痛には、証拠がないので、
ヒステリーである、と言います。
GID(性同一性障害)の人や、
GIDの性転換を行なっている医師たちは、
ヒステリーとするには、証拠がない、と言い、
患者さんの望む通りに、性転換医療を行ないます。
エステティックって、目で見て、手で触って、形を知るように、
感覚器官から得られた情報を元に、
生殖や個体維持などの、本能と言われる避けがたい価値を
類推します。
形と、本能的な目的の首尾とを、結びつけますけれど、
人間の意識の内容って、みんなが文化的に結びつけて定義をすると、
その通りの事実として、認識されるようになります。
顔や形の見てくれと、生殖や個体維持などの首尾が、
エステティックな成り行きに見えるのは、
社会が、人の見てくれを差別する、という意味です。
形という事実を差別する意識が、人を差別しますから、
すでに、客観的な事実として、見えています。
事実の認識って、無意識の情報の中からの、抽象ですから、
形を差別しなければ、抽象できません。
人間は、視覚が優れていますので、
顔や形の見てくれの差別って、
事実と言われる意識の内容に、必需です。
人間の意識って、文化的な差別と、ほとんど同じなの。
文化的な差別意識がなければ、
人間は動物未満の、不出来な自動機械に成り下がります。
植物人間みたいにね。
瀬踏みや実験を繰り返しても、
技術や常識が予言をした通りに、事実が変化しますから、
人は、自分や他人を見て、事実の通りに間違いない、と確信します。
人を差別して、人を殺すように、
事実を差別して、事実を殺しますから、
みんなの予想通りの成り行きに見えるのは、当たり前なのに…
ヒステリーの患者さんだけでなく、
お医者さんが、人や事実を、エステティックに差別しますので、
GID(性同一性障害)のための特例法が、全会一致で成立します。
論理を、原因と結果のように、
ロマンティックに解釈してはいけませんけれど、
そのように解釈しなければ、人情が成り立ちません。
国会の審議や、裁判の審理などは、
感傷的な少女趣味にすぎませんが、
5才の女の子に、銃口を向けられると、危険な結果になります。
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