李(すもも)を、
子供の頃に、巴旦杏(はたんきょう)と言っていましたが、
統合失調症って、器質的な原因や仕組みが、わかっていません。
幾つもの精神症状の組み合わせを、文学的に分類して、
統合失調症としたものですから、
脳の未発見の、微細な器質的な異常と、
精神症状の、文学的な組み合わせとが、
簡単な条件によって、原因と結果の関係になっている可能性は、
ほとんどありません。
共通の器質的な異常が発見されないだけでなく、
異なる器質的な異常が原因になり、同じ精神症状をきたすことを、
わたしたちは、ごく日常的に、よく経験しています。
歯が痛くて、他人に怒鳴る人もいれば、
お酒を飲んで気持ちよくなり、他人に怒鳴る人もいます。
寝起きに、家族に当たり散らす人も、ごく普通にいます。
いずれも、不機嫌になり、攻撃的な言葉を軽々しく投げつけ、
面倒臭い作業に、非協力の態度を決め込みますが、
原因は、それぞれに違います。
統合失調症も、何らかの、
人それぞれに異なる微細な脳の器質的な異常が原因になり、
文学的に一つに纏(まと)められるような、
共通の精神症状になっているだけかも知れません。
人それぞれに異なる脳の微細な異常を、
統合失調症という共通の精神症状の、人それぞれの原因であると、
特定できるのかしら。
これこれのことが、戦争の原因であると、
みんなが、思い思いの意見を述べるだけしか、
できないかも知れません。
原因と結果の関係は、風が吹けば桶屋が儲かるようなものです。
それにもかかわらず、わたしたちは科学技術を見ると、
これこれの原因があれば、必ず、これこれの結果があると、
わかっているからこそ、
超高層ビルが建ち、宇宙船が飛び、
抗生物質の製剤が、ばい菌をやっつけてくれる、と信じています。
この確信は、統合失調症の精神症状が、
文学的に一つに纏められるのと、ほとんど同じ理屈です。
一つに囲い込んだのですから、ひとまとまりの症状に見えるのは、
当たり前なのですが、
事務的に、ひとつに纏(まと)められているだけでも、
ちゃんと自然の単位に見えますので、
必ず宇宙船が飛び、ばい菌が死にます。
言葉って、ざっくばらんに言うと、記号ですけれど、
文化的に、みんなで取り決められたものですので、
けっして、自分勝手な、独自の言語を創作しても、
他人に通じません。
時代や場所により、しょっちゅう、中身が変わるにもかかわらず、
多数決のために、挙手をした覚えも、ほとんどありません。
わたしたちが見ている事実も、
文化的に取り決められた記号なの。
これこれならば、必ず、こうなるって、
言葉で表現されるのは、定義しかないように、
必ず宇宙船が飛び、ばい菌をやっつけてくれる成り行きを、
確認できるのは、定義の体系を、取り決めているだけです。
そうして、取り決められた文化的な規格に従い、
無意識に、自動機械のように処理されている情報の中から、
事実と言われる記号の組み合わせを抽出して、編集しています。
言葉も、みんなで取り決めた覚えがないのに、
ちゃんと、みんなに流通している通貨のように、信頼されています。
事実も、実験や試行錯誤を繰り返して、
篩(ふるい)に掛けられたように、
みんなに流通するものだけが、取捨選択されています。
よく使われる文化って、ようするに整合性があるの。
自然と論理が一致する、という意味ですけれど、
そういうものだけを、事実として認識するように、
篩(ふるい)に掛けています。
論理って、空間や時間などと同じように、
みんなに共通性の高い文化ですから、
大きくなった雪だるまのように、
転がされた文化の核心を作っています。
あるいは、転がし方の規則かも知れません。
条件反射や習慣などと言われるように、
脳みその中の、神経細胞の塊(かたまり)を、大きくするのと、
同じ要領です。
オナニーと同じことね。
数式や文章を、色々といじくり、
これとこれは、同じ意味であるとか、
これとこれを組み合わせると、これが導き出せるとかって、
折り紙やスポーツみたいに、学校の子供たちに、強制的に仕込んで、
器用さを競わせているでしょう?
次々に、見かけの異なる折り紙を、折り出して行きます。
いくら、折り方を変えても、所詮はお遊びかも知れませんが、
本気でスポーツをしないと、怒られます。
溶鉱炉に、鉄鉱石やコークスを放り込んで、鉄を作ったり、
コンピュータや宇宙船や医薬品に、人間をぶち込んで、
鉄砲玉みたいに、遠い所に飛ばしたり、
まな板の上のお肉みたいに、お鍋に入れて調理したりします。
折り紙遊びや、文学や、数式ごっこと、
科学技術とが同じであるのでしたら、
食べて生きて世代交代をするための、弱肉強食や自然淘汰などの、
アリストテレスやアインシュタインなどに代表されるような、
生殖本能を中心とした目的論的な考え方と、記号論の考え方とは、
雪と炭のように、違うかも知れません。
素粒子から、宇宙が膨張して行くような、
ロマンチックな筋書きの、言わば史的唯物論が、
記号論には、ありません。
原因や結果や目的や理由のような、
文化の中身は、オナニーにすぎません。
原因と結果の関係って、
綾(あや)取りをしているみたいでしょう?
事実であろうが、言葉であろうが、数式であろうが、
毛糸の綾取りや折り紙と同じですから、
加速器やフランス革命のような、ロマン主義は要りません。
統合失調症やGID(性同一性障害)の人たちって、
死に絶えても、構わない、と言います。
本能がないのかしら。
三島由紀夫さんみたいに、首をちょん切られても、
痛くありませんから、たぶん、病気です。
どうして、統合失調症では、
文学的な精神症状の分類と、器質的に微細な脳の異常とが、
一致しないのかしら。
微細な構造が、見えていないのですから、当たり前ですけれど、
異常な器質から、異常な精神が生まれるって、
普通は考えられません。
当たり前の体から、異常な精神が生まれるように、
正常な脳の器質から、異常な精神が生まれた、と考えるのが、
普通です。
犯罪と同じですが、体の犯罪でなく、脳の犯罪ですので、
普通は責任能力がない、と言います。
体を牢屋に入れて罰するのでなく、
脳に、抗精神病薬というお薬を入れて、治療します。
罰するのと、同じことですが…
角(かど)が立たないように、違う言葉で表現されています。
癖(くせ)がつきますから、牢屋は必要ありません。
お薬がなければ、やって行けなくなりますので、逃げられません。
0コメント