スモモ 856 綾(あや)取りや、折り紙

李(すもも)を、
子供の頃に、巴旦杏(はたんきょう)と言っていましたが、
 
 
統合失調症って、器質的な原因や仕組みが、わかっていません。
幾つもの精神症状の組み合わせを、文学的に分類して、
統合失調症としたものですから、
脳の未発見の、微細な器質的な異常と、
精神症状の、文学的な組み合わせとが、
簡単な条件によって、原因と結果の関係になっている可能性は、
ほとんどありません。
 
共通の器質的な異常が発見されないだけでなく、
異なる器質的な異常が原因になり、同じ精神症状をきたすことを、
わたしたちは、ごく日常的に、よく経験しています。
 
歯が痛くて、他人に怒鳴る人もいれば、
お酒を飲んで気持ちよくなり、他人に怒鳴る人もいます。
寝起きに、家族に当たり散らす人も、ごく普通にいます。
 
いずれも、不機嫌になり、攻撃的な言葉を軽々しく投げつけ、
面倒臭い作業に、非協力の態度を決め込みますが、
原因は、それぞれに違います。
 
統合失調症も、何らかの、
人それぞれに異なる微細な脳の器質的な異常が原因になり、
文学的に一つに纏(まと)められるような、
共通の精神症状になっているだけかも知れません。
 
人それぞれに異なる脳の微細な異常を、
統合失調症という共通の精神症状の、人それぞれの原因であると、
特定できるのかしら。
 
これこれのことが、戦争の原因であると、
みんなが、思い思いの意見を述べるだけしか、
できないかも知れません。
原因と結果の関係は、風が吹けば桶屋が儲かるようなものです。
 
それにもかかわらず、わたしたちは科学技術を見ると、
これこれの原因があれば、必ず、これこれの結果があると、
わかっているからこそ、
超高層ビルが建ち、宇宙船が飛び、
抗生物質の製剤が、ばい菌をやっつけてくれる、と信じています。
 
この確信は、統合失調症の精神症状が、
文学的に一つに纏められるのと、ほとんど同じ理屈です。
一つに囲い込んだのですから、ひとまとまりの症状に見えるのは、
当たり前なのですが、 
事務的に、ひとつに纏(まと)められているだけでも、
ちゃんと自然の単位に見えますので、
必ず宇宙船が飛び、ばい菌が死にます。
 
言葉って、ざっくばらんに言うと、記号ですけれど、 
文化的に、みんなで取り決められたものですので、
けっして、自分勝手な、独自の言語を創作しても、
他人に通じません。
時代や場所により、しょっちゅう、中身が変わるにもかかわらず、
多数決のために、挙手をした覚えも、ほとんどありません。
 
わたしたちが見ている事実も、
文化的に取り決められた記号なの。
 
これこれならば、必ず、こうなるって、
言葉で表現されるのは、定義しかないように、
必ず宇宙船が飛び、ばい菌をやっつけてくれる成り行きを、
確認できるのは、定義の体系を、取り決めているだけです。
 
そうして、取り決められた文化的な規格に従い、
無意識に、自動機械のように処理されている情報の中から、
事実と言われる記号の組み合わせを抽出して、編集しています。
 
言葉も、みんなで取り決めた覚えがないのに、
ちゃんと、みんなに流通している通貨のように、信頼されています。
事実も、実験や試行錯誤を繰り返して、
篩(ふるい)に掛けられたように、
みんなに流通するものだけが、取捨選択されています。
 
よく使われる文化って、ようするに整合性があるの。
自然と論理が一致する、という意味ですけれど、
そういうものだけを、事実として認識するように、
篩(ふるい)に掛けています。
 
論理って、空間や時間などと同じように、
みんなに共通性の高い文化ですから、
大きくなった雪だるまのように、
転がされた文化の核心を作っています。
あるいは、転がし方の規則かも知れません。
 
条件反射や習慣などと言われるように、
脳みその中の、神経細胞の塊(かたまり)を、大きくするのと、
同じ要領です。
オナニーと同じことね。
 
数式や文章を、色々といじくり、
これとこれは、同じ意味であるとか、
これとこれを組み合わせると、これが導き出せるとかって、
折り紙やスポーツみたいに、学校の子供たちに、強制的に仕込んで、
器用さを競わせているでしょう?
 
次々に、見かけの異なる折り紙を、折り出して行きます。
いくら、折り方を変えても、所詮はお遊びかも知れませんが、
本気でスポーツをしないと、怒られます。
 
溶鉱炉に、鉄鉱石やコークスを放り込んで、鉄を作ったり、
コンピュータや宇宙船や医薬品に、人間をぶち込んで、
鉄砲玉みたいに、遠い所に飛ばしたり、
まな板の上のお肉みたいに、お鍋に入れて調理したりします。
 
折り紙遊びや、文学や、数式ごっこと、
科学技術とが同じであるのでしたら、
食べて生きて世代交代をするための、弱肉強食や自然淘汰などの、
アリストテレスやアインシュタインなどに代表されるような、
生殖本能を中心とした目的論的な考え方と、記号論の考え方とは、
雪と炭のように、違うかも知れません。
 
素粒子から、宇宙が膨張して行くような、
ロマンチックな筋書きの、言わば史的唯物論が、
記号論には、ありません。
原因や結果や目的や理由のような、
文化の中身は、オナニーにすぎません。
 
原因と結果の関係って、
綾(あや)取りをしているみたいでしょう?
事実であろうが、言葉であろうが、数式であろうが、
毛糸の綾取りや折り紙と同じですから、
加速器やフランス革命のような、ロマン主義は要りません。
 
統合失調症やGID(性同一性障害)の人たちって、
死に絶えても、構わない、と言います。
本能がないのかしら。
三島由紀夫さんみたいに、首をちょん切られても、
痛くありませんから、たぶん、病気です。
 
どうして、統合失調症では、
文学的な精神症状の分類と、器質的に微細な脳の異常とが、
一致しないのかしら。
 
微細な構造が、見えていないのですから、当たり前ですけれど、
異常な器質から、異常な精神が生まれるって、
普通は考えられません。
当たり前の体から、異常な精神が生まれるように、
正常な脳の器質から、異常な精神が生まれた、と考えるのが、
普通です。
 
犯罪と同じですが、体の犯罪でなく、脳の犯罪ですので、
普通は責任能力がない、と言います。
体を牢屋に入れて罰するのでなく、
脳に、抗精神病薬というお薬を入れて、治療します。
罰するのと、同じことですが…
角(かど)が立たないように、違う言葉で表現されています。
 
癖(くせ)がつきますから、牢屋は必要ありません。
お薬がなければ、やって行けなくなりますので、逃げられません。
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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