穂咲七竈(ほざきななかまど)の一種の、
庭七竈(にわななかまど)の花は、白さが特別に奇麗。
たぶん、背景に、緑があるからです。
珍珠梅(ちんしばい)とも言うそうですが、わたしは知らない。
「欧米の同性愛差別がわからない」と、
GID(性同一性障害)の人から聞きます。
欧米のような同性愛差別が、「日本になかった」と、わかれば、
GIDも、治癒傾向にあると思いますが、
だいたい、発症から10年間よりも後のことです。
わたしも、同性愛差別って、
経験がありませんから、わかりませんけれど、
欧米では、誰々が同性愛だから、やっつけてやれ、
と言われることが、よくありました。
日本では、そのようなことを、一度も聞きません。
GIDって、治癒する過程が苦しいので、自殺しやすくなります。
悔恨(かいこん)の念に、耐えられません。
予備知識があれば、予防になります。
バブル以後の日本経済に似ています。
20年も、海底に沈んだままでしょう?
GID(性同一性障害)も、
社会復帰ができずに、多くの人が死にます。
何もしなくなり、体の病気になると、あっさりと死んでしまう人も、
少なくありません。
一部の人は、自殺します。
同性愛って、家族制度の問題と、密接な関係があります。
人間やオランウータンなどは、
一夫一婦制の家族を持ちますけれど、
多くの哺乳類は、
ライオンみたいに、ハーレムを作り、
あるいは、トラみたいに、
繁殖期でなければ、単独で暮らします。
人間は、たぶん、森の中のオランウータンの気持ちと、
草原のライオンや、両刀遣いのトラみたいな気持ちとを、
文化的に使い分けます。
動物的な人は、一本槍かも知れません。
戦争になると、男性は、同性愛に頼るように、
生きるか死ぬかの、瀬戸際(せとぎわ)になれば、
強く頼りになる個体と、集団安全保障を結んだほうが、
有利です。
家族って、性交渉や育児などの、
生殖のための集団安全保障ですけれど、
同性愛は、生殖が目的でありませんから、
家族制度との関係は、
会社や組合などの集団安全保障に、
家族のような自治権を認める是非が、議論になります。
同性愛って、生殖をしませんから、
消化器系統の、自動機械のような無意識の機能に、
排泄器官と生殖器官が、昔は同一であったことから、
気持ち良さや、気持ち悪さなどの、
感情という種類の意識を経由して、
さまざまな判断の、経験的な記憶が、連動している、
という意味です。
生殖をしませんから、
性別との必然的な関係はありません。
器物や抽象語や想像などによって、
気持ち良くなるのと同じことです。
その時に、性器を擦れば、
簡単に気持ち良くなれるので、
オナニーと言われるように、
同性愛は、異性の個体という物体や文化を、
オナニーの道具として使います。
上達をすれば、手や道具を使わなくても、
想像をするだけで、気持ち良くなれます。
さまざまな判断の記憶って、
神経細胞の形に表わされた条件により、
生殖と同じように、
消化器官の無意識の自動機能に結びついています。
その途中に、気持ち良さや気持ち悪さの、
神経の経路を通れば、感情として、意識されます。
自我や事実という種類の意識に比べて、
感情は、多くの種類の哺乳類の、
共通のコミュニケーションの手段になっています。
人間って、蛇(へび)みたいに、口からお尻まで、
消化管が長く続いた竹輪(ちくわ)です。
竹輪の穴って、個体の外側の世界ですけれど、
その穴の中を、餌(えさ)が通過して行くと、
栄養になります。
出口の所が、生殖器官の出入口と、昔は同じでした。
哺乳類でも、
猫は、性交渉によって、LHサージが起こりますので、
挿入されると、排卵します。
生殖よりも、取り合えずは、個体の命を守らなければ仕方がない、
という気持ちになれば、集団安全保障を求めるのは、当然です。
男性であろうが、女性であろうが、
力の強い男を求めるのが、有利に決まっていますから、
男性同性愛に至る成り行きは、合理的です。
いつまでも、危急存亡の時代や精神が続くのは、
異常かも知れません。
男性が、十字軍の修道会や、
平安時代末期から黒船の時代に及ぶ日本の軍事政権のようになり、
女性が、サムソンを蠱惑(こわく)したデリラや、
ハーレムの女やお妾(めかけ)さんのようになるのは、
当たり前です。
女性同性愛って、個体の生存の危うい時代には、
弱く惨(みじ)めな男を独占するよりも、
女同士で仲良く集(すだ)くハーレムのほうが、
有利かも知れません。
どうせ、女の生存を守れないのは、男の責任に決まっています。
ライオンって、見ず知らずの男が、亭主を殺しても、
女は、尻尾を振って、喜んでいます。
殺された亭主の子供も、目の前で、噛み殺されますけれど、
女性は、すぐに発情して、
代わるばんこに、新しい男と性交渉を楽しみます。
古代ギリシャの文化と同じです。
レスビアンや、
FtM(female to male 女→男)のGID(性同一性障害)などでは、
複数の同性愛の女性が、同じ男性との性交渉を、
しばしば、仲良く分かち合っています。
男性が複数のことも、珍しくありませんが、
女性が不妊のことも、よくあります。
欧米の十字軍も、日本の幕府と言われる軍事政権も、
同性愛を推奨したのは、集団安全保障を大切にしなければ、
個体の命を守れなかったからです。
十字軍って、キリスト教の修道会の起こした戦争です。
軍事力によって、貴族からお金と人員を巻き上げました。
イスラム教徒との、戦争の大義名分は、どうでもよいのですが、
言葉の通じない連中を殺しても、怒られませんでしたから、
好都合でした。
男性の同性愛は、略奪した女性との性交渉のような、下等な快楽と、
一緒にされたくありません。
命懸けの男同士の戦場の愛は、神聖ですので、
欧米のキリスト教は、庶民の同性愛を禁止しました。
日本の武士と言われる支配階級も、
一所懸命に獲得した命懸けの身分を、崇め奉りました。
男性同性愛って、殺し合いの時代の、命の証(あかし)ですので、
卑しい庶民の手垢(てあか)にまみれることを、嫌いました。
オナニーとは違う、と思っていましたので、
江戸時代の初期に、議論になりました。
徳川政府は、異性愛のほうの、風紀の紊乱を取り締まるために、
武士の同性愛を、一般庶民に開放しました。
欧米が、キリスト教による殺し合いの文化を基調にしたのに比べて、
単一民族の日本は、桁違いに平和でした。
戦争よりも、平和を選び、
庶民の同性愛を禁止せずに、男同士の歌舞伎を公認しました。
同性愛を、高尚な殺し合いの精神とすることを諦めて、
手垢にまみれた庶民の平和のほうを選択しました。
徳川家康という人の、徹底した平和主義が、よく現れています。
1970年代の末に、TV(トランスベスティズム)の考え方が、
日本に入るまで、
今で言うGID(性同一性障害)のことを、
マスコミや水商売の人たちは、
ブルーボーイや、ニューハーフなどと言っていましたが、
ノンケの人たちの中には、歌舞伎と言う人たちもいました。
オカマの人の肌を見れば、
毛穴が、月のクレーターのように大きかったので、
確かに歌舞伎と言うに相応(ふさわ)しい人たちに見えました。
後に、TV(ティーブイ , トランスベスティズム)と
言われるようになりました。
生殖をしないで、
安全保障と性的快感だけを食い逃げして、
文化的に同性愛と呼び、
あたかも生殖のための男女の性交渉と、
一対のものであるかのように、並び称する風習って、
わたしには、化学や物理学と、同じように見えます。
これこれの条件が揃えば、
必ず、これこれの未来になる、と言うふうに、
事実と称する物事(ものごと)の流行の知覚に、
文化的な因果関係を結びつける風習は、
同性愛しか出来ない人の、
変更できなくなった性別の見え方に、
そっくりのような気がしてなりません。
何度やっても、必ずこうなるから、間違いないと、
確信します。
社会の中で、弱肉強食と言われる争いが行なわれて、
長期間の権力が、安定するように、
脳みその中で、神経細胞の形が争われて、
事実と言われる文化が、長期間、安定するだけなのに…
脳みその中で起こることは、目に見えませんけれど、
個体と個体の、コミュニケーションのために、
大脳は、みんなに共通の規格によって、
情報を編集します。
どのような神経細胞の形を、
みんなの共通の規格とするかが、
個体の脳みそと、他の個体の脳みその間で、
コミュニケーションという情報交換によって、
争われます。
みんなで争った末の、比較的安定した共通の規格により、
感覚情報を編集して、
安定した権力のように、事実と言われる因果関係を
想定します。
脳みその中の、神経細胞の形によるの。
言わば、みんなで共通の夢を見る手立てが、
個体と、他の個体との、コミュニケーションですから、
脳みそって、コミュニケーションのための臓器です。
みんなの規格を適用されて、編集された情報の、
事実と言われる再認識が、
コミュニケーションと言われる争いの
帰趨(きすう)なんですけれど…
事実と夢って、似ているでしょう?
騙(だま)されているのでないかと、疑う人が、
たくさんいます
脳の神経細胞の形に、
コミュニケーションの仕方が表れています。
化学物質の扱い方の、マニュアルのようなものですけれど、
個体と、他の個体とが、空間的に離れていても、
同じ権力のもとに、みんなと一緒の規格によって、
機能しているっていう証拠が、
神経細胞の形に、記されています。
みんなと一緒の規格によって、
コミュニケーションをしているってことね。
規格は、権力のようなものですけれど、
化学や物理の定義には、剥(む)き出しの権力が、
赤裸々(せきらら)に現れています。
同性愛も、そうですけれど、
社会って、ネットワークですから、
個体の脳みそは、ただの端末機械かも知れません。
インターネットをやっている人のパソコンを見れば、
同じ仕組みと情報が入っているって、すぐにわかります。
生物は、コミュニケーションによって、
脳みその器質を、日々、新たに作ります。
脳みそ中の神経細胞が、
誰でも似たような構造になるのは、当たり前ですから、
事実と言われる因果関係が、誰の目にも確実に見えて、
精神障害でなければ、誰の目にも、
予想通りの未来になるのは、当たり前です。
化学や物理が、ただの規格であるだけでなく、
事実と言われる知覚は、
事務や文学などの、みんなと一緒の権力のような規格の、
ありきたりの情報処理の結果なの。
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