捩花(ねじばな)は、身近な野生蘭(らん)ですけれど、
担子菌類と共生して、菌根を作りますので、栽培が困難です。
品種改良も難しく、
普通の雑草として、しぶとく生き残っているのが、不思議です。
写真を撮(と)るのも、簡単でなく、
地面近くで、垂直に穂(ほ)を伸ばすので、
健常者が精神障害者と一緒に暮らすのは、
人質を取られるような人生になりますから、
親でなければ、やめたほうがよい、
と言っているのですけれど、
それを言うと、怒られますから、何も言えません。
そのくせに、GID(性同一性障害)の人には、
結婚や出産や育児を勧めていますから、
ほとんど支離滅裂ですけれど、
精神障害の人と、一緒に暮らすには、
何が起こるかわからない世界に生きている覚悟が必要です。
人の悪口に、何を考えているのかわからない、と言いますけれど、
不条理な人や、予測のできない世界って、
みんなと一緒のことができない、という意味なの。
精神障害者の心です。
健常者が、精神障害者と一緒に暮らすのは、
不条理の世界への、旅立ちのようなものかも知れません。
頭のおかしいことを、なんとも思わない覚悟が、必要です。
発達障害は精神障害である、と言っただけで、
精神の病気の世界から、狙撃されるかも知れません。
発達障害は精神障害でなく、個性であるそうです。
そう言えるのでしたら、
GID(性同一性障害)も、個性に決まっていますけれど、
男が、女の下着を身に着けて、性的にうっとりしているのを、
自分の心の性別は、体の性別と違う、と言えば、
個性として尊重される、と思い込んでいるGIDって、
ほとんどの健常な人の目には、
手鏡の先生と同じくらいに、頭がおかしいように、見えます。
GIDの人のブログを読むと、
一般の人が、GIDを見に来て、普通の人なので安心した、
と言ってくれるそうです。
マスコミや団体は、精神障害者に面と向かって、
キチガイなんて、言いません。
マスコミや団体には、社会的責任がありますから、
ちゃんと、建前の通りに、言います。
就職試験の面接に、本音を言う馬鹿がいますか。
マスコミは、受験者が本音を言ったら合格した、などと
面白おかしく書きますけれど、
本音と建前の、心の使い分けを、悪いことのように恥じるのは、
変(へん)かも知れません。
自覚できる心って、
全部、コミュニケーションによって作られた心です。
人間には、入れ知恵された心でなければ、心なんか、ないのに…
独創って、自動機械の作動の間違いしか、ありませんけれど、
文化には、たくさん人の間違いが記録されていますから、貴重です。
GIDに現れるような、広汎性発達障害は、
知能検査や学力検査などの、
他人の精神的な好き嫌いに、迎合する能力を問う検査によっては、
測れません。
犬が、飼い主の人間の家族の中の、ボスを見分ける能力って、
知能検査や学力検査と同じ主題ですけれど、
人間は、記憶容量が大きいので、違う能力のように見えます。
うちにも、IQ145~200ぐらいのGIDが、たくさんいまして、
学力は優秀ですけれど、やっぱり精神の病気です。
三島由紀夫さんや連合赤軍や日本赤軍の人たちも、そうでしたし、
なによりも、ほとんどの統合失調症の人の、発症前の子供時代と、
よく似ています。
1970年に、三島さんが自殺した頃には、
すでに、思春期以後や成人後の、さまざまな慢性的な精神障害は、
子供時代の、今で言う発達障害から、枝分かれをするように、
それぞれの症状の現れることを、
精神科医は、だれでも知っていました。
アスペルガーが発表されて、
一般の人が発達障害を知るようになったのは、
1980年代になってからでしたが、
それ以前からでも、医師は誰でも知っていながら、
検査によって客観的に測れない精神状態を、異常と言うのも、
いかがなものかと、訝(いぶか)っていました。
三島さんや赤軍派の人たちは、すでに、その状態でしたので、
多くの人が、この人たちのことを、頭がイカレている、
と見ていましたが、医学的には、精神障害と鑑定できませんでした。
2人だけの時に話す内容と、みんなに向かって話す内容が、
同じなの。
御本人は、心に裏表(うらおもて)がなく、
嘘偽りのない正直な気持ちで、話していたのかも知れませんけれど、
三島さんは、他人と親しくなろうとする気持ちがなく、
建前だけで出来たロボットのようにも見えました。
誰とも親しくなれずに、だんだんと、孤立しますけれど、
わたしに対してのみ、そうであったのかも知れませんから、
早計な判断はできません。
みんなも、そう思っていたのかしら。
三島さんのことを、狂人と公言して憚(はばか)らなかった人が、
自殺の前から、たくさんいました。
他人に対して、本音を言わずに、建前だけで押し通すって、
本音を言うと、虐(いじ)められるので、
気張って嘘をついているのと、同じことですけれど、
人とコミュニケーションをする時に、いつも気張っているのは、
当たり前なのかしら、異常なのかしら、
それとも、人それぞれなのかしら。
三島さんと親しくしていたGID(性同一性障害)の人の話では、
女の子のように育てられたので、
リラックスすると、女の子の地(ぢ)が出てしまうと、
本人は、言っていました。
変だなあ。
人間の心に、自分の本当の心と、他人から強要された心の違いが、
あるのかしら。
先着の判断を、後から変更できなくなっているだけのような
気もします。
人間って、嘘をついて、
嘘と本当を、使い分けることができるのかしら。
もしかしたら、
嘘と本当や、建前と本音を、使い分けることができる、とするのは、
格好の良いことを言っているだけかも知れません。
人間は、嘘をつけないかもね。
心は、一生懸命に習得しようとして、
忘れないように鍵を掛けてしまうと、変更不能になります。
刺青(いれずみ)を入れると、消せなくなるようなものです。
精神障害の人は、好んで、後戻りが出来ないように、
心に焼き付けてしまう傾向があります。
それが、精神症状ですけれど、
山下清という貼り絵の人は、直観像記憶と言われる能力を、
成人後も、廃(すた)れずに維持していました。
写真に撮ったように、丸覚えに記憶しますので、
その時に、気づなかった事でも、
後(あと)から、記憶を確かめると、電信柱が何本あったかと、
ちゃんと数えることができます。
誰でも、乳幼児の頃に、この能力を持っていますけれど、
電信柱を数えられるぐらいの年齢になると、
すでに廃れているかも知れません。
健常な人は、心が発達すると、大切な事だけを覚えたり、
話の筋(すじ)に沿い、あらすじを把握するように、
覚えたりします。
要点を抽象するってことですけれど、
だいたいは、みんなの文化的な価値観に準拠するように、
物事を記憶します。
直観像記憶の廃れなかった山下さんは、知的障害者と言われて、
他人と共通の文化的な価値観に従い、物事を記憶することが
苦手(にがて)でした。
まるごと、暗記してしまうように、覚えるって、
他人に合わせられずに、融通が効かなくなります。
コミュニケーションの能力が発達しないのと、同じ意味ですけれど、
最初に習得した判断を、なかなか変更できません。
覚えるのは早いのですが、変更できないのは、面倒です。
君の名は、というドラマに、菊田一夫という人は、
忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ、と書きました。
変更できないのと、忘れられないのとは、よく似ています。
乳幼児の頃に仕込まれた記憶を、忘れられません。
生物の記憶って、神経細胞の形に保存されますので、
判断の枝分かれの条件と同じでして、
化学物質の放出や受容の仕方が、
神経細胞の形に、表現されています。
これを変更できなくなると、アル中の人の、飲酒の習慣のように、
無意識に機能してしまいますけれど、
条件反射や刷り込みなどとも言われます。
アル中でしたら、
お酒や飲酒の動作を、目で見て知ることができますから、
まだ、自力の変更や更生が可能ですけれど、
目に見えない判断や記憶は、
習慣になると、自力では変更できなくなります。
脳の神経細胞の総数が増え続ける3才未満に起こると、
変更不能の判断から、無数の判断が枝分かれをして、
取り返しがつかないぐらいに膨大な量の、
人格と言われる孤立した判断の形式を、不可逆的に形成します。
経験は、体を維持するための、無意識の自動的な機能を核にして、
気持ちの良いことや、気持ちの悪いことを、
次々に、意識的に書き足して、
習慣や条件反射や刷り込みなどと言われるように、
よく使い込まれると、
無意識の自動機械の、変更不能な機能が、雪だるま式に増大します。
乳幼児の頃に、
みんなと合わせられないように、躾(しつ)けられると、
経験が増せば増すほど、にっちもさっちも行かなくなり、
精神の病気になるかも知れません。
けっして、男の子を、女の子のように育ててはいけません。
脳の神経細胞の総数は、3才頃まで、増え続けますので、
胎児の頃と、さほど変わりませんが、
生まれた後は、お母さんのお腹に保護されていませんので、
俗世間の無粋(ぶすい)な経験が、
脳の取り返しのつかないハードウェアを作ってしまいます。
三島由紀夫さんは、
女の子のように育てられたことを変更できなくなり、
それを隠すために、わざわざ建前ばかりの、
裏表(うらおもて)の無い人間のように、演技をしていたそうです。
わたしが見た感じでは、
女の子のように、見てくれにこだわる人でした。
じつは、赤軍派の男の子たちも、
エステティックな見てくれに凝る人たちでしたけれど、
これって、建前だけの人間に、なんとなく似ていません?
赤軍派の女の子たちは、
服装に凝らずに、辛抱を拒否して、粗暴で怒りやすい人たちでした。
これって、男女逆転と、なんとなく似ていません?
GIDだけでなく、統合失調症も含めて、精神障害者の子供の頃って、
男女逆転のような感じが、少なくありません。
精神障害の人って、
頑固に変更しないことを、みんなに見せびらかして、
わざと変更不能になる症状に、自分でうっとりするかも知れません。
ナルシズムのような独り善がりを、
事前に回避できれば良いのですが、なかなか、うまく行きません。
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