山の中の、少し涼しい所に、まだ、エゴノキが咲いていました。
品種改良されていない野生の日本の樹木では、
エゴノキって、指折りの可愛らしい花を咲かせてくれます。
GID(性同一性障害)の治癒した人たちって、
GIDが生殖をしないで、性的快楽だけを食い逃げするのは、
不可能である、と言います。
子供の生まれない夫婦は、一杯いますけれど、
自分から生殖機能を壊したGIDの後悔は大きいそうです。
自責感に苛(さいな)まれずに居よう、とする気持ちと、
心の性別を、がむしゃらに信じよう、とする気持ちとが、
同じですので、
後々までも、性転換を選んだことが、尾を引くそうです。
できるだけ、何事(なにごと)につけても、
いつも、将来のことを秤(はかり)にかけて、
現金に判断できる立場が、気楽ですけれど、
性転換を選んだ、という過去のことが、判断を重くします。
せっかく、性転換をしたのだから、という気持ちになるの。
フリーハンドでなくなります。
生殖って、本能と言われていますけれど、
生殖が、命の原動力や目的であるかのように、
解釈できるだけでなく、
実際に、生殖が避けられない運命のように、
GID(性同一性障害)の心に、迫って来ることがあるのかしら。
一般の人でしたら、性欲に促(うなが)された衝動が、
端的に生殖のためですから、わかりやすいのですけれど、
GIDの人でも、たとえば、
両親や他人の命を大切にしなければいけないとか、
お腹が減ると、食べたくなる気持ちや、
飢え死にしないように、現金に生きようとする気持ちや、
怪我(けが)や病気の苦しみを、避けようとする気持ちなどは、
いずれも、深刻に迫って来ますけれど、生殖のためでありませんか。
苦しいのを避けて、気持ちの良いことを、求めようとするから、
人って、生き生きとしていますけれど、
これは、生殖のための本能でありませんか。
生物の本能は、
すべて、生殖本能一本に纏(まと)められる、とされるのは、
人間で言えば、生きようとする気持ちは、
世代交代をしたい、という気持ちがなければ、成り立たない、
という意味です。
ダーウィンやフロイトなどに代表される考え方ね。
生物の個体って、みんな死にますから、
だんだんと老化して、死が近づいてくると、
世代交代のない人は、生きようとする意欲を、急速に失うのに、
自分の命を、みんなのために役立てようとする気持ちが、
一向に湧いて来ません。
世代交代がありますと、
自分の命を捨てでも、人のために役立とうと思います。
どうせ死んで行く命を、ちっとも惜しいとは思わなくなります。
GID(性同一性障害)の人は、
自分から生殖機能を壊した理由として、
自分の心の性別は、これこれなので、この体は嫌(いや)、
と言います。
そして、望みの性別の生殖機能を、手に入れたわけでありません。
自分の意志によって、生殖機能を壊した限りは、
いつまでも、自分の性別はこれ、という生き方でなければ、
後悔することになりかねません。
性別にこだわり続けなければ、生き生きと出来ない人生って、
必ず行き詰まると、GIDの治癒した人たちは言います。
GIDには、性別を超えた生き方しか、ないそうです。
男らしい生き方や、女らしい生き方でなく、
人間らしい生き方をしよう、ということね。
自分らしい生き方と、どう違うのかしら。
GID(性同一性障害)の人たちは、
望みの性別の生き方が、自分らしい生き方であると言い、
性転換を望みました。
性別の文化に絆(ほだ)された生き方って、自分らしいのかしら。
生殖って、生物の本能と言われていますけれど、
個体の長生きを、良いこととする価値観は、
生殖本能と、矛盾するかも知れません。
もっと短い人生を、頻繁に繋(つな)いで、世代交代をするほうが、
生殖本能に適(かな)っているかも知れません。
フランス革命や、アメリカが作った日本国憲法の個人主義って、
生殖本能に矛盾しています。
日本人は、かつて一度も、
個人主義を良いとしたことが、ありませんけれど、
人間らしさって、個人主義とは、また違うのかしら。
生殖をしないで、快楽だけを食い逃げする生き方って、
GIDの人たちが、自分らしい、と言う個人主義のことなのかしら。
それは、人間らしい生き方でないと、GIDの治癒した人たちは
言います。
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