エゴノキ 829 人間らしさ

山の中の、少し涼しい所に、まだ、エゴノキが咲いていました。
品種改良されていない野生の日本の樹木では、
エゴノキって、指折りの可愛らしい花を咲かせてくれます。
 
 
GID(性同一性障害)の治癒した人たちって、
GIDが生殖をしないで、性的快楽だけを食い逃げするのは、
不可能である、と言います。
 
子供の生まれない夫婦は、一杯いますけれど、
自分から生殖機能を壊したGIDの後悔は大きいそうです。
自責感に苛(さいな)まれずに居よう、とする気持ちと、
心の性別を、がむしゃらに信じよう、とする気持ちとが、
同じですので、
後々までも、性転換を選んだことが、尾を引くそうです。
 
できるだけ、何事(なにごと)につけても、
いつも、将来のことを秤(はかり)にかけて、
現金に判断できる立場が、気楽ですけれど、
性転換を選んだ、という過去のことが、判断を重くします。
 
せっかく、性転換をしたのだから、という気持ちになるの。
フリーハンドでなくなります。
 
生殖って、本能と言われていますけれど、
生殖が、命の原動力や目的であるかのように、
解釈できるだけでなく、
実際に、生殖が避けられない運命のように、
GID(性同一性障害)の心に、迫って来ることがあるのかしら。
 
一般の人でしたら、性欲に促(うなが)された衝動が、
端的に生殖のためですから、わかりやすいのですけれど、
GIDの人でも、たとえば、
両親や他人の命を大切にしなければいけないとか、
お腹が減ると、食べたくなる気持ちや、
飢え死にしないように、現金に生きようとする気持ちや、
怪我(けが)や病気の苦しみを、避けようとする気持ちなどは、
いずれも、深刻に迫って来ますけれど、生殖のためでありませんか。
 
苦しいのを避けて、気持ちの良いことを、求めようとするから、
人って、生き生きとしていますけれど、
これは、生殖のための本能でありませんか。
 
生物の本能は、
すべて、生殖本能一本に纏(まと)められる、とされるのは、
人間で言えば、生きようとする気持ちは、
世代交代をしたい、という気持ちがなければ、成り立たない、
という意味です。
ダーウィンやフロイトなどに代表される考え方ね。
 
生物の個体って、みんな死にますから、
だんだんと老化して、死が近づいてくると、
世代交代のない人は、生きようとする意欲を、急速に失うのに、
自分の命を、みんなのために役立てようとする気持ちが、
一向に湧いて来ません。
世代交代がありますと、
自分の命を捨てでも、人のために役立とうと思います。
どうせ死んで行く命を、ちっとも惜しいとは思わなくなります。
 
GID(性同一性障害)の人は、
自分から生殖機能を壊した理由として、
自分の心の性別は、これこれなので、この体は嫌(いや)、
と言います。
そして、望みの性別の生殖機能を、手に入れたわけでありません。
 
自分の意志によって、生殖機能を壊した限りは、
いつまでも、自分の性別はこれ、という生き方でなければ、
後悔することになりかねません。
 
性別にこだわり続けなければ、生き生きと出来ない人生って、
必ず行き詰まると、GIDの治癒した人たちは言います。
 
GIDには、性別を超えた生き方しか、ないそうです。
男らしい生き方や、女らしい生き方でなく、
人間らしい生き方をしよう、ということね。
 
自分らしい生き方と、どう違うのかしら。
GID(性同一性障害)の人たちは、
望みの性別の生き方が、自分らしい生き方であると言い、
性転換を望みました。
性別の文化に絆(ほだ)された生き方って、自分らしいのかしら。
 
生殖って、生物の本能と言われていますけれど、
個体の長生きを、良いこととする価値観は、
生殖本能と、矛盾するかも知れません。
もっと短い人生を、頻繁に繋(つな)いで、世代交代をするほうが、
生殖本能に適(かな)っているかも知れません。
 
フランス革命や、アメリカが作った日本国憲法の個人主義って、
生殖本能に矛盾しています。
日本人は、かつて一度も、
個人主義を良いとしたことが、ありませんけれど、
人間らしさって、個人主義とは、また違うのかしら。
 
生殖をしないで、快楽だけを食い逃げする生き方って、
GIDの人たちが、自分らしい、と言う個人主義のことなのかしら。
それは、人間らしい生き方でないと、GIDの治癒した人たちは
言います。
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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