ノイバラ 817 ロールプレイ

野茨(のいばら)って、いちばん気持ちが落ち着きます。
そのへんの原っぱや、裏山に、ありきたりに咲いていますから、
見慣れています。
 
野茨(ノイバラ)を、山から掘って来て、庭に根付かせてから、
奇麗(きれい)な品種の芽を、接木(つぎき)します。
 
わたしは、刺(とげ)ない品種が好きなので、
薔薇(ばら)らしくない、と言われて、怒られます。
 
 
性交渉をして、性的快感と生殖を得る律儀な人もいますが、
生殖をしないで、性的快感だけを、食い逃げする人もいます。
食い逃げのつもりでしたのに、赤ちゃんが生まれてしまうと、
不正出産かしら。
 
オナニーや同性愛ですと、不正出産はあり得ませんので、
無難に食い逃げが出来る、と思っていたのに、
同性結婚やGID(性同一性障害)って、
生殖のための結婚という社会制度や、
生殖のための性別の文化という社会の仕来りを、模倣しますので、
社会生活上の、不正性別とも言うべき事態になります。
 
社会的や文化的には、模倣しなくても良いのに、
模倣してしまいます。
これは、生殖をせずに、食い逃げの予定でしたのに、
生理的に出産してしまうのと、よく似ています。
 
家族計画は手抜かりのないように、計画出産に徹しましょう、
と呼びかけるように、
社会的性別は、間違いのないように、
事務的な正しさを心掛けましょう、と言うことになります。
 
別に、予期しなかった子供でも、ちゃんとした子供ですけれど、
不正に模倣された性別の行方(ゆくえ)は、ちょっと厄介です。
 
     どうして、間違えてしまうのかしら。
     夢や、赤ちゃんの心や、動物の心に、
     比較されますけれど、
     思春期以後の健常な人の、オナニーの罠かしら。
 
     想像された素敵な異性の、言葉や振る舞いって、
     オナニーをしている人の、自作自演です。
     オナニーと同じことを、実生活で再現すると、
     ナルシズムと言われます。
     性別が入れ替わるでしょう?
 
     想像の中身を、自分で演じるように、
     異性装を実行します。
     鏡の中の自分の顔と、好みの性交渉の相手の顔とを、
     識別できなくなる人もいます。
 
     自分で演技しているのですから、
     当たり前と言えば、当たり前ですけれど、
     ロールプレイ療法のように、感情移入をして、
     自分が自分でないような気持ちになりますと、
     アリストテレスの言うところの、
     カタルシスの気持ち良さを感じます。
     体や魂が浄化される意味ね。
 
     オナニーって、人間を想像せずに、何を想像しても、
     たいして変わらないって、すぐにわかります。
 
     ようするに、擦れば気持ち良くなりますけれど、
     その時に何かを想像して、習慣になると、
     擦らなくても、想像しただけで、気持ち良くなります。
     物体や動物や人殺しや空気や雰囲気や
     特定の変化や抽象語などを想像しても、同じことです。
 
     いつも同じ物事(ものごと)を想像するのが、
     習慣になると、
     ジキル博士とハイド氏みたいに、
     精神的に不快になった時に、気持ち良くなろうとして、
     実際に、人を殺してしてしまうのを、
     変更できなくなるかも知れません。
     条件反射とも言いますけれど、
     刷り込みと言う人もいます。
 
     脳味噌の神経細胞の樹状突起の枝分かれが出来ます。
     その枝分かれって、
     判断の条件の枝分かれの意味なんですけれど、
     記憶と言っても構いません。
 
     枝分かれに応じて、
     神経伝達物質という色々な種類の化学物質の出し方や、
     受容体の感度などが決まりますから、
     記憶や判断や、反射や習慣って、
     錬金術や、魔女の秘薬の調合と、たいして変わりません。
 
オナニーだけでなく、物事の成り行きを、人は想像します。
未来をシミュレーションする時に、
他人が喋っている様子や内容を創作して、心の中で演じるでしょう?
 
自分で想像した内容と、現実に起こる事実との、
区別のつかなくなる人がいて、解離と言います。
解離だけですと、夢や、赤ちゃんの心や、オナニーなどと、
似たようなものですけれど、
そのせいで、自分や他人の生活に支障をきたして、
自分や他人が苦しくなれば、自我障害と言われるかも知れません。
 
解離って、ヒステリーに一般的な症状ですけれど、
統合失調症でしたら、自我障害と言われます。
 
妄想や幻聴や幻視だけでなく、
自分の考えていることや生活が、
他人に筒抜けに聞こえて、見られていると、確信したり、
他人の考えや生活が、聞こえる、見える、と感じたり、
誰か知らない人間が、
自分の考えや生活を、同時解説していると、感じたりね。
 
知らない人間が、自分を助けてくれると信じて、
その人に指図(さしず)されたり、
特定の人を恨んだり憎んだり、命や物や財産を盗られたり、
自分の命や体が、危険に曝されて、風前の灯(ともしび)であり、
今、ただちに、何かをしないと手遅れになる、と焦ったり…
 
言い出すと、きりがありませんから、
一括して自我障害や認知障害と言うと、便利です。
これとこれは自我障害で、これは妄想で、これは行為心迫とかと、
色々と文学的に、名札を付けてくれる人もいますから、
くそったれですけれど…
 
     そんなもん、物的証拠のない心を、事務員が分類しても、
     裁判の判決文みたいに、あほな文章しか、できません。
     どうせ文学なんか、概念の分類に決まっていますけれど、
     言葉で表現しないと、しょうがないから、面倒です。
 
     厄介の極めつけは、事実なの。
     事実は、技術の聞き間違いでないかと、疑います。
 
     裁判官が、事実はこうであると言って、死刑にします。
     どこかの誰かが、みんなで見た、と言うだけです。
     みんなが見たから、間違いない、と言うのが、
     いちばん胡散臭(うさんくさ)いのに…
     誰でも見れますから、何の技術も要(い)りません。
     警察官が見た、と言うのと、同じぐらいに、
     二束三文の価値しか、ありません。
 
     わたしは、大きな船を作り、トンネルを掘り、
     結核を治して、鉄砲を作るのを見ると、
     なるほど、それが欲しい、という気になります。
     役に立つもん。
     生活の役に立つ技術を、信じます。
 
     でも、みんなが見たと言い、
     裁判官が死刑を宣告するのは、何の技術もありません。
     嘘八百でも行けます。
     ただの事務員の戯言(たわごと)と区別がつきません。
 
     すると、ビデオに映っていても、信じないのか、
     と問われます。
 
     演技や映画を、見たことがないのかしら。
     昔、チャップリンという人が、映画を発明してから、
     30年間も、観客は
     本物の船や大砲を使って、野外で演技された事実を、
     知りませんでした。
 
     演劇は、舞台の上だけと、思っていたの。
     だから、戦争の映画は、
     実際の戦争を写したものと思っていました。
     演技であるとわかるまで、30年、かかりました。
 
     プロレスもそう。
     1950年代初め頃に、テレビのプロレスを見て、
     半分筋書きのある演技で、半分即興の演技と思いました。
     動作が、空手の型みたいで、コミカルだったもん。
 
     世間の誰でもが、
     プロレスは肉体喜劇って、わかるようになるまで、
     だいたい、30年間、かかったでしょう?
     相撲も、八百長でしたけれど、
     横綱になると、天皇陛下や大統領と、お話ができました。
 
     お祭りの日の見世物小屋なんか、
     狼女(おおかみおんな)ってのが出てくるけど、
     両足の無い人が、義足と義手をつけて、
     お乳を放り出したまま、
     敷き藁(わら)の上を、四つ足で歩きます。
     ヒマラヤで、狼に育てられたそうなの。
 
     だいたい、昔から、そんなものですけれど、
     エレファントマンの時代に、すでにありましたから、
     100年たっても、変わりません。
 
     エレファントマンって、
     ジョゼフ・メリックという19世紀後半の実在の人が、
     見世物小屋で働いていたお話です。
     映画になりましたけれど、
     体のあちこちに腫瘍が出来て、
     垂れ下がって来る病気です。
     フィラリアのように見えましたけれど、違うみたい。
 
     見世物小屋で虐(いじ)められていたように
     描かれていましたけれど、
     ほんとは、見世物小屋の店主のことを、
     いい人と、言っていたそうです。
     両足のない女性に、
     仕事をあげた日本の見世物小屋の人も、
     きっと感謝されていたと思います。
 
     見世物小屋って嘘八百ですけれど、
     映画やプロレスと同じように、人気がありました。
     裁判で言う事実も、それでないかと、疑われます。
     映画の中身や、プロレスの中身や、見世物小屋の演目や、
     テレビの番組のようなものでないかと。
 
     そんなことで、人を死刑にするって、
     事務員や宗教家のやりそうなことですが、
     オウムの麻原って人は、
     サリンを作って撒いて人を殺した事実があるから、
     死刑になりました。
 
     裁判で認められた事実って言うのは、
     映画の演技やテレビの番組のようなものなのかしら。
 
     プロレスって、即興で行きますから、
     台本なんか、ないそうです。
     やくざって、親分の意を汲んで、
     子分が勝手にやりますから、
     謀議なんて、無いかも知れません。
 
     事実って、台本も謀議もないけれど、
     みんなで実演するロールプレイのように見えます。
     有罪になる人だけが、血祭りに上げられるの。
 
     連合赤軍のリンチ殺人事件では、総括と言いました。
     スターリンの時代には、粛清と言いました。
     現代の西側先進国は、事実と言います。
 
     コンビニ強盗って、防犯ビデオに、映っているでしょう?
     あれを、裁判官は、事実と言います。
     犯人も、ビデオを見せられると、
     わたしがやりました、と言います。
     みんなで、台本もないのに、
     即興の演技をしているだけかも知れません。
     ロールプレイをしているの。
 
     みんなが阿吽(あうん)の呼吸で、即興の演技をして、
     コンビニ強盗の役を演じた人が、牢屋に入れられて、
     サリンの役柄の麻原っていう身体障害者が、
     死刑になります。
 
     みんなが、それぞれの役を演じているって、
     役者の人は、よく言うでしょう?
     朝から晩まで、ロールプレイの中で生きていますと、
     そういう気持ちになります。
     GID(性同一性障害)と同じです。
 
事実って、何かしらって、
物事の認識は、みんなと一緒でなければ、
成り立たないかもしれない、という疑問です。
 
赤ちゃんは、みんなと一緒ってのを、知りませんから、
自我が、まだ出来ていません。
赤ちゃんの見る世界って、夢の中みたいに、歪んでいます。
 
大人でも、精神の病気になると、歪んできます。
統合失調症の人の見え方って、
ゴッホやムンクの絵を見れば、わかります。
もっと、重症になると、赤ちゃんみたいになりますから、
立って歩くこともできなくなります。
寝たきりになれば、筋肉も弱りますけれど、
目で見た映像が、抽象絵画みたいになりますので、歩けません。
 
事実の認識って、言葉みたいなものなの。
一人一人の言葉は、少しずつ違いますけれど、
同じ日本語や英語っていう言語を使わなければ、通じません。
自分一人だけの暗号って、他人に通じないでしょう?
みんなと一緒でなければ、役に立ちません。
  
日本語なら日本語という共通の言語によって、
世界を表現するように、
目で見た映像ってのも、共通のコミュニケーションの規格によって、
すでに表現されたものでないかしら。
 
目で見た映像では、認識のときに、
共通のコミュニケーションの規格が、適用されていませんか。
空間や時間っていう規格。
 
赤ちゃんは、言葉を知らなければ、喋れないように、
みんなに共通の、
空間や時間というコミュニケーション手段を習得しなければ、
目で見た映像が、夢の中の抽象絵画のように、歪んでいます。
 
精神の病気になると、
事実ってのが、そこまで、わからなくなります。
 
みんなと一緒と言っても、日本語しか知らない日本人は、
英語やフランス語を聞いても、意味がわかりません。
空間や時間って、世界共通なのかしら。
 
統合失調症の人は、時間や論理がおかしくなり、自我障害と言われ、
妄想や幻聴が現れますけれど、
空間がおかしくなって、ゴッホやムンクになるかも知れません。
 
面倒くさいから、全部合わせて、認知障害と言いますけれど、
空間や時間や論理っていう認知の仕方が、おかしくなると、
認知された中身が、違って見えますから、
事実って言われているものは、
認識の対象と、認識の仕方の、両方が合わさっています。
 
言語のように、共通のコミュニケーション手段がなければ、
他人と意思疎通ができないように、
認識の仕方にも、
空間や時間や論理のような、共通の認識の仕方があります。
空間や時間や論理って、みんなと一緒の文化なの。
 
言語と同じようなものですけれど、
動物の鳴き声から、言語が発達したように、
空間って、たぶん免疫機能から発達しましたし、
時間は、たぶん性周期から発達しました。
論理は、
神経細胞から生えてくる樹状突起の枝分かれのことですけれど…
 
みんなと一緒の文化がなけば、みんなと一緒の事実って、
あり得ませんから、
裁判が、事実や責任を判断するって、自家撞着ってやつなの。
どうしても、総括や粛清に見えてしまいます。
これが、精神の病気にも、おおいに関係があります。
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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