ガマズミ 808 オウムや仏教などの、事実の仕組み

ガマズミって、うちのパソコンに出ない字でして、
面倒臭いので、片仮名で行きますけれど、
日本語の語源もわかりません。
 
野山に普通の潅木でして、とても覚えやすい名前です。
花も実も綺麗(きれい)で、食べられる実ですので、
ズミは、
林檎(りんご)の野生種の酸実(ずみ)と同じ意味かも知れません。
 
 
顔や体の見てくれと、
人格や地位や身分や収入などとは、同じである、として、
人を、エステティックに判断するのは、
生殖によって、人を評価することに、由来しています。
生物の本能は、生殖である、とする考え方ね。
 
その通りに行かなければ、
人を見る目が、自分になかった、と反省します。
次回からは、エステティックな判断の基準になる見てくれと、
人と成りとの関係を、実態に合うように、少し変更します。
 
顔のほうの変更点は、人相術の本に指摘されていますが、
美容外科や似顔絵の教科書を読む人もいます。
人と成りの見方は、経済学や政治の本を読むのかしら。
判断の対象が、技術系の人でしたら、物理や化学の勉強も必要です。
 
そうして、顔のほうと、成りのほうの、両方を、
何度も現れる結果に合わせて、修正すれば、
人相見(にんそうみ)になれるかも知れません。
判断の対象のことを、性欲の対象の性別と、
LGBTの人は言うかも知れません。
レズ、ゲイ、バイ、トランスジェンダーのことね。
 
これって、形の中に、生殖が含まれている、
とするアリストテレスの考え方と同じです。
この方法によって、空間や時間や論理などが、生まれたそうです。
形の中に、それらが内蔵されています。
 
事実はこうである、と確信するだけでなく、
宇宙船を飛ばして、超高層ビルを建てて、癌を治したのも、
エステティックである、とアリストテレスは考えます。
実用的に、役に立つ技術と、
顔や体の見てくれによって、
エステティックに人を差別虐待する偏見とは、同じである、
と考えます。
 
今までは、鼻が高ければ高いほど、お金持ちになる、
としていましたが、
実際に見ていると、貧乏人になった人もいましたから、
これからは、もう少し低いほうが、お金持ちになる、
と修正すれば良いのです。
結果に合わせて、こまめに予言を修正して下さい。
 
クレオパトラの鼻が、もう少し低くても、
さほど歴史は変わっていなかったと、わたしは思います。
 
     経験的な条件をつけて、具体的な関係を修正しても、
     形と価値の、エステティックな関係は、不動です。
     そのことを、自然と論理は一致するとか、
     これこれは事実であるとかと、言います。
 
     実際に、宇宙船を飛ばして、癌を切除する技術と、
     エステティックな占いとは、
     同じ理屈によって、成り立っていると、
     たぶん、アリストテレスは考えたはずです。
 
     アリストテレスが、何を美しいと考えていたかって、
     どうでも良いのですけれど、
     彼は、古代ギリシャの人物の彫像を、
     非難しませんでした。
 
     日本人は、ギリシャ彫刻を、
     美の権化(ごんげ)のように、礼賛(らいさん)して、
     白人でない自分の体を、卑下することに、躍起です。
     日本の絵描きさんや写真家や俳優さんなどには、
     欧米人の真似(まね)を、みんなに披露して、
     うっとりとする人が、多いかも知れません。
     
     プラトンという人は、
     日常的なものを、偶像にすべきでない、として、
     理想的な国家から、芸術家を追放しました。
     現代でも、イスラム教は、偶像崇拝を禁止しています。
 
     これこれであれば、これこれであるとか、
     これこれになるだろう、とする関係を、
     事実を見て、フィードバックさせるように、修正すれば、
     美という価値があるかのように、思い込むのと、
     科学の法則があるかのように、確信するのとは、
     五十歩百歩です。
     同じ種類の屁理屈なの。
 
     イギリスやアメリカの、経験論や実用主義って、
     因果関係を、
     事実といわれる形に表現しているのでないかと、
     疑われます。
 
     因果関係って、
     戦争の原因はこれこれである、とするような、
     原因と結果の関係です。
 
     戦争の原因と結果の関係に、
     風が吹けば桶屋(おけや)が儲かるような、
     いい加減な関係でないものは、ありません。
 
     文学的に恣意的な概念を並べて、
     好き嫌いを評価するしか、ないでしょう?
     原因には、さらに原因があり、
     時間の前後関係しか、確かなことは言えないと、
     すぐにわかります。
 
     これこれならば、必ず、これこれのことが起こるって、
     定義をしなければ、言えません。
     どれぐらいの確率で、起こるかって、
     経験的にやってみて、過去のことを言うしか、
     ありません。
     過去に起こった頻度で、未来にも起こるなんて、
     だれも言えません。
 
     条件を同じにして、
     何度も試してみなければなりませんが、
     確かに条件が同じであることを、
     どうやって知るのかしら。
     条件が同じであることを証明するために、
     また別の原因と結果の関係を、
     証明しなければいけません。
 
     言葉を定義するために、言葉を費(ついや)すのに、
     似ています。
     説明に使われた言葉を、どうやって定義するのかしら。
 
     サイコロを振れば、1/6の確率で、1の目が出るって、
     定義ですけれど、
     実際に振ってみると、それに似たような結果になります。
     そのようにサイコロを製造しますから、
     当たり前ですけれど、
     理想的な1/6の確率のサイコロって、
     プラトンのイデアのようなものです。
 
     化学でも、
     条件を同じとすることを、理想状態と言います。
     実際には、ありません。
     理想って、定義と同じですけれど、
     どのように定義したのかを、
     定義した本人が言えない時は、
     理想と言っておきます。
 
これって、統合失調症の妄想と同じ仕組みですが、
自分一人だけの定義や妄想でなく、みんなの事実は、
みんなが、同じような定義や妄想を、共有します。
文化って、みんなが一緒に、決まっていますけれど…
     
みんなと一緒に、同じように持つ理想が、
形や音のように、エステティックに表現されると、
事実と言われます。
そいつが人を殺すのを、みんなが目撃したから、
そいつは死刑であると、みんなが口を揃えて言うのは、
悪い奴をやっつけなければいけない、という理想が、
そいつの犯行を見た、というみんなの事実になって、現れます。
 
みんなが同じ夢を見る仕組みを、
プラトンやアリストテレスは、考えました。
赤ちゃんの心が、だんだんと発達して、
自分一人だけの夢を見ていたのが、
だんだんと、みんなと一緒の夢を見るようになることを、
自我が出来る、と言います。
 
みんなと一緒の定義を、数学や言葉によって、自覚できなくても、
目に見える形として、見ることが出来るようになります。
事実と言います。
日本人とフランス人は、違う言葉しか知らなくても、
同じ事実を見ることが出来ます。
 
事実って、エステティックですから、
目で見える形だけでなく、
耳に聞こえる音や、においや、触覚もありますけれど、
人間って、目が良いので、形が主体になります。
 
統合失調症の人は、
言葉によって、自分一人で定義された判断が、
幻聴として聞こえるだけでなく、
幻視や幻嗅(げんきゅう)になることも、よくあります。
 
顔や体の見てくれによって、
人格を、エステティックに判断するのが好きな人は、
幻視のよく出る傾向がありますので、
ゴッホやムンクって人たちは、幻視がひどかったかも知れません。
 
GID(性同一性障害)の人には、幻嗅のよく出る傾向があり、
普段から、臭(にお)いでわかる生活をしていたのかしら。
 
人よりも嗅覚が鋭いのかも知れませんので、
検査をしてみると、人並みですから、
目の見えない人の聴力が、人並みなのに、
録音された会話を、初めて聞く時にも、
5倍速で聞き取ることができるってのに、似ています。
わたしは、3倍速でも往生します。
 
     生殖や育児や世代交代などのために、生物は生きている、
     とするのは、
     生物の行動や、体の機能の、目的や原動力は、
     生殖である、と俗っぽく考えることですが、
     目的と原動力とが、同じになるって、
     論理的には大切です。
 
     生殖から、論理が導き出されたのですから、
     当たり前ですが、
     プラトンの考え方を、
     アリストテレスは引き継いでいます。
 
     概念と概念のくっつき方や、物体と物体のくっつき方は、
     生殖本能と同じであると、アリストテレスは考えました。
 
     プラトンは、生殖なんて、言わなかったのですが、
     論理って、物事の中から、
     特定のものを抽出する作業であると、考えました。
     取り出されたもののうちの、
     みんなに共通の下世話なものを、事実と言いますが、
     下世話な理想かも知れません。
     プラトンは、高尚なものが、お好きでした。
 
     みんなで、取り出すものを決めておけば、
     みんなの見た事実が、同じになるのは、当たり前です。
     文化って、みんなの取り決めを言いますから、
     事実を見て、人を有罪にする判決は、
     たぶん、連合赤軍のリンチ殺人事件の総括や、
     スターリンの時代に、
     嫌(いや)な奴を粛清した裁判などと、
     同じ意味になります。
 
     オウムの麻原って人は、
     アホくさいので、裁判に非協力でしたが、
     殺したのが事実であるか、事実でないかなんて、
     重要でない、と確信していたと思います。
 
     古代インドの、伝統的な考え方の手順なの。
     事実よりも、神話のほうが面白いって、
     インドのヒジュラだけでなく、
     世界のGID(性同一性障害)に、共通の感覚と思います。
 
     しがない事実よりも、
     空想を羽ばたかせたほうが、面白そうですが、
     ヒトラーがユダヤ人を殺して、
     オウムがサリンを撒(ま)き、地下鉄を殺して、
     裁判官が麻原を死刑にするって、
     事実は小説よりも奇なり、と思いません?
 
物体の形には、エネルギーや目的が内蔵されている、
と、アリストテレスは考えました。
移動や変化は、それ以前の形を見れば、予想できる、とします。
 
形を見れば、未来が見える、という意味ですが、
これこれの、一つの形のある物体である、と見ることが、
未来を予想した内容は、これこれである、と述べるのと、
同じ意味ですから、 
人は、形を認識することによって、未来を予言しています。
 
言葉によって予断を述べるように、
形によって予言することを、事実が見えると言います。
文化や習慣でしたら、無意識のように行なわれるので、
自分で気づいていないかも知れません。
実際、気づかなくなったものだけを、
事実と言うのかも知れません。
 
普通は、みんなの事実だけを、事実と言いますが、
一人の人しか、見ていない事実でも、
みんなの事実とされる規約に合致していれば、
みんなの事実である、と確信されるかも知れません。
裁判のようにね。
 
みんなの事実って言うのは、面倒くさいので、
普通は、たんに事実と言います。
自分一人だけの事実のほうを、妄想や幻覚などと言います。
 
けっして、具体的に体験した人が、
みんなであるとか、自分一人だけであるとかでなく、
適用された価値観が、
みんなに共通であるか、自分一人だけの特殊なものであるかにより、
客観的な事実を体験したのか、それとも、
自分一人だけの妄想のような事実を体験したにすぎないのかと、
値踏みされます。
 
事実は、世間の実勢の文化として、
みんなの合意のある予断のように成り立っていますから、
みんなに認められた定義のように機能しますけれど、
学者さんたちは、事実の中身の一々を、経験的に検証して、
結果が、予想と違っていれば、
その都度、フィードバックをさせて、修正することを、
みんなに薦めています。
 
移動や変化を知るって、
空間や時間を、まだ得体の知れない物事(ものごと)に適用して、
特定の形のある物体として、物事を認識することです。
それでしたら、
移動や変化が、形に含まれているのは、当たり前でしょう?
 
赤ちゃんは、細かいところを認識していませんけれど、
みんなと一緒の大人とは違うような、
独自の概念の纏め方をしていますので、
妙なところを、細かく認識しているかも知れません。
机は、足や引き出し、という部分によって成り立っている、
と大人は思っていますが、
赤ちゃんは、地面に生えた樹木も、床(ゆか)の上の机も、
同じようなものと、見ているかも知れません。
 
幼児の絵は、知的障害の山下清っていう貼り絵の人の作品のように、
溌剌(はつらつ)としていますけれど、
統合失調症の患者さんの絵も、よく似たところがあります。
お乳を飲んでいる乳児は、
大人の見る事実とは、別の次元のように、
変(へん)な形の世界に暮らしています。
シュールレアリスムね。
 
事実と言われる映像が、認識によって異なる映像の内の、
健常な大人に共通の映像のことであると、すぐにわかりますが、
乳幼児や精神障害者には、必ずしも共通でなく、
大人でしたら、
共通でないことが、精神障害の理由の一つとされます。
 
変(へん)てこな映像の世界から、
だんだんと健常な大人の映像になるって、
事実と言われるものが、
人間の認識から独立して存在するものでなく、
多数決のようにして作られた文化的な価値であるせいですが、
現在では支持されていない文化も、大切そうに伝えられていますし、
個人の記憶も、習慣になっているものは、自覚されないものが多く、
みんなの文化のような顔をしているかも知れません。
 
精神障害って、認識のマイノリティなの。
GID(性同一性障害)の人の、目に見えている映像も、
幼児に近いかも知れません。
お菓子で出来たキノコの家に暮らして、
7人のこびとと、一緒に寝ていません?
 
     アリストテレスって、
     空間や時間は、物体の形に内蔵されている、
     と考えました。
     移動や変化が内蔵されているのですから、
     エネルギーや目的だけでなく、
     能力や可能性という概念も、形の中に内蔵されています。
 
     エステティックって、目で見たり、
     手で触ったりして得られる感覚情報のことですが、
     審美的という意味の形容詞よりも、
     美的な価値観や、美学的な判断や、美学などの、
     名詞として使われることのほうが、多いと思います。
     とりわけ、
     見てくれと、人の性格や権力や収入などが、一致する、
     という考え方のことを言います。
 
     生殖能力が形に現れている、という意味ですけれど、
     そもそも、生殖能力に合わせて、
     形を認識するって、アリストテレスは考えます。
     現代人がエステティックに判断するのは、
     ほとんど、社会的な生殖能力と思いますが…
     弱肉強食ってやつね。     
 
     事実って、これこれの形である、と言うのと
     同じ意味ですが、
     ダーウィンやフロイトなどは、
     世の中の実勢も、世界の認識も、
     嫌(いや)な奴を殺して、
     自分の子供を殖やす生殖本能によって
     出来ているのに決まっていると、
     単刀直入に本音(ほんね)を述べました。
 
     昔の石原裕次郎とか、今の大阪市長みたいに、
     下品な人ほど、よく流行します。
     頭は良くなくても、構わないの。
 
     将来、知ることになる権力や収入の量を、
     今の内に予想しようとします。
     顔や体の形を見れば、予想できる、
     と、占い師や、エステシャンは、言います。
 
     形の中に、未来が含まれていると見ますが、
     優秀な占い師は、たくさんの未来を、実際に知ってから、
     経験的事実が表現されるように、
     顔を見て、これこれの形である、と言います。
 
     結果論みたいなものですが、何人もの人に、
     何度も繰り返して、何度も経験的に修正しながら、
     うまく的中するように、
     正しい見方(みかた)を作って行きます。
 
     これと同じことを、顔の形だけでなく、
     世の中の事や、人の事や、技術の事などの、
     すべての物体の形について、
     わたしたちは、行なっています。
 
     自分一人で行なうのでなく、
     みんなの文化的な見方を作ります。
     法律や常識のようなものかしら。
     みんなの見方が、
     具体的な形として、物事(ものごと)に適用されると、
     事実と言われます。
 
     まだみんなの見方の適用されていない物事に、
     みんなの見方を適用すると、
     事実と言われる形が、物事の中から抽出されます。
     透明な液体に、アンモニアを入れると、
     硝酸銀が沈殿するようなものかしら。
 
     あの人は、鼻が高い、と言うのは、
     鼻が高ければ、これこれの未来になる、
     という過去の経験的な蓋然性から、
     初めて、鼻が高い形に見ます。
      
     みんなの文化であれば、
     自分は、他人の行く末を知らなくても、
     その鼻を見た時に、
     文化的に、高い鼻の形である、と見ることができます。
 
     文化や経験がなければ、
     鼻と見ることも、高いと見ることも、できません。
 
     高い鼻の形と見るのは、
     欧米白人や、幕末以後の日本の、文化や経験では、
     権力という生殖能力の一つを、見ています。
     鼻が高ければ、子孫を残しやすい、ということね。
     すべての形の見方は、生殖本能によって、作られます。
 
     そのように見られた形を、事実と言います。
     そうでなければ、
     わたしたちは、人の顔の形を表現できません。
     表現できないのは、形を認識できない、
     という意味ですが、
     みんなに通じるような、みんなと一緒の表現ができない、
     という意味です。
     みんなと一緒の認識ができない、という意味ね。
     赤ちゃんと同じです。
 
     事実は、すべて予断を含んでいます。
     つまり、未来を予言しているから、
     特定の形に見えて、事実である、と言われます。
 
     予断のほとんどは、文化や意志です。
     みんなの約束事のようなものでなければ、
     自分の行動の心づもりです。
     みんなの行動の心づもりであれば、
     みんなの約束事のようなものですが、
     自覚できないくらいに、みんなの習慣になれば、
     文化と言われるようです。
 
これは、アリストテレスの考え方と、同じです。
予言される未来は、生殖であると、言います。
物体を見ても、人間の生殖に有利であるか否かが、予言されて、
事実と言われる形に見えます。
みんなの生殖に有利ならば、みんなの事実です。
特定の人の生殖にのみ有利でしたら、
特定の人にしか、その形に見えませんから、その人だけの事実です。
 
形は、すべて、言葉の表現と、似たようなものなの。
そうでなければ、形を表現できません。
特定の形に見えません。
認識が、表現って意味です。
表現って、意図的にするものですけれど、
習慣になれば、自覚しません。
 
ヒステリーの心と、同じですから、
マイノリティ(少数派)であるか否か、
生活や心に支障をきたすか否かが、違うだけです。
ヒステリーって、日常語の意味でなく、
精神分析で使われる意味と思って下さって結構です。
 
人間の耳は、それほど良くありませんが、目は、かなり優秀です。
鼻は馬鹿ですが、触覚も、あまり優秀でないみたい。
 
エステティックと言われるのは、
視覚だけでなく、聴覚や、触覚なども、含みますけれど、
おもに視覚です。
それも、人の顔や体の見てくれや、
服装や持ち物や建て物などの、生活の道具の形を言うことが多く、
自然の景観を描写する現代人の能力は、動物未満かも知れません。
 
いわゆる自然科学の知見は、
下手な占い師や、場末のエステシャンの言葉に、よく似ています。
学者さんって、フーテンの寅さんのような遊び人ですから、
仕方ありません。
 
マケドニアのアレクサンダーという若い王様は、
アレクサンダーでなければ、ディオゲネスでありたかった、
と言ったそうですが、
アレクサンダーの家庭教師は、アリストテレスでした。
ディオゲネスって、樽のディオゲネスと言われている人です。
 
予断がなけば、
感覚器官から得た情報を、いわゆる事実として認識することは、
できません。
文化でなければ、予断って、自分の意志ですけれど、
ほとんどは、過去の経験の記憶ですから、
やっぱり習慣になっていて、自覚できないかも知れません。
 
視覚についてのみを言うなら、偏見や先入観などがなければ、
物事は、視覚的な形として見えませんから、
癌を切って、病気を治した、と言う医師は、
イケメンの芸能人を見て、黄色い声を上げる中学生の女の子と、
同じくらいの知能かも知れません。
  
でも、知能って、測れませんので、怒らなくても結構です。
未来を予言する見方によって、人を見ることのできる人が、
すぐれた占い師や人相見と言われるように、
予断を持った見方により、事実を見つけ出して、他人を殺す人が、
すぐれた裁判官や警察官などと、言われます。
麻原っていうオウムの人は、
事実を信じる人を、鼻でせせら笑っていたかも知れません。
 
エステティックは、美学や審美眼などと翻訳されますが、
偏見や、間違った判断の、総元締めのように言われます。
ほんとは、見てくれと、収入の実際とが、異なれば、そのたびに、
これこれの見てくれならば、これこれの収入という関係を見直して、
様々な条件を微調整しますので、絶対に破綻(はたん)しません。
 
     ラボアジェや、ダーウィンや、フロイトなどは、
     アリストテレスに倣(なら)い、
     エステティックな関係は、生殖本能を意味していると、
     考えました。
 
     これこれの見てくれならば、
     これこれの人格である、とは、
     生殖に有利であれば、生き残る、というのと同じであり、
     そのために、人間を含めた生物は生きています。
     生殖を追求する原理が、生命の定義である、としました。
 
     生物の進化を見て、
     これこれのために、そう進化した、と見ます。
     そのほうが生殖に有利であるから、
     自然によって、取捨選択されて、自然淘汰された、
     という意味です。
     生存しなければ、生殖できませんから、
     生殖に有利であるのは、
     長い目で見れば、生存に有利であることを含んでいます。
 
     植物なんか、
     生存条件が悪ければ、生殖して種(たね)になりますが…
 
     形を見て、進化を知り、
     目的だけでなく、生きる原動力も、
     形の中に含まれていますから、
     形は、生殖のエッセンスのようなものです。
 
     人間の、日常的な行動や、常識的な思考も、
     生殖の利便性が、判断の基準になりますので、
     エステティックな判断は、
     けっして、偏見や間違いでないと、
     進化論や精神分析は考えます。
     アリストテレスを模倣したものです。
 
     もちろん、アリストテレスは一人で考えたのでなく、
     当時のギリシャに伝わっていた考え方を
     紹介しただけですが、
     アリストテレスの著作にしか、
     まとまったものが残っていませんので、
     すべてアリストテレスの考え、
     ということになっています。
 
     アリストテレスの考えの大切なところは、
     ダーウィンやフロイトの理解したような、
     自然淘汰の結果論や、生殖のための俗っぽい美学などが、
     恐竜の骨や、芸能人や政治家の、
     エステティックな形に現れている、
     ということでありません。
 
     生殖のための目的論によって、
     人間や生物を見るのでしたら、
     考えるまでもなく、
     小学高学年ぐらいになり、色気を感じるようになると、
     誰でも文化的に、アリストテレスの考え方を習得します。
 
     アリストテレスは、
     そのような生殖のための目的論や結果論が、
     空間や時間や論理や事実などと言われるものと、
     同じである、としました。
     エステティックな判断と、
     合理主義や功利主義や経験論や実用主義などは、
     いずれも、
     形の中に内蔵された同じ判断の様式を言っています。
 
     さまざまに実験をして、
     予想通りになれば、たぶん間違いない、
     と確信する思考の手続きは、
     人の顔や形の見てくれに、
     性格や収入や地位が含まれている、
     とするエステティックな考え方と、同じである、
     としたことが、
     もしかしたら、アリストテレスの功績かも知れません。
 
     わたしは、生殖と論理との関係を、
     アメリカのプラグマティズムや記号論理にも、
     はっきりと見ます。
     実用的で経験的な合理主義って、
     エステティックな偏見や差別や虐待と同じであることが、
     アリストテレスを見れば、わかります。
 
     だって、目が、これこれの形なら、
     将来、これこれの地位や収入になる、という予言を、
     実際の結果に照らして、その都度、様々な条件によって、
     具体的な形や、地位や収入の数字に、修正するのは、
     ロケットを飛ばして、宇宙船を作り、
     遺伝子組換食品みたいなリンパ球を輸血するのと、
     原理的に同じですので、
     エステティックな人権蹂躙と、
     宇宙工学や医療の評価とは、区別がつきません。
 
     実際、場末のエステシャンと医学部の教授って、
     似たような人ですし、
     GID(性同一性障害)って、
     エステティックな差別感情を、変更できません。
 
     事実と、統合失調症の妄想の体系と言われるものとが、
     一般に流行している事実と、
     個人的な事実との違いでしかないって、
     信じられないかも知れませんけれど、
     オウムが工場を作り、製造されたサリンを撒いたのは、
     性転換医療に似ているような気がしてなりません。
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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