レンギョウ 778 雲となり雨となり

連翹(れんぎょう)って、
公園へ行けば、ありきたりに植わっていますが、
翹(ぎょう)の意味が、難(むずか)しくて…
 
あげる、つまだてる、すぐれる、と読みますから、
そういう意味と思います。
 
わたしは、翹望や翹首などの語を、使うことがあります。
 
人名に堯(ぎょう)とあれば、たかし、と読みますが、
古代の徳の高い帝王の名前の、堯と舜(しゅん)を連想します。
堯は、土器を高く積み上げた形らしく、
焼の字も、そうですが、土器を焼(や)くことに、関係があります。
 
翹は、鳥が長い尾羽を上げる意味と、辞書に書かれています。
連翹は、花の形が、それに似ている、と言うのでしょうか。
 
ところが、中国では、連翹と言えば、
巴草(ともえそう)や弟切草(おとぎりそう)などの、
オトギリソウ科のヒュッペリカム属を意味しているらしく、
日本人は、植物名を間違えたそうです。
 
日本の漢方薬では、間違いのまま、今も通用していますから、
 
 
性別の意味を、文化的に変えて行くのは、
みんなが合意すれば、みんなの勝手ですけれど、
法律や規則や、
成文化されていない有象無象(うぞうむぞう)の文化などは、
みんなと一緒のことをさせるために、あるようなものですから、
みんなって、いわば権力です。
民主的でしょ。
 
言葉は、法律でありませんけれど、文化の代表みたいなものです。
他人に通じなければ、言葉と言えませんので、
自分一人だけの言葉と言うのは、ありません。
 
他人に通じるのであれば、発声言語でなくても、
文字や手話や動作などの、意味を伝える記号が、言葉と言われます。
表情や服装や持ち物なども、言葉かも知れません。
 
コミュニケーションって、なんらかの言葉を使いますから、
みんなと一緒にする目的です。
一人一人が分業をして、違うことをするのも、
みんなで合意されたものは、
みんなと一緒のことをする、と言います。
 
ややこしいですけれど、適当にわかって下さい。
中学生の国語力ね。
合意がなければ、たぶん喧嘩になり、殺し合いになります。
 
雲となり、雨となる、と言いますけれど、
蜘蛛(くも)や蟷螂(かまきり)は、性交渉のあとに、
雄(おす)が早く逃げないと、雌(めす)に食べられます。
 
雲となり、雨となるって、男女が仲良く愛し合うことですけれど、
どういうわけか、衆道(しゅどう)の表現に、よく使われます。
衆道って、男性同性愛のことね。
 
早く逃げないと食べられる、と見るのは、
人間の面白(おもしろ)可笑(おか)しい解釈です。
自然のことを、文化的な意志の表現として見る目と、
人間のことを、自然界の出来事として見る目の、両方があるから、
物事は、立体的に見えます。
 
GID(性同一性障害)の人に、怒られますけれど、
人間の心も、雲や雨のように、
美しい自然現象と見ることができます。
 
楚(そ)の懐王(かいおう)という王様が、
高唐(こうとう)という楼台(ろうだい)で昼寝をしていたところ、
巫山(ふざん)から来た婦人に、
枕席(ちんせき)を薦められました。
 
天皇さんの外出を、行幸(ぎょうこう)と言いますが、
幸せって、どういう意味かしら。
 
王様は、見知らぬ女性を、幸せにしましたが、
彼女の言うには、とても険しい山に住んでいます。
それでも、朝には雲となり、暮れには雨となり、
来る日も来る日も、あなたにお遭いしたい、と申します。
 
王様も大変ですので、彼女を祭る廟(びょう)を建てましたが、
子供のいるMtF(male to female 男→女)って、
いい御身分なのかしら。
 
自然の出来事を、文化的な意志の現われのように見る目と、
人間のことを、自然の美しい出来事として見る目の違いって、
みんなと一緒のことをさせようとする意志は、
自然の摂理に一致するってことでしょう?
 
GID(性同一性障害)を皆殺しにして間引くのと、
心の赴(おもむ)くままに、生きてみたい、と思うのも、
同じみたいに見えます。
性転換って、共食いをしている、と言うより、
子供のいるGIDが、子供のいないGIDを、
一方的に間引いているだけと、見えないこともありません。
 
わたしは、1970年頃に、性転換医療に嵌(はま)りましたけれど、
そのときは、SRSを受けたい人って、子供のいない人ばかりでした。
日本では、1980年頃から、
TV(トランスベスティズム)を、客引きの謳い文句にする風俗業が、
流行(はや)り始めて、
子供のいる人たちが、性ホルモン剤を飲み、
やがて、SRS(性転換手術)を受けるようになりました。
 
流行の始めを見ていた限りでは、
子供のいるMtF(male to female 男→女)のGIDって、
インポテンツでしたけれど、
ほとんどは、同性愛の趣味と、奥さんとの性交渉との、
いわゆる両性愛(バイ)でした。
子供が生まれると、同性愛のほうが好きなので、
そっち一本にしたくなる気持ちと、
インポテンツになる気持ちとが、だいたい同じかしら。
 
なかには、奥さんとだけって、主張する人もいましたけれど、
噂(うわさ)では、いわゆる女装レズってのを、やっていました。
真偽は、確かめようがありません。
 
そんなのは、どうでも良いのですけれど、
肝心なのは、やっぱり、子供の有無です。
 
子供のいないGIDの性転換をそそのかしたのが、
TV(トランスベスティズム)のうちの、子供いる人たちでした。
わたしは、子供のいないGIDの人に、
性転換をしないように薦めていましたけれど、
TVの人に袖を引かれて、性転換をしてしまいましたので、
どうしようもありませんでした。
 
性転換って、強制的に何かをする医療でありませんから、
本人の気持ちを、こちらで変更することはできません。
結局、行くところへ行ってしまいますけれど、
流行を作って唆(そその)さなくてもいいのになあって、
思いました。
 
子供のいない人や、性分化疾患の人を、
踏み台にしているのかしら。
いつも、喧嘩になっていましたので、
子供のいるGIDや男性同性愛の人たちの性別の文化の考え方に、
子供のいないGIDや、性分化疾患の人たちが、付いて行くって、
首を傾げます。
 
定職の経験の少ない人たちが、性転換の先駆者ですけれど、
庇(ひさし)を貸して、母屋を取られる、という言葉もあります。
昔の人は、お金がなくて、汲々(きゅうきゅう)していました。
 
性転換医療って、
貧乏人が飢え死にをしないように、凌いで行く医療でしたけれど、
昔も、GID(性同一性障害)の人って、
うまく行くと、すぐに自惚(うぬぼ)れました。
誰でも有頂天になりますから、人間的ですけれど、
なんとなく、一人の人間の心の落差が、大きいみたい。
滝って、落差が大きいと、美しく見えます
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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