日向水木(ひゅうがみずき)ですけれど、マンサク科です。
水木(みずき)という名前になっているのは、
古代ローマが、なぜ繁栄したのかって、
現代人には、実感できませんけれど、合理主義なの。
自然の仕組みは、論理に一致する、っていう考え方ね。
現代人にしてみれば、当たり前のようですけれど、
昔の人の論理って、なんとなく、いい加減でしたのに、
古代ギリシャのアリストテレスの考え方では、
ほぼ現代人と同じになっています。
論理って、1才ぐらいの幼児の頃に、すでに完成していて、
あとは、磨いても、能力が伸びない、と言われています。
ほとんど、生まれつきの能力ですが、
これの優秀な人が生き残り、劣等な人が死に絶えて行くように、
文化を作った、と言うのです。
古代ギリシャ・ローマは、奴隷制の社会ですから、
実際に畑仕事をして、食料を生産するのは、
戦争に負けた民族でした。
戦争に勝った民族が、都会の消費生活に没頭して、
負けた民族が、奴隷のようにこき使われて、
都市の繁栄を支えていました。
古代ギリシャ・ローマって、欧米文化の始まりですから、
欧米は、現代アメリカと同じように、
強い軍隊が、自分たちに有利なように、経済のルールを作り、
違反する民族を征服して、
秩序を乱さないように、睨(にら)みを利(き)かせていました。
規則違反があれば、アメリカの軍隊が飛んで行って、
イラクのフセインや、リビアのカダフィみたいに、
殺してしまいます。
規則違反を取り締まるのですから、正当でしょう?
世界の規則を破った奴が悪い、っていう理屈です。
でも、その世界の規則は、先に繁栄した欧米諸国が、
資産を投資すれば、不労所得が得られるような、
不公正な経済ルールです。
黙っていても、生まれつきに豊かなら、いつまでも豊かなの。
軍隊の力が、その不公正な社会を守っています。
これって、よく考えて見ると、ちょっと変なの。
日本や中国だって、穀物を作る農業をしていますけれど、
単位面積当たりの収穫量は、エネルギーに換算して、
欧米よりも、日本や中国のほうが、多いの。
小麦よりも、お米のほうが、生産性が高いんです。
実際、それだけ、たくさんの人を養えますから、
日本や中国のほうが、人口密度が高いでしょう?
東洋だって、やっぱり、
力の強い者が、弱い者をこき使って、虐(しいた)げて、
楽をして、生活をしようとして来ました。
でも、日本の江戸時代を見れば、わかりますけれど、
あれが限界でした。
もっと税金を上げると、
小作の農民は、死んでしまいました。
生かさず、殺さずって、江戸時代の政策でしたから、
極限まで、お百姓を虐(いじ)めて、
武士が楽をしようとしましたけれど、
ギリシャ・ローマの都市のような、
文化的に効率の良い余裕は、生まれませんでした。
ギリシャ・ローマのほうが、征服した地域が大きかった、
と言う人もいますし、
あっちは、石造(いしづくり)の都市だから、
大昔の建築物が残り、
いかにも立派なように見えるだけ、と言う人もいます。
わたしの感じでは、古代ギリシャ・ローマのような、
奴隷社会を維持する余裕は、日本にありませんでした。
それは、ローマに征服される以前の、
フランスや北欧も、そうでした。
ローマに征服されなかったロシアは、
レーニンのロシア革命まで、ずっとそうでした。
農奴と言われるように、小作農を、荘園に囲って、
こき使うことは出来ましたけれど、
それは、日本の江戸時代や、中国の清の時代の、
小作農の貧乏な生活と同じでした。
奴隷という特別な制度を作ることが、出来ませんでした。
小作農を囲うのが、せいぜいだったの。
古代ローマって、奴隷の割合は20%ほどです。
奴隷を所有できる人は、お金持ちであったと、
言われていますが、
20%も奴隷がいると、大金持ちと言うほどでもなく、
現代流の言い方をすると、中産階級でしたら、
奴隷の1人ぐらいを、所有できたのかも知れません。
日本の江戸時代って、
支配階級の武士は、わずか1%ほどですけれど、
武士でも、貧乏ですと、
食うや食わずだったと言われています。
公式には、江戸時代に奴隷はいませんでしたが、
被差別部落の人たちを、奴隷に相当するとしても、
せいぜい1%ぐらいですし、
彼らが、だれかに所有されていたわけでもありません。
日本や中国の、農民の生活水準は、
最低線の限界値でしたから、
これ以上に厳しい生活水準として、
奴隷という身分を設けることは、不可能でした。
欧米の奴隷が、日本や中国の、農民の生活水準よりも、
経済的に低く厳しかったとは、とても思えませんので、
奴隷を虐(いした)げたことによって、
古代ギリシャ・ローマが繁栄したと考えるのは、
眉唾(まゆつば)の可能性があります。
石造(いしづく)りの町は、
1000年も、壊れず残るから、
立派に見えるだけなのかしら。
木を使って、家を建てるよりも、
石を使うほうが、なんとなく、手間がかかりそうです。
石を切り出すのに、
すごい労力がかかるのを、厭(いと)わなければ、
日本にだって、石ぐらい、たくさんありますから、
立派な建物を造ることも出来ます。
日本では、石の建物を造るだけの、
経済的な余裕がありませんでした。
古代ギリシャ・ローマは、
木がなかったので、仕方ありませんでしたけれど、
経済的に余裕がなければ、
木のない土地に、人は住みません。
あっちは、軍隊によって征服した土地が広かったので、
集められた富も、大きかったのかしら。
中国やインドも、
負けず劣らず、大きな地域を支配したのですけれど…
わたしは、自然の仕組みと、論理とは一致する、
という合理的な考え方のせいと、思っています。
論理って、実は生まれつきに近い早熟の能力でなく、
ただの定義なの。
言葉と同じです。
赤ちゃんは、単語を丸覚えしなければ、仕方ありません。
その時に、単語だけでなく、
単語と単語の繋がり方も、丸覚えします。
この繋がり方に相当するのが、論理ですけれど、
文法って、必然的なものでありません。
わざと作った定義の体系に過ぎません。
論理ってのも、けっして必然的なものでなく、
文化の一種の、定義の体系にすぎません。
つまり、生まれつきの能力でなく、
こつこつと、丸覚えをして、
石を積むように、組み合わせて行くものなの。
論理能力って、人間の内側に備わったものでなく、
こつこつと覚えて行く勤勉さと、丸覚えの容量に支えられています。
勤勉さって、ようするに習慣ね。
記憶容量を精一杯に使う習慣を覚える人が、選ばれて、
そうでない人たちが、間引かれて、絶えて行く文化を、
古代ギリシャ・ローマの人たちは作りました。
自然は論理に一致するっていう考え方は、そういう文化なの。
この文化は、古代ギリシャが地中海貿易によって栄えたのと、
同じことです。
貿易実務を習得して、海運業を経営する勤勉さのことなの。
合理性と言いますけれど、
ギリシャが廃れて、ローマが栄える頃には、
ユダヤ人が貿易の実務を支えていました。
古代ギリシャとフェニキアの、海運業や金融業を、
ユダヤ人が受け継ぎ、古代ローマを通じて、
ユダヤ人が経済の実務を握るようになりました。
ローマに国土を盗られましたから、
実務能力によって身を立てなければ、仕方なかったの。
古代ギリシャ・ローマの繁栄って、
ユダヤ人の合理主義なんですけれど、
彼らは、みんなに憎まれて、ホロコーストになりましたから、
まだまだ、合理主義が足りませんでした。
フランス革命とアメリカ合衆国が、
ユダヤ人の合理主義を継承しましたけれど、
アメリカのユダヤ財閥って、滅び行く運命なのかしら。
黒人が政権を執りましたものね。
わたしは、フランスやアメリカの、
エステティックな考え方は、黒人大統領の誕生によって、
だんだんと廃れて行く気がしますけれど、
個人主義ってのが、
古代ギリシャ・ローマの繁栄からは、遠い、と思っていす。
エステティックと個人主義って、
自然の仕組みと論理の関係に、一致しません。
個人主義を、インターネットのような手口で壊して行くのかしら。
GID(性同一性障害)の性転換を見ていると、
壊すどころか、かえって、
エステティックを信奉するようになりつつあるのかも知れません。
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