メジロ 753 エステティックと論理

鶯(うぐいす)と間違う人がいます。
目白(めじろ)は、梅(うめ)の花が大好き。
 
 
昔、カントっていう哲学者が、
人間の判断を、総合判断と分析判断の、二種類に分けました。
 
感覚器官から入ってくる情報は、人それぞれに違いますけれど、
空間や時間や論理のように、情報を整理する形式は、
人間みんなに共通して、生まれつきに備わっているそうです。
 
共通の形式に合致するように、
無意識に加工されて整理された情報だけを、
わたしたちは、意識して認識できます。
未加工や未整理の、生(なま)の感覚情報は、自覚されません。
 
動物は、感覚情報が入って来れば、
自動機械のように、反応しますけれど、
あまり、意識しているとは思えません。
人間も、臓器の動作や、白血球の作業などは、
なかなか、自覚できませんけれど、
感情と言われる判断の多くは、
知的な顔をして、無意識に実行されます。
 
知能検査や学力検査を受けるときは、
良い点数を取らなければいけないと、思っていなければ、
0点になってしまいます。
感情なのに、知能や学力と言われますから、厄介です。
 
GID(性同一性障害)の中にも、
良い点数を取りたいと思わなければ、ちゃんと0点になり、
優等生になりたいと思えば、いつでもIQ185になる人がいます。
意志によって制御されていますので、人間的かも知れませんけれど、
動物のように蔑(さげす)まれて、精神障害者と言われています。
 
動物的な人は、
お医者さんや兵隊や警察官や芸術家や芸能人や公務員などに多いと
言うと、怒られます。
職業軍人と芸術家が、一緒のはずがないと。
でも、性転換の業界では、
お医者さんと患者さんが、同じ病気です。
 
職業によって、人を差別してはいけないと、文句を言われます。
動物なら、差別しても良い。
 
日本の医師会会長さんは、精神病院のことを牧畜業と言いました。
アメリカの兵隊は、
ニューギニアの日本兵を、ドラム缶で茹(ゆ)でて、
お肉と骨を、剥(は)がし易くしてから、
ナイフの材料の骨を取り出しました。
著名人の間では、日本兵のナイフが贈り物の定番でした。
 
自覚されない感覚情報って、
自動機械のように、反射的な動作を見てから、
体が反応したことを知りますから、後(あと)の祭りです。
 
特定の顔や体の他人を見て、反射的に唾(つば)を吐き、
すごい憎しみを感じたからであると、解釈します。
唾(つば)を吐かねばならないほど、不快になりましたから、
自分は何も悪いことをしていないのに、
他人から理不尽に攻撃されたと、確信します。
吐き気を催(もよお)したのが、被害の証拠です。
 
これって、憲法に、ちゃんと書かれています。
人に危害を加えてはいけない。
醜い顔を見せるのは、犯罪の実行に決まっています。
エレファントマンが町を歩くと、
人は恐怖の悲鳴をあげて、逃げ惑いました。
あの映画の主人公って、実在の人が、モデルになったそうです。
 
当然、防御して、反撃もしなければいけません。
そいつを蹴ってやったのに、
まだ吐き気が納まらずに、被害がやみませんから、緊急事態です。
殺しても仕方ありません。
正当防衛に決まっています。
 
憲法は、本当に正しいのかしら。
原因と結果の関係を、精神科のお医者さんが鑑定します。
醜い顔の人が、統合失調症と診断されて、
強制的に入院させられます。
お薬を飲まされて、いわゆる廃人にされますけれど、
裁判がありません。
 
警察官や証人の言うことは、本当に正しいのかしら。
精神科のお医者さんは、
患者さんや警察官や証人や憲法と、同じ病気かも知れません。
GID(性同一性障害)では、
お医者さんと患者さんが、同じ精神の病気です。 
いわゆるオウム医療なの。
 
GID(性同一性障害)に多いエステティックな判断ですけれど、
カントは、これを総合判断と言いました。
 
空間や時間や論理などを適用された無意識の認識を、
分析判断と言い、
みんなのためになる道徳的な意志と結び付けることを、
総合判断と言い、大切にしました。
 
エステティックな判断と、道徳的な判断とは、同じ仕組みなの。
日本の憲法とエレファントマンは、
暴力とエステティックと論理というフランス革命の精神ですけれど、
ギロチンとマリアンヌと個人主義ね。
 
ほんとは、カントの総合判断と分析判断の分け方って、
なんとなく、変(へん)です。
とりわけ、動物的な空間や時間という情報整理の仕方と同じように、
論理のことを、先天的な形式である、とするのが…
 
判断って、情報と情報をくっつけて纏(まと)めたり、
特定の情報を抽出して整理したりすることですけれど、
くっつけかたや整理の仕方に、
避けがたく必然的な規則や、絶対に正しい規則なんて、
あるのかしら。
 
纏めたり、整理したりするのは、もちろん、実行するためです。
随意筋(ずいいきん)を動かす手続きです。
 
論理がその規則であり、生まれつきであると、
彼は言うのですけれど、
わたしには、気まぐれのように思えます。
 
だって、論理は情報の中身にかかわらずに、
結びつき方や整理の仕方だけを言っていますから、
価値を知りません。
エステティックな判断にもなれば、道徳的な判断にもなります。
 
感覚情報のほうも、ただの情報ですから、
何と何を結びつければ良いかを、誰も知りません。
 
自分の気まぐれって、アル中(ちゅう)みたいに、
変更できなくなるでしょう?
習慣になります。
変更できなくなったことを、普遍的な規則性であるかのように、
勘(かん)違いしているのでないかしら。
論理法則ってやつ。
宇宙や進化のありかたは、論理に一致するってね。
 
気まぐれですから、多数決で行きます。
多くの人の気まぐれになれば、文化と言われます。
少数の力では、そう簡単に変わりませんから、
賢いユダヤ人も、みんな虐殺されました。
カントの考え方って、すごくドイツ的ですけれど、
ほんとは、芋(いも)なの。  
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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