スイセン 705 心の帳尻

水仙(すいせん)は、ナルシズムですから、
英語でナーシサスって、すぐに覚えられます。
ラテン語の属名も、同じ綴(つづ)りです。
 
病気や体の名前も、植物や動物と同じで、
外国の言葉を、たくさん覚えられますけれど、たくさん忘れます。
 
 
 
心の中身を、言い表す言葉と、
目で見て、手で触って、耳で聞いた物事を、言い表す言葉とは、
だいたい同じです。
 
一致しないことは、心の中で、判断を保留されて、
七夕(たなばた)さまの、短冊(たんざく)みたいに、
お空(そら)に、ぶら下がっています。
 
精神の病気の人たちは、一致しないことが多いのかも知れません。
短冊が増えると、心の重荷になります。
天が崩れ落ちると感じられて、杞憂(きゆう)と言われます。
 
わたしなんか、増えた短冊は、焼却しますから、無責任です。
人間は、どうせすぐに死にますから。 
 
花の命は短くて、苦しきことのみ、多かりき。(林芙美子)
 
     GID(性同一性障害)の人は、
     心の性別と、体の性別が違う、と言いますが、
     もちろん、望みの性別の、顔や体の見てくれが欲しくて、
     性転換をします。
 
     心なんか、欲しくありませんし、
     戸籍の性別も、二の次、三の次です。
 
     そんなの、当たり前ですけれど、
     マスコミって、
     GIDの心が、望みの性別であるかのように、
     報道します。
     心って、影も形もないのに…
 
     物事の辻褄(つじつま)や帳尻(ちょうじり)を
     合わせるために、
     心って、あるのかも知れません。
     目で見たり、手で触ったりした事の、辻褄を合わせるの。
 
     うまく帳尻が合っていると、
     人は、無意識の自動機械のように、行動しています。
     習慣や条件反射ね。
    
     右足の次は、左足を出して、
     バランスを取りながら歩きます。
     ちゃんと筋肉に命令を出して、歩いていますけれど、
     意識しません。
 
     自分というのを意識するのは、
     辻褄が合わなくなった時なの。
     長期間、物事の辻褄が合わないと、
     認知障害と言われるかも知れません。
     自分という気持ちが、突出(とっしゅつ)して来ます。
     物事を破壊して、帳尻を合わせようとしますから、
     自分っていう気持ちは、意志と言われます。
 
     認知が変(へん)になると、
     意志が、物事を破壊しますので、
     自分というものが、確かに在るように、感じられます。
     普通は、破壊と言わずに、行為と言いますけれど、
     破壊と建設の、両方を合わせたもので、
     腐敗と発酵のようなものです。
     
     われ思う、ゆえに、われ在りってやつね。
 
     確かに自分ってのが在る、と感じられるのは、
     夢みたいに、我がままな時なの。
     辻褄(つじつま)が合わなくなり、
     物事を壊しに掛かるときね。
     意志の力を感じます。
 
     デカルトって人は、何もかもが、夢みたいに
     騙(だま)されているかも知れないけれど、
     こうして疑っている主体が在ることは、間違いないって、
     考えました。
     その主体のことを、自分と名付けたの。
     一神教の神様の、一部分のことですけれど…
 
     わたしが、確かにここに在ると感じるのは、
     物事の辻褄が合わなくなり、
     物事を壊そうとする意志を感じる時です。
     夢の中みたいに、あほになっていると、思います。
 
     帳尻が合わなければ、物事をぶち壊すのでなく、
     計算をチョロマカシて、1円1銭の単位まで、
     ちゃんと、帳尻が合っていることに、
     しておけばいいのに。
 
     物事を壊さずに、事務を変更するほうが、賢いと思うの。
     心の粉飾決算って、法律になかったから、
     逮捕されないと思います。
     GIDの人も、体を壊さないで、そうしたらいいのに。
 
     何よりも、GIDの特例法を、そのように変更すべきです。
     体をいじくらなくても、GIDでしたら、
     戸籍の性別を何度でも変更できるってね。
     神様は、あほです。
     
     
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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