水仙(すいせん)は、ナルシズムですから、
英語でナーシサスって、すぐに覚えられます。
ラテン語の属名も、同じ綴(つづ)りです。
病気や体の名前も、植物や動物と同じで、
外国の言葉を、たくさん覚えられますけれど、たくさん忘れます。
心の中身を、言い表す言葉と、
目で見て、手で触って、耳で聞いた物事を、言い表す言葉とは、
だいたい同じです。
一致しないことは、心の中で、判断を保留されて、
七夕(たなばた)さまの、短冊(たんざく)みたいに、
お空(そら)に、ぶら下がっています。
精神の病気の人たちは、一致しないことが多いのかも知れません。
短冊が増えると、心の重荷になります。
天が崩れ落ちると感じられて、杞憂(きゆう)と言われます。
わたしなんか、増えた短冊は、焼却しますから、無責任です。
人間は、どうせすぐに死にますから。
花の命は短くて、苦しきことのみ、多かりき。(林芙美子)
GID(性同一性障害)の人は、
心の性別と、体の性別が違う、と言いますが、
もちろん、望みの性別の、顔や体の見てくれが欲しくて、
性転換をします。
心なんか、欲しくありませんし、
戸籍の性別も、二の次、三の次です。
そんなの、当たり前ですけれど、
マスコミって、
GIDの心が、望みの性別であるかのように、
報道します。
心って、影も形もないのに…
物事の辻褄(つじつま)や帳尻(ちょうじり)を
合わせるために、
心って、あるのかも知れません。
目で見たり、手で触ったりした事の、辻褄を合わせるの。
うまく帳尻が合っていると、
人は、無意識の自動機械のように、行動しています。
習慣や条件反射ね。
右足の次は、左足を出して、
バランスを取りながら歩きます。
ちゃんと筋肉に命令を出して、歩いていますけれど、
意識しません。
自分というのを意識するのは、
辻褄が合わなくなった時なの。
長期間、物事の辻褄が合わないと、
認知障害と言われるかも知れません。
自分という気持ちが、突出(とっしゅつ)して来ます。
物事を破壊して、帳尻を合わせようとしますから、
自分っていう気持ちは、意志と言われます。
認知が変(へん)になると、
意志が、物事を破壊しますので、
自分というものが、確かに在るように、感じられます。
普通は、破壊と言わずに、行為と言いますけれど、
破壊と建設の、両方を合わせたもので、
腐敗と発酵のようなものです。
われ思う、ゆえに、われ在りってやつね。
確かに自分ってのが在る、と感じられるのは、
夢みたいに、我がままな時なの。
辻褄(つじつま)が合わなくなり、
物事を壊しに掛かるときね。
意志の力を感じます。
デカルトって人は、何もかもが、夢みたいに
騙(だま)されているかも知れないけれど、
こうして疑っている主体が在ることは、間違いないって、
考えました。
その主体のことを、自分と名付けたの。
一神教の神様の、一部分のことですけれど…
わたしが、確かにここに在ると感じるのは、
物事の辻褄が合わなくなり、
物事を壊そうとする意志を感じる時です。
夢の中みたいに、あほになっていると、思います。
帳尻が合わなければ、物事をぶち壊すのでなく、
計算をチョロマカシて、1円1銭の単位まで、
ちゃんと、帳尻が合っていることに、
しておけばいいのに。
物事を壊さずに、事務を変更するほうが、賢いと思うの。
心の粉飾決算って、法律になかったから、
逮捕されないと思います。
GIDの人も、体を壊さないで、そうしたらいいのに。
何よりも、GIDの特例法を、そのように変更すべきです。
体をいじくらなくても、GIDでしたら、
戸籍の性別を何度でも変更できるってね。
神様は、あほです。
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