メギ科の南天(なんてん)の実は、お正月の飾り物に使います。
欧米のモチノキ科の、
クリスマスホーリー holly と言われる西洋柊(ひいらぎ)の実も、
似たようなものです。
きれいな赤い実は、真冬のお祝い事に、持って来いなの。
お正月もクリスマスも、
冬至を新年とする暦の上の、伝統的なお祝いです。
キリストさんは、切りの良いところで、
新年の初めに、お生まれ遊ばされたことにして、
伝統的な新年のお祝いを、乗っ取ってしまいました。
古代ローマに流行っていたインドのミトラ教に対抗するために、
メソポタミアやエジプトの文化圏にあったキリスト教も、
太陽の暦(こよみ)を、頻(しき)りにアピールしました。
ミトラ教は、太陽を崇拝して、契約を大切にする宗教でした。
太陽を目安にする暦のほうが、月の満ち欠けを目安にするよりも、
合理的です。
でも、太陽の角度や高度って、測りにくいので、
印刷物のない時代に、
今日は何日であると、誰もが共通して知るには、
月の満ち欠けのほうが、遙かに便利でした。
契約には、いつの季節の何日、という日付が必要でしたから、
太陽を見て、季節を知り、お月さんを見て、日付を知るのが、
合理的です。
この兼ね合いの規則を、教えてくれる権威が、
流行文化の頂点にありました。
冬至をすぎた新年の始まりが、クリスマスであるって、
暦の争奪戦の、名残(なご)りかも知れません。
契約って、ユダヤ教やキリスト教でも、
大切にされる概念ですけれど、
わたしは、神様と契約しません。
たいていは、商売のことで、他人と契約します。
どうせ、約束は、
破られるために、あるようなものですけれど。
ミトラ教の契約も、たぶん商売のことでなかったかしら。
当時の紅海やペルシャ湾沿岸の港町って、
多くが、インド人の作った町でした。
黒海や地中海沿岸に、ギリシャ人やフェニキア人が、
たくさんの港町や植民都市を作ったのと同じです。
当時のインド洋側の港町の遺跡から、
たくさんのインド人の印章が発掘されています。
ハンコって、たぶん粘土板に押しつけて、
契約の証文とします。
インドのカースト制度を見ればわかるように、
誰でも商売ができるのでなく、
株仲間や座のように、
独占的な組合を作って、商売をします。
お相撲さんの親方株のようなもので、
株を持っていなければ、商売ができません。
よそ者が商売をすると、みんなでやっつけて、殺します。
日本の的屋(てきや)さんって言われるやくざも、
そうですけれど、
弁護士さんやお医者さんなども、そうです。
免許のない人が、弁護士やお医者さんの仕事をすると、
唾(つば)を吐かれて、罵られて、
牢屋にぶち込まれます。
こういう独占的な商売の利権を、
株仲間や座と言いますけれど、
インドのカースト制度では、世襲なの。
そして、仲間内同士で、お互いに結婚していますので、
血縁です。
インド洋沿岸の港町で行なわれていた商売の仕方は、
もしかしたら、
現代のカースト制度の商売のようなものかも知れません。
ミトラ教は、ペルシャに流行していたのを、
アレクサンダーの軍隊が、ヨーロッパに持ち帰り、
古代ローマで流行しました。
宗教ですけれど、たぶん商売の仕方です。
血縁同士の、株仲間や座のような、
独占的な商売の気がします。
中世のギルドのように、
秘密結社に似ていたとの記録が残っています。
ユダヤ人って、
イスラエルの土地を、古代ローマに占領されただけでなく、
服従せずに、徹底的に抗戦しましたので、
自治権を与えられずに、土地を取りあげられてしまいました。
この頃には、すでにイスラエルのユダヤ人って、
人口が減っていたかも知れません。
乾燥地帯の土地は、
田畑が冠水するぐらいの、豊富な川の水や井戸水などがなければ、
塩害が出ます。
川の流れや地下水脈って、一定でありませんから、
砂漠の中で、長期間、豊かな耕作地であり続けることは、
滅多(めった)にありません。
ユダヤ人って、古代ローマに征服された頃には、
農業を捨てて、商売に励んでいたみたいなの。
フェニキア人やギリシャ人の商売を受け継ぎ、
すでに、地中海沿岸の港町に、散り散りになっていました。
それぞれの土地の人と、混血しましたけれど、
ヘブライ語の聖書と、民族の伝統を、捨てなかった人たちは、
現在も、ユダヤ人と自称しています。
血筋は、混血です。
それぞれの土地の民族に同化した人たちは、
新約聖書というギリシャ語の言い訳の言葉で結ばれて、
キリスト教徒と自称しました。
古代ローマのキリスト教が、ミトラ教に勝ったのは、
たぶん、フェニキアやギリシャの、
保険や金融と海上貿易を結びつけた地中海の商売の仕方が、
カースト制度のインド洋の商売の仕方に、勝ったということです。
ユダヤ人の商売の帰趨(きすう)を、
なんとなく、キリスト教が横取りしたような…
共和制ローマの時代でしたら、キリスト教徒って、
まだ、ほとんどが、ユダヤ人の血筋だったと思います。
帝政ローマになると、ユダヤ教徒もキリスト教徒も、
いずれも、混血のせいで、ユダヤ民族の血筋を
遡(さかのぼ)れなくなっていたのでないかしら。
インド人の商人にしてみれば、
ヨーロッパは遠かった、ということです。
紅海の奧のほうの、アカバって町は、
旧約聖書によると、
紀元前10世紀のソロモンが作った港町ですけれど、
紀元後1世紀のエリュトゥラ海案内記によると、
インド人が港を仕切っていたかも知れません。
アカバと、地中海沿岸の港町とは、
目と鼻の先ですけれど、
船乗りって、危なくなると、船に乗って逃げますので、
地上では、陸(おか)に上がった河童(かっぱ)でした。
ソロモンがアカバの町を作ったのは、ほんとかしら。
ユダヤ人は、地中海の商売と、インド洋の商売の、
両方を知っていたことになります。
新バビロニアに連行されて、奴隷にされていたのを、
ペルシャ人に解放してもらいましたので、
ゾロアスター教の考え方を取り入れて、
ユダヤの民族的な祖先崇拝を、
神話でなく、政治のように理解しました。
ゾロアスター教って、
多民族支配を実現したペルシャ人の、
精神的支柱のような宗教でした。
ミトラ教は、ゾロアスター教よりも前から、
ペルシャに流行していたインド起源の宗教ですけれど、
下層の人たちに、人気がありました。
同業の人が、独占的な仲間を、固く維持するために、
結婚して血族になります。
インドの神様って、
特定の人たちの、仲間内の祖先のようなものですけれど、
たんなる一族の祖先の神様でなく、
職業を共にする人たちが、お仕事の独占のために、
結婚して、人為的な仲間を作るところに、
特徴があります。
後に、カースト制度と言われるようになると、
新規参入を禁止して、
世襲によってのみ、仕事の独占を維持しますから、
どうしようもない閉鎖的な血統と、
同じになってしまいました。
インドの無数の神様は、
ほとんどが、どこそこのカーストの祖先の神様です。
でも、お釈迦さんって言われる神様や、
ミトラと言われる神様などのように、
基盤になる職業がなく、
浮動票によって、信者さんを増やそうとする宗教は、
閉鎖的な部族の祖先神であることに、満足しません。
何らかの普遍的な教義を、主張しているはずなの。
血統によらずに、仲間を増やしますから、
社会の底辺の人たちに、人気があります。
お釈迦さんのように、自分から道楽をして、
出身の一族を、潰してしまった人もいます。
子供が生まれたのに、障害(ラーフラ)と名付けて、
出奔してしまいました。
ペルシャでは、
公的な宗教として、ゾロアスター教がありましたので、
社会の底辺の人たちは、
ミトラ教を信じたのかも知れません。
バビロン捕囚から解放されたユダヤ人は、
たぶん、両方を学びました。
後々までもユダヤ教として残る教義を整備する一方で、
キリスト教のように、
底辺の人たちに手を差しのべる進取の精神を知りました。
引かれ者の小唄のような、道楽者の精神ですけれど、
磔(はりつけ)にされたキリストさんや、
修道僧の同性愛などに、よく現れています。
プルタルコスによると、
紀元前1世紀頃の、小アジアの地中海側の海賊は、
ミトラ教を信じていたそうです。
やっぱり、ミトラ教とユダヤ教の、海の商売の戦いに、
ユダヤ人が勝ってから、
キリスト教が、漁夫の利を得たような…
すみません。
この記事は、以前に、似たようなのを、
このブログに書いたことがあります。
忘れていました。
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