番町 551 旗本屋敷

東京都千代田区五番町の中華学校裏の、
中央線の土手の上の遊歩道。
 
昔は、整備されていませんでしたけれど、
木が大きくなり、若い頃よりも奇麗になっています。
足元の中央線がなつかしい。
線路の向こう側は、お堀の水のない外濠公園。
 
堀のはたの、土手の上の道を、
カメラの手前のほうに、四ッ谷駅の南まで歩けば、
赤坂迎賓館や、皇太子さんのお家(うち)のお庭などに、
侵入してしまいます。
 
 
 
若いときに、東京の中央線の駅で言うと、お茶の水と水道橋の、
どちらからも、同じぐらいの距離の所に、暮らしていました。
 
下宿屋さんでした。
玄関を入り、靴を脱いで上がると、
板張りの廊下の両側に、和室が並んでいました。
今は取り壊されて、影も形もありません。 
 
その後、中央線の市ヶ谷と四ッ谷の間の、
番町(ばんちょう)の叔母さんの家に、
居候をしていたことがあります。
この家は、今も親戚の人が暮らしていますが、
世代が代わりましたので、めったに訪ねることもありません。
 
このあたりって、旗本の武家屋敷でしたから、
幕末の地図に、昔の住人の名前が載っています。
家の俸禄と役職は、世襲が安堵(あんど)されていましたので、
長男は、武士の体裁を、保つことができました。
 
次男や三男は、俸禄や就職口がありませんので、
武士や町人の家の、養子にならざるを得ませんでした。
それまでは無職ですので、長男に仕える形になります。
 
わたしの暮らしていた町は、
一軒あたり20メートルの間口に、
奥行60メートルぐらいの、短冊形の細長い敷地でした。
8軒が、横に並んでいますが、
2軒ずつ、背中合わせになっていましたので、
16軒が、道に囲まれた一つの区画の内側でした。
 
旗本ですから、長屋門に囲まれていたと思います。
塀の代わりに長屋を作って、使用人を住まわせたの。
大正時代に、まだ長屋門の残っていたお屋敷が、あったそうです。
官舎ですから、家の体裁って、旗本は旗本の規格があります。
旗本なのに、与力や同心みたいに、
冠木門(かぶきもん)ってことは、ありません。
 
番町は、徳川幕府の
大番(おおばん)といわれる常備の騎馬武者の居住地でした。
200石ほどの旗本が50名ぐらいで一組になり、8組あったそうです。
騎馬武者400名ですと、戦時には、
同心や与力などの、直参でない武士が、配下の歩兵になりますので、
大番だけで、2000名ぐらいの戦力になったのかしら。
 
徳川家の旗本御家人の総数は、
22000家ほどと言われていますけれど、
千代田区番町に住まいしていた人たちは、
旗本の平均的なお給料よりも、安かったかも知れません。
 
大番組は、最も古い常備兵の部隊でしたので、
家康さんに従って、江戸の土地に、最初に移住しました。
お給料の割には、広い敷地を与えられています。
 
徳川家の武士は、その後、書院番や小姓組などの、
将軍直属の部隊が新設されましたので、
最も古い正規軍の大番の地位は、低下したそうです。
 
戦争になると、食糧や荷物を運ぶために、
それぞれの武士が、普段の生活上の使用人を徴用して、
戦場に連れて行きましたが、
同伴者の役割や人数が、法律で決められていました。
旗本一騎につき、町人も含めると、
20名ぐらいの頭数(あたまかず)になったようです。
 
馬の口取りや、槍持ちや、鎧持ちや、草履取りなども、
徴兵制度の義務として、
連れて行かねばならないと、決められていました。
戦時には、それだけの人数を、供出しなければいけません。
兵役って、税金と同じなの。
 
第二次世界大戦後の日本に、徴兵制がないって、
どういう意味か、わかるでしょう?
欧米のトランスジェンダーの運動と、兵役とは、直結していました。
 
禄高200石ですと、
平時は、何人ぐらいの使用人を、雇えるのかしら。
1人が食べるだけで、1年間に1石ですから、
エンゲル係数によりますけれど、
体面を重んじる武士は、
1人で10石ぐらいの生活費になると思います。
 
昔は、子だくさんの3世代家族ですから、
ひょっとしたら、10人ぐらいの大家族かしら。
家族だけで、年間100石の生活費です。
 
たぶん、10人ぐらいの、町人の使用人を雇っていますから、
その中から、戦時に数名を、荷物運びとして、連れて行きます。
 
交戦中は、食糧や衣服などの荷物や、使用人を、
どこに置いて行くのかしら。
戦いに負けて、ちりぢりに逃げる時は、
荷物運びとして連れて来られた使用人も、敵に殺されるのかしら。
 
徳川家の旗本の、大番組の武士たちは、
大阪城や二条城などの警護のために、
4年間に1年の割合で、地方に赴任したそうです。
そういう時は、息子や弟などを、代理として派遣したのかしら。
 
普段は、江戸城の警備のために、出勤していたそうですけれど、
先祖代々の故郷(ふるさと)の、
愛知県岡崎近辺に暮らしていた頃でしたら、
平時は文字通り、お城の番をするお百姓にすぎませんでした。
検地や刀狩りがなければ、
刀を持ち、自分の土地を守るお百姓さんが、即ち武士です。
 
徳川家康さんが中央政権を握ってからは、
旗本が門番に立つわけにも行きませんから、
突っ立っているのは、下っ端の足軽で、
旗本さんは、お城の中のお座敷に、座っているだけでしょう?
何もすることがありません。
 
残りの時間は、馬の飼育に費やされたはずですけれど、
馬は、官給品でありません。
飼育も、専門職を割り当ててもらえないのに、
馬に乗って、登城(とじょう)しなければいけないと、
決められていました。
籠(かご)でも、よかったのかしら。
供の者を、何人連れて出勤すべしと、一々、決まっています。
 
馬は、犬みたいに、主人の言うことを聞きますから、
知らない馬には乗れませんけれど、
馬の飼育って、餌代と人件費が、たいへんな物入りです。
使用人が10人ぐらいって、町工場の社長さんですから、
馬を飼うのは、身分不相応です。
 
昔の日本の馬って、ポニーと同じぐらいの、
可愛らしい体でしたけれど、
荷役用でしたから、力が強かったみたい。
戦場にたどりつくまでに、病気になったのでは困りますから、
いつも、よく歩かせておかなければいけません。
 
江戸時代も、平和が50年も続くと、
戦争が起こりそうにないと、わかりましたから、
馬を飼わなくなったのかしら。
余計な出費がなくなれば、楽(らく)になりますけれど、
ロシナンテに跨(またが)らないドンキ・ホーテなんか、
絵になりません。
美学に悖(もと)りました。
 
それにしても、織田信長の時代に、
早くも鉄砲を作れる技術を、獲得していたのに、
黒船が来るまで、
鉄砲を撃ったこともないお侍の軍事政権が続いたのは、
世界の奇跡かも知れません。
平和な人情家の血縁社会って、こうなります。
 
今で言えば、猫も杓子も、原爆を作らない不思議や、
中学生が、遺伝子を組み替えて、人間を作らない不思議です。
フランス革命の精神から言えば、
人は先を争い、鉄砲を持ち、原爆を作り、
遺伝子の組み替えを、行なわなければなりません。
 
女子供(おんなこども)も容赦なく、異民族を虐殺するはずなのに、
それをしないで、平和な血縁社会を作るのは、
江戸時代なみに、精神の病気かも知れません。
鎖国のように、自閉しています。
 
わたしは、お医者さんって賢いのだから、
鉄砲や原爆で武装して、遺伝子を組み替えて、優秀な人間を作り、
異民族や、嫌(いや)な奴らを、片っ端から虐殺すべきと思うの。
 
GIDの人たちに、性転換を唆(そそのか)すように、
弱い人たちを、意のままに間引いて、こき使い、
威張って自惚(うぬぼ)れて、楽をしようとするお医者さんたちを、
どのように、うまく檻の中に導いてあげれば良いのかしらと、
胸が疼(うず)きます。
 
税金を使って、国家が保護してあげないと、
性転換医療を実施しているお医者さんたちって、
治癒したGID(性同一性障害)の人たちに、殺されるでしょう? 
無料で刑務所に匿(かくま)ってあげないといけません。
 
お医者さんが、優生医療を行えば、
必ず、ポルポトのような人が、お医者さんを殺します。
性転換って、フランス革命のギロチンのように、
殺し合いの医療ですから。
賢い人が自惚れて、精神障害者を間引くから、
殺される羽目(はめ)になるのに…
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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