アラカシの実です。
お薬の名前を、インターネットに一杯並べて、
これは、何々に効くとか、これこれの症状の患者さんに効いたとか、
これこれの患者さんには、これと、これと、これを使うとかって、
そんなことばっかり、書いているお医者さんもいます。
精神科医ね。
御本人の自覚する異常な心を、
御本人が言葉に表現して、お医者さんに訴えるのは、
筋書きのない夢の中身に、筋(すじ)をつけて、
他人に話すようなものかも。
人の心の中が、どうあろうとも、
他人に感知された行動や言葉が、他人の許容するものであれば、
見た目は、社会生活にトラブルが起こりません。
ところが、当人は、その行動や言葉を出そうとして、
ものすごく苦しい目を、しなければいけないことがあります。
両膝を伸ばして、両方の掌(てのひら)を、
地面にべちゃっと付けるって、
人によっては、体が苦しいかも知れません。
毎日毎日、体の苦しいことを、しなければいけないのでしたら、
そのことが気に懸かって、一日中、心が苦しくなります。
運動能力って、体の形によっては、訓練しても適応できません。
早い話が、上半身が短く、足のうんと長い人の中には、
上半身と同じように、手の短い人もいて、
二つ折れに前屈したところで、膝までしか、手が届きません。
こんなの、一見して、誰にでも、わかりそうなものですけれど、
当人でなければ、半数以上の人が気づきません。
足が長く、スタイルがいいそうなの。
前屈して、手の指が地面に届かなければ、体が固いと言われます。
筋肉や関節でなく、体の形のせいであると、当人が抗弁しても、
目で見て、すぐにわからない人は、
言葉を聞いても、意味を理解できません。
なかには当人も、体の形の違いに、気づいていない人がいて、
ポスターの好きなロートレックという画家は、
落馬のせいで、足の成長が止まり、
足が短くなったと、確信しました。
上半身は、健常に成長していたの。
酒場に入りびたりになり、絵を書きましたが、アル中になりました。
階段から落ちて、寝たきりのまま、若くして脳出血で死にました。
健常な人って、形を見て、機能を判断します。
うちの患者さんは、
人間は、性器の形を見て、雌雄を判断する唯一の高等動物であると、
言っていました。
人間の視覚は優秀で、
視床もよく発達していますので、当たり前ですけれど、
精神の病気の人は、形を見て、機能を判断する能力が、
下等かも知れません。
形を見て、価値を判断するのに、機能を判断できません。
この価値判断を、美学と言いますが、認知障害の一種です。
発達障害から、認知障害を生じます。
行動や発言などを、
文学的に評価して、精神症状とするのでなく、
脳の器質的な原因や仕組みを、
生理的に、精神の病気として、特定しようとすると、
たとえば、プレパルスインヒビションと、
統合失調症の関係みたいに、
投薬される前の、初発の患者さんの、進行の様子を、
確認できませんので、
眉唾のような気がしないでもありません。
ノックアウトマウスの異常を、
勝手に統合失調症と言っているのでないかとか、
お薬のせいでないかとかと、疑われるの。
だって、統合失調症の診断基準に、
ネズミのプレパルス抑制の低下なんか、
書いてないもん。
獣医さんが診断するのかしら、ネズミの統合失調症。
お薬が入れば、
プレパルス抑制が低下するのは、当たり前ですし、
もともと、その機能が低く、
あるいは、そこまでしか発達しなかったのなら、
統合失調症と言うより、発達障害でしょう?
ノックアウトマウスって、
特定の遺伝子の機能が発揮されないように、
遺伝子を組み替えて作られた実験動物の鼠(ねずみ)。
プレパルスインヒビションって、
突然、何かを刺激されても、
大袈裟にびっくりしない機能です。
インヒビションって、抑制。
プレパルスは、これから大きな刺激が来るぞっていう
前触れのような情報です。
中身はわからないけれど、
前触れの情報が、先に届いてから、
後で、中身のある本体の情報が伝わってきます。
そうすると、心の準備ができているから、
本体の情報が届いても、
あまり、びっくりしなくて済みます。
地震でも、P波っていう縦波が、S波っていう横波より、
先に届くでしょう?
脳味噌の中でも、
情報が、いくつもの要素に分解されて、変形されて、
おまけの情報が付加されて、
いくつもの違った経路を伝わり、
違った領域で知りますから、
いっぺんに情報全部を、
一ヶ所で洪水のように知るのでありません。
ちょっとずつ知れて来て、
時間とともに、全貌を理解できるようになります。
徐々に知れてくる過程があるから、
びっくりせずに済むの。
いっぺんに何もかもの情報に、同時に襲われたのでは、
パニック状態になってしまいます。
なにもかもを、いっぺんに知るなんて、
できるわけがないのに、やってしまう人もいます。
何がなんだかわからからずに、情報の整理がつかずに、
先行きの見通しも立ちません。
茫然自失することもあれば、反射的に言葉を出したり、
体が動いてしまったりすることもあります。
急に、大きな音を聞いても、0.1秒という短い時間の中に、
少しずつ、
全貌が知れてくる経緯(いきさつ)があります。
車に轢(ひ)かれそうになり、
大慌てで飛び退(の)く時に、
1秒間ぐらいの短い時間が、
10秒間ぐらいの、長い時間に感じられて、
車が、スローモーションで近づいて来たことが
ありませんか。
プレパルス抑制の効かない人って、
ようするに、脳の一部の機能が低く、
そこを通った情報の一部が脱落して、
情報の全体量が小さくなっていたり、
情報を蓄積する機能が低く、
先に届いた一部の情報だけを、全部の情報と思い、
早とちりして、反応してしまったり、
たくさんの脳の部分に分散した情報の断片を照合して、
一つに纏める能力が低かったり、
ということでないのかしら。
それって、統合失調症の診断基準にありません。
あくまで、診断基準は、
文学的に、言葉や行動を規定しているだけです。
ほんとうに、文学と、脳の生理との間に、
必然的な関係が成り立つと思いますか。
精神の病気の患者さんは、自覚した苦しさを言葉に表現して、
お医者さんに訴えますけれど、
その訴えに対して、お薬を処方するって、
訴えているっていうこと自体が、病気の本体である、
という意味かも知れません。
精神の病気って、いわゆる操作的に、診断基準に定義されています。
操作的って、たとえば、
5つの症状のうちの、どれでも結構ですから、3つ以上に該当すれば、
その疾患名とします、っていう感じの分類。
便宜的な分類です。
精神の病気って、自然現象としては、色々な仕組みがあるけれど、
どのような、自然の原因や仕組みであっても、構いません。
なんであれ、結果として、生活のほうに支障があれば、
その支障のほうを分類して、それぞれの疾患名とします、ってのが、
操作的と言われる分類。
世界保健機関(WHO)の、ICD(世界の病気の分類)とか、
アメリカの精神科関係のグループ(アメリカ精神医学会)の、
DSM(診断と統計用の取扱説明書)とかに書かれているのは、
操作的な診断基準です。
昔のヨーロッパの、精神の病気って、
脳の器質的な原因や仕組みを、想定していました。
器質的な原因や仕組みが、未発見でも、
何かの自然の仕組みがあって、
それが精神症状として現れているっていう考え方。
わざと、精神症状を出す人がいれば、
わざと出さずにはいられなくなる器質的な仕組みが、
脳味噌にあるはずなの。
そういう考え方って、精神医学では、古臭くなりましたけれど、
今でも、生理学や化学や薬学の人は、昔の考え方を踏襲しています。
人間の心って、自然現象のはずだっていうの。
ロマンチックです。
いちおう、病気の定義って、みんなが自分勝手に定義したのでは、
話が通じませんので、
事務的に、世界保健機関(WHO)の定義を使いなさいって、
日本政府の事務員の人は言います。
アメリカが一番強いし、日本はアメリカに負けたので、
殺されて、奴隷や豚やお肉にされても、
仕方ありませんでした。
今さっきまで、殺し合いをして、
アメリカ人を射殺していたのに、
今は、鉄砲を捨てて、命乞いをしているのですから、
もう人間でありません。
奴隷や豚やお肉です。
生かしてもらっていますから、
アメリカ人の言うことを聞かないと、
即座に射殺されます。
お尻の穴を舐めろと言われれば、舐めます。
入れさせろと言われれば、入れさせてあげます。
性同一性障害のための特例法って、それでしょう?
欧米人に対して、
とても卑屈な気持ちになった日本の同性愛者が、
これを作ったのかしら。
日本の同性愛者のほうが、立派な文化を築いていたのに。
戦争って、指導のために、年配の人もやりますけれど、
20才ぐらいの若い子でなければ、体が持ちません。
つい昨日に、生まれたばかりの子供を、
今日は、戦場に駆り立てますから、
飼い犬を、生まれた時から、躾(しつ)けるように、
戦争用に、人間の赤ちゃんを教育します。
それでも、戦争に負けた日本人は、
すぐに平和に適応しました。
適応できなかったのは、
体の壊れた傷病兵や、精神の病気になった人たちでした。
いくら、人殺し用に教育されても、
ちゃんと平和に適応できるのが、健常と言うものなの。
いくら進駐軍に、犬や豚みたいに教育されても、
ちゃんと医学部に進学して、お医者さんになれます。
ユダヤ人のお医者さんも、
戦争になると、収容所に放り込まれて、
ちゃんと、立派な石鹸や肥料になりました。
この適応力が、健常っていうものです。
健常な人間は、何にでもなれるのですから、
精神の病気にもなれます。
でも、精神の病気の人は、なかなか、健常になれません。
最近のお医者さんは、GID(性同一性障害)を、
精神疾患でなく、身体疾患であると言います。
生まれつきの、脳の器質に、
異常な原因や仕組みがあるので、
健常にはなれない、と言うのかしら。
脳の器質の病気なので、
精神疾患でなく、身体疾患と言うのかしら。
そうでなく、心と体が一致しなければ、
心が、体よりも優越するのは、当たり前だそうです。
心を中心にして、
体のほうを、ホルモン剤や手術などによって、
変更すべきなので、
GIDは精神疾患でなく、身体疾患なのだそうです。
天の岩戸に閉じこもった天照(あまてらす)みたい。
インターネットにお薬の名前を並べて、
これこれの患者さんに、これとこれが効いたと、
披露するのが大好きな精神科のお医者さんって、
他の診療科から、抗精神病薬をやめても良いかと、尋ねられたので、
他科の病棟に出掛けたそうです。
患者さんの名前を呼ぶと、振り返ったので、
統合失調症でないと、わかりました。
そんなの、統合失調症の診断基準に、書いてないけれど…
陽性症状がひどくなると、
名前を呼ばれても、応答できなくなりますが、
抗精神病薬の効く患者さんだけが、
入院を必要とするのでありません。
陽性症状がなければ、統合失調症でない、という基準もありません。
犯罪者だって、体の病気に苦しみますから、
誰かが診てあげなければいけません。
悪いことをしなければ、犯罪者でありませんから、
刑務所では、看てくれません。
統合失調症の範囲を、最大限に広げても、
発達障害のうちの、ごく一部の人が、
強制的に鎮静されれば、自傷や他害に及ばなくなるだけです。
悪いことをしていない人を、刑罰のように、強制的に入院させて、
無理矢理にお薬を飲ませるわけにも行きませんので、
統合失調症のような便宜的な概念が、必要になります。
ほんの1%足らずの人しか、掬(すく)い上げられません。
白血球では、95%が不良品として、破壊されるそうです。
人間の個体では、
それほど犯罪が多い、とするわけにも行きませんから、
警察官やお医者さんなどの、
検査落ちの中から選抜された優秀な個体が、
障害者の面倒を、看るしかありません。
お互いの傷を舐(な)め合います。
コンピュータのチップは、
歩留(ぶど)まり70%ぐらいが、採算ラインですが、
人間社会も、よく似ています。
日本には、天皇制や被差別部落などの、
血統に基づく様々(さまざま)な社会慣習があり、
けっして間引かずに、生かさず殺さずを、実現しています。
今は、悪いことをしていないが、今にも、悪いことをしそうな人や、
自傷する人や、自分の家を壊したり、
お金をドブに捨てたりする人や、
家族を苦しめる人や、自殺を繰り返そうとする人などもいます。
精神障害者だけでなく、
身体障害者や、老人や子供や妊婦もいますから、当たり前です。
睡眠中の人は、植物人間と同じようなものですから、
どうしても、周囲の人が、保護してあげなければいけません。
社会が平和でしたら、睡眠中の段取りを、自分で手当してから、
向こう先を見て、眠ることができます。
精神障害者の、社会復帰と社会適応の仕方に、よく似ています。
自力更正のように見えますけれど、
睡眠中に責任能力のある人はいません。
日本では、責任能力のない人を、処罰しない社会慣習が、
江戸時代の初め頃に、形成されました。
お医者さんや、警察官や、重症の精神障害者や、子供などを、
処罰しません。
平和のせいですけれど、
日本の血縁社会は、大昔から準備されていました。
一朝一夕の平和では、追いつきませんので、、
世界で最も早く、人情を大切にする社会を実現しました。
お互いに、言葉が通じて、
相手が、どこの誰かを、簡単に知ることのできる社会です。
単一民族というだけでなく、
万世一系の天皇制や、部落差別や、戦争や徴兵制のない事実なども、
よく似ています。
いくら、お医者さんや警察官や政治家や芸能人などのために、
選抜と競争の制度を作っても、世襲になってしまいます。
精神障害って、なりやすい素質が遺伝して、血統を作るの。
自分から、社会に適応できずに、はみ出して行きます。
端っこのほうに、はじき飛ばされますから、
皇室や、お医者さんや、いわゆる被差別部落や、
世襲される政治家や芸能人などの、
社会の端っこのほうの人たちが、
古墳に埋められた埴輪(はにわ)のように、
社会を護(まも)ってくれます。
平和が続けば、
フランス革命のような、多民族社会の責任能力の考え方が、
やがて日本のような、血縁社会に落ち着くことを、
よく示しています。
わたしも、性分化疾患のリエゾンから、
うん十年前に、
GID(性同一性障害)の性転換医療を知りましたけれど、
内科の患者さんの名前を呼んで、
すぐに振り返れば、統合失調症でないの?
リエゾンって、精神科医が、
よその科の患者さんの精神疾患を、治療することです。
体が苦しいって、
体が異常になれば、心が苦しくなることでしょう?
苦しいほうが健常で、
体の異常があるのに、苦しくないのは、困ります。
向こう先が見えて、
体の異常を、うまく処理できる目途(めど)が立てば、
苦しさが小さくなります。
精神の病気の人って、
わざと、向こう先を見ない人が多く、
将来の楽ちんのために、
今は、苦しいことを、我慢しようとしません。
今のうちに、現金を掴(つか)んで置かないと、
将来は、どうなるかわからない、
という気持ちが強いみたい。
老化すると、人は皆、そうなります。
体の先行きに、自信を持てなくなれば、
善は急げ、という気持ちになるの。
体に異常があれば、心が苦しくなるのは、当たり前です。
痛みって、体の異常を、知らせてくれますから、
知性に頼って、体の異常を治すには、とても大切なの。
あまり痛くならないうちに、
将来を見越して、早めに対処します。
精神の病気の人は、体に異常がないのに、
将来の体の異常を見越して、
いま、苦しくなる人が、少なくありません。
取り越し苦労ですけれど、
向こう先を見るのと、正反対になります。
体が異常でないのに、心が苦しいの。
人間って、単細胞のバクテリアと同じで、
生殖をすれば、永遠に生きられるって、
実感できないみたい。
将来の展望が、得られません。
患者さんが、あれこれと、
心の苦しみを訴えるのに応じて、
精神科のお医者さんが、お薬を処方するのは、
魔女が、蜥蜴(とかげ)の黒焼きや、
蝙蝠(こうもり)の静脈血や、
海豹(あざらし)の精液や、
箒星(ほうきぼし)の尻尾などを、
調合するようなものかしら。
効いて治れば、それでよいし、
治らなくても、一時凌ぎになれば、
精神疾患の薬物療法って、大成功です。
心を表現する抽象語や、形而上学の用語を、
ブログに並べるのと、同じかしら。
催眠術の一種です。
聞いたことのないお薬の名前を、次から次へと紹介して、
何ミリなら、パニック障害に効く、
強迫神経症なら、何々と何々を何ミリ、と書いても、
そんなもの、飲んだことのあるお薬でさえ、
患者さんの役に立つわけがありません。
他人の心を、自分の心と同じと、
どうして判断できますか。
色の名前みたいなものです。
同じ言葉でしたら、同じ心と、誰が言えますか。
証拠もないのに、精神科のお薬を自由に処方できるのは、
精神科医だけですから、
一般の人は、お薬の名前や量を見せつけられても、
何の役にも立ちません。
精神科を受診したことのない人には、
ちんぷんかんぷんです。
形而上学の用語を並べたほうが、
気が利いているかも知れません。
自傷や他害を、できるだけ実行しないって、人間らしさなんです。
GID(性同一性障害)のための特例法のように、
国家が病人の自傷を、そそのかす法律って、最悪です。
あれを作った人は、
どうして、あんなに欧米文化に卑屈になったのかしら。
欧米の性転換って、ようするに、
みんなと一緒のことができない精神障害者を、間引くために、
精神障害者の自滅を、社会が許容します。
自殺を許容するのは、多民族社会の風土なの。
精神障害者が、自分から死んでくれれば、手間が省けます。
日本は、自殺の禁止が、いわば、慣習法になっています。
他人の自殺を止めるのが、美徳です。
制止をせずに、見殺しにした人は、
みんなから、詰(なじ)られます。
日本の美しい伝統なの。
第二次世界大戦の、沖縄や満州の悲劇が、
いっそう、伝統を強固にしました。
ガダルカナルや広島や長崎やシベリア抑留も、忘れません。
いずれも、戦争は悲惨である、という教訓を残しました。
けっして、欧米のように、
硫黄島やサレルノやノルマンディの上陸作戦を、
ギリシャ神話の英雄譚(えいゆうたん)のように、吹聴しません。
日本は、強い者が生き残り、弱い者が淘汰されるべきを、
良しとする社会でないのは、言うまでもありません。
はっきりと、欧米の多民族社会とは、違います。
弱い者が王様であり、奴隷のように、強い者が働く社会であるのは、
天皇制を見れば、一目瞭然です。
陛下は、いつの時代も、
御輿(みこし)の上に祭り上げられた障害者でした。
わたしたちは、政治家や芸能人や学者さんなどの、
異常に弱い人たちを、立派に生かしてあげるために、
御神輿を担いで暮らしています。
性転換って、弱い者を間引く欧米文化の象徴です。
飛んで火に入る夏の虫のように、精神障害者を間引いてくれます。
日本の性同一性障害のための特例法って、それを模倣しました。
どうして、自殺しようとする人を、制止しないのかしら。
どうして、説得しないのかしら。
それが、日本文化の美徳でしょう?
欧米のように、抗うつ薬を投与して、
電撃でガチャンと言わせれば良いのと、わけが違います。
説得して、美談にしなければいけません。
それが日本の風土です。
醇風美俗なの。
御本人が自分から、間引かれたい、性転換したい、と言っても、
けっして、はい、そうですかと、優生医療を実行してはいけません。
鹿鳴館みたいに、欧米の猿真似(さるまね)をして、
多民族社会の殺し合いを、日本に導入してはいけません。
GID(性同一性障害)って、性転換をしたい人なのに、
性同一性障害のための特例法は、
GIDが、性ホルモン剤によって、
不可逆的に生殖機能を壊し、
SRS(性転換手術)によって、性器を変形すれば、
戸籍の性別の変更を認めてやる、と言っています。
これでは、GIDという精神障害者に、
自滅を推奨するようなものです。
あからさまな優生医療です。
性同一性障害のための特例法は、改正すべきです。
GIDであるならば、性ホルモン剤を使わずに、
SRS(性転換手術)を受けずに、体をいじくらなくても、
戸籍の性別を変更できる、と改正すべきです。
問題は、現在の特例法を作った人たちを、
絞首刑にすべきか否かです。
第二次世界大戦に負けましたので、
東条英機という人や、たくさんの戦犯の人たちは、
日本国民の支持を得ていたのに、死刑にされました。
性同一性障害のための特例法を作った人たちも、
国民の支持を得て、欧米の猿真似をした人たちです。
GIDの治癒した人たちは、彼らを許しませんが、
無罪にすべきです。
イエスキリストさんは、
磔(はりつけ)になりましたけれど、
薬害エイズの教授先生は無罪でした。
キリストという人よりも、
特例法って、薬害エイズに近いような気がするの。
GIDの、まだ治癒していない人たちは、
性同一性障害のための特例法を作った人を、
救世主と仰いでいます。
薬害エイズの教授先生も、
神仏(かみほとけ)と、崇拝されていました。
性同一性障害のための特例法を作った救世主さんは、
どうして、あんなに卑屈な気持ちになったのかしら。
芸能人を、総理大臣に仕立てようとするのなら、
よくわかるのですが、
間引かれたいと、気持ちの逸(はや)る人を、
間引いてあげなければいけないと思う使命感に、
正当な理由があるとは、思えません。
説得して、思いとどまらせて、
醇風美俗に仕立て上げる日本の伝統を、
わたしは、良しとします。
QOL(生活の質)と謳(うた)い、
欧米の、自殺や優生医療を許容する多民族文化を、
鹿鳴館のように、日本に導入しようとするのは、
欧米の猿真似をして、
日本の権力基盤を守る埴輪(はにわ)のような一兵卒の、
お医者さんや弁護士さんや
学者さんやジャーナリストの人たちなどの、
自惚(うぬぼ)れと底意地の悪さかも知れません。
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