横須賀、ありきたりの町の様子。
わたしは性分化疾患の治療から、
GID(性同一性障害)の性転換に、関わるようになりましたので、
頭が単純に出来ています。
患者さんの、証拠のない訴えは、判断を保留しますけれど、
患者さんが、痛い、苦しい、と言うのなら、痛い、苦しい、とします。
そうでなければ、医療が成り立ちませんので。
精神の健常な人でしたら、物事を、常識的に判断できますので、
体のごつい女性や、背の低い男性が、性転換をしたいと言えば、
体のごつさや、背の低さのせいで、
みんなの偏見に、晒(さら)されて、
しょっちゅう、差別虐待されて、
いつも、心が苦しいのでないかと、思いやります。
子供の頃から、心と異なる体の性別を、苦痛に思っていたので、
体を、心の性別に合わせるために、性転換をしたいと言えば、
もしかしたら、ヒステリーかも知れない、と思います。
女の子なのに、男の子のように、体がごついとか、
男の子の背が低いので、女の子のように見えるのは、
思春期よりも後です。
体のごつさや、背の低さを、からかわれるだけでなく、
のけ者にされる女の子は、きまって、可愛くないと言われ、
虐(いじ)められる男の子は、おかまといわれますから、
死にたくなるほど、苦痛です。
知らない人の間では、異性に間違われるままに、甘んじていると、
少しもからかわれませんので、異を唱えないほうが、無難です。
思い切って、異性装をすると、よく似合うので、
みんなに褒(ほ)められます。
引け目に感じて、怨(うら)めしく思っていた体の特徴が、
異性装では、誰にも負けない優越感を惹(ひきおこ)してくれて、
とても気持ち良くなります。
性転換をしたいと思うのは、当然です。
それなのに、患者さんは、
思春期以後の、体の見掛けのせいで、性転換をしたい、と言わずに、
思春期よりも前の、子供の頃から、心は異性だったので、
性転換をしたい、と言います。
体の差別に、触れようとしません。
御両親は、思春期以後の我が子が、
体のごつい、男の子のような女の子や、
背の低い、女の子のような男の子であっても、
心を傷つけないように、
そのことを、けっして、口に出しませんでした。
タブーでした。
青年期の子供が、自分の心は、幼児の頃から異性だったと言い、
性転換をしたいと、涙目(なみだめ)で訴えると、
親御さんも、この子は性別を間違えて生まれて来たのでないかと、
思いたくなります。
そうでなければ、世間の偏見を、
どうすることができると、言うのでしょうか。
事実、GIDの味方になり、
SRS(性転換手術)をしてくれる美容外科医や形成外科医が、
偏見や差別の張本人でありませんか。
敵しか、味方になってくれる人が、いないではありませんか。
御本人も、御家族も、底なしの無力感に、打ちひしがれています。
藁(わら)にも縋(すが)る思いとは、このことです。
ほんとうに、子供の頃から、異性の心だったと、思い込みます。
命の恩人のお医者は、藁人形の藁みたいなものです。
思春期以後の体が、異性に似ていたせいで、
差別されて、遺書まで書いた悔(くや)しさが、
生まれつきの、心と体の性別の、違和感による苦しさに、
置き換わります。
タブーが葬り去られ、記憶が封印されて、思い出せなくなります。
ヒステリーの典型です。
わたしの頭って、単純でしょう?
性分化疾患をやっていましたので…すみません。
こうして、SRS(性転換手術)を受けたGID(性同一性障害)の人は、
性転換後の性別の社会に、
顔や体の見掛けにおいて、いわゆる埋没が可能です。
そして、顔や体の見掛けが、
望みの性別に、似ても似つかないGIDの性転換を、強く支援します。
心と体の、性別の異なる苦しさを、自分も経験したから、と言います。
いわゆる埋没の可能なGIDの人も、不可能なGIDの人も、
GIDと診断された後に、統合失調症を発症する確率は、ほぼ同じです。
治癒する確率にも、違いがありません。
GIDの診断時に、統合失調症の発症や、GIDの治癒を、
個別に予想できませんので、申しわけないと思っています。
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